第7話 草食みと肉食みと牧童と僕
穏やかに頬を撫でる風に花の香が乗っている。見れば、垣を作る草壁には赤、白、桃色のチュール花が群れ咲き誇っていて、その艶やかさは春の力強さと近づく夏の気配とを感じさせるようだ。それが久しぶりのことであったから、彼は思わず声に出していた。
「いい村だ。土に力がある」
そう言って微笑んだ青年は、馬上に優美な姿をして在った。しかし青い外套の下に着込んだ鎧と腰に帯びた剣、そして鞍の後ろに結わいた長柄が彼の武人としての力量と年季とを示している。どれも実戦的な代物で使いこまれている。
彼は村の風景をつらつらと眺めつつ行く。そこへ慌しく駆けつける数人があった。身なりからして村長とその他であろう。そう見当をつけた青年は、しかし馬から降りることもなく男たちを待ち受けた。
「遠路はるばる、キコ村までようこそおいでくださいました。村長のヘルマンです」
「そうか。ヘルレヴィ領軍中尉、アクセリ・アーネルである。出迎えご苦労」
見下ろして視線をぶつけ合い、アクセリは内心で感嘆の声を上げた。強い。初老の域に達してなお壮健な身体はいかにも農業従事者の有り様だが、強い土の匂いの奥に魂の骨格とも言うべき頑強さが感じられる。誇りであろうか、それとも自負であろうか。
(やはり戦乱期の開拓村は芯が強い。独立不羈の精神があるな)
賞賛しつつもそれをおくびにも出さないで、アクセリは村長たちをねめつけて見せた。いっかな下馬しない態度に戸惑いつつも、村人の1人が馬の轡を取ることを申し出てくる。鷹揚に頷いて、アクセリは腰の剣帯をこれみよがしに揺らせた。ガチャリと鳴った音が跳ね返ってくる様を、村の男たちの反応を見るためである。
「……中尉殿は今夜の夕食を、我々と共にしてくださいましょうか?」
村長は僅かに肩を強張らせつつも、その目には怯えなど見せなかった。重心の運びや間合いの取り方からして武術の心得はないのだろうと推察できる。それでも腰の引けないところはアクセリの期待通りだ。
「村の調査には3日程を予定している。歓待など無用だが酒を出してもらえると嬉しい」
「では拙宅にてお迎えさせてくだされ。案内はご入用で?」
「感謝する。案内については明日から頼む。今日は自分の目のみで見て回ろうと考えている。村長殿の話は夕食後に聞くとしよう」
言うなり、ヒラリと下馬したアクセリである。馬と荷物を頼む、そう言い置いて歩き出した。追われることも咎められることもない。これは王権に基づく正規の任務であるのだから。
アクセリが領軍から派遣されてきた目的、それは奇妙な発展を見せるキコ村を検分することである。年貢の納入義務を果たし続けている……中小村落で唯一果たし続けられる理由を調べるために。
ここ2年ほどは大氷原からの越風が強く、アスリア王国の北部には冷害が広く蔓延していた。風に混じる瘴気も濃く、地は産する力を弱めるばかりである。麦の不作のみならず飼葉の確保にも支障をきたす始末で、大規模畜産や軍馬こそ維持されるものの、中小の村々では家畜の冬越えさえままならない有り様であった。肉の価格は一度安値の底を見せて、その後は高騰を続けている。
貢納は病み、生産物の流通は細り、奴隷市場だけが極彩色の盛況を見せた。治安の悪化は遠からず賊の頻発を生むと読んで、ヘルレヴィ領軍は即応部隊を増強したほどである。実際、アクセリも馬賊との交戦を経験していた。
(賊の馬までが良馬というのは馬産地の皮肉だな。あの機動力は一級品だ)
アクセリは輸送隊の護衛任務を思い出していた。賊に追尾されていることを察知し、昼に夜に襲撃への備えを続けて、昼食前の僅かな緩みを衝かれたのである。賊が軽騎兵のみで構成されていたことも驚きであれば、その練度が高かったこともまた驚きであった。歩兵主体の部隊では撃滅は困難と見切りをつけ、防御に徹することで荷物を護り抜いたが……その結果は、部隊指揮権の剥奪と閑職への左遷である。
(怯懦……か。そう言われれば返す言葉もない。蛮勇とは無縁の俺だからな。それに、賊の精強さに恐怖を覚えたこともまた事実。つくづくもって、返す言葉がない)
それまでの被害や、その後も討伐の叶わない状況はアクセリにとって追い風とはならなかった。彼の戦果は相対的な価値を増していくのだが、一度領主が罰した以上、今更あれは間違いであったと賞されることなどあり得ない。領主たるマティアス・ヘルレヴィ伯爵にそんな度量や器があるとは、少なくともアクセリには考えられなかった。
結局、彼の現状は使いっ走りの辺境巡察官……領軍中尉という階級からすれば不当不遇なその役職を、しかし唯々諾々として勤めるアクセリである。むしろ楽しんですらいた。
