第二十八話 持久戦
「どう、私の能力は。これじゃ、流石の剣聖でも無理でしょ?」
苦々しい顔をした姉さんに、カラカラと笑いかけるアルカ。
彼女の言う通り、実体がない相手というのは剣士が最も苦手とする存在である。
一応、ゴースト系の魔物などには一定の対抗策が存在してはいるのだが……。
身体を炎に変えた魔族への対策など、見たことも聞いたこともない。
そもそもそんなことができる魔族自体、アルカ以外には存在すらしないのかもしれなかった。
「何だ、あれは……! あんなのインチキじゃないか!」
「形勢逆転されちゃいましたね……!」
敵の能力を見て、大いに動揺するウェインさん。
俺も唇を噛みしめ、軽く歯軋りをした。
このまま姉さんがやられるとは思わないが、押し切れる空気ではなくなった。
やはりあのアルカという魔族、魔王軍の師団長を名乗るだけのことはある。
「……確かに厄介だな、それは認めよう。だが、炎ならば散り散りに消し飛ばしてしまえば良い」
「そんなこと、どうやってやるのよ?」
「こうやってだ!」
剣を構えなおし、にわかに剣気を高めるライザ姉さん。
この剣気は……あれを使うつもりか?
俺がそう思った瞬間、溢れ出した気がぼんやりと人型を為した。
やがてそれらに色がつき、姉さんそっくりに変化する。
――四神の剣陣。
対人戦において、姉さんの最大最強の奥義である。
自身と同等の強さの分身を三人生み出し、さらには本体を攻撃されない限りダメージを受けない。
分身の維持に相応の体力を消費するものの、それ以外はほぼ完全といって良い技だ。
俺も以前、姉さんと戦った際にこれを使われたのだが……。
正直、弟として姉さんと長く付き合った経験がなければ攻略できなかっただろう。
今日、姉さんと初めて会ったような魔族にはまず不可能だ。
「これが私の奥義だ」
「ふーん、手数で攻めようってわけ?」
「そうだ。四倍の剣圧、受けられるものなら受けてみるがいい」
再び、姉さんがアルカを押し始めた。
一対一の状態でも優位を保っていたのである。
それが四対一の状態となったのだから、圧倒するのも当然だ。
しかし、やはり敵の能力は厄介だ。
姉さんの剣がどれほど身体を切り裂こうとも、一瞬にして再生してしまう。
「無駄よ、無駄! どれほど斬ろうが、私の炎が消えることはないわ」
「どこまで再生できるか、この私が試してやろう」
「だから無駄だって!」
さらに剣速を上げていく姉さん。
するとアルカの再生速度が、ほんのわずかにだが遅くなり始めた。
再生が追い付いていないのか、はたまた消耗してきているのか。
いずれにしても、無限に再生し続けられるわけではないらしい。
しかし姉さんの方も、剣速を維持し続けるのに相当の体力を消費しているようだ。
普段は丸一日修行をしても汗ひとつ掻かない姉さんの額に、大粒の雫がいくつも浮かんでいる。
「これは、もう体力の勝負かもしれないな」
二人の様子を見ながら、ウェインさんがつぶやく。
彼の言う通り、勝負は持久戦に持ち込まれたとみていいだろう。
しかしこうなってくると、人間を超越したタフさを持つ魔族の方が俄然有利だ。
「姉さん! 俺も戦わせてください!」
「ダメだ! お前は温存すると言っただろう!」
「でもこのままじゃ、いくら何でも……!!」
俺が加われば、いくらかでも負担は軽くなるだろう。
だがそれを、姉さんは頑として拒否した。
俺の力を温存しておきたいというのもあるのだろうが、プライドの問題もあるかもしれない。
サシで始めた勝負なのだ、最後まで一人でやり切りたいのだろう。
もともと、人間界では力を持て余し気味だった姉さんである。
魔族が相手とは言え、久しぶりに全力を出せて楽しい面もあるのだろう。
「勝負だ。私の手が止まるか、そちらが再生しきれなくなって音を上げるか!」
「魔族相手にその勝負、無謀だって教えてあげるわ……!」
長い長い、勝負が始まった。
俺たちはその行方を、固唾を飲んで見守る。
斬っては再生し、再生しては斬り。
延々と繰り返され続ける一連の動作。
だがそれも少しずつ遅くなっていき、終わりが見え始めた。
酷使された姉さんの腕が、微かに震え始める。
「姉さん……!!」
これほど追い詰められた姉さんを見るのは、いったい何年ぶりだろうか。
剣聖となってからは、ほぼほぼ無敵に等しい存在だったからなぁ……。
次第に疲弊していく姉さんを見て、俺は胸が締め付けられるような思いがした。
やがて心の底から込み上げる思いが、声援となって溢れ出す。
「姉さん、頑張れ!! そんな魔族に負けるな!!」
「ノア……」
「俺、信じてるから! 俺の自慢の姉さんが負けるはずないって!!」
「自慢の……姉さん……!?」
不意に、姉さんの顔が赤くなった。
あれ、何か怒らせるようなことを言っちゃったかな……?
俺はとっさに逡巡したが、特に思い当たるような節はなかった。
だがそうして考えている間にも、姉さんの頬は赤みを増していき――。
「勝つ、必ず勝つ。絶対に負けられない……!! おりゃあああああっ!!」
い、一体どこにそんな力が残っていたんだ!?
身内の俺ですら驚いてしまうほどの動きを、姉さんが見せた。
アルカもそれに負けじと、その身体から魔力を最大限に放出する。
両方ともこれが最後とばかりに全力を出すつもりのようだ。
この勝負、どちらが勝つにしてもあとほんの少しで決着がつく……!
そう確信した俺たちは、固唾を飲んで勝負を見守った。
そして――。
「くっ……!! ここまで追い詰められるとはな……」
青い顔をして、肩で息をする姉さん。
それに合わせるように、彼女の分身たちがすっと姿を消してしまった。
一方で、彼女と対峙するアルカもまた余裕があるとは言い難い。
艶やかだった銀髪はすっかり乱れ、魔力も弱弱しいものとなっている。
「私の……負けだわ……」
お互いに限界を迎えていた二人であったが、先に倒れたのはアルカの方だった。
――勝負あり。
姉さんは倒れたアルカの背中を見下ろすと、満足げな顔をして地面に転がる。
気力も体力も使いつくし、本当に限界だったのだろう。
その表情は実に穏やかだったが、唇が少し青かった。
「流石だよ、姉さん」
俺はそう言うと、姉さんの身体をしっかりと抱きあげた。
ここから先は、俺が頑張らなきゃな。
そう思うと自然に身が引き締まるような思いがした。
するとここで、予想外のことが起きる。
「まさか、師団長を退けるとは。剣聖の実力は侮れませんね」
ウェインさんについて来ていた二人の女性。
その片割れが、急に空恐ろしい声色でそう告げたのだった――。




