第六話 再びの地下水路
「へえ、前とは全然雰囲気が違いますね」
地下水路へと降り立った俺は、すぐさま空気の違いを感じ取った。
以前はサンクテェールで防がないと厳しいほどの瘴気に満ちていたが、今はほとんどない。
それどころか、下水から湧いてくる臭いなども大幅に軽減されていた。
奥に巣食っていた魔族がいなくなったというだけで、これほどまでに変化するのか。
俺が少し感心していると、クルタさんが言う。
「前に倒したタイラントスライムってのがいたでしょ? あれをケイナが改良して、下水の掃除用に撒いたらしいよ」
「あれを…………?」
思わぬ名前が出てきて、怪訝な顔をするライザ姉さん。
タイラントスライムというのは、ライザ姉さんが苦戦させられた巨大スライムである。
水を取り込むことで急激に膨張し、山を覆いつくすほどに巨大化した強敵だった。
とても人間に制御できるようなものには思えなかったが、それをやってのけたらしい。
「ケイナもあれで魔物研究所の研究員だからな。知らない間に仕事してたってことだろ」
「流石は魔物研究所、侮れません」
「もっとも、放っておくと大きくなりすぎるからそれを初級や中級の冒険者が間引いてるんだって。今朝聞いた話だけど、下水の中での仕事ってことで金払いはいいらしいよ」
「それで初級や中級の冒険者はここに集まるってことか」
腕組みをしながら、ロウガさんは周囲を見渡した。
入り組んだ水路の奥に、まさしく初心者と思しき冒険者の一団がいた。
下水に足を踏み入れた彼らは、子どもの背丈ほどもあるスライムを相手に奮闘している。
剣や槍を使って、どうにか核を突こうと一生懸命だ。
「……あれで大丈夫なのか? 武器が溶かされそうだが」
あれらのスライムの元となっているタイラントスライム。
その酸性の身体は、ライザ姉さんの愛用していた鎧を容易く溶かしてしまうほどだった。
苦い思い出がよみがえったのか、姉さんの顔が心なしか強張っている。
すると、クルタさんが笑いながら言った。
「大丈夫だよ、酸性はほとんどないらしいから。といっても、ずーっとあれを相手にしてると結構痛むらしいけどね」
「……そこで接触して、安い剣を買わないかって持ち掛ける訳か」
「たぶんそうだと思う」
「なかなかよくできた商売ですね。ここなら、職人街の人たちにもまず見つかりませんし」
一般人である職人たちは、弱いとはいえモンスターの徘徊するこの場所へはまず入れない。
そして、武器を損耗して新しいものを欲している顧客の冒険者もたんまりいる。
まさに訳アリの武具を流通させるには、最適といっていいぐらいの場所だ。
まだここが取引の場になっていると確信したわけではないが、可能性はかなり高そうだな。
俺たちはそれらしき人物が現れないか、周囲に気を配る。
「俺たちもスライムを狩った方が自然じゃねーか?」
「えー、下水に入るの!?」
「むしろ、汚れてねえと不自然だろ」
「あー……」
この地下水路にいるのは、スライム討伐に来た冒険者たちばかり。
何をするでもなく、みんなでその場に立っているのはいろいろと不自然だろう。
討伐を終えて一服しているというならまだしも、誰一人として濡れていないわけだし。
下水には入りたくないが、ロウガさんの言うことはもっともだった。
「仕方ない、入るぞ」
意外なことに、先陣を切ったのはライザ姉さんであった。
かなりマシになっているとはいえ、茶色く濁った水にためらうことなく足を踏み入れる。
流石は剣聖、肝が据わっているというか覚悟が出来ているというか。
続いて俺も、ゆっくりとだが下水の中へと入っていく。
「案外、入っても臭くないですね」
「…………ええい、しょうがないなぁ!」
やがてクルタさんもそれに続いて、下水の中へと入ってきた。
ロウガさんもすぐにその後を追いかけてくる。
そして、最後に残ったのはニノさんだった。
「ぐぐぐ……!!」
「ほら、早くしろって」
「むむむ……!!」
「入らないと、変に見られちゃうよ」
クルタさんにそう言われて、ニノさんは渋々といった様子で水路に近づいた。
そして、さながら熱いお風呂にでも入るかのようにそろそろと足先から下水に入る。
しかしここで、彼女の身体が滑って勢いよく飛び込んでしまう。
「うわっ!?」
「お姉さま!? す、すいません!!」
水をもろにかぶってしまったクルタさん。
すぐさま立ち上がったニノさんは、ものすごい勢いで彼女に向かって頭を下げる。
すると彼女の後頭部は、何か平たいものに覆われていた。
「ニノさん! あたま、あたま!!」
「え?」
「でっかい虫!」
「……うわぁっ!?」
落ちた拍子に、水の中にいたデカい虫が彼女の頭に乗ったらしい。
カブトガニのようなそれを、ニノさんは慌てて手で払い飛ばす。
すると運の悪いことに、虫が飛んでいった先にはライザ姉さんがいた。
「ふっ! ……あっ!」
とっさに、剣を抜いて虫を切り捨てるライザ姉さん。
だが、切り捨てられた虫の片割れが運悪く俺とロウガさんに直撃した。
たちまち、虫の体液によって鎧がべたべたになってしまう。
「す、すまん! そこにいるとは思わなかった!」
「姉さん……!」
「ライザ……!」
お返しとして、ライザ姉さんに水をかける俺とロウガさん。
こうして数分もすると、俺たちは残らずびしょびしょになっていたのだった。




