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第88話 北岸より伝え火の南方航路

 アスリア王国の南部は西も東も大変な忙しさとなっている。


 西にあってはルーカス・ユリハルシラ率いるユリハルシラ領軍とカリサルミ領軍が西境を挟んで対峙し、南部義勇軍の遊撃戦部隊に戦場を荒らされながらも仮設砦を死守している。


 それより東にずれて、太賀丘陵の辺りでは剣角騎士団がエテラマキ領軍と同じく対峙し、これも遊撃戦部隊の始末に負えない戦法へ根気よく対処している。


 更に東、弓張原においては北部の大軍を駐屯させるに足る大陣地が設営されていて、そこを拠点とした作戦は多岐に及んでいるようだ。クラウス・ユリハルシラとマティアス・ヘルレヴィが防衛を担い、レオ・サルマントとヨウシア・ペテリウスが攻撃を担うという分担で着々と戦果を上げている。


 ただしカリサルミ領への深入りは禁物だ。敵遊撃部隊はどこに潜むとも知れない。村の井戸に毒を落とすまでのことをやってくる敵だ。エベリア人傭兵の姿なども確認されたのだから、なお得体の知れない恐ろしさがあった。


 東、アハマニエミ領においても領内の騒乱が武力衝突にまで至っている。ウンタモ・アハマニエミは南部円卓会議から帰らず、その生死定かならぬ状況が二派の対立を生んだ。


 交流の深いニコデムス・パルヴィラからは侯爵の無事と恙無く南部の使命を果たすべしとの書簡が届いているようだが、それだけで納得するほどに侯爵領の家臣団はお子様ではない。


 弓張原会戦の後は事前協定に従うべしとする北部恭順派はアハマニエミ侯爵夫人と嫡男が代表となっていて、マルガレータ王女に従って賊軍を討つべしとする南部抗戦派はアハマニエミ侯の従弟親子が代表となっている。火種が風を受けてのお家騒動勃発だ。


 どこもかしこも賑やかなことだ。誰も彼もが冬の寒さなどどこ吹く風とばかりに駆け回っている。


 そんな中にあっても動かない存在が三つある。南北どちらにとっても切り札であろう騎兵団が二つと、勤労の精神を尊ぶ男であると自認するところのアクセリ・アーネル率いる第三王女親衛団だ。


 王都に近い町に軍船五隻をもって待機し、大河の対岸にアハマニエミ領を臨む……重要そうに見えて実のところ槍働きの一つもなかったわけであるが、かくも方々で戦火が上がったとなれば、遂にアクセリらにも戦を働く機会が訪れるというものだった。


「真打ち登場とまではいかなくとも、我が君のための露払いくらいにはなるかな?」


 旗艦艦橋にてアクセリがそう言ったならば、返事は二つ、どちらも猛者より返ってきた。


「はぁ、よくそんなに嬉しそうにできるよなあ。何て言うか、あれだな。悪戯する奴の顔だ、そりゃあ。どうにも気が乗らねえ、気が乗らねえよ」


 と大男オイヴァがぼやく横で、緑巾を頭に巻いた剣士が凄みのある笑みで言う。


「度胸のある話だ。以前は焼く側であったのにな」


 ベルトランである。マルコの策を実現するため闇を走ってきた男が、この作戦においてのみはその姿を見せている。彼と彼の率いる不法組織……この場合は練達の川賊たちが必要だからだ。


 第三王女親衛団はこれより総員でもって水上に出る。東龍河に白流旗をはためさせて南下するのだ。


「しっかし、どうしてこんなこと考えるかねえ、うちの大将は」

「造ったのはお前だろう」

「そらまあ、そうなんだけどよ。あ、でも、俺は鎖担当だ。船の方は部下たちが手伝ってたよ」

「盛大な童遊びだな」

「だよなあ、うん、そうなんだよ。楽しいってのがまた団長さんをああも喜ばせてるんだろうよ。本当にもう、昔っからやることなすこととんでもねえ。俺ぁ、マルコには驚かされてばかりだ」


 オイヴァとベルトランとは旧知の仲だと聞いているから、アクセリは二人が談笑する様子にも茶々を入れなかった。


 片や鍛冶も一騎打ちもこなす大男であり、片や王国の闇に勢力を持つ男である。まるで似ていないようにも見えるが、どちらも凄腕の兵法者であり、ほぼ同時にマルコと出会って今に至るという。


