第8話 酒の上の戯れは無礼講で
「いや、謙遜には及ばない。ここは良い村だと思う」
村長ヘルマンにそう言っておいて、アクセリは口の端をニヤリと歪めた。少年マルコもまた澄まし顔に仄かな笑みを生じさせたようだ。夕餉の終わった村長宅の卓上にはささやかな酒肴が並べられており、年代も様々な3人の人間は、揃って橙色の燈明に照らされている。
「ざっと見させてもらったが、やはり麦畑がいいな。あの分では次の年貢も支障あるまい。冷害に泣く村々ばかりというのに優秀なことだ。何か秘訣があるのかね?」
「秘訣というほどのことは何も……強いて挙げるのなら地虫でございましょうか。ここは北の山地にも近いので黒土や灰土を運び入れやすく、それに含まれる地虫も多少の瘴気にはビクともいたしませぬ」
会話はアクセリとヘルマンとの間で行われている。特にアクセリが話を振らない限りは、黒髪碧眼の少年は静かに聞き入るばかりだ。
「なるほどな。しかしどんな土であれその性能を活かすだけの堆肥があってこそとも聞く。この村ではどうやってあれほどの家畜を維持したのだ? 近年は多くの村で飼料の確保がままならないのだが」
「我が村とて全ての家畜に冬を越えさせられたわけではありませぬ。風向きか土か……多少とも得られた牧草を大事にし、村人揃って雑麦のパンを齧って耐え忍んだ今にございます」
「楽をしたとは言わんし、その言葉をそのままに飲み込んでもいいのだが……しかし、それはどうだろうな? 何もかも暴露しろとは言わんが、虚偽は村の為にならんと言っておこう」
強い言葉を発したアクセリだが、村の調査は無論のこと徴税の下調べを兼ねており、下手な壮語がそのままに増税となることを恐れる気持ちは理解していた。特に辺境の村々には「自分たちは王の助けを借りずに荒野を開拓したのだ」という気概があり、支配は受け入れつつも調査や介入を忌避する傾向が強い。
アクセリの見る限り、キコ村の豊かな理由は運でも立地でもない。実績の上で考えても、村の中を見た印象でも、この村が確かな実力でもって豊かさを生み出していることは明らかだった。しかし何故かはわからない。何があるというのか。
(何があるのかはわからないが……その何かを村にもたらした人間は、まず間違いなく、この少年なのだろうな。はてさて、どこまで教えてもらえるものやら)
視線の先で涼しい顔をしていた少年は、僅かな動揺も見せず、卓上の小皿の1つを手の平で示した。刻んだ根菜が酢液に浸かっているものだ。アクセリは見知らぬもののために未だ食していなかった。
「まずは食べてみてください」
「ふむ……少々酸いが歯ごたえは悪くない。知らない味だが」
「クワンプです」
言われてギョッとしたアクセリである。軍人であれば「長戦場の馬餌」として知る名前であり、それは冬場の雑草であって、春の盛りに酒肴で食するものではない。改めて咀嚼してみる。お世辞にも美味いものではないが、しかし不味くて食べられぬというものでもなかった。そんなところへ子供の透明な声が聞こえてくる。
「新鮮な内ならばもう少し美味しくできるのですが、それは漬物にしておいたのを水で戻したものなので、それ辺りが精一杯です。ナルコマやパック草よりも面積当たりの収穫が見込めますから、人にしろ家畜にしろ飢えを凌ぐには役立ちましたよ」
「それは……しかし、馬はともかく豚や鳥はこれを嫌おう?」
「はい。それも工夫次第ですが……まぁ、人間が我慢して食べれば、その分他に回せますから」
「……なるほど、1つの種明かしというわけか」
更に少年の声は続く。
「また、軍馬用途以外の馬……矮馬の飼育にも使っています」
「ほう? この村ならば牛馬を労働に利用することなどわけもあるまいに」
「節約できるところを節約し、それを村人の努力で補っております……ということにしておいてください」
「……は?」
「矮馬とはいえ馬肉食を常のものとしていることは秘密にしたいのです。馬産地の端くれを担う1村として、馬商人に睨まれてしまっては悪影響しかありませんから」
「そうか……戦場ではままあれど、日常においては忌む者もいるのだな」
「ご配慮いただけると助かります」
ヘルレヴィ伯爵領から産出される馬は軍馬として人気が高い。瘴気濃度と寒風の絶妙が馬に作用するものか、勇猛で争いに強く、戦場へ出すには最適だからだ。それと矮馬とを比べることは高級絵画と落書きとを比べるに等しい……少なくともアクセリら軍人はそう考える。矮馬は名の通り小さくずんぐりとしていて、気性も気まぐれで扱いづらい。粗食に耐えることのみが家畜としての長所か。
(軍馬を育成し売却するよりも優先する理由……クワンプも併せると一応の筋は通るか?)
