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第80話 夜雨の中に互いを見合えば

 仮面に涼やかな風を受けて、ギリーは騎馬の移動を楽しんでいた。三千騎からなる軽騎兵の行軍である。ぶつかる敵がいるでなし、縦長に伸びた集団は一騎ごとの距離も遠く、その中ほどに位置していても窮屈ではないし視界も広い。そこから見る世界は懐かしくも新鮮という、不思議な魅力を備えている。


 草原は土色に枯れて緩やかにうねり、点在する木々は群雲のようにして起伏を誤魔化し、遠くどこまでも続いていく。霧がかかっているのだろうか。彼方は曖昧に消えているからむしろ誘われる。その奥へ先へと無心に駆けていきたくなる。足元を見れば岩石の色々があり、空を見上げれば曇天が青を隠して雨すらも予測させるが、しかしそれらのことはギリーを気落ちさせない。そんなものだと知るからだ。美しく駆けやすいばかりの草原など幻想の中にしかありはしない。どうしてかそう納得している。


 ふと右後方へと顔を向けたのは、ギリーにしても説明のつかない感覚だった。


 熱さだろうか。感情の好悪では判別のつかない、不安とも期待とも知れない何かが俄かに心を染めて、僅かに高まる鼓動をもってギリーに状況の変化を教えていた。このままには済まない事を、何かが起こることを予感させていた。


 看過できない。武装して戦場にある際には神経質なくらいで丁度いい。惰性で何事も進められる日常とは大きく異なるところだ。鈍感は戦士を殺す。そういう空気を呼吸している。


 とりあえず斥候を放ったものだろうか……己の自由にできる百騎の内の一騎へ手信号でそれを命じるべく、ギリーは手綱から手を離した。その左手を慣れた手つきで掲げて、しかし逡巡すること数瞬、何を示すこともなく降ろして手綱を握り直した。それを問い質したり、そのことで不安を抱くような部下はいない。淡々として冷徹な男たちがギリーに従い駆けている。それでも不思議そうな視線はやはり集まっていた。改めて現状維持の手信号を送る。送りつつギリーは集団の前方を見やった。


 この三千騎の指揮を執っているのはマルガレータである。


 アスリア王国第二王女でありながら、王位継承権を含む多くの特権を失った女だ。いずこかで若隠居を決め込む分にはそれ相応の暮らしもできようものを、この三年間を軍人錬成に費やして、今や三千騎の先頭に隻眼の将として在る。飾りではない。いちいちに未熟はあるものの軍才を有することは明らかであり、ギリーの調練を受けることでその才は大きく開花している。


 足りないのは実戦経験だ。ギリーの見たところ覚悟も気概も充分すぎるほどであり、必要な努力は常に支払われていて怠りもない。あとは実際に戦ってしまえばいい。それだけで相当の武将に仕上がるだろうと思われた。


 彼女の手が上がった。 


 示されたのは進路変更である。どうやらユリハルシラ領侵入の北限をこの辺りと見極めたらしい。もう領境からは随分と遠い。村は焼いたものの充分に掠奪をする暇はなかったから、携帯する食糧から考えても妥当な判断と言えた。今少し進めば別の村もあろうが、手段と目的とが逆転してしまっては愚の骨頂だ。馬を停めての休憩はしないようで、ギリーはそれを正しい判断だと考える。ここは敵地で、現状は孤軍の三千騎である。敵戦力から遠いとはいえもう少し戻ってからにしたほうが安全だ。


「さて、どうなるかな」


 ギリーは粛々と指示に従いながら、今度は左方となった方角へと顔を向けた。奇妙な予感は既に去り、そちらを眺めたところで何が見えるということもない。しかし地平の先には南北会戦の地、弓張原があるのだからおおよその見当はつこうというものだ。こちらはわざわざ手間をかけて家屋を焼き、派手に狼煙を上げている。討手の一つも差し向けて貰わなければ労に合わない。


 付け火なのだ、これは。終わり方まで取り決めた行儀のよい戦争を無理矢理に乱して、暴力による政治の混乱を現出することを目的としている。細かな理屈や大義名分は勝てば後から幾らでも考え出せばいいし、負けたならば考える必要もないことだ。そもそもからして、計画の発案者は南部の勝利をすら重視していないとギリーは知る。南部三伯の内の誰一人として知らずとも、ギリーだけはそれを知るのだ。


