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第九話 五女の旅

「……おかしい」


 ノアたちが資料室で頭を捻っている頃。

 エクレシアは雪原の真ん中で呆然と立ち尽くしていた。

 ラージャに向かう乗合馬車に乗ったはずだったのだが、何故か雪山にたどり着いてしまったのである。


「こんなことなら、アエリアに手配してもらえば良かった」


 実のところ、エクレシアが一人で遠出するのはこれが初めてであった。

 姉妹の誰かが同行する、もしくは先方に迎えを出してもらう。

 いずれかのパターンでしか、彼女は出かけたことがなかったのである。

 そもそも、屋敷に引きこもりがちな気質であったということも大きい。


「……とにかく、何とかしないと」


 吹き付ける雪に、身を固くするエクレシア。

 何はともあれ、今は早急に村か街を発見して現在地を確認しなければならない。

 彼女は身を震わせながらも、ゆっくりゆっくりと雪原を歩く。

 そうして歩くこと、二十分ほど。

 銀世界の先に小さな集落が見えてくる。


「あらまぁ! アンタ、どうしたのさ?」


 やがて歩いてきた彼女に、老婆が話しかけた。

 エクレシアは顔についていた雪を払うと、その問いかけに答える。


「ラージャに行きたい。ここはどこ?」

「ラージャ? ここはラーゼン山脈だよ」


 ラーゼン山脈というのは、大陸南方に連なる大山脈地帯である。

 語感こそわずかに似ているが、ラージャとはまるで見当違いの方向であった。

 いったいどこでどうしてこうなったのか。

 エクレシアは頭を捻るが、さっぱり思い出せない。

 ……つまるところ、彼女は重度の方向音痴であった。


「ありがとう。ラージャはここから……北ね?」


 そう言うと、再び歩き始めたエクレシア。

 しかし、見かねた老婆が慌てて彼女を呼び止める。


「ちょっとお待ちなさい! そんな恰好で山を歩いたら、今に凍え死ぬよ!」

「でも、ノアのところに急がないと……くしゅん!」


 話している途中で、エクレシアの口からくしゃみがこぼれた。

 老婆はそれ見たことかとばかりにため息をつくと、彼女を家に招く。


「このままじゃ風邪ひいちまうよ! うちにおいで!」

「……わかった、そうする」


 こうして、渋々ながらも老婆の家へと足を踏み入れたエクレシア。

 小さいながらも造りのしっかりとしたログハウスで、奥に大きな石の暖炉が備えてある。

 赤々と燃える炎の熱で、たちまちエクレシアの服についていた雪が解けた。


「あったかい……」

「しばらくゆっくりしてくれていいからね」


 そう言うと、老婆は腰をポンポンと叩きながら台所へと移動していった。

 やがて彼女は、ほこほこと湯気を立てるミルクを手に戻ってくる。


「ほれ、飲みなさい。温まるよ」

「ありがとう。ん、おいしい……」


 猫舌なのか、小さな口でゆっくりとミルクを飲むエクレシア。

 やがて彼女は、とろんとした顔でほっと息をついた。

 老婆はそんな彼女の様子を見て、カラカラと楽しげに笑う。


「可愛いねえ。しかしアンタ、どこから来たんだい?」

「ウィンスター王国」

「へえ、ずいぶん遠くから来たんだねえ。ラージャへは仕事で行くのかい?」

「弟を探しに行くの」


 エクレシアがそう答えると、老婆の顔つきが変わった。

 彼女は寂しげな眼をすると、ぽつりとつぶやく。


「……そうかい、家族を探しにねえ」

「そう、大切な弟。ずっと姉妹で面倒を見てきたのに、最近出て行った」

「ラージャってことはあれかい? 冒険者にでもなったのかい?」

「そうだって聞いてる」

「そりゃ心配だ。うちにも、冒険者になった孫がいたからよくわかるよ」


 そう言うと、老婆はしばし沈黙した。

 天井を仰ぐその眼は、さながら過去を見つめているかのようであった。

 やがて彼女はハッとしたような顔をすると、取り繕うように言う。


「ああ、すまないね。辛気臭い雰囲気にしちゃって」

「構わない。それより、いたって言うことは……」

「行方不明さ。割のいい仕事が見つかったって、山を下りたのだけど……それっきり。アタシに残されたのは、あの絵だけさ」


 そう言うと、老婆は壁に飾られている肖像画を見た。

 そこには十歳ほどになる少年の姿が描かれている。

 短く跳ねた髪と大きな瞳が、とても活動的な印象だ。

 恐らくは、プロの画家が描いたのだろう。

 表情も生き生きとしていて、なかなかの逸品である。

 が、その顔の部分には大きな落書きがされてしまっていた。


「この山を下りてしばらく行ったところに、エルマールって街があるのは知ってるかい?」

「何度か、行ったことがある。大陸でも屈指の芸術都市」

「そうそう。そこの画家の先生がね、この村に別荘を持っているのさ。それで休暇に来た時に、息子が頼み込んで特別に描いてもらったんだよ」

「へえ……。画風からすると、幻想派……?」

「詳しいことは分からないけど、結構スゴイって話だよ。まぁ、孫が悪戯してこのざまだけどねえ」


 そう言うと、老婆は絵の傍へと歩いて行った。

 そしてその額縁をいとおしげに撫でると、目にうっすらと涙を浮かべる。


「これが遺品になるとわかっていたら……。もっと大切にしたのに……」

「……おばあさん」


 エクレシアは老婆に近づくと、そっとその背中を擦った。

 老婆は彼女の方へと振り返ると、申し訳なさそうに言う。


「すまないね、会ったばかりなのにこんなとこ見せて」

「いい、助けてもらったから」

「別にそんな大したことはしてないよ、困ったときはお互い様だからね」


 そう言うと、老婆は涙を拭いた。

 気丈な様子を見せる彼女に、エクレシアはおもむろに提案する。


「……その絵、私が描き直してもいい?」

「え?」


 予想だにしていなかった提案に、老婆は目を丸くした。

 そんな彼女に、エクレシアは余裕たっぷりの笑みを返すのだった。

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