第四話 いざ、竜の谷へ
「さてと、いよいよ出発だな」
「結局、昨日は丸一日宿に籠る羽目になりましたね」
翌々日。
俺たちはいよいよ討伐に出発するべく、宿の前の広場でシエル姉さんを待っていた。
昨日たっぷりと休息を取ったおかげで既に気力は十分。
皮肉なことだが、宿から半ば出られないおかげで休養のみに専念することができた。
「お待たせ! 準備にちょっと時間かかっちゃったわ」
「遅いぞ。……ん、荷物は?」
「全部マジックバッグに入れてるから問題ないわ」
そう言うと、姉さんは懐から一枚の地図を取り出した。
かなり古いもののようで、紙の折れ目に沿って茶色く変色してしまっている。
「それは?」
「ララト山の地図よ。ここに竜の谷って書いてあるでしょ、ゴールデンドラゴンが住んでるのはそこ」
姉さんが指さしたのは地図の下、チーアンから見て南東に当たる方角であった。
地図の等高線が大きくえぐれていて、かなり大きな谷があるのが分かる。
前に事件が起きたラズコーの谷よりも、規模は大きいのではなかろうか?
しかもその手前には、等高線の張り出した大きな尾根がある。
「こりゃ、谷にたどり着くだけでも大変だな」
「一度、山の上の方まで登って尾根伝いに下りていくのが確実かしら」
姉さんにそう言われて、俺たちは山の上方へと視線を向けた。
白く降り積もった雪は美しいが、間違いなく極寒の地だろう。
一応、ララト山はかなりの高山なのでそう言った準備もしてきているのだが……。
できれば、あまり行きたくない場所ではある。
「あれ、前に出かけたときは竜の谷へ抜ける洞窟があったような……」
ここでクルタさんが、何かを思い出したように呟いた。
そして姉さんから地図を奪うと、竜の谷とチーアンとを隔てる尾根の中腹部分を指さす。
ちょうどそこには「黒雲洞」と地名のようなものが記されていた。
「そこはダメよ。中が迷路みたいになってて、地元の人の案内が無いと通れないの」
「あー、地元からの協力は得られないですもんね……」
「ま、最近は質の悪いモンスターが住み着いてるらしいから、どっちにしても厳しいわ」
やはり、素直に山を登って尾根を通るしかなさそうだ。
俺たちは覚悟を決めると、改めて山頂を見上げる。
普段は美しく見える山肌が、今だけは行く手を阻む巨大な壁のように見えた。
「こうなったら、とにかく行くしかないですね」
「ああ。やるしかなあ!」
「あ、ちょっと! ボクが先頭だよ!」
そう言って皆の前に立つと、元気よく先導を始めるクルタさん。
前に来たことがあるというだけあって、その足取りは確かなもの。
俺たちは素直に彼女に続いて、山道を登り始める。
さて、一体どんな敵が待ち受けているのだろうか?
俺の心は期待半分、不安半分と言った有様だった――。
――〇●〇――
「ふぅー! だいぶ高いところまで来たね!」
「いつの間にか、街があんなに小さく……」
山道を登り続けること二時間ほど。
岩場を抜けて開けた場所へとたどり着いた俺たちは、ふと足を止めて周囲を見渡した。
遥か下方へと視線を向ければ、チーアンの家々が豆粒ほどに小さく見える。
いつの間にか、相当高いところまで来ていたらしい。
天を仰げば、雲がいつもよりずっとずっと近い場所に見える。
「うぅ、そろそろ風が冷たくなってきたね。雪も少し残ってるし」
「はいこれ。持っていれば暖かいわ」
そう言うと、シエル姉さんはマジックバッグの中から赤い魔石を取り出した。
手にすっぽり収まるほどのそれには、簡素ながらも魔法陣が刻み込まれている。
受け取るとたちまち、暖かな空気が全身を包み込んだ。
「こりゃすげえ! こいつ一つで、全身があったかくなるのか!」
「流石は賢者様ですね」
「まあね! 定期的に魔力を補充する必要があるけど、これさえあれば防寒着はいらないわ」
自慢げにそう告げると、暖かさをアピールするように走り出すシエル姉さん。
よっぽどの自信作なのだろう、両手を大きく広げてずいぶんとご機嫌である。
しかしここで、彼女は足元の雪で足を滑らせてしまう。
「あわっ!?」
「姉さんっ!?」
俺は慌てて姉さんに駆け寄ると、倒れかけた身体を何とか受け止めた。
危ない危ない、こんな岩だらけのところで転んだらタダじゃ済まないぞ。
俺が溜まらず冷や汗を流したところで、ライザ姉さんが呆れたように言う。
「まったく、何をやっているんだ」
「ちょっと失敗しただけよ、ちょっとだけ!」
らしくない失敗がよほど恥ずかしいのか、顔を赤らめるシエル姉さん。
やがて彼女は登山用のブーツを取り出すと、誤魔化すように早口で語り出す。
「……暖かくなっても、雪が消えるわけじゃないわ。
だから足元だけはしっかり準備をして。みんな、靴は持ってきてるわよね?」
「もちろん、全員分ありますよ」
俺はすかさず、マジックバッグの中から預かっていた全員分の靴を取り出した。
ララト山はかなりの高山であったため、しっかりと準備はしてきたのである。
「んじゃ、さっさと履いて……ん?」
「ロウガ、どうしました?」
「妙な音がしねえか?」
「え? 言われてみれば、ゴーって聞こえてくるような」
耳に手を当てて、怪訝な顔をするクルタさん。
俺も彼女に習って耳を澄ませてみると、微かに地鳴りのような音が聞こえてくる。
これはもしや……。
恐る恐る視線を上げると、遥か上方に白い煙のようなものが見えた。
しかもそれは、山肌に線を引きながら猛烈な勢いで迫ってくる。
間違いない、これは、これは……!!
「な、雪崩だあああぁ!!!!」