 マルガレータはマルコ・ハハトを殺すことしか考えていない。後のことは全てが瑣末だ。マルコ・ハハトを殺すために必要か否かでしかない。彼女はそこまで思い切っている。今日に至る三年間はその身命を英雄殺害の刃として磨き上げるための期間だった。


 どうしてと問うつもりなどギリーにはなく、どうやってという部分にのみ協力してきた。中々に馬が合うものだった。マルガレータは状況を作ることにおいて目を見張る思考を見せ、ギリーは細部を完成させることにおいて見識を示した。一人の英雄を……機動戦闘を得意とする男を殺すための戦術は、どうしてかギリーの脳内から湧きに湧いたものだ。説いたギリー自身が驚いたそれらは、マルガレータへの教育としても大いに役立った。結論として五分での殺害は困難との予測が立ったが。


「マルコ……マルコ・ハハト……ハハト将軍」 


 声を出さずに口を動かしてみる。男の名を繰り返してみる。ギリーには地下牢で目覚める以前の記憶がないから、かつてその男と関わりがあったかどうかを判断することはできない。もはやそのことを惜しむも怪しむもない心境を生きているが、それにしても不思議と心に残る名前のように感じられた。槍の穂先に男の感触を味わったなら、また別の不思議もあるのだろうかと淡く思う。相手もまた槍を使ってくるだろうとの確信があった。


 さても、未だ軍旗も掲げぬ三千騎の騎馬行軍である。頬を撫でる風にギリーは心地よさを覚えない瞬間とてない。過去の何事もわからない身の上だが、それはいっそ身軽なもので、このまま風の中に透明でいることも愉快だと思った。仮面を通して見る世界は随分と把握しやすく軽快だ。


 方向を転じてからどれくらい駆けたものか。幾度かの休憩を経て薄闇の迫りつつある曇天の下、マルガレータの手信号が列を整えることを命じてきた。予定の位置からするとまだ遠いが、それは集団の先頭を行く者の鋭敏が何かを察知させたのだろうとギリーは判じた。進行方向には枯れ色混じりの草の原が続いているが、散在する林が多く、岩場もまたそこかしこにある。駆けにくさを嫌って列を細めるものだろうか。


 いや、違う。敵だ。これは戦闘態勢に移行するための準備だ。


 ギリーは遠く木々の密度の濃い辺りに風によるものではない枝葉の揺れを認めた。軍がいる。しかもその林を選んだとなれば最大数は相当のものが予想される。位置も厄介だ。ユリハルシラ領軍であろうか。だとすればどうしてそこに伏せている。あるいは別の軍か。だとすればここにいる意味は何だ。ギリーは多くを瞬時に考察し、そして口の端を歪めた。


 さあ、どうするマルガレータ。どう戦ってみせてくれるのだ?


 ギリーはこの作戦において前面に出ることはない。直属の百騎をのみ率いて、残り二千九百騎の戦闘を補助するなり督戦するなり、自由に動くこととなっている。これはマルガレータの初陣であり錬成の一環なのだ。危険はあるが、ここで判断を誤り討ち死にする程度の女ならば、所詮はそこまでである。どう援けたところで英雄に刃が届くことはないだろう。


 さしたる危険もない。多少の想定外があろうとも、状況は不利になりようもないのだ。西の境に仮設砦を築いて駐屯するユリハルシラ領軍五千に対して、南からはエテラマキ領軍三千とカリサルミ領軍五千とが北上の構えを見せて圧力を加えているはずだ。ギリーら三千騎はまさにその後背たる北側から迫っているのだから、最上の状況としては倍して余りある兵力でもってユリハルシラ領軍を包囲することもできる。東の弓張原から軍が進発したとして距離が易々とはそれを届かせない。


 斥候が放たれたが、そのやり様にギリーはほくそ笑んだ。三騎ずつ四十組、二個小隊分もの数を進行方向へ放射状に駆けさせるとは豪気である。主たる兵力は奥の林に潜むとして、周囲の木々の陰にも何かいやしないかと探らせるようだ。こちらの存在を隠すつもりはまるでない。それはつまり、林の兵力はこちらを狙っての待ち伏せであるとの判断に基づいている。ギリーも同意見である。