「……沼の淀みに比べ、ここら小川は水も風も清々しいばかりだな」
村に廃屋は見当たらず、家々にはキケロ鳥が飼われている。干された洗濯物の中には染色された物も混じるようだ。アクセリを見て驚いた様子の女性……口元を隠すように上げられた手の、その指はひび割れず爪先も滑らかに整えられている。
(地と人と、どちらがどちらを豊かにしているものか……これは確かに調査すべき何かがある。もう少し人を見ておかねば見誤るだろうな。畜舎と牧場はどうせ隠しようがない)
家屋に遮られた向こうから子供たちの歓声が聞こえてきていた。そちらへ足を運んだアクセリは、そこに予想だにしない風景を見ることとなり、立ち尽くすのだった。
それは遊戯であって遊戯ではなかった。
20人ばかりの少年少女が幾人かに分かれて楽しげに遊んでいるのだが、その内容はアクセリの知るどのような童遊びとも違っていて、そのくせどれも見入ってしまうような味がある。児戯と流せない理由を考えたアクセリは、それを遊びに秘められた意味や意図に見出した。
とある子らは棒きれを振り回して遊んでいるが、それはチャンバラではない。恐らくは木製だろうが、とにかく固形の輪っかを棒にひっかけていて、それを飛ばして飛距離を競っているのだ。棒の振り方は自由のようだが、棒自体の重さを利用するためか上から下へと振り下ろす子が多い。
(あれはコツがいるな。遠くへ放るためには、手の内を工夫して切っ先の速度を……切っ先だと!?)
思わず自分でやることを想像していたアクセリは、そこに己の修得した剣の技術を見出したのである。力任せでは勝てない遊び……剣術に通ずるコツを必要とする遊びなのだ。事実、大きな子が棒を振るう様は鋭い。農業のソレのように腰の浮く振り落としではない。重心を低くして腕と剣とを鞭のように振り抜いている。あれは斬れる、とアクセリは判断した。
また、とある子らは追いかけっこをして遊んでいるが、それも未知の競い方だ。数人ずつ同数に分かれ、互いに相手の背中を触るべく走っている。背中を触られた子は脱落するという遊びなのだ。この場合、孤立は敗北を意味する。いかに隊伍を組み、相手の隊伍を崩すかが勝敗の鍵となっている。そこに費やされる創意工夫には兵法の趣があった。
(横列を中央突破して左集団を囲む狙いか。しかし相手もそれを察して分散し、別の場所に集合することで難を逃れようとしている。目をつけられた1人が囲まれたか。しかしそれ以外は立て直した……1人1人を部隊と見るならばまるで戦だぞ。1人1人のままに見ても、小規模集団戦の妙がある)
最後に、最も幼いらしい集団。走り方にもたどたどしさの残る子らを1人の少年があやしているようだが、それを見た時、アクセリは思わず唸り声を上げていた。あどけない手足が幾対も、ケタケタと笑いながら少年に触れようとする……幼児特有の拙さと予想外な動きとが密集したそれらを、少年はスルスルと流麗に避けていく。紙一重だ。子らは触れたつもりが触れていない不思議に、一層笑って手を伸ばす。
(動きに一切の澱みと硬さがない。頭の位置も上下しない。並みの摺り足ではないぞ。背後からの手も全てが見えているかのようだ)
小さき子らが嬉しげに声を上げながら少年に群がりつづける。夢中になって触れようとする。少年もまた微笑みを浮かべているようだ。くるりくるりと身を翻しながら、決して触れさせない。少年の黒髪がサラサラと揺れる。まるで天使と妖精の舞踏のようだ……そう感じ、アクセリは見入っていた。
「それで、中尉殿におかれましては僕にどのような御用でしょうか」
「いや……用というほどのことはないのだが」
真っ直ぐに見据えてくる碧眼に、アクセリは気圧されるものを感じていた。木立の下に草花が絨毯のように広がっている場所で、2人並んで座るまではよかったのだが。
(巡察にきた軍人に対していて、まるで動じる素振りがない。むしろ俺の方が何かしら手に汗握るぞ。只者ではないのだろうが、それにしたところで子供には違いないというのに)
その少年が他と違うことは明白だ。身奇麗な格好をしているからではない。見事な体捌きを習得しているからでもない。アクセリが気にかかって仕方がないのは少年の眼差しだった。それこそ天使のような容貌をしているというのに、そこだけが強力な違和感を放っている。
(童がまとう夢想の甘みなど欠片もなく、さりとて屈した者の諦観や酔狂もない。まるで碧色の湖面が凪いで鏡の如くして、その奥に無明の闇を湛えているかのような……これが人の、ましてや子供の目だというのか?)
