第十二話 黒雲洞
「さあ、行きましょう!」
俺が目覚めてから三日。
準備を整えた俺たちは、再び竜の谷を目指してララト山を登り始めた。
この間とは少し違うルートを、ゆっくりと慎重に進んでいく。
多数のドラゴンが住みついているせいであろうか?
山には全くと言っていいほど生物の気配はなく、鳥の鳴き声すらしなかった。
「あそこです」
やがて俺たちの前に現れたのは、尾根の側面に出来た大きな洞窟であった。
これが黒雲洞か……!
その名の通り、中は完全な暗闇でわずかな光もない。
さらに近づいていくと、冷気がスウッと足元を抜けた。
天井から垂れ下がるのは、鍾乳石であろうか?
鋭く尖ったそれは、さながら怪物の牙か何かのように見えた。
「ずいぶんと気味の悪い場所だな……」
「そうね、化け物の口みたいだわ。ほら、あの岩が目で、あれが鼻」
尾根から突き出している岩を指さし、不安げな顔をするシエル姉さん。
言われてみれば、岩の位置と大きさが絶妙でちょうど目と口のように見えた。
何となく不気味で、できることなら入りたくない場所だな……。
こうして俺たちの足取りが重くなると、ライザ姉さんが笑いながら言う。
「どうした? しっかりしないか」
「いや、どうにも気味が悪くて」
「ふん、気味が悪いと思うから気味が悪いのだ」
「……出たわね、ライザの脳筋理論」
やれやれと呆れるシエル姉さん。
するとライザ姉さんもまた、対抗するように言う。
「そういうシエルは、ずいぶんと怖がっているようじゃないか」
「べ、別に私はそんなんじゃないわよ!」
「声が震えているぞ? そう言えば、シエルは昔から暗いところが苦手だったな」
「そんなのは小さい頃の話よ! 今は平気だから!」
そう言うと、ずんずんと前に出ていくシエル姉さん。
彼女は魔法で光の球を浮かべると、そのまま洞窟の中へと入っていった。
しかし、その足取りはどことなくぎこちなかった。
さらに光の球の出力も過剰で、暗闇への恐怖が伺える。
「そう言えばシエル姉さんって、夜にトイレへ行くときは他の姉さんたちに……」
「だから、小さい頃の話だって言ってるでしょ!」
ふんっと鼻を鳴らすと、シエル姉さんはそのまま歩き始めた。
が、途中で石に躓いて危うく転びそうになる。
……この調子で大丈夫かなぁ?
俺たちは少し不安に思いつつも、彼女の後に続いて洞窟を奥へ奥へと進んでいく。
「そう言えば、シエル姉さん」
「何かしら?」
「前に、質の悪いモンスターが住み着いてるとか言ってましたけど……。何がいるんですか?」
「噂によれば、物凄くでっかいムカデらしいわ」
「うわ……会いたくないなぁ」
ムカデと聞いて、露骨に顔をしかめるクルタさん。
ライザ姉さんも眉間に皺を寄せて、なんとなく嫌そうな顔をしている。
一方で、ニノさんは口にこそ出さないが興味津々と言った様子だ。
ベルゼブフォの眷属と戦った時もそうだったけど……もしかして、ゲテモノ好きなのかな?
「いざとなれば、私の魔法で焼いてやるわ。虫系には炎がよく効くから」
「ですね、姉さんがいれば安心です」
「当然よ、当然」
こうして、さらに進んでいくことしばし。
洞窟は徐々に広さを増して行き、やがて俺たちの前にちょっとした広場と分かれ道が姿を現した。
三又の道には標識などはまったくなく、どの道を選べばよいのか全く分からない。
「メイリン、分かりますか?」
「ええ。この道はまっすぐに進んでください」
一切迷うことなく、メイリンは左側の道を示した。
かなり自信があるらしく、彼女はそのままスタスタと進んでいく。
その後も何度か分かれ道に遭遇したが、彼女は完璧に道を覚えていた。
「すげえな、よくこんな分かれ道を覚えられるもんだ」
「私たちの街では、竜の谷に一人で行くのが大人になるための通過儀礼なんです。だから、嫌でも親に叩き込まれるんですよ」
「へえ……。竜を信仰している街らしいわね」
「まあ最近は、護衛として冒険者を雇うことも多いんですけどね」
フフッと笑いながら告げるメイリン。
それで、複雑な道順でもしっかり記憶していたわけか。
竜を信仰する街の風習が、竜の討伐に役立つとは少し皮肉めいた話である。
「しかし、長い洞窟ですね」
「前に来た時は、もっと短かったような……」
さらに時間が過ぎたところで、ニノさんが不満げに呟いた。
言われてみれば、もう洞窟に入って二時間ほどは経つだろうか。
流石にそろそろ外に出てもおかしくない時間である。
「モンスターに合わないように、ちょっと回り道をしているので。でも、もうすぐですよ」
「そういうこと。でも平気よ、会ったら倒すだけだから」
「わかりました、じゃあもう少し近道をしますね」
心なしか、メイリンの歩みが速まった。
竜の谷まであともう少しのようである。
いよいよ、ゴールデンドラゴンとの戦いか……。
否が応でも緊張感が高まり、皆の口数が減った。
するとここで、その静寂を破るようにクルタさんが告げる。
「そうだ、戦う前にちょっと聞いて起きたかったんだけどさ」
「何でしょうか?」
「メイリンちゃんの探している薬草って、なに? ほら、戦う前に採っておこうと思って」
言われてみればその通りだった。
竜の谷に着いてから説明してもらうのでは、いささか段取りが悪い。
もしかすると、いきなりゴールデンドラゴンと出くわすこともあり得るのだから。
するとメイリンは、一拍の間を置いて答える。
「竜炎草です。その名の通り、燃え上がる炎のような姿をしています」
「竜炎草? それで間違いないのね?」
「はい、薬師さんにそう言われました」
竜炎草か……。
俺も名前は聞いたことがある、確か非常に高価な薬草だったはずだ。
貴族の間で珍重されていて、一本につき百万以上の値が付くこともあるとか。
とても庶民に手が出せるようなものではないだろう。
「……なかなか厄介だわ」
「ええ、竜の谷でもすぐに見つかるかどうか」
「問題はそう……あら?」
何事か言おうとした姉さんであったが、不意に言葉を詰まらせてしまった。
視線の先には、行き手を遮る大きな岩がある。
どうやら落盤か何かが起きて、通路が塞がれてしまったらしい。
「よし、任せておけ。私が斬ろう」
「だ、ダメです!」
「どうしてだ?」
「この辺りは地盤が柔らかいんです! 無茶したらみんな生き埋めになっちゃいますよ!」
メイリンにそう言われて、剣を鞘に納めるライザ姉さん。
以前に脱出した亀裂とは違って、ここは地下深い場所にある洞窟である。
いくら何でも、ここから地上までは流石に脱出できないだろう。
「大丈夫です、他に通路はありますので!」
「お願いします、メイリンちゃんだけが頼りなので」
こうして再び、メイリンを先頭に歩き出す俺たち。
先ほどまでと違って、その顔には言い知れぬ不安が滲んでいた。




