第二十六話 弟の成長
「姉貴を救えなかったアタシは、こう思った。自分にもっと力があれば、あの時に牡牛を倒せていればって」
心の底から絞り出すような、悲痛な告白であった。
俺たちはただ黙って、彼女の話に聞き入る。
場の雰囲気を読んだのか、それとも傷を癒すのに専念しているのか。
牡牛もまた、静かにラーナさんを睨むばかりであった。
「牡牛に勝たなきゃいけなかった。その思いが、どうしようもない後悔として残っちまってね。再び牡牛が現れたって噂が流れた時、抑えきれなくなったのさ」
「だが……」
「分かってるよ、今更倒したところでどうにもならない。けど、そういうことじゃないんだよ。こいつを倒さなきゃ、アタシは前に進めないんだ……!」
そう言うと、再び短剣を振りかざすラーナさん。
先ほどは見えなかった力の流れが、今度はハッキリと見ることができた。
この短剣、やはりラーナさんの生命力を糧としているらしい。
白いオーラのような生命力が、腕を伝ってどんどん短剣へと吸い込まれていく。
「ダメだラーナ! そんな武器使ってたら、死ぬぞ!」
「うるさい! アタシは――」
もう待ちきれない。
そう言わんばかりに、牡牛が強烈な一撃を繰り出した。
斧で薙ぎ払われたラーナさんは、なすすべもなく吹き飛んでいく。
既にその身体は、短剣に生命力を吸われて限界を迎えていたようであった。
放物線を描くラーナさんを見ながら、ロウガさんが慟哭する。
「ラーナアアアァッ!!!!」
駆け出すロウガさん。
彼はラーナさんと壁の間に滑り込むと、どうにか彼女の身体を受け止めた。
思いのなせる業であろうか、残像ができるほどの動きは普段の彼をはるかに上回っていた。
「……まさか、アンタに助けられるなんてね」
「これでもう、貸し借りはなしだな。俺も気にかかってたんだよ、あの時助けられたこと」
穏やかな口調で告げるロウガさん。
そう言えば、以前に彼とラーナさんが牡牛と対峙した時。
ロウガさん、ラーナさんが持っていた転移の宝玉で助けられたとか言ってたな。
あとで利用料を取られたとか言っていたけれど、内心ではありがたく思っていたらしい。
何だかんだ、ロウガさんってすごく義理堅いからなぁ。
「まだ気にしてたのかい。別にもういいのに」
「こっちとしてはよくねえのさ」
「……いちゃついてないで、こっち見てください! まずいですよ!」
「グオオオオオォン!!」
天を仰ぎ、雄叫びを上げる牡牛。
音の津波のような大音響に、頭が割れそうになる。
伝わってくるただならぬ怒気と憎悪、そして殺気。
傷を癒し、本格的に俺たちを仕留めに来るつもりのようだ。
「まずい……!! ラーナさん! その短剣を貸してください!」
「ダメだ! こんなの貸せないよ!」
「お願いします! 使いませんから!」
「どうなってもしらないよ!」
そう言って、短剣を投げてくるラーナさん。
それを受け取った瞬間、俺は猛烈な脱力感に襲われた。
ラーナさん、今までこんなのを手にして戦ってたのか……!
想像を超える副作用に、俺は思わず顔をしかめた。
「ジーク、大丈夫!?」
「平気です! なるほど、こいつはそういう原理で……」
いかなる原理で、この短剣は牡牛にダメージを与えているのか。
調査を始めた俺は、すぐにその原理に到達することができた。
どうやらこれは、吸収した生命力を圧縮して直接相手にぶつけているらしい。
生命力は根源的で非常に純粋な力の塊である。
なるほど、この方式ならば相手が何だろうと通用するだろう。
使用者の命を削るため、決して褒められた方法ではないが。
「どうだ、いけそうか?」
「……難しいですね。こいつと同じ方法であの牡牛を倒そうとしたら、使い手が死にますよ」
「やっぱりそうか。ちっ、ここは引くしか……うごっ!?」
「ロウガ!?」
俺たちの前方にいたはずの牡牛。
それが一呼吸もしないうちに、後方にいたロウガさんの前へと移動していた。
――瞬間移動。
こいつ、そんな芸当まで出来たのか!
一度ダメージを与えられたことで、いよいよ本気を出してきたようだ。
「お前ら……逃げろ……!」
「そんなことできませんよ! くっ!?」
牡牛の姿が再び瞬き、今度は俺の前に現れた。
振り下ろされる巨大な斧。
俺はとっさに身を捻ると、どうにかその一撃を回避する。
ドンッと重低音が響き、迷宮の床が揺れた。
こんなの直撃したら、流石の俺も死ぬかもしれない。
背中がゾワリとして、額に汗が浮いた。
「いったいどうすれば……!」
「グラアアアアッ!!」
咆哮を上げ、再びこちらに迫ってくる牡牛。
こんな時、ライザ姉さんだったらどうするのだろう。
思考が加速する中で、俺はふとそんなことを考えた。
剣聖である姉さんならば、この牡牛であろうと打ち倒すことができるだろうか?
俺の脳裏に、牡牛を打ち倒す姉さんの姿がありありと浮かび上がってくる。
「そうだ……! あの時の技を使えれば……!」
七番迷宮で最初に遭遇したキメラスケルトン。
あれを倒した時に姉さんが使った技を、俺も使うことが出来たなら。
この牡牛をも、切り裂くことができるのではなかろうか。
いや、原理的には間違いなく斬れる……!!
「やるしかない……!!」
剣聖である姉さんですら、習得に数か月かかったという大技。
それを俺は、ぶっつけ本番で打つしかないようだった……。




