第十三話 第一王子シュタイン
エルバニアの市街地をぐるりと囲む巨大な外壁。
モンスターの襲撃を受けやすいことから、この付近は地価が安くスラムのような様相を呈していた。
その一角にあるうらぶれた雰囲気の酒場。
そこで、二人の男がちびりちびりと安酒を酌み交わしていた。
ゴダートとエルドリオである。
「……それで、力の見極めはできたんですか?」
「おおよそは。やはりあの女、相当に厄介そうだ」
「下見をして良かったっすね。金も手間もかかりましたけど」
サンドワームに破壊された自動車のことを思いながら、やれやれとつぶやくエルドリオ。
この分の賠償金だけで、一千万ゴールドは支払わねばならないだろう。
加えて、便利に使うことのできる表の身分まで彼は失ってしまった。
再び偽名で冒険者になるにしても、ランクを上げるには時間も手間もかかる。
「気にするな。どうせすべて経費で落ちるのだろう?」
「まあそうですけどね。金をどれだけかけてもいいなんて、あの王子も剛毅なもんです」
「それだけ、王位に執着してるということだ。ま、それがしたちにとってはいいお客様だがな」
そう言うと、ゴダートは店主に再び酒を注文した。
こうして出された蒸留酒を、彼は豪快にラッパ飲みしてしまう。
その常識外れの飲みっぷりに、エルドリオはやれやれと困った顔をする。
「ったく、旦那もほどほどにした方がいいですよ? もう年なんだから」
「はっ、そんなもん関係ない。むしろそれがしは今が全盛期よ」
「ま、腕前的にはそうなんでしょうが……。健康の方はねえ」
「そちらも問題ない」
わかってないなとばかりに肩をすくめるゴダート。
彼が再び酒を注文したところで、酒場に若い男が入ってきた。
年の頃は二十歳過ぎと言ったところであろうか。
仕立ての良い服を着て、護衛を引き連れたその姿はおよそうらぶれた酒場には似つかわしくない。
だが彼は、勝手知ったる様子でそのままゴダートの隣へと座った。
「これはこれは、まさかこんなところでお会いするとは」
「たまたま、この辺りまで来たものでね。様子を見に来たのだよ」
「……また悪所通いですか、殿下」
エルドリオの問いかけに、否定も肯定もしない男。
彼こそが、この国の第一王子であるシュタインであった。
素行を問題視されて王になれなかったというのに、未だに生活態度を改めてはいないらしい。
彼の羽織っているマントからは、ほんのりと女物の香水の香りがした。
「英雄は色を好むと言いますがな、ほどほどになさってくだされよ」
「わかっている、もう叔父上にバレるようなヘマはしないさ。それより、そっちはどうなんだ?」
「有力者の調査はだいたい終わった。問題はない」
「流石、高い金を出しただけのことはある」
ゴダートの返答に、満足げに笑みを浮かべるシュタイン。
彼がそっと手を上げると、護衛の男が恭しく一本のワインを差し出した。
「酒は好きだろう? ダームの二十年物だ、お前たちでは拝むことすらできない代物だぞ」
「おぉ……!!」
シュタインの言葉を聞いて、エルドリオはたちまち目を輝かせた。
ダーム産のワインと言えば貴族も愛飲する最高級品。
しかも二十年物となれば、金を積んでもそうそう手に入るものではない。
拝むことすらできないというのも、あながち大袈裟な話ではなかった。
「…………へへへ、こりゃいいや」
極上の風味を想像し、緩んだ笑みを浮かべるエルドリオ。
その目の前で、トクトクと音を響かせながらワインが注がれる。
蠱惑的に揺れる深紅の液体は、照明を反射してさながら宝石のように美しい。
だがしかし、それをゴダートの手が払い飛ばした。
ガラスが砕け、パシャンッと硬質な音が響く。
「なっ! いったい何のつもりだ!」
「あいにく、それがしは施しは受けない主義なのでな」
「コンロンの犬が生意気な! 私を誰だと思っている!」
激高したシュタインは、そのままゴダートの胸ぐらをつかんだ
そして力任せに立たせようとするが、ゴダートは微動だにしない。
さながら山を掴んだかのような重すぎる感触に、シュタインはますます顔を赤くする。
「私を舐めているのか? 貴様、今すぐ首にしてやる!」
「ほう? では、それがし以外に剣士の当てはあるので?」
「ぐっ……!!」
大剣神祭で優勝の見込める剣士など、大陸中を探しても数名いるかどうか。
ひょっとすると、ゴダート以外にいないかもしれなかった。
ここで彼に逃げられてしまっては、これまで練ってきた計画がすべて水の泡になる。
シュタインは大きく息を吸い込むと、必死で怒りの感情を抑え込む。
「フーッ、フーッ……! わかった、特別に水に流してやろう! だが、必ず勝つのだぞ! もし勝てなかったら、お前を不敬罪で即刻処刑してやる!!」
「そう心配なさらずとも、それがしは負けたことがござらん」
ニィっと笑みを浮かべたゴダートを見て、シュタインはフンッと鼻を鳴らした。
そしてそのまま背を向けると、さっさと酒場を出ていく。
こうして彼らの姿が見えなくなったところで、エルドリオはほっと胸を撫で下ろした。
「ったく、旦那も無茶しますねえ。せっかくの酒も台無しにしちゃって」
「ふん、ああやって飲まされる酒ほどまずいものはないわい」
「しかしあの王子、どうしてあそこまで優勝したいんですかねえ?」
必死に怒りを堪えるシュタインの顔を思い出しながら、エルドリオは不思議そうにつぶやいた。
なぜ大剣神祭で優勝する必要があるのか、二人は聞かされていなかったのである。
するとゴダートは、何やら確信めいた口調で言う。
「あの男、驚くほどに小物だ。恐らくはもっと上がいる」
「王子より上、ですか?」
「ああ。もっとも、それがしは報酬さえもらえれば構わぬがな」
そうつぶやくゴダートの眼は、鋭い光に満ちていた。