 マルコに付き従うことは大変な忙しさであり、その影響力の増大と共に王国を東奔西走することとなるが、そんな中でも二人は折に触れて酒を飲み交わすなどしてきたそうだ。


 面白いと思う。アクセリはマルコに従う者たちの多様性が好ましかった。軍人、貴族、商人、村人、犯罪者などと揃いも揃ったものである。かつてダニエル・ハッキネンと白狼君について語ったことがあったが、寓話のそれにしたところでこうも多種多様な配下を持っていたわけではない。


 今、マルコの側は誰がついているだろうかと思う。ジキルローザとクスターだろうか。それとも分かれて待機しているだろうか。あの赤布の九十九騎はどうか。それも直にわかる。アクセリが作戦を成功させたならば彼らは姿を現すからだ。


 期待されている……そう思えば気持ちのいい笑みも浮かぶアクセリだった。


「実際のところ、あれはどれほど使えるのだ? 作戦上は問題ないとわかっているのだが」


 アクセリの問いはオイヴァに向けられたものである。


「ん? 大人しく使う分には普通に使えるぞ? まあ、耐久性には問題あるけどよ、それも補強すりゃ何とかなるんじゃねえかな。どうして今更そんなことを?」

「いや、その工法にふと興味が湧いてな。事前に材料を全て用意しておいて一気に組み上げる……発想としては護衛団時代の簡易馬防柵と同じだが、設計といい規模といい桁が違う。家や橋、砦などにも応用が利くのではないか?」

「応用も何も、もともとそのための工法なんだよ。前の戦争ん時に色々と焼かれちまったろ? それを何とかしたくて考案したんだとさ。まあ、雇い主が領地おん出されちまったんだから、復興には活かせなかっただろうけど」

「成る程な……俺は技術者について詳しく知るところではないが、その志の見事さは今の話だけでも理解できる。今回の作戦は不本意であったかな?」

「いや、そうでもねえよ。この工法で船ってのは考えたことがなかったらしくて、やたら楽しんでたな。どういうわけか設計の過程で折り畳める椅子だの、小さく折っておける傘だのも出来てきてよ」

「……前言撤回だ。技術者とは早々に理解できる人種ではないようだ」


 視線を船工場の方へと向ける。その奥は余人の滅多に近寄れない魔窟だ。


 何をどうしたらそんな音が出るのかという怪音を日夜響かせていて、時に高らかな哄笑や悲嘆の絶叫も聞こえてくる。オイヴァなどは平然と出入りしていたが、それは彼も鍛冶職人という一種の技術屋であるからだろうか。


 些かと言わず常軌を逸した技術屋集団……彼らはかつてヒルトゥラ家に囲われていた面々である。素性不明で社会性に欠け、何の役に立つのかも定かでない者たちだが、自分たちを集め援助していたヘンリッキ・ヒルトゥラへの思いは確かだった。忠義とも友情とも微妙に異なるその心情は、ある種の家族愛ですらあるのかもしれない。


 ヒルトゥラ伯爵家の消滅と共に何処かへと離散していたものだが、ヘンリッキがマルコによって引き立てられた今、彼らは恩義を感じてか再び結集したのである。


「しかし五日で全艦出航とはな。知らぬ者には魔法で船が生まれるように見えるだろう」

「それでそんなに喜んでるのか。てっきり、南下した後のことかと思ってた」

「それも楽しこれも楽し、さ。俺は驚くことも大好きだが、驚かせることも大好きでな」


 片目をつぶってやったなら、オイヴァは嫌な顔をして、ベルトランは鼻先で笑ったものだ。アクセリもまたニヤリとする。


 これでいい。この気持ちのいい男たちと仕事をしていくことは喜びである。


 マルコに従う者は誰もが己の本分を弁えていて誇らしげだ。何もかも意見が同じというわけではなく、しかし認め合って、マルコという巨人の一部として機能するのだ。


「さあ、では順次出航するかな? 戦争を他人事とする者たちの目を覚ます船旅に」


 アクセリは宣言したならば、それは第三王女親衛団の出撃を意味する。


 五隻の軍艦は即座に大河へと漕ぎ出したわけではない。一隻ずつ、これでもかというくらいゆっくりと、直線上の拡張水路を進んでいく。


 しかし五隻は五隻のままでは進まないのだ。一隻の船尾からは太い鎖が伸びていて、真新しい大型船の船首と繋げられている。その大型船の船尾からも鎖が伸びて、やはり新たな大型船へと次々に連結していく。軍船一隻につき十隻の新造大型船が連なるのだ。


