第75話 南の軍が山脈を模すならば
広大無辺の蒼穹で視界を一杯にして、若き伯爵は完全武装の自らを思う。
「秋は戦の季節、か……うん。確かにそういう空をしているな」
セヴェリ・カリサルミが馬上にて言葉を唱えたならば、周囲の者たちもまた一様に空を見上げていくのだ。感銘を表わす吐息や呻声を耳に聞く。純白に統一された戦外套と馬装いが黄金色の組紐で飾られて勇壮なる様を目に見る。セヴェリもまた息を吐いた。それは胸に高まるものを漏らして満足を表明していた。
見渡したならば林立する槍の鋭利とはためく軍旗の高潔とが広がっている。国王の葬儀から三年が経過してようやく喪の開けたこの年、この季節、今日この時のために作り上げた新生カリサルミ領軍である。槍歩兵四個大隊四千、弓歩兵二個大隊二千、剣歩兵一個大隊一千、そしてセヴェリと彼の親類友人の属する重騎兵一個大隊一千だ。他に軽騎兵二個大隊二千も合わせ、合計一万になる。一個師団の編成だ。
その軽騎兵はセヴェリから見て左手の先に整然とした陣形を整えている。セヴェリら八千と軽騎兵二千との間にも三千からなる一軍があって、真新しくも格調高い軍旗を掲げている。多種の草木を多彩な刺繍で表現して、その中央には真っ白な剣狼の横顔が大きく在って威風を放っている。これぞ草原白狼の印章、その示すところは寓話世界の英雄たる白狼君だ。セヴェリの理想と栄光を体現すべく……名もそこからとって白狼騎士団である。
「……素晴らしい心地だ。男子の本懐とはこれなのだね」
この発言については笑顔と意気が応えられた。覗かせた稚気に周囲が和むことを感じて、セヴェリもまた笑む。頼もしくも誇らしい空気を呼吸した。伯爵家の当主として軍を率いる感触は素晴らしかった。父の下について見る風景とはまるで違う。世界が華やかな色彩でもって自らに微笑みかけているように思えた。
草の原には王国貴族の歴史絵巻が展開しているかのようだ。ここはカリサルミ伯爵領とユリハルシラ侯爵領の東の境にして東龍河の西岸、弓張原平原である。アスリア王国の未来を決するための戦場として選定された土地だ。事前の協議により南北それぞれ上限を五万として軍勢を用意することとなっていたが。
セヴェリは込み上げる悦を楽しんだ。数にして九千もの開きがあると知っているからだ。
南部の軍勢においてカリサルミ領軍及び白狼騎士団は左翼に位置している。最左翼から軽騎兵二千、白狼騎士団三千、カリサルミ領軍八千の計一万三千で左翼軍を形成しているのだ。右翼はといえばエテラマキ領軍及び圭丸騎士団が同数にして対称的な布陣をもって右翼軍を成している。
中央にはアハマニエミ領軍九千が分厚く歩兵の横陣を敷いていて、左右両軍との間には広く距離を開けている。その空間を前に見て、後方に歩兵主体の軍が五千五百ずつ整列している。パルヴィラ領軍だ。必要に応じて前進するか、あるいは後退してくる前方三軍に代わって踏みとどまるか……そのようなしぶとい戦いをするための配置である。アハマニエミ侯の意向によるものだ。最後方にはアハマニエミ領軍の軽騎兵二千とパルヴィラ領軍の軽騎兵二千が予備軍として待機する。
総計したならば五万という大軍だ。指揮権から内訳すれば、セヴェリ、エテラマキ伯、パルヴィラ伯がそれぞれに一万三千を率いている。南部の代表であり総指揮権を有するアハマニエミ侯が率いる軍は一万一千と最も少ないが、これには仕方のない事情があった。
この三年間で南部の一侯三伯はそれぞれ一万五千の領軍を有するに至っているが、アハマニエミ領軍の残り四千は今、王都付近にて東龍河対岸の危険な一軍を警戒しているのだ。第三王女親衛団である。
大陸に広く武名を持つに至ったその三千は、事前協議を守って王都にこそ入っていないものの、最寄りの町に駐屯して不気味な存在感を放っている。南に弓張原を臨んで後詰めを務めているという見方もあるが、他の軍ならいざ知らず第三王女親衛団だ。無視できるわけがない。
