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第十話 絵の価値

「描き直すって、この絵を?」


 エクレシアの申し出に対して、老婆は懐疑的であった。

 大きな落書きがされてしまっているとはいえ、元はそれなりの画家が描いた作品である。

 とても、素人の手に負えるようなものではなかった。

 そもそも、肝心のモデルが不在なのである。

 手の施しようがあるようには思えない。


「そんなこと、できるわけないよ」

「可能。必ず直して見せる」


 老婆の態度が、少し気に障ったのであろうか。

 エクレシアはいくらか強い口調でそう断言した。

 そして、カバンの中からどんどんと画材を取り出していく。

 

「難しいと思うけどねえ……。それに、うちにはお礼を払う余裕がないよ」

「それなら、そこの手袋が欲しい」


 そう言ってエクレシアが指さしたのは、戸棚の上に置かれていた赤い手袋であった。

 老婆が暇に任せて編み上げた、手作りのものである。

 それなりに手はかかっているが、金銭的な価値などないに等しい。

 しかし、エクレシアはどうにもそれが気に入ったようだった。


「アンタが欲しいなら、それぐらいあげるよ」

「ありがとう」


 微笑みを浮かべると、作業に没頭し始めるエクレシア。

 彼女は落書きの入った箇所を真剣に見つめながら、丁寧に修正を施していく。

 さらに、修正した箇所に合わせるように全体に色彩を足していった。

 その見事な手際に、老婆の口から思わずため息がこぼれる。


「アンタ、ひょっとして画家なのかい?」

「……少し違うけど、似たような感じ」


 身元がバレても面倒なので、エクレシアはあえて適当な返事をした。

 そうして作業をすること半日ほど。

 日も傾いてきたところで、大きな落書きのされていた肖像画は見事に復活を果たした。


「おおお……! 完璧じゃないか!」

「このぐらいは当然」

「むしろ、前より綺麗になったぐらいだねえ!」


 仕上がりに心底満足げな笑みを浮かべる老婆。

 彼女はエクレシアの身体をぎゅっと抱きしめると、ご機嫌な様子で台所へと向かった。

 そして、鼻唄を歌いながら夕食を作り始める。

 エクレシアへのお礼も兼ねて、今日はごちそうのようだ。


「……おや、こんな時間に誰かね?」


 やがて、玄関からドンドンとノックの音がした。

 老婆が怪訝な顔でドアを開けると、二人組の男が家に入ってくる。

 年の頃は、二人とも三十半ばから四十といったところであろうか。

 目つきはあまり良くなく、エクレシアから見てどことなく感じの悪い人物であった。


「またアンタたちかい。言ってるだろう、山は売らないって」

「そう言われてもね。息子さんがいなくなった以上、あんたに支払う義務があるんだよ?」

「そんなのあるものかい。村長の道楽息子が作った借金だろう? 村長が払うべきさね」

「村長は既に息子さんを勘当している」

「あんなのは形だけだろう? せこい話だよ」


 男たちと老婆の押し問答は、しばらく続いた。

 やがてしびれを切らした男たちは、老婆を押し切るようにして家の中に入ってくる。


「ふん、家の中に入ったって金目のものなんてありゃしないよ!」

「そんなことは分かってるさ。……ん?」


 男の一人が、エクレシアの存在に気付いた。

 村では見たことのない少女の姿に、彼は驚いたように首を傾げる。

 この田舎でよそ者を見るのは、非常に珍しいことであった。


「誰だ、お前は?」

「雪山で迷っていたところを、そこのおばあさんに助けられた。ただの通りすがり」

「遭難か。ふん、山を舐めた都会者にはありがちだな」


 エクレシアの服装を見て、あざけるように言う男。

 しかし次の瞬間、その顔が凍り付く。


「……なっ! 絵が、絵が変わっている!?」

「ああ、その子に描き直してもらったんだよ。いい仕上がりだろう?」

「バカか! あの絵はロザージュの作品だぞ!! 売れば大金に……」


 そこまで言って、男はハッとしたような顔をした。

 すかさず、エクレシアが厳しい顔をして言う。


「本当の狙いは、山じゃなくてその絵だった」

「ち、違う……。別に俺たちは……」

「もし本物のロザージュなら、落書きがあっても数千万ゴールドはする。山の代わりだと言って、本当の価値を知らないおばあさんから取り上げるつもりだったのね?」


 エクレシアの言葉に、老婆は驚いて腰を抜かしそうになった。

 彼女の言う通りだとすれば、全くとんでもない話である。

 

「本当かい!? この子のいう通りなら、山の十倍はするじゃないか!」

「……ああ、そうだよ! けど、こんなになっちまったらもう価値なんてないがな!」


 開き直ったのか、男は吐き捨てるようにそう言った。

 そして仲間を連れて逃げるように家を後にする。

 立ち去ってゆくその背中を見ながら、老婆はフンッと大きく鼻を鳴らした。


「はっ、いい気味だよ! アタシを騙そうとするからそういうことになるのさ!」

「……怒らないの?」

「何がだい?」

「私が絵を描き直したせいで、ロザージュの絵としては価値がなくなったかもしれない」

「ははは、どっちにしろ売るつもりなんてないからねえ。いくらだって構いやしないさ。むしろ、あの画家の先生がそこまでの大物だったなんてびっくりだねえ」


 噛みしめるように呟く老婆。

 どうやら本当に、絵を描いた画家の素性についてはよく知らなかったようである。

 もしもロザージュの作品が好きだったらとエクレシアは心配したのだが、そういうわけではないようだ。

 

「そう言ってもらえるとありがたい」

「むしろ、あいつらの逃げてくとこを見られてせいせいしたよ。さ、ご飯にしようか!」


 こうして、夕食を食べたエクレシアはそのまま床に就いた。

 そして翌朝、老婆と共に村の広場を訪れる。


「ここで待っていれば、エルマール行きの馬車が来るよ」

「ありがとう、お世話になった」

「いいんだよ、こういうのは助け合いだからね。またこの村に来たら寄っていくといい」


 そう言うと、ゆっくりと家に帰ろうとする老婆。

 エクレシアは最後の一言、彼女に告げる。


「もしお金に困ることがあったら、あの絵を鑑定してもらうといい。預けるだけでお金がもらえるはず」

「ははは、わかったよ」


 エクレシアの言葉を、老婆は話半分といった様子で聞き流した。

 いくらもともと巨匠の作品だったとはいえ、素性も知れない少女が手を入れた絵である。

 素人目には綺麗になったとはいえ、それほどの価値があるとは思えなかったのだ。


「……信じてない。けど、まあいい」


 本気にされていないことが分かりつつも、決して不快な気分ではなかったエクレシア。

 彼女はそのまま、やってきた馬車へと乗り込む。

 それからしばらく経ったある日のこと。

 たまたま村を訪れた画商に、老婆は件の肖像画を見てもらうのだが……。

 エクレシアが手を入れたことで、むしろ価値が跳ね上がっていたことに驚くのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 元々有名画家の作品にさらに上の有名画家が手直ししたという世界に一つしかないコラボ作品プラスちょっといいエピソード付き・・・・・将来何十何百億するのやらというか美術史に残るのでは? 主人公と関…
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