アクセリは少々の引っ掛かりを覚えた。違和感が戻ってきたのかもしれない。
(この村は……そうだ。この村に感じられる奇妙は、つまるところ統制だ。まるで前線にあって軍政を敷かれているかのような統制が感じられるのだ。日々に一喜一憂する者の集合体ではない。強力な筋道を作った指導者がいる……そしてその者は冷害や不作を予測していた? そうでなければ説明がつかない)
そして見やるのは、やはりその少年だった。
子供らの中にあって目を惹かずには置かなかったその存在感こそ、正しく指導者の資質といったものではなかったか。事実、子供らの不可思議な遊戯は全てこの少年の発案によるものだという。この村へ来て1日、たった1日だ……アクセリは思う……その間に見聞した全ての驚きの中心にこのマルコという少年がいるではないか、と。
「ところで、爪切りを貸してもらえまいか。少し割れてしまってな」
アクセリのその言葉への反応は分かれた。ヘルマンはギョッとしたようになり、マルコはその顔に喜色を露にしたのだ。「僕が」と言って席を立ち、持ってきたのは爪切りと爪やすりである。
「良い品だな。この形状の爪切りは領都でもそこそこ値が張る。しかしこの村では各家庭に普及しているようだ。染め織物もしかり。これは私見だが、集団の生活水準とは女性を見れば大方が分かるものだ。特に手だな。あからさまなほどだよ……この村には計上されていない金銭収入がある」
持ってこさせた手前適当に己の指の爪を磨きつつ、アクセリはヘルマンとマルコとを交互に見やった。初老の男の顔には強張りがあり、それは彼が警戒感を強めたことを示している。片や、幼さを残す少年の顔に浮かんでいたものは微笑みだ。しかしその眼光が凄まじい。
(まるで獲物を認識した猛禽だな。一挙手一投足の全てを把握する……いや、違う。違うな。もっと獰猛で遠慮が無い。鋭いだけでなく深い。俺という人間の内奥まで全てを見極めようとしている)
表情の一切を変えず鎧ったまま、アクセリは卓下で見えない下半身に力を込めた。意図して肩の力を抜き、眉間や頬を緩める。舌下に溜まる唾液は飲み込まない。音を立てずには飲み込めないからだ。
灯火に誘われた虫の羽ばたきが不規則に鳴ったり途切れたりを繰り返している。今や橙色の暖かみは感じられず、アクセリの視界には碧色の瞳ばかりが遠くか近くかも定かでない圧力でもって在った。何か魔力めいたものが放射されていると言われたなら、そうであろうと納得してしまうだろう。
「中尉殿には将へ至る才がおありのようです」
そう呟いて酒を勧めてきた少年を、その不躾な発言を、アクセリは咎めることはできなかった。そんな心の余裕はなかったし、何より、物理的にも言葉を発せられる状況になかった。口内の容積と不快感との限界に挑戦させられていたのだ。涼しい顔で酒を杯に受け、努めてさりげなく口元へと運ぶ。杯を戻さないままに2口を啄ばみ、3口目でぐいと呷った。杯で隠れている間に鼻で息を整える。
気構えを新たにして杯を置いてみれば、そんな自分を捉える眼光は鳴りを潜めていた。己が試されたことを察しても、アクセリは憤怒どころか奇妙な満足をさえ感じていた。彼は既にして少年に少年以上の何かを見出していたからである。
「……酒の上の戯れとして、公とは別の私として、聞きたい」
断りを入れてから、問う。
「将へ至る……とは、つまり未だ至っていないということだ。君の目に映る俺には、一体、何が欠けているのだろうか?」
「忠義です」
鼻白むほどの即答だった。そして否定することができない。
「兵法を知る様子の貴方です。将に必要な才をつらつらと並べ立てることはしません。しかしその全ては仕えるべき主を持って初めて生きるもの。己を主とし、己の裁量で行う諸々は、どこまでいっても己自身に帰結する私事に過ぎません。人はそれを趣味と言います」
サラサラと辛辣を言い放って、少年はツイと酒盃を口にした。悪戯な眼差しが閃いている。
