第二十一話 アエリアの忙しい日
「さてと……すっかり仕事が溜まってしまいましたわね」
時は遡り、その日の朝。
アエリアは執務机に積まれた書類の山を見て、ふうっとため息をこぼした。
彼女が仕事を休んだ数日の間に、書類が机を埋め尽くしてしまっていた。
日頃、どれほどの激務をこなしているのかが察せられる。
「本日の予定ですが、午前中はたまっている書類の処理。午後からは会議が三本入っております。夕方は領主様主催の晩餐会に出席いただき、夜はそのまま領主様の館で商談を。その後は……」
アエリアの脇に控えていた秘書が、つらつらと予定を読み上げた。
それを聞き終えたところで、アエリアはすぐさま指示を飛ばす。
「午後の会議、確か予算会議と支部長会議でしたわね?」
「はい、その通りです」
「一本にまとめて時間を圧縮しなさい。空いた時間で商談の内容をもっと詰めておきますわ」
「承知いたしました」
「それから、先日相談を受けていた木材の件。あれはどうなっておりますの?」
「確認いたします、少々お待ちを」
そう言うと、秘書はそそくさと部屋を出て行った。
そして数分後、書類を片手にアエリアの前へと戻ってくる。
「確認が取れました。現在、必要とされる量の七割ほどが手配できております」
「遅いですわね。予定では、もう完了しているはずですわよ」
「材木の輸送経路に賊が現れたようで。対応に時間を取られたようです」
「このままでは間に合いませんわね。王国との取引で、これは少々まずいですわ」
そう言うと、アエリアは顎先に指を当てて思考を巡らせた。
周囲に静寂が満ち、にわかに緊張感が漂う。
そして――。
「確か、老朽化して近々引退予定の船がございましたわね?」
「ええ、ございます」
「木材をあの船に乗せて、船自体も一緒に引き渡してしまいなさい」
「それはつまり……船を材木として売ると?」
「その通りですわ。解体すれば、不足分ぐらいにはなるでしょう」
「ですが、船を材木として売っても利益が……」
渋い顔をする秘書。
フィオーレ商会では引退間近と言っても、まだまだ現役で使える船である。
船として売り払えば、材木として売った時の数倍は値が付くだろう。
商人としてはとても看過できない差であった。
しかし、アエリアはわかってないといった様子で言う。
「王国との信頼関係を保つのは最重要ですわ。多少の赤字は許容します」
「かしこまりました」
「それに、東方の情勢が安定して船の需要はこれから下がりそうですわ。うちとしても手っ取り早く処理した方がいいでしょう」
「……そこまで考えておられたとは、流石です」
アエリアの判断を称賛する秘書だが、一方のアエリアはすました顔であった。
彼女にとってこのぐらいは当然のことなのである。
さっさと気持ちを切り替えて、次の仕事へと取り掛かる。
「この書類の決裁は私でなくてもできますわね。次からは回してこないように」
「承知しました」
「それと、ここからここまでは既に目を通しましたわ。おおよそ問題ありませんが、この新店舗出店計画は通せませんわね。経費が多すぎますわ、どこかに無駄がないか調べなさい」
「承知しました、すぐに調べさせます」
「念のため、調査は二つのルートから行ってちょうだい。誰かが水増ししてる可能性もありますわ」
「では、管理部と監査部の両方から調査させます」
こうして流れるように仕事をこなし続けること数時間。
昼食まであと二十分ほどのところで、午前中の仕事がほぼ片付いた。
アエリアはその場で伸びをして軽く体をほぐす。
「ふぅ、この分だと今日の仕事は早めに終わりそうですわね」
「流石はアエリア様、普通の人間ならば一週間はかかる仕事量なのですが」
「これぐらいできなければ、商会は回りませんわ」
その言葉に合わせるように、秘書はそっと紅茶を差し出した。
アエリアはそっとそれを口に含むと、不意に険しい顔をする。
「ところで、一つある噂を耳にしたのですが」
「何でしょうか?」
「この街にコンロン商会の人間が出入りしているとか。本当ですの?」
「それについては、既に調査を始めております。が、信憑性はかなり高いかと」
「……面倒なことになりましたわねぇ」
アエリアは困ったように額に手を当てた。
彼女はそのまま窓際に向かうと、庭の向こうの街並みを見渡す。
「コンロンは言わずと知れた闇の武器商人。彼らにこの街の魔石と技術が渡れば、とんでもないことになりますわ」
「ええ。まず間違いなく、とんでもない兵器を生み出すでしょうね」
「それだけは阻止しなければなりませんわ」
強い口調で宣言するアエリア。
彼女は拳を固く握りしめると、それを勢いよく振り下ろす。
「責任はわたくしが取ります。どんな手を使っても構いませんから、街に忍び込んだコンロンの関係者を探し出しなさい」
「はっ!!」
「それから、あれの保管庫は特に厳重な警備を。人員を倍に増やしてちょうだい」
「倍と言いますと……百人体制ですか?」
「ええ、それぐらい居ないと不安ですわ。もしあの技術が流出すれば、とんでもないことになりますもの」
そこまで指示を飛ばしたところで、柱時計が鳴った。
あっという間に昼食の時間である。
アエリアはやれやれと話を切り上げると、ふとため息をこぼす。
「こんな時にノアがいてくれたら、疲れも吹き飛びますのに」
この場にはいない弟の姿を、克明に思い描くアエリア。
そのつぶやきを正確に聞き取った者は、その場には誰もいないのであった。