 その大型船はどこから現れた? これまでどこにも姿のなかったそれらは、どのようにして現れ、かくも悠々と水上を進むのだろうか? 不思議なのだろう、町が騒然としている。


 アクセリはそれを楽しんだ。見ろ、見るがいい。そして喧伝するのだ。これなるは第三王女親衛団の大船創出の奇術である。一隻、また一隻と現れる光景を歌にでもするといい……アクセリは即興に歌った。



  親船子船、連ね連ねてどこ行くものぞ。

  魔法の工場が生んだ子なれば、その行く先は不思議の水面。

  腹に大軍抱えて行けよ、南へ南へ、兵馬の巷へ。

  誰も彼もが注目すべし、遠くからも来い、近くからも来い。

  親船子船、連ね連ねて南を討つぞ。

  誰も彼もが瞠目すべし、戦争が来るぞ、戦争が来るぞ。



 そして五日が経ったならば、東龍河の水上には五列五十五艦もの船が並んで周囲へと威容を示すのだ。

 

 しかも列ごとに掲げる軍旗が異なる。アクセリの乗る総旗艦の列には白く流れる第三王女親衛団の旗が掲げられて水上の風に長くたなびいている。あちらの列にはサルマント領軍の旗が、そちらの列にはペテリウス領軍の旗が見える。ヘルレヴィ領軍の旗もユリハルシラ領軍の旗もある。


 一隻につき六百から八百の兵が乗ることのできる規模だ。最大数で数えたならば四万四千もの兵力を輸送することのできる大船団である。中型船、小型船も数えたならば更に数は増す。


 それはまるで、先に帝国侵攻軍が王都を目指した姿そのものだ。


「全艦、微速前進。まずは弓張原を目指す」


 大船団は大河の流れに少々逆らいすらして、ゆっくりとゆっくりと南下していく。


 左方、東岸にはアハマニエミ領が広がっていて、早くも斥候が何騎も姿を見せたり駆け去ったりしている。反応は上々だ。どうせならばあの歌も流行ればいいと思うアクセリだが、流石にそこまでを確認する手段はない。


 水上は平穏にして周囲の地を震撼させる航路……弓張原が近づいた時などは見物だった。


 以前であればそこら水域には東岸からアハマニエミ領軍やパルヴィラ領軍の軍船も姿を見せていたはずだが、アハマニエミ領騒乱の影響から警戒兵力も少数となって船を出してくることがない。竦んでしまっているのだ。それでも弓張原大陣地からは警護の中型船が幾艘も現れた。


 これほどの規模となると全ての艦を接岸させることは難しい。大陣地へは中型船の往復が実施された。碇を下ろして停泊する大船たちの姿は、対岸からも、南のカリサルミ領軍陣営からも遠望することができるだろう。そして易々と手出しのできる数ではない。


「見事な船団ではないか。味方と思えば頼もしいが、敵としたならばさぞかし恐ろしいだろうな。まるで五匹の龍だ」


 真っ先に出迎えてきたのはレオ・サルマントだ。とっておきだという酒を持参して、アクセリと堅く握手などしたものである。しかし伯爵のその笑顔にも、アクセリの笑顔にも、どこか不自然さがあったかもしれない。


「それはそうと、アーネル卿。私が送った招待状について確認したいことがあるのだが?」

「はて、いつのどれについてでしょうかな? 軍務多忙の日々を送る身なれば、偶さかにも晩餐会だの観劇だのといったものに出席できるわけもなし。閣下もおわかりでしょうに」

「そうだな。卿が剣をもって鼻っ柱を叩き折ってくれたところの我が末娘なのだが、この三年間というもの、私に寄越す書簡の全てが卿についてのことばかりでな。いい加減にしてほしいというのが本音なのだ。最近は王都近くにいたのだろう。会えたろう。会え」

「はっはっは、無茶を仰いますな。私は町にも滅多に近寄りませんでしたよ」

「知っている。仮設駐屯地に篭っていたそうだな。しかも警備を厳にして娘を近寄らせなかったという。そのくせ、若く綺麗な娘が一人、卿の天幕を訪ねたと聞いているぞ」

「はっはっは」


 握力とは双方が力を込め拮抗したならば、どちらも痛くない。しかしそれが故に力の抜きどころが難しい。不用意に脱力したならば激痛が襲われる。これは戦いだった。


「素晴らしい船団ですね。一列に我が領軍の旗が掲げられていることが何とも誇らしいです」


 そう言って近づいてきたのはヨウシア・ペテリウスだ。好機である。アクセリは若き伯爵に握手を求めることによって虎口を脱した。求められた側は少し照れたようだった。


「オタラ殿の姿が見えないようですが」

「船に残り、鎖の点検をしておりますよ」

「そうですか……残念です」


 本当に残念な様子だった。


 オイヴァは弓張原会戦にてこのペテリウス伯爵の名代として一騎打ちを行っている。そこで何かしら感化したものでもあったか、あるいは大きな信頼を勝ち得たものか、四侯六伯の一人をしてかくも切なげな顔をさせるとは中々のものだとアクセリは評価した。こちらはサルマント伯爵父娘につきまとわれているのだが、と思う。


