第三十一話 現れる悪意
ジークたちがドラゴンに乗って飛び立つ少し前のこと。
夕陽の差し込む教会で、ファムとクメールが睨み合っていた。
二人の間に緊迫した空気が流れ、緊張感が高まっていく。
まさしく一触即発、いつ戦いが始まってもおかしくないような雰囲気だ。
「これは何のつもりですか? 私に杖を突き付けるなど」
「それはこちらのセリフです。今までよく騙してくれましたね」
「騙す? さあて、何の話でしょうか?」
聖女の象徴ともいうべき聖杖は、鉄板ぐらいならば軽く貫いてしまう威力がある。
これで攻撃されれば、怪我では済まないのだが……。
鷹揚に答えるクメールの態度には、奇妙なまでの余裕があった。
「演技はやめましょう。私は既に、あなたの正体について確信があります」
「ほほう、正体ですと? それではまるで、何者かが私に化けているようではありませんか」
「ええ、その通り。あなたは――」
胸に手を置き、一拍ほど間を空けるファム。
彼女は改めてクメールの眼を覗き込むと、意を決したように告げる。
「魔族ですね?」
「どうして、そうお思いになったのです?」
「先日、私が神聖魔法を使う際にあなたが離れて行ったのがきっかけです。それまで決して私を一人にしようとはしなかったあなたが、あの時だけは自主的にいなくなったのですよ」
「あれは、あの商人の不安げな顔を見ていられなかったからですよ」
「それだけではありません。よく思い出してみれば、あなたは神聖魔法を使う時は常にいませんでした。聖堂の警護にですとか、様々な理由を付けて」
ファムの口調が強くなった。
クメールが魔族であるということに対して、強い確信があるようだ。
対するクメールも、逃げるのが難しいと悟り始めたのか目が座り始める。
「……それだけでは理由が弱すぎますな。だいたい私は、先代聖女様の頃から四十年も教団に身を捧げてきた人間なのですよ!」
「ええ、だから今まで誰もあなたのことを疑わなかったのです。それほど長く組織にいる人間が裏切るとは、そうそう思いませんからね。しかし、魔族だとすれば話は別です」
「どういうことです?」
「魔族の寿命は人の十倍とも聞きます。ならば四十年ぐらい、大願のためなら捧げられるのでは?」
いかに大願のためとはいえ、潜入生活を四十年も続けることは困難だろう。
人生の大半を捧げることになる上に、それほど長い時を過ごせばボロが出る。
しかし、それはあくまで人間を基準にして考えればの話。
人間の十倍もの寿命がある魔族ならば、辛抱すれば堪えられなくはない。
「なるほど。しかし、その程度で決めつけられても困りますな」
「ではあともう一つ。教団内部で行われている汚職について、私も独自に調査をしていました。しかし、多くの人員を投じても証拠をつかむことができておりません」
「それは、単に相手が巧妙に証拠を隠していたのでしょう。それと私が裏切っていることに、何の関係があるというのです?」
「大ありです。私は最古参の幹部であるあなただけは信頼して、調査から除外していたのです」
ファムの言葉に、いよいよクメールの動きが止まった。
やがて彼は全身を微かに震わせると、にわかに笑い始める。
狂気を孕んだ声が、聖堂全体に良く響いた。
「……もう茶番はやめだ! まさか、あなたに見抜かれるとは思わなかった! 実の親のように面倒を見てきたというのになぁ!」
「できれば、私も嘘であってほしかった」
「あなたが睨んだ通り、教会内部の不正は私の主導だ。アムドは事の露見を遅らせるための目くらましにすぎん。あやつは所詮、ただの小心者だからな。不正をする度胸などない」
クメールはそう言うと、両手を広げて全身を震わせ始めた。
その身からおびただしい魔力が溢れ出し、筋肉が蠢き隆起する。
服が千切れ飛び、背中から白い骨格が伸びた。
たちまち奇妙で禍々しい骨の翼が形成され、その骨格の間を皮膜が埋める。
数分後、そこに立っていたのは司教服を着た聖職者ではなく――。
悪夢の化身のような姿をした、恐るべき大魔族であった。
「これは……予想以上ですね……!!」
「改めて自己紹介をしよう。我は大公閣下の腹心、魔王軍第五師団長のクルディオンだ」
そう名乗りを上げると、再び魔力を高めるクルディオン。
身体からあふれ出した荒ぶる魔力が、暴風となって周囲に襲い掛かる。
その威容は、まさしく魔王と言っても通用するほどであった。
聖堂全体が震え、天井から埃が落ちてくる。
「少々予定が早まりましたが、まあいいでしょう。この場であなたを殺し、開戦の贄とさせていただく」
「これでも聖女です。そう簡単に倒せるとは思わないで欲しいですね」
聖杖を手に、クルディオンと対峙するファム。
聖なる魔力がその身から溢れ、悪しき魔力と拮抗する。
「後ろにいる方々! 護衛の冒険者の方ですよね、手伝ってください!!」
やがてファムは後ろを向くと、長椅子の陰で息をひそめていた冒険者に声をかけた。
彼女の護衛についていたクルタたちである。
バレないように尾行していたつもりだったのだが、ファムはとっくに気づいていたのだ。
――こうなっては、協力するよりほかはない。
突然の事態に様子を見守っていたクルタたちであったが、急いで物陰から飛び出してきた。
そして、大盾を構えたロウガを中心にファムを守るべく陣形を組む。
「急ですが、よろしくお願いします!」
「こちらこそ! 聖女様のことはボクたちが絶対に守ります!」
「はははっ!! 聖女様を守れるなんてのは、一生に一度あるかないかの栄誉だなぁ!!」
「ですね! めったにない晴れ舞台ですよ」
自らを鼓舞すべく、あえて軽口を叩くクルタたち。
その姿を見たクルディオンは、フンっと鼻を鳴らしてあざ笑う。
「冒険者風情がどれほど増えたところで、意味などないわ。すべて、吹き飛ばしてくれる!!」
「みんな行くよ! こんな魔族、やっつけてしまおう!!」
こうして、聖女ファム率いる冒険者たちとクルディオンとの戦いが始まった――!




