第九話 束の間の休息
「あれ、ここは……」
気が付くと俺は、見覚えのない部屋で横になっていた。
装飾の感じからして、先日泊まった白龍閣の一室だろうか。
どうして俺が、こんなところにいるのだろう?
ドラゴンの群れと戦った俺は、敵をある程度足止め出来たところで……。
あれ、そこから先の記憶がどうにもぼんやりしてしまっているな。
「んーと、どうしたっけな……」
ああでもないこうでもないと唸っていると、やがて部屋の扉が開いた。
そして心配そうな顔をしたシエル姉さんが入ってくる。
「良かった! 気が付いたのね!」
「ああ、姉さん! 俺、いったいどうしてここに?」
「ん? 自分で山の麓まで逃げたのに覚えてないの?」
「ええ、記憶がどうもあいまいで」
俺がそう言うと、シエル姉さんはやれやれとため息をついた。
そして、ゆっくりと俺を発見した当時の状況を語り出す。
「まあ無理もないわ。アンタ、雪玉になってたんだもの」
「俺が?」
「そうよ。こんなおっきな雪玉の中に入ってて、見つけるの大変だったんだから」
両手を目いっぱいに広げて、雪玉の大きさを強調するシエル姉さん。
ここでようやく、記憶がはっきりと蘇ってきた。
そうだ、俺はわざと小さな雪崩を起こしてそれに紛れて逃げてきたのだ。
その際、斜面を転がって逃げるうちに体に雪がまとわりついて雪玉となってしまったらしい。
「ま、そのおかげでドラゴンにも見つからなかったんだろうけどね」
「怪我の功名って奴ですね。ところで、他のみんなは?」
「街に出て、何とか協力してくれる住民がいないか探してるわ。竜の谷に行くには、もう洞窟を通っていくルートしかないから」
洞窟というのは、出発する直前にクルタさんが言っていた場所のことだろうか?
迷路のような場所で、地元の人の案内が無いと通れないとか言ってたっけ。
なるほど、竜の谷に行くとしたらもうそこしかないだろうなぁ。
流石にあれだけの数のドラゴンと再びやり合うのは、ごめんこうむりたい。
「そういうことなら、俺も手伝わないと……っとと!」
ベッドから立ち上がろうとしたところで、俺はバランスを崩してしまった。
足に力が入らなかったのである。
倒れそうになる俺の身体を慌てて支えたシエル姉さんは、呆れたように言う。
「まずは体力の回復が先よ。アンタ、三日も寝てて何も食べてないんだから」
「三日!? 俺、そんなに寝てたの!?」
「そうよ! 見つけた時は身体が冷え切ってて、結構危なかったんだから」
もうこんな無茶しないでというシエル姉さんに、素直に頷きを返す俺。
きっと姉さんたちのことだから、俺の治療には上級ポーションなどをたっぷり使ったことだろう。
そのうえで三日も寝ていたのだから、かなりの重傷だったに違いない。
「宿の人に頼んで、何か用意するわ。ちょっと待ってて」
そう言って、いったん部屋を出ていくシエル姉さん。
そして数分後、彼女はほこほこと湯気を立てる鍋を手に戻ってきた。
鍋の中には、白いスープのようなものが入っている。
スープの中にはこれまた白い粒粒としたものがたくさん入っていて、全体的にとろみがあった。
「どうぞ。これ、粥って言うんですって」
「へえ……良い匂い!」
「お腹に良い薬草とかがいっぱい入ってるらしいわ。たくさん食べて、元気になりなさい」
姉さんに促されて、さっそく陶器で出来たスプーンのようなものを手にする俺。
しかし、指先に力が入らずうっかり落としてしまった。
こりゃちょっと、食事をするにも苦戦しそうだな。
俺が少し困った顔をすると、姉さんがすっと床に落ちたスプーンを拾ってハンカチで拭く。
「仕方ないわね。私が食べさせてあげるわ」
「え?」
「だから、私が食べさせてあげるって言ってるのよ。……仕方ないでしょ、食べられないんだったら」
――私が食べさせてあげる。
顔を赤くして、ひどくためらいがちながらも姉さんはハッキリとそう言った。
あ、あのシエル姉さんが俺に優しい……!?
いったいどんな心境の変化があったというのだろうか?
あまりのことに俺が驚いていると、シエル姉さんは少しムッとした顔をする。
「……何か言いたそうな顔ね?」
「いやだって、姉さんがこんなこと……。どういうことかなって」
「そりゃ、今回はノアのおかげで助かったようなものだから。私だって、多少は思うところがあったってだけよ。そう、それだけ!」
さながら、自分自身に言い訳するかのようにそれだけと強調するシエル姉さん。
彼女はそのままスプーンで粥をすくうと、俺に向かってゆっくりと差し出してくる。
「……口開けて」
「う、うん」
慣れない事態に少し戸惑いながらも、大きく口を開く俺。
やがてスプーンが差し入れられ、暖かい粥が口いっぱいに広がった。
鶏肉の出汁がよく効いていて、見た目よりはるかに食べ応えがある。
それでいて、香草の匂いが仄かに漂ってきて爽やかだ。
食欲はあまりなかったが、これならいくらでも食べられそうである。
「おいしい……。ありがとう、姉さん!」
「どういたしまして。ほら、次」
再び差し出されたスプーンに、今度は自分から食いついていく俺。
しかしここで、不意に部屋の扉が開かれた。
廊下から勢いよくクルタさんが中へと入ってくる。
「ただいま! ジークはまだ寝てる……って!?」
俺たちの姿を見て、にわかに石化してしまうクルタさん。
そして――。
「ジークッ!!?? 何やってるの!?」
部屋中にクルタさんの叫びが響き渡るのだった。




