第十六話 不気味な静けさ
「どうですか? 何か、人魚の涙に繋がる糸口は見つけられましたか?」
俺たちが執務室に入ると、すぐにレオニーダ様が尋ねてきた。
口調こそ丁寧であるが、そのまなざしは鋭い。
俺たちが首尾よくやっているかどうか、それだけ心配だということなのだろう。
人魚の涙に掛ける彼女の思いの強さが伝わってくる。
「それについてなのですが。私たちは人魚と接触することに成功しました」
レオニーダ様の圧に屈することなく、ライザ姉さんが切り出した。
流石は剣聖、物怖じしない見事な態度である。
するとたちまち、レオニーダ様の眼が危険なほどの輝きを帯びる。
「それは素晴らしい!! もしや、もう人魚の涙を手に入れられたのですか!?」
「いいえ。実は、その人魚から聞いた話なのですが……」
コホンっと咳ばらいをすると、姉さんは一拍の間を置いた。
レオニーダ様は、早く話の続きを聞きたいのか腰を浮かせる。
……このままだと、ショックが大きすぎるかもしれない。
俺はとっさに、姉さんとレオニーダ様の間に割って入った。
「レオニーダ様、その、とにかく落ち着いてください」
「はい?」
「……人魚の涙には、若返りの力などなかったのです」
姉さんがそう告げると、レオニーダ様は石化したように硬直してしまった。
事態をすぐに飲み込むことができず、思考が停止してしまったようである。
彼女が動かなくなっているうちに、代わりとばかりにテイルさんが尋ねてくる。
「その人魚の言うことは信用できるのでしょうか?」
「嘘をついている感じではなかったな」
「あれで本当じゃなかったら、大した役者だと思うよ」
あの場に居合わせた俺たち全員が、うんうんと頷いた。
人を見た目で判断するのは危険だが、あのホンワカした雰囲気のサマンさんが嘘をついたとも思えない。
そもそも、人魚の涙に若返りの効果があるという伝説自体が胡散臭いものであったし。
「……そうですか。では、資料に記載のあった場所には何があったのですか?」
やがて、気を取り直したような口調でレオニーダ様が尋ねてきた。
血の気が引いたその顔は、さながら魔女か何かのように不気味な印象だ。
しかし、予想していたよりはずっと落ち着いている。
レオニーダ様自身、伝説をそこまで信じていなかったということだろうか。
その割には、前に尋ねた時はムキになっていたような気がしたけれど。
「あの場所には、悪魔が封印されているそうです」
「悪魔?」
「はい。昔、ラミア湖を支配していたベルゼブフォという大悪魔だとか」
俺がそう言うと、レオニーダ様の目つきが変わった。
彼女は椅子に深く腰を下ろすと、そのまま顔を下に向けてぶつぶつとつぶやく。
そして数分後、やけにからっとした声で俺たちに告げた。
「……やむを得ません、人魚の涙については諦めましょう」
「……え、いいんですか?」
思いのほか素直な返答に、俺は思わず聞き返してしまった。
もっと、あれこれと騒いで粘るものだとばかり思っていたのだ。
するとレオニーダ様は、どこか含みのある笑みを浮かべて言う。
「良いも何も、仕方のないことではありませんか」
「はぁ、お分かりいただけたなら何よりなんですが……」
「それから、短剣についてもお渡しいたしましょう。お仕事、お疲れ様でしたわ」
そう言うと、レオニーダ様は胸元から銀色のカギを取り出した。
それを受け取ったテイルさんは、サッと手を上げて俺たちを導く。
「皆様どうぞこちらへ。宝物庫へご案内いたします」
テイルさんに続いて、執務室を出る俺たち。
首尾よく仕事を終えて、目的のものを手に入れた……はずなのだが。
どこか拍子抜けしたような感じがしてしまった。
皆も腑に落ちないのか、どことなく沈んだ雰囲気だ。。
「これでうまく行った……のかなぁ?」
「あの物分かりの良さ、ちょっと不可解でしたね」
「うーん、まあいいんじゃねえか。短剣も手に入るわけだしよ」
クルタさんとニノさんのつぶやきに対して、半ばあきらめたように言うロウガさん。
すると姉さんもまた、彼に同調するように腕組みをして語り出す。
「世の中、あまり関わり合いにならない方が良いことも多いからな。あのレオニーダという領主、正直なところ苦手だ。性格が合わん」
「あー、まあ姉さんはそうでしょうね」
「だいたい、何故会う時にいちいち仮面を着けねばならんのだ」
そう言って、姉さんはサッサと仮面を外してしまった。
そしてそのまま、ポイッと俺の方に向かって投げてくる。
「わわわ、いきなり投げないでよ!」
「そのぐらい、簡単に受け取れるだろう?」
「そりゃそうですけど」
「……宝物庫につきました」
会話を遮るように、テイルさんが告げた。
もともとは、武器庫か何かだったのだろうか?
廊下を塞ぐかのような、黒い鉄扉が目に飛び込んでくる。
やがてテイルさんがカギを差し込むと、ガチャッと大きな音がした。
あまり人の出入りはないのだろう、少しばかり錆びついているようだ。
「……おおお!」
やがて扉が開くと、俺たちは中の光景に圧倒された。
まさしく、金銀財宝の山とでもいう有様である。
そこら中に価値のあるお宝が置かれていて、足を踏み入れるのがためらわれるほどだ。
流石は芸術都市を治めるヴェルマール家、その財産は半端ではないらしい。
「短剣は…………こちらですね。どうぞ」
宝物庫の中を一通り見まわしたのち、テイルさんは木製の小箱を手にした。
相当に年季が入っていて、真鍮製の金具が錆びついてしまっている。
一見するとただの古ぼけた箱だが、その奥から強い魔力を感じることができた。
「開けていいですか?」
「ええ、もちろん」
こうして、俺はゆっくりゆっくりと蓋を開いた。
するとたちまち、銀色の輝きが周囲に溢れるのだった――。




