第十四話 封印
「……なんか、いいやつっぽいな」
満面の笑みを浮かべ、俺たちに頭を下げる人魚。
その朗らかな雰囲気に、ロウガさんがぽつりとつぶやいた。
俺もすっかり毒気を抜かれてしまったが、まだ油断はできない。
人畜無害そうに見せて、こちらが警戒を解くのを誘っているのかもしれないのだから。
「気を付けた方がいい。本当に恐ろしい奴ほど、笑顔で迫ってくるものだ」
「そうですね。とりあえず、ゆっくり接近しましょう」
「薬の追加、しますか?」
「それはいい」
ニノさんからの問いかけに、皆は声を揃えてそう答えた。
そうしているうちに、人魚はゆっくりとこちらに泳いでくる。
何とものんきな様子で、その手には武器なども携えていなかった。
「ほんとに助かっちゃいました。あのカエルのせいで、洞穴から出られなかったんですよー!」
「ああ、そ、そうなんだ……」
「ん? 人間さん、何だかずいぶんと緊張してますね?」
俺たちの顔を覗き込みながら、不思議そうに首を傾げる人魚。
すると姉さんが、呆れたように言う。
「人魚は人を惑わせるらしいからな。警戒して当然だ」
「そんなことないですよ! 誤解です!」
そういうと、人魚は怒ったようにぶんぶんと頭を横に振った。
そして、大きく胸を張って言う。
「私たち人魚族は、この湖の底で平和に暮らしているだけです! 時折、お魚を失敬したりすることはありますが……。人間さんを惑わすようなことはしていません!」
「うーむ……嘘を言っているような雰囲気はないな」
ライザ姉さんはそう言うと、意見を求めるように俺たちの方を見た。
……確かに、この人魚からはあまり悪意を感じられない。
クルタさんたちも同意見のようで、いささか戸惑ったような顔をしている。
出かける前に想像していた人魚の姿とは、あまりにもかけ離れていた。
「でも人魚さん、あなたたちの集落を訪れて帰ってこなかった人がたくさんいるんだよ?」
「え? 集落に人間さんが来たことなんてありませんよ?」
どうにも、話が食い違っているな……?
俺は船べりから身を乗り出すと、すぐさま人魚さんに聞き返す。
「本当に、来たことはないんですか?」
「はい。そもそも、来られるような場所じゃないですよ。私たちの集落は、ながーい水中洞窟の先にあるんですから」
「湖中央部の小島じゃないのか?」
ロウガさんがそう尋ねると、人魚さんはひどく驚いた顔をした。
そして数秒の後、耳が痛くなるような大声を上げる。
「違います!!!! そこ、封印の地じゃないですか!!」
「…………封印の地?」
「何だか、物々しい響きですね」
「その昔、この地を支配していたベルゼブフォの封印されてる場所です」
ベルゼブフォ?
全く聞いたことのない名前が出てきたな……。
俺たちは地元民である漁師さんの方を見るが、彼は勢いよく否定した。
「俺はそんなやつ、知らねえよ! 爺さんなら、ひょっとして何か知ってるかもしれねえが……」
「なるほど……。人魚さん、何なんですかそのベルゼブフォって」
「伝承によると、すっごくでっかいカエルの大悪魔だそうですよ。さっきのカエルは、たぶん奴の眷属だと思います」
「封印されているのに、眷属が暴れているのか?」
姉さんの質問に対して、人魚さんはゆっくりと首を縦に振った。
その顔には、先ほどまでとは異なる緊迫感がある。
「それが最近になって、封印が弱まっているようなのです。そこで私が、地上に出て様子を見に来たという訳なのですが……このざまでして」
そう言うと、人魚さんは気恥ずかしげにポリポリと後頭部をかいた。
悪魔の封印が弱まった理由か……。
ひょっとしてこれも、魔族関連だったりするのだろうか?
人間界で騒動を起こしたい魔族の勢力が、あちこちで暗躍していたらしいからなぁ。
魔王軍の幹部と接触したことで、今でこそ小康状態にあるけれど。
何が起きていたとしても不思議ではない。
「だが、そうなってくると変だぜ。ジークたちが見た資料には、人魚と会ったって書いてあったんだろ?」
「……その部分は、後から書き足したのかもしれません」
「ん? でもあの資料を調べた時には、そんな痕跡見つからなかったような……」
「うまく誤魔化されたんですよ」
顎に手を押し当て、何か考え込むような仕草をするニノさん。
彼女はそのまま、ぽつぽつと語り続ける。
「資料を読んだ後、紙を削って何かを隠したような痕跡を指摘しましたよね? きっと、その部分にはもともと何もなかったんです。でも、あえて目立つように痕跡を残した」
「どうしてそんなことをするのさ?」
「注意をそらすためです。書き足した部分の不自然さに目がいかないように。結果、見事に騙されてしまいました……」
「なるほどな、うまく考えたもんだ」
腕組みをしながら、ロウガさんがうんうんと頷く。
確かに、目立つ隠蔽の跡があればそっちにばかり眼が行ってしまうもの。
なかなかうまく考えられたやり方だった。
明らかに素人の手口ではない。
「……つまり、今までに分かったことからすると。結界の内部に入った人たちは人魚ではなくそのベルゼブフォって悪魔に襲われた可能性が高いということですね」
「こりゃいよいよ、きな臭くなってきたな。どうする、レオニーダ様に報告するか?」
「うーん、ヴァルデマール家が事態に関与してるかもしれませんが……。するべきですね」
そう言ったところで、人魚さんが「あのー」と申し訳なさそうに声を上げた。
俺たちが身内で話し込んでいたので、手持ち無沙汰になっていたようだ。
「せっかくですし、何かお礼をしたいのですが。できることはありますか?」
「え?」
思いもよらない申し出に、俺は思わず思考が停止しそうになった。
そうだ、今この場で人魚さんに泣いてもらえば話は済むじゃないか!
人魚の涙を持って帰り、代わりにオリハルコンの短剣を貰って帰る。
驚くほど簡単な話である。
「な、なら……泣いてくれませんか? 俺たち、人魚の涙が欲しいんです!」
「へ? 涙ですか?」
「はい! ほんのちょっと、少しだけでいいので!」
前のめりになりながら、懸命にお願いする俺たち。
すると人魚さんは、ちょっと困ったような顔をして言う。
「たぶん、伝説を信じてるのだと思うんですけど……。私たちの涙に、不老の力などありませんよ」
……何ってこったよ。
俺は思わず、そう叫びそうになるのであった。