深く深く吸い込まれそうな気分になって、アクセリは視線を畑の方へと逃した。春蒔きのメコン麦が緑色の葉を広げて茂っている。未だ穂をつけるには至っていないが、風にそよぐ葉波の健やかさは秋の収穫を期待させる。どの村でも見れるという風景ではない。
「君は……マルコ君は8歳ということだが、君の目から見てこの村はどんなところかね?」
言ってアクセリは顔を顰めた。何でもいいから言葉を繋げようとしたのは確かだが、だからといってあんまりな質問だと思ったのだ。村長の息子とはいえ8歳の子供である。眼差しこそ不可思議だが、己にとって唯一の世界であろう村を論評させてどうしようというのか。比較対象など知るわけもないのだから、良いも悪いも論じようがない。
「ここはいい村です」
そうとしか答えられまいに無思慮な質問をしたものだ、と反省したアクセリだが、続く言葉は彼の想像を超えるものだった。
「逞しく育った家畜ですよ。そら、牧童が慌てて様子を見に来ている」
笑みすら浮かべて言い放つ辛辣に、アクセリの目が大きく見開かれる。少年の瞳に映っているのは己1人きりなのだ。その意味するところは解せども咄嗟に返答できるものではない。呼吸を取り戻し、ぐっと唾を飲み込んでからでも口を開いたのは、彼の自尊心に因るところが大きかった。
「……家畜か。飼い主はどんな獣だろうかな?」
「欲も頭もほどほどの獣のようです。家畜を繋いで10年ばかりになりますが、まぁ、そこそこの飼い方をしていますね。近年は失敗しつつありますが」
「失敗……何かが起こると?」
「起き続けていますよ。新しい獣が縄張りを荒らしているじゃないですか」
ゴクリと、もう一度唾を飲み込んだアクセリである。無様ではあったかもしれないが、それは最小限に抑えられたもので、自分は少年の示した水準に対応している……個人の尊厳を辛うじて護った後に湧いてきたのは好奇心だった。
(家畜はキコ村、飼い主たる獣はヘルレヴィ伯爵。この村が伯爵の領政に組み込まれたのは10年程前の“聖炎の祝祭”の頃。そして新しい獣とはあの馬賊のことかな? 面白い。面白いじゃないか、マルコ少年。その小さな口からはどんな言葉が出てくるのだ)
アクセリの知る占術の1つに童占いというものがある。時代が動くその時には、子供らが遊ぶ他愛無い歌や動作の中に予兆としての託宣があるというものだ。無垢な心を通じて神が語るのだとされる。そんな不思議を体験しているのではないか……違和感は今や倒錯的な説得力でもってアクセリを捕らえていた。
「古い獣は、新しい獣に勝てぬのだろうか?」
「はい。出血が続けば、あるいは首がすげ替わるかもしれません」
「何故勝てぬのか」
「蝿と侮って前を見続けているからです」
「振り返ったならば勝てるのか」
「足の1本もくれてやるつもりならば」
「……それほどの獣なのか」
「古い獣はこの2年ばかり身を病み、血を流しています。前方にも煙が見えます。充分に牙を振るえる状況ではありませんから」
打てば響くように示される見解は、そのいちいちがアクセリを唸らせる。彼はいつの間にかヘルレヴィ伯爵領の全域を見下ろしているような気分になっていた。部隊を率いている時にすら自重し、見ぬふりをしていた領政の過失……それを左遷先の村の片隅に座して思考したのである。
「……逞しい家畜はどうするのだろうか?」
そう問うた際には既に己の任務を半ば忘れていたアクセリである。口調には詰問する色はなく、むしろ案じるような気配すら漂わせていた。少年の返答は、しかしまたしてもアクセリの予想を超える。
「とりあえず牧童を招き寄せてみました。貢納の義務を果たしている以上、狼から護ってもらう権利がありますからね。多少窮屈になることは覚悟していますが、まぁ、開拓村の開拓村たる由縁をお忘れにならないようご留意くださいね、中尉殿」
アクセリは笑い声を上げた。




