第二十二話 響く爆音
「今日もよろしくお願いします!」
絵を描き始めてから、今日でちょうど三日目。
再びサマンさんの元を訪れた俺は、キャンバスを片手にお辞儀をした。
絵の完成度は、現在までに七割といったところ。
輪郭はしっかりと出来ているが、まだ仕上げが残っている状態だった。
「えっと、ポーズはこうでしたっけ?」
「そうです、もうちょっとだけ顔を上げてもらえますか?」
「こうですか?」
俺の言葉に合わせて、顔を上に向けるサマンさん。
同じポーズを取り続けるというのは、簡単なように見えて意外と大変なのだろう。
俺が夢中になって絵筆を走らせていると、次第にその身体がプルプルと震えはじめる。
「あの、ちょっと休憩していいですか?」
「ああ、すいません! 気が付かなくって」
俺がそう言うと、サマンさんは船の上でゴロンッと横になった。
彼女はそのままうつぶせになると、目を細めて何とも気持ちよさそうな顔をする。
さながら、ビーチで日光浴でもしているかのようだった。
「こうしてみると、人魚も人間も案外変わらねえなぁ」
「ああ、恐ろしい噂や伝説など嘘のようだ」
昼下がりの穏やかなひと時に、自然と皆の表情が緩んだ。
やがて姉さんが、懐からおやつ代わりの飴玉をいくつか取り出す。
「サマンも食べるか?」
「何ですか、これは。綺麗な……石?」
「む、人魚の世界に飴はないのか」
「湖の底に住んでますから、雨は降らないです」
「そうではなくてな」
説明するのが面倒になったのか、姉さんは実際に飴玉を一つ食べて見せた。
そして満足げな顔をすると、サマンさんに向かって差し出す。
「ほれ、うまいぞ」
サマンさんは差し出された飴玉をつまむと、おっかなびっくりといった様子ながらも口に放り込んだ。
するとたちまち、驚いたように大きく目を見開く。
「甘いです!! ティカの実の十倍ぐらい甘いのです!!」
「ははは、大した喜びようだな。これも食うか?」
大喜びするサマンさんに、今度はロウガさんがサンドイッチを差し出した。
小腹が空いたときのためにでも持ち込んでいたらしい。
「んーー!! おいしいです!!」
サンドイッチをかじって、これまた満面の笑みを浮かべるサマンさん。
人間の世界の食べ物が、なかなかどうして口に合うようである。
俺たち人間と人魚とは、いろいろと共通している点が多いらしい。
「なら、これもどうですか?」
「ください!」
「あっ!」
俺たちが止める間もなく、サマンさんはニノさんが手にした黒いなにかを口に放り込んだ。
あれって確か、ニノさんが作った保存食だったはず。
ニノさんの料理って、例外なく個性あふれる味付けだったはずだけど……大丈夫かな?
俺たちが心配していると、サマンさんの身体がぶるぶるっと震えて――。
「んきゅぅ……」
「サマンさん!?」
青い顔をして、そのまま倒れ込んでしまったサマンさん。
俺は慌ててその身体を抱きかかえるのだった。
――〇●〇――
「……もう、変なもの食べさせちゃ駄目だよ!」
「すいません、お姉さま。でも、健康にはすごくいいんですよ」
「いや、健康にいいものなら食べても倒れないよ」
クルタさんに突っ込まれ、しょんぼりとするニノさん。
そうしていると、すっかり元気を取り戻したサマンさんが彼女を庇う。
「だ、大丈夫ですよ! ちょっとびっくりしちゃっただけなので!」
そう言うと、サマンさんは自らの健在ぶりをアピールするようにポージングをした。
ニノさんも反省しているようだし、ひとまずこの話はここまでにするか。
俺は再び絵筆を手にすると、作業を再開する。
勝負はいよいよ明日、何が何でも今日中に完成させなければならない。
自然と手に力がこもり、筆の勢いが増していく。
「よし! できた!!」
やがて日も傾いてきたところで、ようやく絵が完成した。
エクレシア姉さんに勝てるかは分からないが、今の俺の全力をぶつけた作品である。
これで及ばなかったら、素直に諦めがつく。
それぐらいには力を注いだ代物だ。
「おおお……!! これはすごいんじゃない!?」
「うむ、なかなか迫力のある絵じゃないか!」
「このサマンさん、生きてるみたいですね」
仕上がった絵を見て、クルタさんたちは口々に褒めてくれた。
これなら、もしかするとエクレシア姉さんに勝てるかもしれない。
何だかそんな希望が見える反応であった。
「じゃあ、そろそろ帰りますか。サマンさん、ありがとうございました!」
「こちらこそ! また、遊びに来てください!」
こうして俺たちは、サマンさんと別れて街に戻ろうとした。
だがここで、どこかからドォンと身体全体を揺さぶるような爆音が聞こえてくる。
湖に波紋が立ち、水鳥たちが一斉に飛び上がった。
「なんだ!? 雷か!?」
「でも、天気は晴れてるよ?」
「あちらの方角から聞こえました。……あれは?」
湖の中心に、黒い影が浮いていた。
あれはもしかして、船か?
ここからではよくわからないが、漁船にしてはずいぶんと大きい。
頑張れば五十人ぐらいは乗り込めそうな感じだ。
「何ですかね?」
「さあなぁ。あんた、わかるか?」
「いや、俺も初めて見る」
ロウガさんから話を振られた漁師さんは、困ったように首を横に振った。
するとここで、またしても爆音が響いてくる。
さらに今度は、湖面を走る稲光のようなものが見えた。
それも、あの船の突端から発生している。
「あの場所、封印の地です!!」
「えっ!?」
思わぬことを口走るサマンさん。
こりゃ、いよいよまずいことになって来たんじゃないか……?
予想していなかった展開に、俺は思わず冷や汗をかくのだった。