 速度を緩めて林へと向かうことしばし、どうやら周囲に他の伏兵はいないようだ。それで斥候を戻すのかと思えば、マルガレータは二個小隊にそのまま駆けさせ、奥の林の周囲を回らせたのである。それは偵察というよりは挑発だ。しかも追加の小隊まで用意させている。油と火の指示も出ている。林の中に動きがなければ火を放つつもりなのだろう。そこにマルガレータの個性を感じて、ギリーは仮面の裏側にて目元を細めた。歪み爛れた皮膚が引き攣る。


 マルガレータは強い。彼女は彼女独自の世界を生きていて、他者を駒として使いつつも他者からの理解も共感も必要としていない。だから物惜しみせず果断に富む。見ようによっては、それは英雄の資質というものかもしれない。善悪を超えた威力があるからだ。ギリーと百騎はともかくとして、彼女らにとっては同胞が暮らすところの村々をば、まるで斟酌する素振りもなく奪わせ殺させ焼かせた女である。支配者と被支配者とは別な法度に生きるものとはいえ、それはなかなかに壮絶な在り様だとギリーは思うのだ。己の目的のためにはあらゆる行為が正当化されて当然という認識は、それ自体で既に強さだ。


 そら、その迫力に触発されでもしたものか、兵が湧いて出てきた。


 林から矢を射かけつつ姿を現して、整然と陣立てを行っていくその軍の兵力規模は、ギリーの予想における最大数に近く驚きをもって眺めるものだった。林を背にして正面に槍歩兵の横列千卒、左右にも縦列に千卒ずつ、まるで人と槍の砦のようにして堅陣を組んだ。その内側には弓歩兵が左右五百ずつ隊伍を整えて、中央には重騎兵が五百騎ほども在している。


 合計すれば四千五百ほどにもなる武力集団は、軍旗を掲げる様も堂々として、自分たちが何者であるかを示した。やはりと見るか何故にと見るか、戦気を放つ彼らはユリハルシラ領軍だ。数からして西の境に駐屯していた軍と思われるが、それがここにいる不思議をギリーは推理することができなかった。


 斥候が戻るのを待ち、マルガレータの手が鋭く伸びた。ギリーらに戦闘態勢を取ることを求めたのだ。指の長いその手が幾つかの形を立て続けに表わすが、それは指定の戦列を組めとの命令である。三千騎は千五百ずつの二隊に分かれた。マルガレータは右隊を率いて、ギリーはその隊の末尾に配置された。


「ふ……そうきたか」


 笑いを漏らして、ギリーは馬上に戦意を高めたものである。これは調練で定着させた様々な戦法の内の一つで、堅固な敵を攻めるための代物だ。特に、機動力をもってしても後背を取りがたい時は有効である。今の場合、敵が林を背にしているから妥当かつ適切な選択だが、ギリーはそこにもう一つの理由を察して愉快だったのだ。


「俺を試すつもりか、マルガレータ」


 疾走が始まった。


 二隊はそれぞれ敵の角へと当たる進路を取っている。敵の対応は微調整の範囲を超えないもので、僅かに左右の縦列が伸びて前面を補強した。ギリーはそこにユリハルシラ領軍の練度の高さを見た。小さな動きの中にも集団行動の洗練があり、騎兵の突撃を前にして兵を浮き足立たせない軍律がある。敵の行動に起こされて隙を晒すということがない。


 しかし、それでも崩してみせるからこその戦上手である。練達の戦術はかかる事態を想定し、百錬の戦法でもってこれを打開するのだ。


 左隊は減速し、マルガレータとギリーを含む右隊は加速した。矢の飛来する間合いにあって急激に変化したのである。左へ。敵の左角にぶつかるはずだったものを右角へ。千五百騎の軌道は大きく逆方向へと弧を描き、逸れた。槍の間合いをかすめるような機動だ。しかも出しうる最高速度である。槍を構える歩兵たちには音と風ばかりか熱をも浴びせたのではないだろうか。それは人の本能に死を予感させずにはおかない。視線を誘い、戦気を向けさせずにはおかない。


 だから、隙が生じることとなる。


「吶喊!」


 右隊が敵右方へ駆け抜けんとするまさにその最後尾において、ギリーと百騎は千五百騎から離脱した。騎馬の疾風に撫でられて槍衾の乱れた隙間を、その瞬間の隙を見抜いての突入である。右隊はギリーらを除いて全てがこのための陽動に過ぎなかったのだ。