セヴェリは白流旗を掲げるその軍の武勇を思い、今は敵対しているものの湧き起こる賛美の念を禁じ得なかった。親衛団……それは王女に剣を捧げて発足する献身と潔癖の集団である。戦士たちが身分の垣根を越えて集結しているのだ。そこには義勇兵の勇気、正規兵の勤勉、騎士の名誉、貴族の高貴が諸共に輝いているに違いない。そして誰しもが王女への愛を胸に抱くのだ。戦う者の気概としてはこれ以上の美はないようにすらセヴェリには思える。帝国軍に対して示した精強さはその証左だ。
しかし、悲しいかな、彼らは戴く王女を間違えたともセヴェリは考えるのだ。第三王女パウリーナだけはいけない。彼女個人の資質もあるが、何よりも生母の家柄に問題がある。カリサルミ家として絶対に許容できない相手だ。
ヒルトゥラ家。かつての戦争においてはアスリア王国四侯六伯の内の一伯爵家であった家門だ。当時の封土としては東龍河北方支流の南岸を東西に長く領有し、前線への水運管理を担うことで富を築いていた。その財力をもって食客を多く囲っていたことで知られていて、何の役に立つのかもわからない掃き溜めのようなその中から希少価値が生じていたというのだから珍妙な話だ。お家芸の水運における造船技術から虫除け幕や新型爪切りといった生活便利品まで、多種多様な品目がヒルトゥラ家に由来している。
全ては代々の当主が変人揃いだったからだ……セヴェリの亡父がしばしば言っていたことだ。実際、セヴェリの知るヒルトゥラ家当主は理解し難い人物だった。男だというのに三つ編み髪を腰まで垂らす外見で既に非常識極まるが、侵攻してきた帝国軍を歓迎して靴を舐めたというのでは何もかもそれまでだ。
セヴェリは断言できる。もはや美醜を論ずるに値しない。細々とした功績など意味をなさない。戦後に爵位を取り上げられたことも当然だ。だからこそ、我らが王国の尊厳を新たに担っているのだ。カリサルミ家の人間が声を大にして主張するところの正義である。
第三王女パウリーナはそんな奇怪な人物の孫だ。たとえ王家の血を引こうとも無理があるとセヴェリは思う。貴き血脈とは厳密に管理継承されていくべきものであって、古く権威があろうとも異質であったならばやはり混ぜてはいけない。常に優秀な血を入れて高めていかねばならない。そう……例えば自分のような。
一つの機会は逃したものの、それは形を変えて再び目の前に現われるのだとセヴェリは信じていた。第一王女は心を大いに乱してしまったため、パルヴィラ領奥地で静養しているという。第二王女はそのことに何らかの責任を感じたものか王位継承権を返上し、こちらはエテラマキ領奥地にて祈りの日々を過ごしているとか。前者はともかく後者については己が配偶者にとも考えていたセヴェリである。前者の今を思えば大なる機会を逃した感は否めないが、しかし、次の王位が第一王女の息子クリスティアンであるのならばまだ機会は残るのだ。
自らの子で王后の地位を狙えばいい。三十歳にして未だ正式に妻帯していないセヴェリであるが、その気になれば幾らでも高貴な血を選り好める立場だ。既に妻の選定は終えている。セヴェリには自信があった。きっと自分は国王の義父になり、やがては国王の実祖父ともなろう。それは素晴らしい未来図だ。そのためにはこの会戦で誰よりも優れた戦功を打ち立てればいい。己の血の優秀性を誇示すればいい。そうすれば権威も幸運も向こうからやってくるだろう。
前方を見る。北部の軍勢は四万と一千でしかない。