「ふむ、この男に尋ねてみてはどうかな? これで第三王女親衛団の団長を務めている」

「そうか……そうですね。アーネル殿、一つお尋ねしてもいいでしょうか」


 伯爵位にある者が二人して話を振ってくるのだ。誤魔化す理由がない以上、断りようもない。アクセリがどうぞと言ったならば、真剣な眼差しをもって若き伯爵は問う。


「武を扱う者が暴に堕さないためには、何が肝要でしょうか?」


 アクセリは問われて成る程と思ったものだ。その問いを受けるべきは確かにオイヴァである。


 武力と暴力とはどちらも力であって本質的には変わるところなどない。少なくとも殺される人間にはどちらであれ死は死としてやってくる。その一方で、見るものには両者の違いはあるのだ。ある者が目を背けたくなるような乱暴を振るう一方で、ある者は人を斬っておいてなお清々しさを身にまとっていることがある。


 アクセリが後者の例として真っ先に思い浮かぶのはオイヴァだ。あの大男の剣には清らかさがある。


「暴力とは見苦しく、武力とは美しいものです。そうですな……美しき武人とは、思い切らない者なのかもしれません。オイヴァは実に見事な武人ですが、剣を振るう前後に相手を断じ見下すというところがありません。斬れば見下ろすことになる相手をも、誰であれ対等に見て剣を振るいます。剣を交えて友情を育むといったことも彼ならば可能でしょう。あれは天性のものですな」


 天性、と呟いた伯爵の顔には影がある。アクセリは続けた。


「彼は大男ですが稚気を保持しているとも言えますな。剣を習いたての少年のようなところがあるのですよ。それがない私などは、機知を大事にしております」

「機知、ですか」

「はい。笑いの心ですよ。オイヴァは人情家として大いに笑う。私はそうでもないが機知に富んでいるので笑いを作りそれを楽しむことができる。経過は違えども清々しいものですよ。残虐に端を発する笑いとは悪酔いしますからな」


 紡いだ言葉には何かしら若き伯爵の胸を打つところがあったようだ。礼を言い、健気な真面目さをまとった青年は自らの陣中へと戻っていった。静かにそれを見送った。


「……上手く言ったものだな。卿ならば察するところもあったろうが」

「嘘は言ってないので許されるでしょう。潔癖に武を求める心はそれなりに尊いものですからな。苛酷な戦場における暴の威力を知らぬままに過ごせるならば、それは幸い。美しく死ぬことよりも醜く生き残ることを選ぶ……ペテリウス伯がそんな死地に彷徨うこともありますまい。もっとも、オイヴァはその死地ですら武人でしょうがね」

「卿はどうかな?」

「死地は避けるし、いざとなれば名誉も何もかなぐり捨てて逃げるのみですな。私ほどになるとそれすらも楽しめます。つい先日も思わぬ苦境から慌てて逃げ出しましたよ。例の美人にえらい目に合わされましてな」


 相手を引き攣らせる談笑をしつつ、アクセリは大陣地の司令本部へと向かう。慌てることはない。ここで大船団は十分に注目を集めなければならないのだ。


 南部は動揺するだろう。情報が飛び交うだろう。アクセリはやはり思う。そこに歌を差し込みたいものだと。


 西を見る。


 大船団が再び出航する時、マルコは現れて南部に広く火を放つだろう。誰も彼も逃れようもなく炎に巻かれることになるだろう。そこには武も暴もどちらもが当然のようにしてある。


 マルコの配下にオイヴァとベルトランがいるように、まるで荷車の両輪のようにして、凄まじい力を世界へと発揮するだろう。善悪も美醜も超越したところにマルコの威力とは在るのだ。


「忙しくなる……それはまさに望むところのものだ」


 アクセリは笑う。それがどういった性質の笑みであるかは誰の知るところでもなかった。

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