 穂先を避けた。兵を蹴散らした。壁に楔を打ち込むようにして槍歩兵の戦列を穿つのだ。敵に囲まれ敵を乱すこと数瞬、ギリーは死地における即断を為した。


「抜けるぞ!」


 敵前列の突破を諦めたのだ。堅い。この横列は随分と練られている。そして対応が早い。敵兵の先に覗ける縦列の槍歩兵は、早くもギリーらを封じ込めるべく動き始めている。前列を突破したところで弓歩兵を蹂躙する余裕はないとギリーは速断した。林へ入る手もあるが未知の危険がある。ここは浅くとも早々の離脱をするべきだった。


 ギリーがその馬首を右方へと転じたところで、後方に喊声と共に騎馬の群れが突入してきた。左隊である。ギリーらが衝き、乱し、広げたそこへと時間差で千五百騎が突撃を仕掛けたのだ。本来ならばそれを背に受けて更に堅陣の内側を撹乱するところだが、やはり後続に対しても敵歩兵らが一定の応戦を行っているようだ。ギリーは背筋に寒いものを感じた。そしてそれを味わった。楽しんだ。興奮があった。


 足甲に敵の刃が触れること数回、馬に敵兵の身体がぶつかること無数、最後には勿体無くも槍を投ずることまでして、ギリーは敵左方の縦列を突き抜けることに成功した。そのまま前方へと疾駆して距離を開ける。振り返ったならば同じく抜けてきた百騎がいる。いや、数騎は欠けていた。落馬したのならば助かるまいが、しかし徒歩兵としても十分に戦ってから死んだだろう……一抹の憐憫もなくギリーはそう思う。百騎はそういう者たちだ。そういう者たちしかいない。


 次いで左隊もまたギリーの方へと抜けてくる。やはり突破は叶わなかったようだ。百騎以上は損害を出しただろうか。被害の比率はこちらに有利であったろうが、削り合いになったことは明らかであり、それは敵軍の精強さを物語っている。兵数に優るとはいえ、起こされ衝かれてなお崩させなかったところに確かな実力が感じられた。


 ギリーは左隊を引率する形で合流し、そのまま弓矢の射程外にまで抜けて右へと旋回した。再び敵を右前方に捉えたなら、堅陣を再構築している様子が窺える。不器用で頑なと言えないこともないが、しかし胆の座った態度であることは確かで、やれるものならばもう一度やってみろという気迫が伝わってくる。そして二度と同じ手は通じないだろうと思われた。突入した感触がギリーに知らせたものがある。この軍は恐らく相当に対軽騎兵の訓練を積んでいる。弓射がいま少し正確に集中するのならば、先の突入だとて未然に挫かれたかもしれない。


「……どこかで見たような戦法ではあるがな」


 敵への評価をそれまでに終えて、ギリーは左前方からこちらに駆け来る騎馬の群れへと意識を向けた。マルガレータ率いる右隊である。ギリーらと左隊の当たり方次第によっては、とどめとばかりに彼女らも突入するはずだったのだ。状況から判断してただ旋回するに留めたことは正解である。マルガレータの戦術眼は実戦においても曇らず鋭敏ということだ。


 戦闘中止。合流してこの場を離脱する。


 手信号の伝えるそれらの意思に対して頷きを一つ返して、二隊はすれ違った。交互に機動力をもって敵を牽制し、その間に回収できるだけの味方を回収して、やがて南東へと駆け去ったのである。ギリーの目算ではこちらの被害は百数十騎といったところで、敵の被害はその三倍以上五倍未満といった辺りに思われた。ただ一当ての結果であり勝ちも負けもないが、ギリーはその戦果をまずまずのものと評価した。


 マルガレータは戦える。既に将として優秀だが、その戦術指揮能力はまだまだ伸びる。ギリーの確認したかったことはそれだけだ。他の諸々は別の人間が考えれば済むことであり、仮面なしには生きる立ち位置もない人間が四の五のと頭を悩ませる必要はないのだ。風の如き軽薄軽妙がギリーには許されている。そういう祝福を受けている。


