第二十一話 聖女と司祭
時は少し遡り、ジークたちが境界の森へ旅立つ前のこと。
聖女ファムたち一行は、ラージャの手前にある宿場町へと差し掛かっていた。
以前に、賢者シエルが立ち寄ったのと同じ場所である。
小さいながらもそれなりに栄えた街で、通り沿いには露店なども出ていた。
「見てください! ワイバーンの串焼きですって!」
「ほう、脂が乗っていてなかなか旨そうですな」
「こっちは果物の盛り合わせ! 綺麗ですねえ!」
「ええ、まあ」
ここ数年、一人で買い物することなどほとんどなかったファム。
彼女は露店を覗いては、普段は見ることのない食べ物や商品に眼を輝かせる。
一方、彼女の警護を担うクメールたちは気が気ではなかった。
露店が出ているということは、それだけ人出があると言うこと。
人ごみに紛れた刺客が、ファムを狙うことは十分にあり得るのだ。
「そろそろ宿に戻りましょう。明日も早いですから」
「あともう少しだけ。こんな機会はめったに……あら?」
不意に、通りの人混みが割れた。
ファムたちが何事かと思っていると、煌びやかな法衣を着た集団が歩いてくる。
十字の紋章が描かれたミトラを被っていることからして、彼らも聖十字教団の聖職者のようだった。
「街の教会の方でしょうか?」
「恐らくは。しかし、ずいぶんと羽振りがよさそうですな」
男たちの着ている法衣は、教団が支給している物よりもはるかに上質な物であった。
規則として、自費で衣装を飼うことは認められているのだが……。
それにしても、小さな町の聖職者としてはいささか分不相応に見えた。
「ちょっと、ついて行ってみましょうか」
「ええ、気になります」
こうしてファムたちが追いかけていくと、聖職者たちはとある商家の前で立ち止まった。
なかなかの大店のようで、数十人もの奉公人たちが忙しく働いているのが見える。
彼らは聖職者たちの来訪に気付くと、すぐに手を止めて丁重に頭を下げる。
「今日もご苦労様です、ニーゼ様」
「うむ。アナスタシア殿の容体はいかがかね?」
「正直に申しまして、あまり芳しくは……」
そう言って、顔を曇らせる男。
会話の内容からして、この商家の家族に病人がいる様である。
この聖職者の男は、どうやらその治療に当たっているようであった。
教団に属する聖職者としては、ごくごく一般的な活動だ。
「なるほど。そうなると、薬をもう少し増やす必要がありますな」
「あの、本当にアナスタシアは治るのですか? すでに二回も増量していますが……」
「聖十字教団の奇跡が、信じられないとでも?」
「いえ、滅相もございません! アナスタシアがこれまで命をつないでこれたのも、境界のおかげだと信じておりますから!」
そう言うと、男は深々と頭を下げて平伏した。
大店の主人とはとても思えないような態度である。
それを見た聖職者たちは、ふむふむと満足げに頷く。
「よろしい、では今日の薬代として五十万いただきます」
「ま、待ってください! これまで三十万だったはずですよ!」
「処方する量が増えたのですから当然でしょう」
「しかし、その値段は余りにも……」
男たちに対して委縮しながらも、主人は金を出すことを渋った。
一か月分なのか、はたまた一週間分なのか。
いくら大店の主人とは言え、決して少なくはない金額である。
「払えないというのであれば、薬をお渡ししないだけです。ですが、それでいいのですか? この薬がなければ、アナスタシア殿は三日と持ちませんぞ」
「そ、そんな! は、払います! すぐに払わせて――」
「ちょっとお待ちを!」
主人が慌てて金を用意させようとしたところで、見ていられなくなったファムが飛び出した。
クメールはすぐさま彼女を止めようとするものの、時すでに遅し。
いきなり現れた見知らぬ少女に、誰もが戸惑った様子を見せる。
「何かね? 我々も忙しいのだが」