「己の才を趣味に費やす貴方には気概がありません。兵の命を背負うつもりも、主の命運を担うつもりもないからです。見える全てを他人事にし、己のみは整えたつもりでいます。そして悦に入るのです。人はそれを自慰と言います」
ニヤリと口を歪めた笑みの、何と淫靡なことか! アクセリは背筋に物凄まじい何かが走るのを感じた。胸の内には激しい何かが沸き起こり、グッと息がつまる。そこへ結論が放られる。
「枝を選ぶか、爪を捨てるか……半端者は止めることです。カッコ悪いですよ?」
妖しい笑みを一瞬深めた少年だが、杯を呷った後は何事もなかったかのようにすまし顔へと戻った。ビチっと弾けた音は虫の衝突音か。熱にやられた羽虫が卓上で音もなくもがき、そして動かなくなった。
静かに突き出されたものがある。アクセリの手に持たれた酒瓶だ。少年と村長とがそれを受ける。アクセリは己の杯にも酒を注いで、それを軽く掲げてみせた。
「金言を頂戴した。キコ村の平穏と発展を祈念する」
3人で呷った酒が、3人の咽を滑って落ちて消えた。
「……やはり、ここは良い村だな」
アクセリが締めとばかりに話し出す。
「金を生じせしめる要因が村長のご子息であり、その者の年齢が8つであるのならば、もはや何を言うべきにもあらず。納税の義務が生じるのは12歳になってからだからな。巡察官たる私は次の徴税に期待がもてることと、それがクワンプを利用した急場の対処の結果であることとを報告するとしよう」
話はそれきりだ。夜は充分に更けており、人であるのなら身を横たえて瞼を閉じるべきである。
客室への案内や寝床の支度、洗口の水の用意などを手際よく行ったのはハンナという村娘だ。その彼女が少年に対して恭しく接するのを目にしたアクセリは、1つだけ尋ねた。答えを期待したわけでもない質問だ。就寝前である。醒めやらない興奮を吐露したかったのかもしれない。
「マルコという少年は……あれは何者なのだ?」
毛布を伸ばしていた娘は、迷うことの無い瞳でもって、告げるのだった。
「坊ちゃまは“運命”です」
アクセリは笑った。童占いとは今のソレだ、と。待ち望み、探し続け、期待していた何かは少年の形をとって己の前に現れたのだ……そう確信したのだ。正に運命だ、己の人生の今日以前と今日以後とは否応なく変わるのだ、と。
アクセリ・アーネル。
アスリア王国の下級貴族に出自を持つ。王都軍学校にて優秀な成績を修めるも戦況の悪化から前線へ送られた。適応力の高さから様々な戦場に補強要員として転戦させられ、そのいずれにおいても堅実な成果を上げた。“聖炎の祝祭”以後は軍学校への復学を希望するも叶わず、後方勤務を厭わぬ姿勢からヘルレヴィ領軍への転属となった。
そして“運命”に遭遇し、その名はマルコ配下の主要将軍の1人として知られることとなる。
知勇兼備の将にして内政にも謀略にも鋭い手腕を発揮する万能の人で、マルコの信頼も厚く、その功績の多くを半ば独立した別働任務において打ち立てた。実際に独立を画策していたとする説もあるが、その一方で、副官に語ったとされる言葉も残されている。
「己の分相応を知り、己以上になることを厭う俺には、王の才などない。働き者だが怠け者なのだ。遣り甲斐のある仕事さえあればいい。先頭きって歴史を創るなど御免こうむる」
嘘か真かは知れない。しかしマルコの偉業を語るその時に、アクセリ・アーネルの名を伏せて語ることなど不可能というほどに“仕事熱心”ではあったのだ。その活躍の足跡は多岐に渡るが、多くの歴史家が彼とマルコとの関係を語る第一歩として挙げるのが「辺境巡察官」としてのキコ村巡察である。それ自体に意味を見出さなくとも、その後に続く第二歩目が重大でありすぎるため、注目されるのだ。
巡察を終えたアクセリが再びキコ村を訪れた時、マルコの名は歴史上に初めて登場することとなる。そしてそれはアスリア王国にとってもエベリア帝国にとってもその運命を大きく変動させた始発点として、長く長く伝えられる日となるのだった。




