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第三十三話 都市の過去

「その人が、ヴァルデマール家の初代様ですか?」


 ペンダントにはめ込まれた絵を見て、俺はすぐに女王様に尋ねた。

 すると彼女は、どこか嬉しそうな様子で頷く。

 そしてゆっくりとではあるが、過去のいきさつを語り始める。


「あれは、今からもう二百年ほど前の話でしょうか。

 当時は我々の里もいまほど閉鎖的ではなくて。

 私は里のある洞窟を抜け出しては、陽光の下で泳ぐのが日課となっておりました。

 そこである日、たまたまおぼれている少年を見つけて助けたのです」

「それが、ヴァルデマール家の初代様だったというわけですね?」

「その通り。もっとも当時は、下級貴族の次男坊に過ぎなかったですがね」


 そう言うと、女王様はスウッと視線を上げた。

 そして煌々と輝く月を仰ぎながら、しっとりとした口調で続ける。


「それから十年ほどして、少年は戻ってきました。

 このラミア湖周辺の領有を認められた、気鋭の大貴族として。

 そして……私たち二人は……」

「……恋に落ちちゃったとか?」


 どことなく、楽しげな口調で尋ねるクルタさん。

 その手の話題に興味があるのか、その眼はキラキラと輝いている。

 彼女の隣にいるニノさんも、どことなくそわそわした様子だ。

 するとそんな彼女たちを見た女王様は、微笑みを浮かべる。


「ええ、互いを想う私と彼は隠れて逢瀬を重ねるようになりました。

 人目を忍び洞窟を抜け出していくのは本当に楽しかったものです。

 ……しかし、種族を超えた愛というのは因果な物でしてね」

「何かあったんですか?」

「私たち人魚族の持つ魔性に、彼も魅入られてしまったのですよ」


 女王様の口調がにわかに暗くなった。

 彼女は顔を下に向けると、ふうっと大きく深呼吸をする。

 一息ついて、複雑な内心を整理しているようだった。


「彼は次第に、私に対して並々ならぬ独占欲を見せるようになりました。

 はじめのうちは私を強く愛してくれているのだと、好意的に見ていたのですがね。

 それがおかしいと気づいたのは、この地に調査隊が来た時のことでした」

「それってもしかして、あの記録を残した……!」


 大図書館で見た、人魚に関する調査資料。

 あれも確か二百年ほど前に作成されたものだったはずだ。

 驚く俺たちをよそに、女王様は話を続ける。


「調査隊を追い払ってほしいと、私は彼に頼みました。

 すると彼は、あろうことか調査隊を禁断の地に案内したのです。

 結界の中に入ったが最後、ベルゼブフォに食われると知った上で」

「なっ……!」


 予想だにしなかった、むごい仕打ち。

 俺たちは思わず言葉を失い、お互いに顔を見合わせた。

 いくら愛する者の秘密を守るためとはいえ、やり過ぎなんてものではない。

 もっとうまくごまかす方法がいくらでもあったはずだ。


「どうして、そんなことを……!」

「二度とこないようにするため、だそうです。

 実際、人が次々と姿を消して調査はあっけなく打ち切られました。

 ですが私は、躊躇することなく人を死に追いやる姿を見て恐ろしくなりました。

 そして自ら身を引き、女王となったのちは一族の者が人前に姿を現すことを一切禁じたのです」

「うわぁ……」

「美しさは時に人を狂わせる。そのいい例」


 静かに話を聞いていたエクレシア姉さんが、重々しい口調で告げた。

 美を生み出す者として、深く感じるものがあったのだろう。

 その言葉には自戒の念がこもっているようでもあった。


「だが、それが街の成立とどう関わるんだ? ただの悲劇のようにも思えるが……」

「そうですね、本題はここからです。

 私たちが湖の底からでなくなった後、彼は各地から高名な画家を招きました。

 私の精巧な肖像画を作って、少しでも寂しさを紛らわせようとしたのです」

「でも、そんなことをしたところで……」

「ええ。寂しさは紛れるどころか、募る一方だったことでしょう。

 私はこっそりと術を用いて、彼の様子を探りましたが……ひどいありさまでした。

 しかし、ある女が事態を一変させるのです。」


 女王様の声が、心なしか軽くなった。

 彼女はそのまま、流れるように語り続ける。


「その女はもともと、彼が集めた画家のひとりでした。

 しかし、彼女は決して人魚の絵を描こうとはしませんでした。

 代わりに、地上の美しい風景や人々を描き続けたのです。

 最初のうちは肖像画を描かない彼女に苛立っていた彼でしたが、段々とその絵に惹かれていきました。

 そうしていつの間にか、私以外にも目を向けるようになったのです」

「絵の力で、心を取り戻したってわけですね」

「はい。こうして平静に戻った彼は、この街を芸術の都として発展させていったのです」


 そこまで語ったところで、女王様は微笑みを浮かべた。

 まさかこのエルマールの街に、そんな逸話が存在したなんて。

 街の住人達も知らなかったようで、ひどく驚いた顔をしている。


「まさか、この街にそんなに深く人魚が関わっていたなんて」

「俺は、人魚なんて今の今まで信じてなかったぜ」

「私もよ、ただの伝説だと思ってた」


 口々に語り合う住人達。

 するとここで、湖の方からひどく乾いた声が響いてくる。


「何ということだ。我が一族は、祖先の代から愛ゆえに身を滅ぼしてきたのか……」


 振り向けば、そこには人魚の背につかまるレオニーダ様の姿があった。

 彼女はそのままよろよろと桟橋に上がると、崩れ落ちるように膝をつく。

 その丸まった背中からは、女帝と呼ばれた覇気を感じることはできない。

 悲しさと虚しさに暮れる一人の女の姿がそこにはあった。


「……まだ滅びてはいませんよ」

「なんですって?」

「あなたはまだ生きています。

 罪を償ったのち、彼のように人々に尽くすのです。

 そしてこの街を盛り立てていくことが、今のあなたの為すべきことでしょう。

 それまでは、死ぬことなど許されません」


 女王の威厳あふれる言葉に、レオニーダ様の眼から涙がこぼれ落ちた。

 俺も自然ともらい泣きをしてしまいそうになる。

 こうして事件は、一応の決着を見るのであった――。

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