「聖十字教団において、薬や治癒の代金として受け取って良いのは十万までという規定があったはずです」
「その通りだが、実費がかかる場合は別になっている。この薬は大変高価なもので、我々としても利益などほとんどない」
「では、その薬の主成分は何です? 見たところ、何かを練って作った丸薬のようですが」
ファムにそう問いかけられ、聖職者たちの顔色が変わった。
しかしすぐに気を取り直すと、軽く咳払いをして答える。
「……満月熊の肝だ」
「おかしいですね。満月熊の肝は、主に精力剤の材料ですよ」
「体力を向上させる作用もあります! アナスタシア嬢は身体が弱っていましたから」
「ですが、それだけでは一時的に回復しても全く根治にはつながらないですよね?」
聖職者たちの顔色が、ますます悪くなった。
その額には、たちまち脂汗が滲む。
そんな彼らの様子を見て、主人もおかしいと感じたのだろう。
声を震わせながら、不安げな様子で尋ねる。
「この薬を飲んでいれば、いずれ必ず良くなるとおっしゃいましたよね? 違うんですか?」
「…………ううむ。あくまで、良くなる可能性があるとは言っただけです」
「可能性!? そんな、話が違うじゃないか!」
「そちらが都合よく勘違いしたのでしょう? 我々の方からは約束したことはありませんよ!」
そう言って、聖職者たちは主人の手を振り払ってしまった。
彼らはそのまま立ち去ろうとするが、すかさずその前にファムとクメールが立ち塞がる。
「どいていただけませんか? 私どもはこれでも忙しいので」
「よくもぬけぬけと。この教団の恥晒しめ」
クメールの発言に、聖職者たちの眼が吊り上がった。
彼らはファムたちとの距離を詰めると、低く凄みのある声で言う。
「そのようなことを言われても困りますな。これでも私は、この町の教会を預かる司祭です。それなりに立場がありますので、あらぬ噂が立ってしまっては困るのですよ」
「あなたが司祭……ですか? 記憶では、この町の司祭はもっと高齢の方だったはずですが」
「二年ほど前に代替わりしまして。今ではこのニーゼが司祭を務めております」
「なるほど、先代の地位を継いだというわけか……」
聖十字教団の組織は、一部の大都市を除いて地域密着型である。
中央から派遣されてくる人物ではなく、その土地で生まれ育った人物が教会を運営するのが通例だ。
教団では妻帯も許されていることから、一部の地域では教会運営が世襲化されていることもある。
どうやら、この街もその一部地域に含まれていたようだ。
「もちろん、中央からの承認もすでに受けておりますよ」
「これは……審査が甘かったのかもしれないな」
「ええ。地元の推薦があれば、滅多なことでは落としませんし」
「ぶ、部外者が何を分かったようなことを言っているのです。早く、どいてください!」
このまま二人に問い詰められては、ろくなことにならないと自分でも分かったのだろう。
ニーゼはファムたちを強引にどかすと、そのまま歩き去って行ってしまった。
あとに残された二人は、やれやれと深いため息をつく。
「まったく、困ったものですね……」
「宿に戻ったらすぐ対応しましょう。そのままにしておくわけには参りません」
「仰せのままに」
深々と頭を下げるクメール。
慈悲深い聖女であるファムだが、内部の不祥事には非常に厳しかった。
ニーゼはほぼ間違いなく司祭を解任され、教団を追われることになるだろう。
もしかすると、これまでの悪行の責任を問われ牢に繋がれることとなるかもしれない。
「……しかし、その前に彼のしたことの責任を果たさなくては」
「そうおっしゃられますと?」
「私があのニーゼという司祭の代わりに、お嬢さんの状態を見ましょう。もしかすると、何とかなるかもしれません」
そう言うと、ファムはゆっくりと主人の方に向き直った。
その微笑みにどこか安心感を抱いた主人は、彼女の提案にゆっくりと頷くのであった。




