第五話 竜の谷
「ひいぃっ!? あんなのどうするのさ!?」
迫りくる雪崩を前に、悲鳴を上げるクルタさん。
周囲を見渡すが、あいにく逃げ場となるような岩などはなかった。
こうなったら、どうにか自力で凌ぐより他はない。
「シエル姉さん、結界は?」
「張れるけど、ちょっと不安かも!」
「ノア、私と一緒に斬るぞ!」
「わかった!」
こうして剣を構え、並び立つ俺とライザ姉さん。
――集中。
ともに深く息を吸い込むと、意識を剣先に向ける。
臍下丹田に力を込めて、全身の気を充実させた。
俺はさらに魔力を身体全体に行き渡らせ、二重に身体強化をする。
普段は反動がきついのでやれないが、今ばかりは全力を出す必要がある。
「来るぞ!!」
「はいっ!!」
迫りくる白い波濤。
山肌が小刻みに震え、ゴーッと猛烈な地鳴りが響いてくる。
ここで止めないと、俺たちみんな呑み込まれるぞ……!!
俺と姉さんは軽く目配せをすると、息を合わせて剣を振るう。
「天斬・弧月!!!!」
俺たち二人の声が揃った。
剣が美しい半月を描き、青白い斬撃が放たれる。
――疾走。
光が一直線に駆け抜けて、瞬く間に雪崩が割れた。
「よしっ!!」
大波と違って、割れた雪崩はそのまま両脇へとそれて行った。
吹き上がった雪が身体を叩くが、大したことはない。
こうして何とか危機を乗り切った俺は、額に浮いていた汗を拭う。
「どうにか乗り切ったな!」
「ええ。にしても、どうして急に雪崩なんて……」
「さあな、運が悪かったのだろう」
剣を閉まって再び歩き始めるライザ姉さん。
だがここで、山の上の方から獣の咆哮が聞こえてきた。
風が唸るようなその音は、前に聞いたドラゴンの声に少し似ている。
まさかさっきのは、ゴールデンドラゴンの仕業か……?
そう思った俺が視線を上げると、サッと黒い影が天を横切る。
「ドラゴン……!!」
翼を大きく広げ、悠々と蒼穹を舞うドラゴン。
間違いない、こいつがさっきの雪崩の犯人だ!
灰色の鱗をしたドラゴンは俺たちの上空を旋回すると、再び威嚇するように咆哮を上げる。
ビリビリと大気が震えるような大音響に、俺たちはたまらず顔をしかめる。
「こいつが、ゴールデンドラゴンか!?」
「違うわ! やつは金色の鱗が特徴よ!」
「なら、ボクたちが手を出してもいいってわけだね!」
そう言うと、即座にナイフを構えるクルタさん。
たちまち眼を細めると、慎重に狙いを研ぎ澄ます。
するとどうしたことであろうか、ドラゴンは小さく吠えてその場から離れていく。
「……逃げた?」
「きっと、お姉さまの気迫に恐れをなしたんですよ!」
「うーん、いくらなんでもそりゃないかなぁ。なんでだろう?」
はてと首を傾げるクルタさん。
ドラゴンという種族は非常に気位が高い。
何かしら理由がなければ、その場から逃亡することなど滅多にあるものではなかった。
まして、向こうから雪崩を仕掛けてきたのである。
シエル姉さんもそのことを不可解に思ったようで、軽く腕組みをして考え始める。
「いったい何かしら? まさかもうすでに……」
「ん、何か心当たりでもあるのか?」
「……ううん、何でもないわ。とにかく、奴の逃げた竜の谷へ急ぎましょ。嫌な予感がするわ」
どこか煮え切らない返事をするシエル姉さん。
どこか釈然としないながらも、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
俺たちは気を取り直すと、再び竜の谷に向かって歩き始める。
雪崩のせいで、周囲は分厚く柔らかな雪に覆われていた。
そのせいで、ちょっと進むだけでも一苦労だ。
「あと少しよ。そろそろ谷が見えてくるころだわ」
こうして、雪山を進むことさらに数時間。
途中で昼食も挟み、そろそろ夕刻も迫ってくる頃。
とうとう目的地である竜の谷が近づいて来た。
いま登っている高い稜線を超えれば、いよいよ谷が見えてくるだろう。
自然と皆の足が早まり、我先にと尾根を超えようとする。
そして――。
「おおお!! すごい景色だ……!!」
山肌を深く抉り取るような谷。
それはさながら、巨大な獣の爪痕のようであった。
谷全体が深い霧と雲で覆われていて、冷えた風が吹き上がってくる。
何とも幻想的で、違う世界に迷い込んだような錯覚さえした。
これが竜の谷か……!
思っていたよりもはるかに幻想的で、そして美しい場所だ。
「こりゃ綺麗だな。柄にもなく感心しちまった」
「うわぁ……。お姉さま、見てください! あそこの花、可愛い!」
思いもよらぬ絶景に、感歎しきりのロウガさんとニノさん。
すると経験者であるクルタさんは、二人にくぎを刺すように言う。
「確かにいいところだけど、油断しちゃダメだからね。ここ、超危険地帯だから」
「……ああ、巨大な獣の気配が無数にある」
「まあ、見つからなければ大丈夫だから」
そう言うと、クルタさんは谷底に溜まっている霧を指さした。
どうやら、あれに紛れて移動しようと言いたいらしい。
俺たちは静かに頷くと、さっそく崖に沿うようにして動き始めた。
ゆっくりと慎重に、落ちないように。
かつて誰かが整備したのであろう、崖際の細道。
そこを靴底を滑らすようにして進んでいくのだが――。
「……この気配は、まさか!?」
「グアアアアァ!!!!」
霧を吹き飛ばし、次々と姿を現したドラゴンの群れ。
そのあまりの数に、俺たちはたまらず悲鳴を上げるのだった。




