第十九話 氷結の蛇
「こんなの、一体どこにいたんだ!?」
「バカな……!!」
驚きのあまり、声を引き攣らせる俺たち。
森を覆いつくすほどの大蛇が迫ってきていたというのに、全く気付かなかった。
物音もしなければ、魔力の気配もしなかったのである。
たまたま猿たちが近くにいて騒がなければ、いきなり食われていたかもしれない。
「どうする? 倒すか!?」
「倒すかって、こいつ……!」
問いかけてくるウェインさんに対して、俺はすぐに返事をすることができなかった。
全く得体の知れない相手である。
下手に刺激をするのも、危険なように思われたのだ。
姉さんもそう感じたようで、剣を手にしたまま敵を観察している。
「これは、さすがに少し骨が折れそうだな……」
姉さんがそう言ったところで、大蛇はその顎を大きく開いた。
眼が金色に輝き、剣のような牙が怪しく光る。
あんな牙で噛みつかれたら、毒の有無以前に即死だろう。
その鋭さときたら、鉄板だって貫いてしまいそうなほどだ。
「シャアアアッ!!」
「くっ……! 避けろ」
鎌首をもたげ、大蛇はこちらを威嚇するように声を発した。
そしてにわかにとぐろを巻くと、勢いよく木々の間から飛び出してくる。
……こんなバカでかいやつ、風の壁じゃどうにもならないな!
とっさにそう判断した俺たちは、全速力でその場から退避した。
直後、ドォンッと重い音が響く。
「あああああっ!! 私のゼピュロス号がああああっ!!」
その場にいた人間は、全て退避することができた。
ウェインさんの仲間の女性たちも、姉さんに抱えられて無事である。
だがしかし……さすがの姉さんもランドドラゴンにまでは手が回らなかった。
大蛇の牙が、容赦なく逃げ遅れたドラゴンの鱗を貫く。
「グアアアアッ!!」
「おい、しっかりしろ! まだ、ローンの支払いが残っているんだぞ!?」
倒れたドラゴンに駆け寄ると、ウェインさんはその頭を乱暴に揺らした。
しかし、ドラゴンは閉じた瞼を開くことはない。
牙の刺さった箇所が悪く、どうやら即死に近い状態だったようだ。
溢れ出した血が地面を濡らし、赤と白のコントラストが描かれる。
「そんな、私のゼピュロス号が……! 五千万もしたのに……!」
「く、厄介なことになったな……」
「ええ……。足がなくなっちゃいましたね」
そう言うと俺は、目を閉じて軽く十字を切った。
本来ならきちんと供養してやりたいところだけれど、今はそれどころではない。
早くあの大蛇を何とかしなければ、今度はこちらが殺されてしまう。
俺たちは互いに背中合わせになると、再び霧に隠れた大蛇を見つけるべく注意を凝らした。
……どこだ、一体どこにいる?
山や丘を一周できそうなほどの巨体を誇る割に、大蛇は驚くほど静かに動いた。
周囲をぐるりと囲まれてしまった俺たちは、その頭がどこにあるのかどうにも読み取れない。
「くそ……! この蛇、俺たちを遊んでないか?」
「……獲物はゆっくりと時間をかけて食べる主義なのかもしれんな」
「そんな悠長な……」
「なに、いざとなったら斬るだけだ。だが、蛇系の魔物は血に毒が含まれてることがあるからな……」
グラトニースライムのことでも思い出したのか、渋い顔をする姉さん。
無論、彼女の腕ならばあれだけの巨体だろうと斬ること自体は容易いだろう。
しかし、それによって毒がまき散らされたりしたら非常に厄介である。
境界の森に住む大蛇なんて、いったいどんな毒性を持っているか分からない。
ポーションの類は一通り持ち込んではいるが、どこまで通用したものか。
「斬るのは最後の手段にしましょう。できるだけ、追い払う方向で」
「ああ、それがいいだろう。しかしどうしたものか」
「ジーク君、君の魔法でどうにかならないのかい?」
「あれだけデカいと、さすがに有効なものを選んで使わないと逆効果ですよ」
そう言うと俺は、改めて蛇の作る巨大な影を観察した。
いやが上にも緊張感が高まり、筋肉が強張る。
やがて額に浮いた汗が頬を伝い、ぽたりと肩に落ちる。
すると――。
「つめたっ!」
冷たい感触に、驚いて肩が震えた。
緊張していたため気づかなかったのだが、周囲の温度がかなり下がっている。
まだ日も高い時間なのに、いったいどうしてだろう?
不審に思った俺は、たまらず眉を顰める。
「冷えてきましたね……」
「ああ。ひょっとすると、あの蛇のせいかもな」
「……そうか、わかった!」
俺の頭の中で、閃くものがあった。
そうだ、そう考えれば今までのことに説明がつく。
あの猿がどうやって俺たちの居場所を察知していたのかも、蛇がなぜ音を立てないのかも!
「氷だ。あの蛇、自分の身体を薄い氷で覆ってるんだ!」
「それが、どうかしたのか?」
「わかりませんか? 氷はよく滑るから、地面を這っても音がしないんですよ。そしてあの猿たちは、音もなく迫ってくる蛇から逃げるために温度で動きを察知していたんだ!」
俺がそう言うと、姉さんやウェインさんは納得したように頷いた。
だがすぐに、険しい表情へと戻る。
「だが、それがわかったところでどうする? さすがに温度で動きを察知することなどできんぞ」
「そうだ、結局じり貧のままじゃないか!」
期待を裏切られたとばかりに、声を荒げるウェインさん。
それに同調して、取り巻きの女性たちも声を上げる。
ドラゴンの背中という居場所がなくなってしまったせいだろう、彼女たちの表情も必死だった。
俺はまあまあと落ち着くように促すと、自身の考えを述べる。
「敵が氷を使うとわかった以上、やりようはありますよ。氷を扱う魔物は、ほとんどの場合で火に弱いんです。だから……」
俺は黒剣を地面に突き刺すと、精神を落ち着かせて魔力を練り上げる。
威力は大きく、されど精度はできるだけ高く。
森の中という場所柄、この魔法を扱うには細心の注意が必要だった。
そして――。
「大地の底より来たれ、ヴォルカン!!」
俺たちを囲むようにして、深紅の火柱が立ち上がったのだった。




