第二十三話 緋石の長城
「ふぅ……だいぶ奥まで来ましたね」
足を止めて、ふうっと息をつく俺。
額に浮いた汗を拭いながら、ゆっくりと周囲を見渡す。
白霧の海を抜けてから、はや二日。
魔界に近づくにつれて瘴気は濃さを増し、植生も異形のものへと変化していた。
森の中央付近にたどり着いた現在では、見たこともない赤黒い色をした木々が幅を利かせている。
その木々の間を太い蔦が這いまわる姿は、まさしく魔境というのがふさわしい。
「いよいよ、魔界が近づいて来たという感じだな」
「ああ。この生ぬるい風、人間界にはないものですね」
木々の間を吹き抜ける生ぬるい風。
それはほのかに、黴と墓土のような匂いがした。
この場所がそうなのか、それとも魔界という世界そのものがそうなのか。
魔法で聖域を展開してなお、人間には居心地がいいとは言い難い空気だ。
「急ぎましょう。予定よりだいぶ遅れちゃってますから」
ランドドラゴンを失ったことによって、俺たちの旅はかなり遅れてしまっていた。
このままだと、ラージャに帰る頃には一週間は遅れている。
少しでもペースアップして、何とか取り返さなくてはいけない。
「うぅ……疲れましたわ……」
「足がちょっと痛いです……」
休憩を切り上げようとすると、たちまち女性たちが声を上げた。
魔力ポーションには、まだまだ余裕があるな。
俺は薄緑の液体をくッと飲み干すと、すぐさま彼女たちに身体強化を掛けてやる。
この前は威力が強すぎて失敗したから、今回はだいぶ控えめだ。
「これでどうですか?」
「……だいぶ楽になりましたわ」
「ジークさんの魔法って、本当にすごい効果です……!」
何故だか急に、色っぽい視線を向けてくる女性たち。
白霧の海での一件以降、彼女たちの俺を見る目が少し変わったような気がする……。
まさか、ウェインさんから乗り換えようとか考えているのか?
……いやいや、それはいくら何でも自意識過剰ってやつだ。
多少、活躍したところで俺はあくまでDランク。
ウェインさんとは雲泥の差があるのに、乗り換えてもらえるはずがない。
「……ふん! まあいいでしょう、とにかく行きますよ」
「あ、ウェインさん! 走ったら危ないですって!」
こうしてさらに奥へと歩いていくと。
やがて視界の端に、何やら赤いものが見え始めた。
魔界特有の仄暗く沈んだ空。
その下を切り取るようにして、赤い帯のようなものが長く伸びている。
「……何だ?」
「壁でしょうかね?」
「恐らくあれは……緋石の長城でしょう」
声を震わせるウェインさん。
そうか、あれが前に話していた緋石の長城か……!!
魔界と人間界を分ける要塞だと聞いていたが、まさしくその通りだ。
境界の森を東西にはっきりと分割してしまっている。
「凄い迫力ですね……」
近づくにつれて、徐々に壁の大きさがはっきりしてきた。
……大きい。
周囲に生えている大木よりも、さらに倍ほどの高さがある。
沈んだ赤褐色の岩で造られたそれは、重量感もあってさながら自然の山のようだ。
恐らくは相当に分厚い壁なのだろう。
ドラゴンが突っ込んだって、ビクともしないに違いない。
「これは……赤魔岩だな」
こうして壁の目の前までたどり着いたところで、姉さんが呆れたようにつぶやいた。
彼女は壁に近づくと、そのつるりとした表面をゆっくりと撫でる。
「何ですか、それ?」
「魔力を帯びた桁外れに堅い岩だ。人界の山にもたまにあるが、とにかく硬くてな。試し斬りの材料として使うこともある」
「へぇ……そんな素材を使って城を」
「さすがは魔族と言った芸当だな。これだけの大きさとなると、私でも斬るのは大変だ」
「大変って、斬ること自体はできるんだ……」
これほど巨大な壁を斬ろうなんて、そんなこと考えるのは姉さんぐらいのものだな。
ふとウェインさんの方を見れば、壁の大きさに完全に圧倒されてしまっていた。
どちらかと言えば、こちらの方がよっぽど普通の反応である。
こんなに大きな壁、人界で見ることはないからなぁ。
「しかし、この先へはどうやって進むのだ? 上るのはかなり難儀だぞ」
「というか、そんなことしたら魔族に気付かれてヤバいんじゃないかな? ほら」
そう言うと、俺は壁の上空を巡回しているワイバーンを指さした。
心なしか、その視線は俺たちに向けられているような感じだ。
恐らくは、魔族によって飼われている番犬のようなものだろう。
俺たちが妙なことをすれば、たちまち襲い掛かってくるに違いない。
「うーむ、普通に門から入るしかなさそうだな」
「ああ。だが、この辺りにはなさそうな感じですね」
ざっと見渡してみるのだが、周囲に門のようなものはなかった。
ただ赤い石の壁が、どこまでも長く伸びている。
俺たちはひとまず、壁に沿って歩きながら魔界側に抜ける入口を探すことにした。
だが、なかなか発見することができない。
「……これは、馬鹿正直に歩いていたら日が暮れるな」
しばらく歩いたところで、姉さんが困ったように言った。
大陸を東西に分ける境界の森は、横断するだけでも一週間以上はかかる広さを誇る。
もしこの壁が、森の端から端まで続いていたとして。
出入り口が一つしかないのであれば、見つけるのは相当に骨が折れるだろう。
せめて場所さえわかれば、だいぶマシになるのだけども。
ううーん、何かいい方法は……。
「そうだ! 魔力探知ですよ!」
「ん? 魔力なんて探ってどうするんだ?」
「考えても見てくださいよ。これだけ頑丈な壁で侵入を防いでるんですよ? 入口にはきっと、強い魔族がいるとは思いませんか?」
「なるほど、その魔力を察知すれば入口の場所が分かるというわけだね?」
得心したように、手をつくウェインさん。
俺は彼の言葉にうなずくと、さっそく魔力探知を行ってみた。
掌から放たれた魔力が広がり、やがて反響が返ってくる。
すると――。
「これは……! 何なんだ……!!」
付近に感じた、途方もなく巨大な魔力。
いったい何がいるというのか。
俺はたまらず、全身を強張らせるのだった――。




