第二十六話 真の魔族
「この世界の裏側……?」
初めて聞く事実に、俺はたまらず顔を強張らせた。
魔界と言えば、大陸のおよそ西半分。
魔族たちが暮らす領域のことだと教わってきた。
世界の裏側に存在する異世界など、文献でも見たことがない。
俺より博識なシエル姉さんも初耳だったようで、ひどく驚いた顔をしている。
「そんな別の世界なんて、初めて聞くわ」
「短命な人間どもが知らぬのも無理はない。我らがこの地に降り立ったのは、遥か古代のことだからな」
そう言うと、昔を懐かしむように笑う導師。
真の魔族を名乗るこの男も、古代に魔界からこの世界へとやってきたのだろうか?
そうだとすれば、全く油断ならない相手だ。
俺たちが今まで遭遇した魔族とは、まるで年季が違うだろう。
その分だけ力も蓄えているに違いない。
「その真の魔族とやらが、龍の王を操ってどうするつもりだ?」
「知れたこと。腑抜けた魔王どもを追い出すのだ」
「つまり、あなたも王弟派ってことですか?」
いま大陸の西に住む魔族たちは、魔王派と王弟派で激しく争っているという。
特に王弟派の動きは活発で人間界との戦を企てて暗躍する魔族もいた。
この導師を称する魔族も、そんな王弟派の一人なのであろうか。
そう予想しての問いであったが、導師は予想と異なる反応を見せる。
「ワシをあのような連中と一緒にするでないわ。まあいい、どちらにしろお前たちは死ぬからな」
「どうかしら? アンタ、今はあのドラゴンの制御で精いっぱいなんじゃないの?」
「ほう、気づいていたか」
シエル姉さんの問いかけに、にやりと不敵な笑みを浮かべる導師。
彼が杖を高く掲げると、それに応じるようにゴールデンドラゴンが咆哮を上げた。
黄金に輝く鱗に、たちまち赤黒い文様が浮かび上がる。
全身に刻み込まれた術式が、ドラゴンの動きを完全に制御しているのだ。
「このドラゴンはワシが王の器として育ててきたのだ。なかなか愛い奴よ」
「なるほどね、そのドラゴンが研究所を襲ったのも……」
「ワシの指図だ。自らの子を縛るための道具を自ら奪ってくるのは、滑稽であったわ」
苦しむドラゴンの顔を見ながら、醜悪な笑みを浮かべる導師。
真に倒すべきは、ドラゴンではなくこの導師ではないか……?
俺たちの間でそんな予感が高まった。
集まっていた街の人々も、自分たちの信仰が穢されたと感じたのだろう。
今まで恐怖によって抑えられていた怒りが、一気に溢れ出す。
「この魔族め……!!」
「なんてむごいことを……!」
怒りのままに立ち上がり、ジリジリと導師への距離を詰めようとしていく人々。
俺たちの傍にいたメイリンもまた、涙を拭いてゆっくりと動き出す。
しかしここで、導師が高笑いをしながらドラゴンに命じる。
「カカカ、今更騒いでも遅いのだ! お前たちの祈りは既に十分蓄えた、もう用はない!!」
「危ないっ!! ライザッ!!」
「任せろ!!」
ドラゴンの口から紅の炎が噴き出した。
それをライザ姉さんが剣で切り、群衆に当たるギリギリのところで軌道をそらす。
熱で周囲の地面が解け、たちまち赤い溶岩となった。
この熱量、上級魔法並みかもしれない……!
こんなのが当たったら、みんなあっという間に消し炭になってしまう。
「……大した威力だな」
「ライザ、みんなを守って逃げられる?」
「もちろん。さあ、行くぞ!!」
大きく手を振って、皆に走るように促すライザ姉さん。
しかし、みんな腰が抜けてしまっているのかなかなか動き始めない。
加えて、ライザ姉さんのことをどうにも信用できない様子であった。
まあ無理もない、彼らからしてみれば見知らぬよそ者なのだから。
するとここで、メイリンが助け舟を出す。
「みんな行きましょう!! 続いてください!」
そう言って、ライザ姉さんの隣に移動するメイリン
異端の家の人間とはいえ、それなりに交流のある彼女を信用したのだろう。
住民たちは恐る恐ると言った様子ながらも動き始め、その動きはみるみる早まっていく。
やがて波が引いていくように、人々はその場から去っていった。
「くれぐれも任せたわよーー!! さてと……」
「ええ。こいつをやっつけないと」
皆を見送った俺と姉さんは、改めてゴールデンドラゴンと向き合った。
すると導師は余裕たっぷりに笑みを浮かべて言う。
「逃がしたところで、あとで仕留めるだけのこと。無意味なことだ」
「それはどうかしら? こっちもいろいろやりやすくなったわ」
「はっ! 人間風情が、真なる魔族であるこのワシに勝てる気か?」
「もちろん。それにアンタ、偉そうな割にドラゴンに頼りきりじゃない」
腰に手を当てて、挑発的な口調で告げる姉さん。
彼女はそのまま捲し立てるように、導師の情けない点を煽る。
「真なる魔族なんて偉そうにするなら、自分で魔王を追い出したら? それを龍の王に頼るなんて、力を身上とする魔族らしくないわね。それとも、本当の魔族ってそんな連中なのかしら?」
「言わせておけば、この小娘が! よかろう、ワシの力を見せてくれるわ!」
激しい怒号を上げると、導師は杖で地面を勢い良く叩いた。
するとたちまち、その身体がふわりと宙に浮かび上がる。
そしてどこからか巨大な鎌を取り出し、勢いよく姉さんに斬りかかる。
「ね、姉さん!?」
「こっちは平気! アンタはドラゴンをどうにかして!」
「……わかりました!」
どうやらわざと挑発して、ドラゴンと魔族を引き離したらしい。
姉さんの意図を察した俺は、すぐに剣を抜いてドラゴンと対峙した。
さあ、いよいよここからが本当の闘いだぞ……!!
悠然と佇む巨体を前に、俺は武者震いをするのだった。