領軍の動員数が少ないからだ。ユリハルシラ領、サルマント領、ペテリウス領と、歴戦かつ精鋭とされる各領軍はそれぞれ一万きりである。いずれも一万五千の兵力を持つが、前線二領については五千ずつを行禍原の監視のために残してきているとのことだ。国軍が砦に入っているとはいえ、これについてはセヴェリとしても必要性を認めるところであり、一定の評価を与えていた。貴族である以上に軍人であるという生き方は、美しくはないものの真面目ではあると思うのだ。
ユリハルシラ領軍は五千を紫雲海の近く、ユリハルシラ領とカリサルミ領との西の境に配している。事前協定により弓張原以外での戦闘は禁止されているが、念のためということなのだろう。セヴェリはそれを非難できない。彼もまたカリサルミ領軍より五千を派遣しており、それだけでは不安であるとエテラマキ領軍より三千を加勢に寄越してもらっているからだ。やはりユリハルシラの名には群を抜く迫力がある。
他方、北部で最弱と目されるヘルレヴィ領軍は五千しかこの戦場へとやって来ていない。セヴェリはそれを聞いた時は失笑を漏らしたものだ。文官の計算屋が間違って伯爵を名乗っているようなマティアス・ヘルレヴィは、もとより領軍を八千から増強していなかったのだ。しかも出兵を出し惜しんだようで、戦地から遠い領地でありながら三千を意味も無く自領に残している。
南部としてもエテラマキ、パルヴィラのそれぞれが領軍二千を後方に温存しているが、これには意味があった。弓張原を北西に見るパルヴィラ伯爵領北西の端、東龍河の南方支流が分岐する辺りにて東西両岸から水運を監視しているのだ。何しろ水運を利用した侵攻により亡国の危機を味わったばかりの王国である。北部に対し大河の下流側なのだから、万一の事態には備えるべきだった。
そして、北部の軍勢の中で最も注意すべき軍として存在するのが、剣角騎士団と火撃の騎兵団である。どちらも数は三千ながら、戦績といい武名といい他と隔絶したものがあった。セヴェリは両軍を思うと胸の鼓動が高まる。さもあらん、どちらも恐るべき存在ながら、打倒したならば最大最高の戦果であることは疑いない。
特に火撃の騎兵団だ。
かつては千五百騎からなる傭兵団だったものが、今や三千騎の全てを軽騎兵で揃えて赤い軍旗などを掲げている。大河に帝国軍が炎上したことは偶然の味方した奇跡の類なのだから、その色は帝国軍の前線砦を焼いたことを誇ったものか。セヴェリにすれば笑止千万だった。彼の父は最後には負けこそすれ、帝国領へと攻め込んで前線砦の尽くを破壊している。
ましてや軽騎兵だ。重騎兵に比べて安価な装備で仕立てられた騎兵である。その機動力には注意が必要だが、数千人同士ならばまだしも、戦の規模が大きくなればなるほどに決定力とは成り得ない。大軍とは速度を必要としないからだ。疾風にも動じない山脈のような布陣……此度、南部の軍勢はそのように戦う方針である。これもアハマニエミ侯の意向だ。北の良馬を警戒してのことであろうが、しかし風格のある戦い方のように思えてセヴェリも賛同したものだ。兵力差を活かしやすくもある。
ふと、セヴェリは脳裏に一人の人物を思い浮かべた。マルコ・ハハト……王国に出現した若き英雄の姿は忘れ難いものだ。奮い立つものがあった。
三年前、セヴェリが伯爵位を継いだ輝かしき表彰式典は、その英雄の行動によって王国内乱の初日と成り果てた。第一王女は赫怒から剣を振るい、第二王女は誤ってそれを受け、第三王女は英雄を従えて呆と立つ。あってはならない出来事であった。その後のユリハルシラ侯の演説によりすっかり忘れ去られたが、事の発端は英雄の奇異な行為である。セヴェリはそれを忘れていない。
ヒルトゥラ家の血筋たる第三王女を王位につかせるわけにはいかない。そのための道を作った英雄の罪は大きい。帝国軍を討ち滅ぼした今、事の道理を弁えていない英雄など邪魔なだけだ。大人しく飾りに徹するならば良し、そうでないのならば殺してしまわなければならない。
