第五話 湖に住むもの
「譲ってほしいコレクション?」
レオニーダさんは意外そうな顔をすると、こちらに身を乗り出してきた。
その眼にはどこか、剣呑な光が宿っている。
美女が怒ると怖いと言うが、レオニーダさんも例に漏れないらしい。
異様な迫力に俺たちは気圧されそうになるが、姉さんは動じることなく言う。
「以前に見せてもらった短剣です」
「ライザ殿に衛兵たちの剣術指南をお願いした時かしら?」
「ええ、あの時です」
「短剣なんて、見せたかしらねぇ」
はてと首を傾げるレオニーダさん。
しかし、その仕草はどこか芝居がかっていて不自然さがあった。
何かを嘘をついていることが、意識していなくてもわかってしまう。
そのことを姉さんは知ってか知らずか、おやっと驚いたように聞き返した。
「見せていただいたではありませんか。沈んだ銀色をした、あの短剣です」
「ひょっとして、デュライトのことでしょうか。うーん、困りましたね」
「よほど、大切なものなのでしょうか?」
「ええ、あの剣は我が家の家宝のようなものですから」
そう言うと、レオニーダさんはもったいぶるように間を置いた。
そしてライザ姉さんや俺たちを値踏みするように見回す。
その視線は妙に艶めかしく、どこかねっとりとしていた。
「しかし、そうですねえ。どうしてもというのであれば、お譲りいたしましょう」
「おお、それはありがたい!」
「ですが、一つ条件がございます」
「……何ですか?」
「短剣の代わりに、とある宝が欲しいのです」
そう言うと、レオニーダさんはおもむろに椅子を立った。
そして部屋の窓を開け放つと、遥か彼方の湖面を見据えて言う。
「ラミア湖に住む人魚の話を、あなた方はご存じですか?」
「人魚と言うと……魚の顔をした気持ち悪いやつらですか?」
「ライザ姉さん、それは人魚じゃなくて魚人だよ」
「む、人魚と魚人は違うのか?」
真顔で聞き返してくるライザ姉さん。
いやまあ、ややこしくはあるけど普通そこは間違えないというか……。
「……人魚って言うのは、人間の上半身と魚の下半身を持つ亜人ですよね? しかも、女性型しか存在しないって言う」
「ええ、そのとおり。私は彼らの流す涙が、どうしても欲しいのです」
「人魚の涙か……。若返りの妙薬だね」
ぽつりとつぶやくクルタさん。
人魚の涙の伝承については、俺も聞いたことがあった。
人魚は永劫の寿命を持ち、その涙を呑めば十歳は若返るとか。
そのため大昔には、人魚を巡って戦争まで起きたことがあるらしい。
「……雲を掴むような話だな。本当にいるのか人魚なんて」
思わず、ロウガさんが声を上げた。
彼の言う通り、そんな存在がそうそう簡単に見つかるとは思えない。
まして、秘境ならまだしも開拓の進んだラミア湖の話である。
人魚のように貴重な種族ならば、とっくの昔に発見されていてしかるべきだろう。
しかし、これを聞いたレオニーダさんはにわかに荒ぶる。
「間違いなくおります! おりますとも!!」
レオニーダさんはそう力強く断言すると、ロウガさんの顔を睨みつけた。
その眼つきは鋭く、微かに狂気めいたものすら感じさせる。
――パラリ。
やがてレオニーダさんの顔から、白い粉のようなもの落ちた。
……いったい何だろう?
俺がそう思う間もなく、レオニーダさんはこちらに背を向けた。
そして懐から手鏡と化粧道具を取り出すと、手早く作業を始めた。
「いけない、剝がれてるわ……! ああ、もうノリが悪い……!」
「あの、レオニーダ様? 大丈夫ですか?」
「……失礼いたしました」
そう言うと、レオニーダさんは何事もなかったかのようにこちらに振り返った。
その顔は、明らかに先ほどまでより化粧が濃くなっている。
もしかして……さっきのは……。
よくよく観察してみると、レオニーダさんはずいぶんと化粧が濃いようだった。
雰囲気に圧倒されて気付かなかったが、もはやパテ塗りと言ってもいいぐらいの領域に達している。
三十八歳と言っていたが、実際はもっと……頑張っているのかもしれない。
「とにかく、短剣を譲ってほしいのであれば人魚の涙を持ってきてください。それが条件です」
「……わかりました、レオニーダ殿がそう言われるのならば」
「では、詳しいことはテイルからお聞きなさってください。条件を達成するまでの間、この城に滞在する許可も与えましょう」
早口でそう告げたレオニーダさんからは、一刻も早く部屋を出て欲しいという意志が伝わってきた。
俺たちは仕方なく、テイルさんの案内に従って部屋を出る。
「……ふぅ、ちょっと疲れちまったな」
「ああ。以前に見た時は、あそこまで神経質な方ではなかったのだがな」
レオニーダさんの執務室からある程度離れたところで、ロウガさんと姉さんが語り始めた。
すると、テイルさんがどこか物悲しげな口調で言う。
「あの事件がなければ、レオニーダ様も……」
「ん? あの事件?」
「いえ、何でもございません。聞かなかったことにしてください」
そう言うと、テイルさんは自らを奮い立たせるようにフルフルと顔を震わせた。
そして、いくらか明るい声で告げる。
「ところで、今日の宿はどうなされますか? レオニーダ様の許可もいただけたことですし、城へお泊りになられますか?」
「そうだな、そうさせてもらおう。皆もかまわんな?」
「うん、こんなお城に泊まれるなら願ってもないよ」
姉さんの問いかけに、声を弾ませるクルタさん。
俺たちもまた、うんうんと頷きを返した。
こうして俺たちは、ひとまずヴァルデマール家に滞在することとなったのであった。




