第十五話 白霧の海
「はああぁっ!! せいっ!!」
押し寄せてくる狼の群れ。
黒く艶やかな毛並みをし、金色に眼を輝かせる魔狼ブラックウルフである。
その強さはBランクに相当し、一頭でも村が一つ潰れてしまうとされる強敵だ。
この魔狼が、十頭以上もの群れを成してこちらに押し寄せてきている。
まったく、境界の森って言うのは本当にとんでもない場所だな……!!
「君たちはここでドラゴンを守ってくれ! 前線は私が防ぐ!」
「いや、それには及ばん。はああぁっ!!」
しかし、その魔狼ですら姉さんの前ではそこらのゴブリンと変わらなかった。
姉さんはドラゴンの背を降りると、斬撃を飛ばして狼の群れを切払う。
たちまち斬撃の嵐が吹き荒れ、血が飛沫となって舞った。
「あはは……お強いですねえ……」
姉さんのあばれぶりを見て、乾いた笑みを浮かべるウェインさん。
その顔は微かにだが、引き攣っているようであった。
まあ無理もない、初めてみる人にはいろいろと刺激が強いからなぁ……。
「これでひと段落だな。森を抜けるには、あとどれくらいだ?」
「まだまだ、三分の一にも達してません」
「さすがに長い道のりだな。ドラゴンを走らせても、それほどかかるのか」
「この境界の森は、大陸を東西に分ける大樹海ですからね。まだまだ序の口です。それに……」
もったいぶるように、何やら間を持たせるウェインさん。
何だろう、この森にはほかに何かが潜んでいるとでもいうのだろうか?
俺と姉さんは、揃って顔つきを険しくする。
「この境界の森には、三つの難所がある。一つ目が白霧の海、二つ目が緋石の長城、そして三つめが黒夜の林です。我々はまだ、そのどこにも達していない」
「いずれもずいぶんと、迫力のある名前ですね……」
「特に、二番目の緋石の長城は魔族たちの待ち構える関所だ。そこを超えれば、完全に魔界に入ることになる。こちらには親書もあるが、すんなり通れるかどうか……」
ウェインさんがそう言い澱んだところで、にわかに霧が漂い始めた。
霧は見る見るうちにその濃さを増していき、周囲の景色が白に沈み始める。
まさしく一寸先は闇……いや、白。
自分の足元すら、見ることがおぼつかない状態となってしまう。
「これが白霧の海か。なかなか厄介な場所だな」
「ええ。霧に紛れて襲ってくる魔物はもちろん、迷ったら先へ進めませんよ」
「ううむ、どうしたものか……」
腕組みをしながら、眉間に皺を寄せるライザ姉さん。
いかに腕が立とうとも、遭難を防ぐための役には立たない。
まさしく、思案のしどころであった。
「ひとまず、今日のところは少し戻って休息をとりませんか? 夜に抜けるのはさすがに無理ですよ」
俺は既に暗くなりつつある周囲を見ながら、皆に提案をした。
霧のせいでどこに太陽があるのかすらわからないが、既に夜が近い。
魔物の襲撃で疲労もたまってきているし、ここを夜に突き進むのは自殺行為に思えた。
「もっともですね。よし、少し戻ったところで野営としましょうか。準備はしてきているので、ご安心を」
「それは助かる。今日のところは早めに休むとしよう」
こうして俺たちは、少し戻ったところで野営の準備をするのだった。
――〇●〇――
「参ったな、まさかライザがあれほど強かったとは」
その日の夜半過ぎ。
寝ずの番を自ら買って出たウェインは、ライザとジークが寝たところで愚痴をこぼした。
ライザが高名な騎士であるという話は既に聞き及んでいたのだが。
まさか、境界の森の魔物をも難なく倒してしまうほどだとは思わなかった。
おかげで、魔物に襲われているところを助けて惚れさせるという計画はご破算。
それどころか、ウェイン自身がたまにライザに助けられている始末だった。
「このままでは、この私が恥を搔きっぱなしではないか……!」
眉間に皺をよせ、歯ぎしりをするウェイン。
このままでは汚名を濯ぐどころか、恥の上塗りである。
何としてでも、ジークとライザにSランク冒険者の力を見せつけてやらねばならなかった。
「ウェイン様、それでしたらモンスター討伐以外の部分で実力を見せつけては?」
怒りに震えるウェインに怯えながらも、仲間の女性の一人が提案した。
彼女はそのまま白霧の海が広がる方角を見やると、少し声を潜めて言う。
「あの二人は、白霧の海に対する策が特にない様子でした。ウェイン様が颯爽と道を示してやれば、すぐに頼ってくるかと」
「なるほど。それはありかもしれんな」
そう言うと、ウェインは懐から小さな時計のようなものを取り出した。
これは特殊な魔力計の一種で、針の先端が常に魔力の強い方角を指示する仕組みになっている。
この大陸において最も魔力の強い場所は魔界の深奥であるため、常に東側を示す優れものだ。
境界の森を歩くに当たっては必須のものだが、あえて彼はそれをジークたちには知らせていなかった。
「ふふふ……あの方からいろいろ聞いておいて正解だった。やはり旅は準備がものをいう」
「ええ。多少腕が立ったところで、最後は戦略に優れたものが勝ちますわ」
「ははは! そうと分かれば、勝利の前祝だ」
そう言うと、ウェインは再び魔力計を懐にしまった。
そして女たちを自身の両脇に侍らせると、手を這わせてその肉感を堪能する。
だらしなく緩み切った顔は、明日の勝利を確信していた。
だがしかし……。
「こういう時は、魔力感知ですね」
「え?」
「この森は常に東側から強い魔力が発せられているので、それに従って歩けば抜けられますよ」
「そうか。頼んだぞ、ジーク!」
ウェインの知らない魔法を使って、ジークは難なく白霧の海を越えていくのだった――。