そう……邪魔者を排除することなしには上へ行くことはできない。この世界はそんな争いの勝敗でもって優等と劣等とを選り分けていく。誰しもが登っていけるほど上層は広くないのだ。貴い場所はいつだって少数の選抜者によって占められている。中途で甘んじる者は登りつめる者の足下に階段の役割を担わされる。どちらが美しいかは考えるまでもない。
「閣下、北軍が動きますぞ」
近くに控えていた一騎に声を掛けられて、セヴェリはその思考を今現在へと立ち戻らせた。明確な陣を敷いていなかった北部の軍勢が、遠目にもきびきびとした動きでもって各軍の位置を整えていく。九千の兵力差に包囲されないよう横に広がっていくようではあるが、しかし、その動きは途中からセヴェリの理解を超えはじめた。
「あれは……何という陣形だ?」
「先の帝国との決戦で用いたという斜形陣にも見えますが……いや、しかし……」
周囲に尋ねてもこれという答えは返ってこなかった。それよりも、ユリハルシラ領軍の旗が正面にやって来たことに低くどよめきが起こっていた。総指揮官たるユリハルシラ侯は中央にあってアハマニエミ領軍と相対するものと考えられていたからだ。
その間にも陣形は整っていく。セヴェリらの正面にはやはりユリハルシラ領軍が位置して、北部軍勢の右翼軍を担うようだ。敵最右翼から軽騎兵二千、剣角騎士団三千、ユリハルシラ領軍本隊八千という順であり、それらが敵最右翼を先頭に斜線を描いて距離を開いていく。
中央軍と言うべきかセヴェリには迷うところだが、敵右翼の斜線に続く形でサルマント領軍八千、ペテリウス領軍八千、そしてヘルレヴィ領軍三千が整列を終えた。それぞれ軽騎兵二千を切り離していて、アハマニエミ領軍の正面にはペテリウス領軍が位置している。ヘルレヴィ領軍は最も遠いところにいる。最右翼のユリハルシラ領軍軽騎兵を最前列として階段のように奥へ奥へと下がっていく形で、それだけを見ればいわゆる斜形陣なのだが……敵左翼の配置がセヴェリの常識から外れていてわからない。
最奥をヘルレヴィ領軍として、そこから再び階段状に近づいてくる形で斜線が描かれたのだ。中央に近い奥から順に、ヘルレヴィ領軍軽騎兵二千、ペテリウス領軍軽騎兵二千、サルマント領軍軽騎兵二千と距離が縮まっていき、最後に先頭として火撃の騎兵団三千が敵最左翼となっている。
「……九千騎もの軽騎兵のみによる左翼軍、ということだろうか?」
「そう……なりましょうか」
「どういう働きが為せるだろう、あれは」
「我が方の右翼軍にはかの圭丸騎士団もおりますれば、牽制目的の……いや、しかし……」
結論は出そうもなく、しかも敵左翼の異様はセヴェリらにとっては当事者意識の持ちにくいものであった。目の前には名にし負う剣角騎士団とユリハルシラ領軍がいるのだ。それどころではないとも言える。セヴェリは早々に気持ちを切り替えることにした。周囲へ向けて声を出す。
「エテラマキ伯の困惑顔を見られないことは残念であるが、諸君、我らはやはり幸運であるようだ。この広い戦場において、我らの前には北の主力とも言うべきユリハルシラ領軍と剣角騎士団とがいる。勇躍すべき時ぞ。我らの勝利がそのままに全軍の勝利と王国の未来を決定づけるのだから」
努めて明るく言い放ったならば、どよめきはその質を変え、いつしか雄叫びとなって戦場に響き渡った。セヴェリはその音に浴するも、体の震えを抑えることに苦心していた。笑顔は崩さない。しかし不安がないはずもなかった。同数で対決するには些か荷が重い相手である。
予備の四千騎は早めにこちらへ回してもらおう……密かにそう考えつつ、セヴェリは馬上に美しい姿を保つのだった。勝負事とはいつであれ誰であれ緊張を強いられるのだ。ならば見栄は張ったほうがいいと彼は考える。どう見られるかによって人はどうとでも変わると知るからだ。
アスリア王国内乱における南北武力衝突は、かかる陣容をもって始まろうとしていた。




