第十八話 芸術の都の騒動
「やっとついた……」
時を遡ること、約半日前。
ジークたちが漁師と共にラミア湖に出ていた頃、エクレシアはようやくエルマールの街に到着した。
雪山の村から馬車で揺られること半日以上。
普段はあまり外出しないこともあって、既にお尻が痛い。
「……街が死んでる。前に来た時は、元気だったのに」
既に日も高いというのに、ほとんど人気のない大通り。
田舎ならまだしも、エルマールのような大都市ではあまりに不自然だった。
実際、数年前にエクレシアが訪れた際はもっと活気に満ちていた。
通りでは露天が通行人を相手に競い合い、広場では大道芸人たちが華麗な技を披露する。
エルマールはそんな街だったのである。
「ねえ、ここで何か起きたの?」
やがてエクレシアは、たまたま通りがかった男に声を掛けた。
買い物の途中だったらしい男は、見慣れない少女のからの問いに肩をすくめる。
「お嬢ちゃん、観光に来たのかい?」
「そんなところ」
「だったら災難だね。二年ぐらい前から急に税の取り立てが厳しくなって、今じゃこの有様さ」
「何か災害でもあったの?」
「特に何も。……噂じゃ、領主様が自分の若さを保つために散財してるって話さ」
男はエクレシアに顔を寄せると、声を潜めてそう言った。
それを聞いたエクレシアは、ヴァルデマール家の城を見て顔を曇らせる。
実は彼女、以前に一度レオニーダとは会ったことがあるのだが。
当時はそこまで無茶をする人物には見えなかったのだ。
「まあ、あくまで噂だけどな。それじゃいろいろ説明もつかないことが多いし」
「どういうこと?」
「使った金額がいくら何でも多すぎるんだよ。戦争でもするのかってぐらいの重税だからねえ」
「なるほど」
そう言うと、エクレシアはますます渋い表情をした。
彼女は改めて街を見渡すと、ふうっと深いため息をつく。
芸術の都エルマール。
かつては大陸中の芸術家が憧れていたこの街に、エクレシアもいくらかの思い入れがあった。
「……でも、今はそれよりもノア優先。おじさん、ここからラージャまではどう行けばいい?」
「ラージャ? えーっとそうだね、確か西通りから定期馬車が出てたはずだ」
「ありがとう」
礼を言って、そのまま男と別れようとしたエクレシア。
しかしここで、男がふとあることを呟いた。
「しかし、またラージャか。珍しいな」
「え? もしかして、誰かラージャから来たの?」
「ああ、何日か前にね。この街に冒険者が来るのはあんまりないから、よく覚えてるよ」
「……!! その冒険者、栗色の髪の男の子だった?」
「そうだねえ、そんな子もいたような……」
自信はあまりなさそうであったが、男はエクレシアの言葉を肯定した。
たちまち、エクレシアの眼の色が変わる。
にわかに猛獣のような気を帯びた彼女に、たまらず男の表情が強張った。
「な、なんかその子とあったのかい?」
「私の弟。ちょっと前に家出した」
「そうだったのかい、そりゃ心配だねえ」
「何としてでも見つけたい。まだ、この街にいる?」
「うーん……」
切実な問いかけであったが、男は冒険者たちの行方など知らなかった。
するとエクレシアは、困った顔をする彼に尋ねる。
「わかった。それなら、知ってそうな人を知らない?」
「それも……」
「そう。ならいい」
「ああ、ちょっと待ってくれ。名前を教えてくれないか?」
別れようとしたところで、男が再び問いかけた。
エクレシアが小首を傾げると、彼はすぐに理由を説明する。
「こっちでも探してみようと思って。連絡するとき、名前を知らないと不便だろう?」
「そういうこと」
そう言うと、エクレシアはしばし逡巡した。
ここで本名を名乗るといろいろめんどくさそうではある。
しかし、街の人々が積極的に協力してくれる可能性も高かった。
何といっても、ここは芸術の都エルマール。
希代の芸術家である彼女は、それなりに優遇されうる立場にあった。
「……エクレシア」
悩んだ末に、エクレシアは正直に名前を告げた。
すると男は、彼女が予想していた以上の反応を見せる。
「エクレシア? ちょっと待ってくれ、あのエクレシアなのかい?」
「たぶん、あのエクレシア」
「嘘だろう……」
「これが証拠」
エクレシアはマジックバッグの中から一枚の絵を取り出した。
以前に手掛けた習作の一つである。
エクレシア自身からすると、さほど時間をかけていない手慰み程度のものなのであるが……。
男の眼を奪い、彼女を本物だと信じ込ませるには十分であった。
いや、ある意味で十分過ぎた。
男はそれを手にすると、何かにとりつかれたように見入ってしまう。
「こ、これは……! ラフスケッチだというのに、ずっしりとした迫力がある! それに何だ、この溢れ出すような生命力は! まるでこの眼に何かがぶつかってきているような……」
火が付いたように、早口で延々と語り出した男。
やがて彼は、絵を空高く掲げてくるくると回り始める。
その足取りは軽く、さながら雲の上で踊っているかのよう。
弾む身体は、全身で喜びを表現していた。
「おおーい!! みんな、大変だ!!」
やがて男は、大声を上げて街の人々を呼び始めた。
その騒ぎっぷりに、次第にちらほらと人が通りに姿を現す。
そして――。
「な、なんと!? エクレシア様が来られた!?」
「すごい! この状況で奇跡だ!!」
瞬く間に伝播していく騒動。
それはエクレシア自身の予想をもはるかに上回っていた。
まさかここまで街の人々が熱狂するとは、思いもよらなかったのである。
作品を見せたことが完全に仇となっていた。
「エクレシア様、こちらへ!」
「……おみこし?」
やがて、わけもわからずみこしに乗せられたエクレシア。
こうして彼女は、行列を率いて街を練り歩くはめになったのであった。




