第三十六話 聖女の試練
「どうやら、こちらが思っていた以上の大ごとになりつつあるな……」
俺たちから報告を聞いたマスターは、盛大に頭を抱えた。
事の内容が内容だけに、こうなってしまうのも無理はないだろう。
そもそも、支部のマスターの権限を大きく超えた話である。
できることなら、すぐにでも上位者に話を投げてしまいたいことだろう。
「敵の目的が戦争を起こすことにあるなら、あの魔族の血も囮かもしれないですね」
「その可能性も十分にあり得るな。いずれにしても、我々にできることは連中の挑発に乗らないことか」
「それと、備えをかかさないことだろう。もしも、魔界で開戦派が大きな勢力を握れば……」
「もはや理由なんて関係なく、魔族が押し寄せてくると?」
俺の問いかけに、ライザ姉さんは静かに頷いた。
穏健派の魔王を追い落とすべく、人間界との大戦を望む王弟。
現在はまだ、開戦するための理由を揃えなければ身動きが取れない状況のようなのだが……。
もし彼らが今以上の力を握れば、魔王派を押し切ってくる可能性は十分にある。
「ううむ……。いずれにしても、私の裁量は完全に超えてしまっている話だ。グランドマスターの判断を仰がなくては」
「できるだけ早急に頼む」
「任せてくれ。ちょうど定例会があるので緊急の議題としてあげさせてもらおう」
そう言ったところで、マスターは部屋の端で小さくなっているウェインさんを見た。
今回の遠征において、彼は大きく活躍できたとは言い難かった。
そのことについて、本人も自覚があるのだろう。
数日前までの横柄な態度はどこへやら、借りてきた猫のようにおとなしくなっている。
「念のため、ウェイン君にも確認なのだが。先ほどの報告、相違ないかね?」
「ええ、ライザ殿とジーク殿のお伝えした通りです」
「そうか……」
「今回は、Sランクとして不甲斐ない姿をお見せしました。わが身を恥じ入るばかりです」
深々と頭を下げるウェインさん。
……まさか、これほどまでに素直に彼が謝罪をするとは。
今までの行動が行動だけに、ちょっとばかり意外である。
ヘルと名乗った魔族から解放されたせいなのか、姉さんとの力の差を思い知ったからなのか。
いずれにしても、いい方向の変化なのではなかろうか。
「これからも、その心構えを忘れないでくれ」
「はい!」
「しかし、Sランクですら魔族に対抗するには不十分とは……」
顔の前で手を組みながら、心底困った顔をするマスター。
仮にもSランクのウェインさんが通用しなかったのである。
親書の受け渡し自体はうまく行ったので、当面の間は大丈夫なのだろうが……。
もし何かあった時、今の状況では街の防衛も心もとない。
「一つ、いい方法がありますよ」
「おお、これは聖女殿!」
いつの間にか、ファム姉さんが部屋に入ってきていた。
教会での所用を済ませて、すぐにこちらへとやって来たらしい。
聖十字教団の代表の登場に、マスターは椅子を立って深々と頭を下げた。
その顔には、いつになく緊張の色が伺える。
聖女と言えば、場合によっては大国の王以上に権威のある存在。
俺やライザ姉さんは家族と言うことであまり意識していないが、そりゃ緊張するのも当然か。
「それで、いい方法というのは?」
「ここにいるノアに聖剣を取りに行ってもらうのです。あれがあれば、魔族に対する威嚇になるでしょう」
「聖剣か。だがそれならば、私が持つべきではないか?」
ライザ姉さんの疑問はもっともだった。
剣聖である姉さんと俺との間には、未だに埋めがたい実力の差がある。
姉さんは俺の倍……いや、三倍ぐらいは強いだろう。
抑止力という意味でならば、姉さんに聖剣を持ってもらう方が数段確実だ。
「ええ、ですのでライザにも聖剣は持ってもらいます」
「ん? その言い方だと、聖剣が二本あるようなのだが」
「……その通り。ウィンスター王国が保有するものと我が聖十字教団が保有する物の二種類があります。どちらかと言えば、我が教団が保有する物の方が優れていると伝わっていますね」
「なっ、それは初耳だな」
驚いた顔をするライザ姉さん。
俺も、聖剣が二本あるなんて話は初めて耳にした。
かつて勇者を輩出したウィンスター王国。
聖剣はその王家に代々伝わる唯一無二の宝のはずなのだ。
「二本目の聖剣は、一本目の聖剣と比べても強大な力を持つ剣でした。そのため勇者様は、悪用を恐れて我が教団に剣の封印を依頼されたのです。そして、その依頼に応えた聖女は剣の存在自体を闇に葬ったとか」
「なるほど、ありえなくはない話だな」
「現在、聖剣は我が教団の管理する迷宮の奥底にあります。迷宮を踏破した者にのみ、聖剣を握る資格が与えられるそうです」
「勇者様からの試練というわけですね。でも、それならなおさら――」
ライザ姉さんが向かうべきではないか。
俺はそう、言葉を続けようとした。
勇者様の試練を突破するとなれば、なおのことライザ姉さんの方が向いている。
まだまだ未熟な俺では、とても迷宮の奥底になんてたどり着けないだろう。
しかし、ファム姉さんは眼をキラキラと輝かせながら告げる。
「ノア、私はあなたがあの魔族を斬った時に確信しました。あなたには才能があると」
「は、はぁ……」
「それを育てるために、あなた自身が聖剣を取りに行くべきなのです。わかりますか?」
あのファム姉さんが、俺に期待を寄せている……!!
いつも俺に対して、頼りないと口癖のように言っていたファム姉さんがである。
これは、何としてでも期待に答えなくては……!
俺がそんなことを考えた矢先、ファム姉さんが言う。
「ちなみにこれは、お姉ちゃんからの試練も兼ねています。もし迷宮に行くのを拒否したり、探索に失敗したら実家に帰ってきてもらいますからね!」
「ええっ!? そ、そんな!!」
「当たり前です! 聖剣もないのにこんなところにいたら、危ないですから!」
何だろう、聖剣を護身用アイテムかなんかと誤解してないか……!?
俺が戸惑っていると、ファム姉さんはさらに追い打ちをかけるように言う。
「三か月です。三か月以内に、どうにか聖剣を手に入れてください。それまではノアが冒険者をすることを許可してあげますから」
「手に入れられなかったら?」
「さっきも言ったでしょう、もちろんダメです」
そう言うと、やけにいい笑顔をするファム姉さん。
ライザ姉さんやシエル姉さんのように、戦わなくてもいいのは楽と言えば楽なのだけど……。
こりゃ、下手をすると今までで一番厳しい条件かもしれないぞ!!
こうして俺は、聖剣を手に入れるべく迷宮に潜ることとなったのだった――!




