第三十四話 抜かれた刀
「ひぃ……!? もう、封印が解けてる!?」
やがて俺たちの目の前に現れたのは、巨大な異形の魔族であった。
その身の丈は大人の三倍ほどはあるであろうか。
背中には黒々とした皮膜の翼が生え、天井を覆いつくすかのよう。
その顔つきはゴブリンをさらに醜悪にしたようで、紅の眼が怪しく光る。
さらにその身体からは、禍々しい蒼炎が発せられていた。
「いや、大丈夫。封印はまだされてます」
強烈な存在感を放つジンを見て、焦りを見せるクルタさん。
一方で俺は、すぐに奴の手足に鎖が絡みついているのに気付いた。
ジンの身体が実体化するのに合わせて、結界もまた実体化したようである。
よほど強固な術式なのだろう。
手足を十重二十重に縛り付けるそれは、解ける気配など全くなかった。
「……哀れなものだな」
「何とでも言え」
早く斬れとばかりに、ライザ姉さんへと近づいていくジン。
奴はそのまま姉さんが斬りやすいように、自らの肩を差し出した。
肩から胸にかけて、袈裟に斬れと言いたいようである。
その挑発的な態度に、姉さんはますます表情を険しくする。
「ならば望み通り……斬ってやろう、真っ二つにな!!」
「姉さん、それは!!」
どうにも嫌な予感がした俺は、とっさにライザ姉さんを止めようとした。
しかし、時すでに遅し。
金色に輝く刃が一閃し、ジンの身体を引き裂く。
たちまち恐ろしい叫びが響き、黒々とした血が噴き上がった。
それにやや遅れて、巨大な身体から瘴気を思わせる禍々しい魔力が溢れ出す。
「完璧だ! 後は魔力を限界まで吸い出せば……封印が解けるぞぉ!!」
作戦の成功を確信し、狂気に染まるシュタイン。
彼はすぐさま導線の束のようなものを取り出すと、ジンの傷口へと近づける。
その場に溢れていた異質な魔力が、見る見るうちに吸い上げられていった。
どうやらこの導線の先には、シュタインが大量に買い込んだ魔導具があるらしい。
「これはいい! あと数分だな!」
「姉さん! こうなったら、今のうちにジンを倒すしかないですよ!」
「けど、そんなことしたらアエリアさんが!」
行動を起こそうとした俺を、クルタさんが慌てて制止した。
その眼はゴダートに抱えられたアエリア姉さんに向けられている。
ここでジンに手を出せば、ゴダートが黙っていないという訳だろう。
しかし、俺はあえて彼女の言うことを聞かない。
「ここで大人しくしていても、アエリア姉さんが解放されるとは限りません。それなら――!!」
俺はシュタインの方へと向き直ると、一気に走り出した。
すぐさまゴダートがアエリア姉さんの首元に手を当て、こちらを威嚇する。
だが、俺は止まらない。
そのままシュタインをめがけて走り続ける。
……やっぱり、奴はアエリア姉さんには手が出せない!
ここで手を出してしまえば、俺たちをもう抑止することができなくなるのだから。
「ひぃっ!! ゴダート、俺を守れ!!」
「……くっ!!」
やがてシュタインが悲鳴を上げ、俺たちのチキンレースは終わった。
ゴダートはアエリア姉さんを解放すると、即座に俺とシュタインの間へと滑り込む。
こうしてゴダートと鍔迫り合いの体勢になったところで、すぐさまクルタさんへと眼を向ける。
「クルタさん!!」
「あいよ!」
俺の行動を途中から読んでいたのだろう。
クルタさんはすぐに返事をすると、猫のような俊敏さで瞬く間にアエリア姉さんを保護した。
これで形勢逆転、俺たちが圧倒的に有利だ!
奴らの頼みの綱のジンも、魔力を吸いつくされてすぐには回復しないだろう。
後はゴダートさえ、姉さんと二人掛りで倒してしまえば……!!
「くっ!! 身体が、重い……!!」
「姉さん? 姉さん!」
荒い息をしながら、床に膝をついたライザ姉さん。
その顔は既に真っ青で、唇が土気色をしている。
肌に艶が無く、体中から生命力をごっそり抜き取られたようだった。
これはいったい……!?
俺が焦りを見せると、シュタインがニヤッと笑う。
「アロンダイトは使い手の体力を著しく消耗する。剣聖といえど、しばらくは動けないはずだ」
「クソ、それを見越して……!!」
「流石に剣聖が自由に動けると厄介だからね」
いくらか落ち着きを取り戻した様子のシュタインは、服の埃を払うと改めてゴダートの方を見た。
そして顎をクイッと持ち上げると、芝居がかった様子で告げる。
「さあゴダート、こいつらを始末してしまえ! 金は後で望むだけ払ってやる」
「承知した」
「……どうやら、お前との戦いは避けられないみたいだな」
改めて、俺たちの前へと立ちふさがるゴダート。
姉さんも頼りにならなくなってしまった今、俺がこの剣客を倒すよりほかはない。
……だが、できるのか?
あいにくゴダートの奥義を破る方法はまだ見つかっていない。
あれを食らってしまえば、逆転するのはかなり難しいぞ……!
「若人への手向けだ、少しばかり本気を見せてやろう」
焦りを見せる俺に対して、追い打ちをかけるかのようにゴダートは大剣を床に置いた。
代わりにどこからともなく一対の刀を取り出す。
これこそがゴダート本来の得物であるようだ。
黒塗りの鞘から現れた刃は、さながら水に濡れたよう。
刃渡りはかなり長いが細身で、大きな針のようにも見える。
「さあ、始めようではないか。一足早い準決勝を!」
「……ああ!」
飄々とした雰囲気を一変させ、獰猛な笑みを浮かべるゴダート。
こうして俺たちの戦いが始まったのだった。