 領境を目指して駆ける。


 とうとう降ってきた雨を戦外套の肩に受ける。仮面が思わぬ防寒性を発揮している。西境の味方は八千の兵力でありながら何をしていたものかと思う。合流するにしてもカリサルミ領でのこととなるが、マルガレータが彼らをどう評価し何を断ずるものか少々の興味があった。彼女の発言力はエテラマキ伯に対して絶対的なところがある。その理由を思えば、中々にギリーを楽しませる風景だった。


 回想は油断だったろうか。次の瞬間、ギリーは全身に鳥肌が立った。


 再びの予感が唐突にやってきたのだ。左頬に火を押し付けられたかのような衝撃を受けて、ギリーは馬上に思わず腰を浮かせた。見開いた目で原因を探る。高低差が多く岩場や崖も見える凹凸の風景が雨に煙っている。どこだ。どこからだ。槍を失っている。腰に佩いた剣を思う。


 いた。それは切り立った崖の岩肌を足下にして雨雲を背負い、まるで武の林とでもいうようにして騎影を広く並べていた。見えているだけでもその数は千を超える。しかし総数は三千なのだろう。ギリーはそれを知る。いや、その者らの武名を知らぬ者などいやしない。


 掲げる旗は遠目に炎そのもののようにも見えて……火撃の騎兵団である。


 マルガレータもそれと気付いたようで、駆けつつも戦列を整えて変化に備えるよう指示がきた。進路は変わらない。警戒しつつもこのまま通過しようというのだ。ギリーはそれをいい判断だと思う。ここはあの難敵に当たるべきところではない。西の境がどういう状況となっているか伝わってきていないし、弓張原の大軍がどう動いたものかも不明だ。それだけでも戦闘を避ける理由としては十分だが、何にもまして重大な事実があった。


 勝てない、今は。


 ギリーの知り得た情報を分析し、胸にざわめく戦人としての直感と併せて見極めたならば、現状の戦力では火撃の騎兵団への勝算が立たないのだ。特に遭遇戦は最悪だ。機動戦闘で拮抗することはできたとしても勝利を決定付ける何かに欠けている。ましてやマルコ・ハハトを討つことなど至難を超えて不可能に近い。犠牲を大盤振る舞いしたところで本命に逃げ去られる結末しか思い描けない。


 炎が揺れた。目の離せない崖の上で、雨に消えることもない武威の火炎が……見る者を圧倒し魂を焼くかのような迫力を持つその旗が、大きく左右に振られたのだ。意味するところは挑発か。それとも挨拶とでもいうのか。ギリーは目に入る雨も忘れて、瞬きの一つもなく、それに見入った。闇が濃さを増し全てが暗闇に滲もうとする中にあって、ただそれだけが光っているようにも見えていた。


 雨風に強くはためく音がして、ギリーは自軍の旗が掲げられていたことに気付いた。それは驚くべきことだった。この侵入は所属を伏せての作戦である。混乱を増幅するためにそうするのだと説明したのはマルガレータ自身であったのに、今、彼女は返礼として旗を振らせたのだ。倒すべき敵へ自らの存在を誇示するようにして。酷く親しげに、恋するようにして。


 旗は振られる。黒一色の中に白く半月が輝くそれは、黒夜片月の軍旗。


 南部においては“冷月”の騎兵団とも呼ばれるこの武装集団は、その存在意義をつきつめたならば、つまりはアスリア王国第二王女親衛団である。エテラマキ伯の全面的な支援でもって実現したところの、マルガレータのためだけに在る軍だ。


 この邂逅は起こるべくして起きたのだろう。ギリーは二つの旗をそれぞれに見た。どちらも英雄の旗だと思う。マルコ・ハハトという英雄が強烈であればあるほどに、それを討つためにのみ生きる者もまた強力となるだろう。尋常を超えていくだろう。それはやはり英雄に違いない。


 遠ざかる。旗と旗とは互いにその存在を認め合うことのみをして、雨の垂れ幕に遮られるまま遠ざかっていく。いずれまた会うだろう。その時には槍を持っていたいとギリーは思う。きっと激しい出会いとなる。素晴らしいものとなる。頬が引き攣る。笑みが浮かぶ。


「愉快な世界だ。生き甲斐があるな」


 仮面のギリーは愛馬のたてがみへとそう呟いて、領境を南へと駆け抜けたのだった。

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[一言] 黒蛇とマルガリータの組み合わせは興醒め 女が3年で軍略も武力も鍛えれんやろ
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