第三十六話 奥義
「ほう……その剣、尋常のものではないな」
俺が手にした聖剣を見て、ゴダートは驚いたように息を呑んだ。
白銀に輝く刃は、さながら光が固体化したかのよう。
そこから放たれる清浄な気は、爽やかな風となって周囲に流れる。
竜の王をも切り裂く剣が、今ここに圧倒的な存在感を伴って顕現した。
その威容に、離れた場所にいたシュタインまでもが動きを止める。
「できることなら、これは使いたくなかったけどな」
「何ゆえに? その気配からして、妖刀の類ではなかろう?」
「俺自身、こいつを制御しきれないからだ。だから……貴様を殺してしまうかもしれない」
そう、この聖剣はあまりにも切れ過ぎる。
そのため人間相手に振るえば、たちまち命を奪い取る凶刃と化すだろう。
だからこそ、俺は確実に制御できるようになるまで聖剣の使用を自ら禁じていた。
けれど、その禁をいま破る。
たとえこの手を人の血に染めてでも――姉さんとクルタさんを守る!!
「そ、そんなものを出したところで状況は変わらんぞ! 動きを止めろ!」
「やってみろ。俺はお前を許さない」
「ひぃっ!?」
俺の言葉に、全く迷いが無いことを察したのだろう。
シュタインは情けない声を発すると、手にしていたナイフを取り落とした。
そしてまだ回復中のジンの後ろへと逃げ込む。
「ゴ、ゴダート! やはりここはお前に任せた!」
「やれやれ。頼りにならん大将だ」
「うるさい! 私はあくまでも、頭脳担当なのだよ!」
シュタインの言い訳を耳にして、やれやれと頭をかくゴダート。
しかし、そのどこか気のない態度に反して眼光は鋭い。
俺の手にした聖剣のことを、しっかりと警戒しているようだ。
「さて、その剣の威力を確かめてみよう」
「ああ、言われなくとも!」
たちまち始まる打ち合い。
二振りの剣と聖剣がぶつかり、激しく火花を散らす。
流石にゴダートの剣も相当な業物なのであろう。
鋼をも容易く切り裂く聖剣と真正面からぶつかっても、刃こぼれ一つしない。
いやこれは……ゴダートの技量が凄まじいのか?
聖剣の威力をもってしても、攻撃をほぼすべて受け流されてしまう。
純粋な技だけなら、あのライザ姉さんすら上回っているかもしれない。
「なぜ、それほどの腕がありながら、悪に染まった!」
ゴダートが積み重ねて来たであろう苛烈な修練。
その重みが伝わってきただけに、俺は大きな哀しみを覚えた。
これほどの腕を得るには、邪な想念など捨ててただ一心に剣と向き合う必要があっただろう。
それがどうして、あんなチンケな悪党の用心棒などやっているのか。
金に眼が眩んだのか、権力を欲したのか……。
俺にはどうしても、理解することができなかった。
するとこの問いかけを聞いたゴダートは、これまでとは少し違った眼をする。
「……逆だな。この腕があった故に、それがしは変わらざるを得なかった」
「どういうことだ?」
「いいだろう。この際だ、このおいぼれの昔話を少し聞いていけ」
そう言うと、ゴダートはそっと俺から距離を取った。
いったい、この剣客の人生で何が起きたというのか。
心惹かれた俺もまた、攻撃の手を緩める。
「それがしはアキツの辺境にある小さな村で生まれた。だが、その村が野盗によって滅ぼされてしまってな。天涯孤独となったところを、師父に拾われたのだ」
「それで、剣術を学んだという訳か」
「ああ。師や仲間と共に過ごす日々は充実していた。当時、アキツの国には多くの野盗や妖魔の類が跋扈していてな。仕事にも事欠かなかったさ。その中でそれがしは次第に頭角を現し、気が付けば一門を代表する剣士となっておった」
ここまでは、非常に順調で幸福そうな生活であった。
ゴダートの口調も穏やかで、これまでとは打って変わって優しげな顔をしている。
だがここで、一気に様子が変わった。
「しかし、これがいけなかった。それがしはまだ、流派の本質について何も知らなかったのだ」
「本質?」
「ああ。それがしの学んでいた青天流はもともと戦場にて産まれた修羅の剣。どこまで行っても、その本質は人を殺めることに他ならなかったということよ」
それだけ言うと、ゴダートは一拍の間を置いた。
やがて彼は、堰を切るように切々と言葉を発する。
「青天流の奥義というのはな。実は、そのあまりの難しさゆえに初代が編み出してから扱えるものが誰一人としておらなんだ。だが師は、それがしならばと考えたのだ」
「それが、先ほどの話と何の関係がある?」
「この奥義というのがいかなるものか、そなたもキクジロウから聞いているだろう? 相手の技をそっくりそのままの威力で反射するという技だ。そしてこれを会得するためには、必殺の一撃を跳ね返さねばならん。生半可ではダメなのだ」
「それじゃ……まさか……!」
「そう、この奥義を会得するには師を殺さねばならなかった」
ゴダートの言葉に、俺は少なからず衝撃を受けた。
そうか、そういうことだったのか……!
だが、それではなぜゴダートは一門を飛び出したのだろう?
思考を整理しきれない俺に、ゴダートはさらに畳みかけるように話し続ける。
「それがしは奥義を会得することを断り続けた。そしてこのまま、奥義の存在そのものを闇に葬ってしまおうと思っていた。だがある日、師が告げたのだ。心の臓の病にかかった。もう長くはない、どうせ死ぬならば某を後継者として奥義を継がせたいとな。その願いを断り切れずに……この手に掛けた」
「……なら、どうして何も言わずに飛び出したりしたんだ! キクジロウさんたちに事情を説明すればよかったじゃないか!」
「いかなる理由があろうとも! それがしは実の父以上の存在だった師を殺めた! これに変わりはない、ないのだ!」
心の中にあるものを、すべて吐き出すかのような慟哭。
ゴダートはそのまま自らの右手を見ると、身を震わせながら話を続ける。
「それがしはその後、逃げるように大陸へと渡った。そしてその後、負けるために戦いを始めた」
「負けるため……?」
「そうだ、死に場所が欲しかったのだ。さらに言うならば、誰かに否定されたかったのであろうな。師を殺して得た力など、所詮は知れていると。だが、現実は違った。それがしは勝ち続けてしまった。大陸に悪名が轟き、命を狙う者が現れてもなお勝ち続けてしまった」
ゴダートの顔は、いつの間にか哀しみを讃えていた。
やがて彼は改めて俺の方へと向き直る。
そのどこか生気の無い顔を見て、俺は深く息を吸って告げる。
「……俺が、あなたを止める。いや、必ず止めて見せる」
勝たねばならない理由が、今また一つ増えたのだった。




