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第70話 僕を討つ者がいるとすれば

「いぃやっ!」


 裂帛の気合と共に繰り出された刺突剣が草束の的を貫いた。やや中心から外れたが、その深さは教則通りの二拳、即座に引き抜いて次の的にも命中させる。これも中心ではないが、しかし素早く力強い。踏み込む勢いといい、基本を忠実に守った姿勢といい、その細身の剣士には溢れんばかりの才能が輝いていた。


「やめ! 本日はそれまでに」

「ありがとうございました!」


 教官にきびきびと応答する様にも誠意と熱意とがあって、今後も長足の進歩を遂げていくことを予感させる。汗を払うように仕草したならば、肩口までの髪が勇ましく乱れ散って、美しい顔に黒く被さる眼帯が強調された。


 アスリア王国第二王女マルガレータ。


 豪奢な髪を断ち切り、化粧を捨て、残された左目でもって武を修練するその姿は凛々しく清々しい。何故にアハマニエミ侯は彼女を次代の王として擁立しないのか……エンシオ・エテラマキはその不思議の答えを知りたいと思った。そして、彼女がそのことに不満を言うでもなく軍人の訓練を始めた理由も知りたかった。どうして彼女はドレスを捨て剣を握ったのだろうか。どうしてかくも熱心なのか。


「あら、伯爵。見ていらしたのですか」

「……どうしてだろうか」

「こちらの台詞ですわ。まだまだ未熟な腕前でしてよ?」


 そう言って訓練場の隅へと向かい、長椅子に腰掛け、汗を拭いつつ水杯に口をつける。頬は上気し、肩も呼吸の大きさと頻度とを示し揺れている。どこを見るでもなく呆とする眼差しは、彼女の思考が訓練内容を反省なり分析なりしているからに違いない。手が剣を振るうように動いている。


「足は動かない……か」

「足? 怪我はもう治りましたわ。剣を修練するのに、まさか腕より先に足の裏が傷むとは思いませんでしたけれど……これまでにない体の動かし方を学ぶのですから、その運動を支える歩法をこそ重視すべきでしたわね。そうと理解してしまえば、ほら、この通り」


 すっくと立ち上がるなり、重心を落として背筋を伸ばし、頭の上下しない移動を滑らかに繰り返す。年明けから数えて百日にも満たないというのに、全き初心者であったはずの彼女は武術の基礎部分を十分に体得していた。剣の他にも乗馬や用兵など軍の諸々を学び始めており、それら全てにおいて並外れた資質を見せているという。


 エンシオは考える。王位継承権を四侯爵に否定され、右目を失うほどの傷を美貌の顔に刻まれた時、マルガレータという女性は一度死んだに違いない。化粧の粉と香水の臭いを振りまいていた一人が世界から消え失せて、今、鍛錬の汗の匂いを甘く漂わせる見事な一人がここにいる。


 唯一のものとなった左目には強い意志の光が宿っている。そら、紅も引かぬ唇はぐいと結べば威風漂い、それを解き微笑めば寛容の暖かみが現れるではないか。エンシオにはどうしてもわからない。王国の内乱は南北どちらの勢力が勝ったとしても彼女を王と仰ぐ未来がやって来る予定がない。それはどうしてなのか。それがわからない。


「ただでさえ厳ついお顔をそんなに顰めてしまって……パウリーナを殺せなかったことがそんなに口惜しいのかしら?」


 問われた言葉に返す言葉がなかった。エンシオはただマルガレータの隻眼を見つめるばかりだ。


「夜の大火の混乱に紛れて離宮にあの子を暗殺し、全てを燃やして証拠を隠滅する……魔人の火刑も模しているのかしら? 圭丸騎士団から人員を出しましたわね? 成功していたのならば、それは本当に“奇跡”の一つに数えられたのかもしれないけれど」


 クスリと笑うその艶やかさにエンシオは打たれた。


「無理というものですわ。あの子に味方する者はそんな方法で出し抜ける相手ではありません。夜に奔る狡猾はむしろあちらの得意とするところでしょう。魔の者に闇の手段をもって当たるなど愚かというもの」


 嘲り責める口調ではなかった。どこか甘さをまとわせて、まるで悪戯小僧に言って聞かすようにして窘められている……エンシオは頬に熱を覚えた。


「軍をお鍛えくださいな、伯爵」


 軍を、とエンシオは意味もなく復唱した。


「当代の英雄を僭称するあの者を討つためには却ってそれが易しいでしょう。あの者は先の決戦において馬上に意識を混濁とさせたのだとか。それはあの者の経歴の中で唯一の隙と言っていい出来事。それより他は慎重に過ぎます。知っていまして? あの者は今、親衛団駐屯地に篭っていますけれど、そこへ無事に潜入できた密偵はただの一人もいないということを」


 マルガレータは剣を手に取った。片手で用いるそれ。拳を護る金飾りは複雑精妙で、そこから真っ直ぐに伸びる鋼の刃は鎖帷子をも貫き通す。彼女は緩やかに手首を返しつつ人型の木像の側へと歩いていった。直立するその背は小さいが、しかしエンシオの息を詰まらせるほどの威を放っている。


「りぃぃやっ!!」


 強烈な踏み込みでもって放たれた一刺突は刃を寝かせた平突きで、木像の中央からは右へ少し逸れて命中した。その意味をエンシオが考えるよりも早く追撃が入る。左手による掌底打ちだ。音を弾けさせて、その一撃は木像の顔部分を打ち据えた。流麗にして迷いなき連続攻撃。剣が穿った一穴は、その位置は、人であれば絶対の急所と言われる左胸に他ならない。肋骨の隙間を狙ったものか。


「あの者に刃を届かせるためには……この間合いにまで詰めるためには……死地の混乱と、騎兵の速さと……あと何が必要かしら? まだまだ遠い。とても届く気がいたしませんわ」


 振り向いたならば笑顔。眼帯が消えない影のように張り付いてはいるものの、頬を染め、口元を綻ばせ、さも楽しげに一人の男のことを語っている。若く美しい王女剣士の姿がそこにある。


 エンシオの胸に込み上げる不快感があった。


 気付けば彼はその手に鉄棒を持っていた。武骨で粗野であるが、しかし手に馴染み己の心を大いに表すところのそれを握りしめて、木像の前に立つ。強い衝動が筋骨に力を漲らせている。エンシオは正体の知れない感情をありのままに大呼吸の一度へと込めきって、気合を発することもなく腕を振るった。


 破裂音、あるいは破壊音と言うべきか。木像と土台とを繋ぐ柱は根元でへし曲がり、命中箇所であるところの首は折れ飛んで、訓練場の床を獰猛に引っ掻きながら隅まで転がっていった。


「お見事ですわ。剛剣は千技の妙を断ち切ると聞きますけれど、伯爵の棒術にはそれ以上の迫力がございますわね」

「……私は」

「その武を活かすためにも、これまで通りに剛の者の登用をお続けくださいな。騎士団を増強し、領軍を精鋭たらしめ、やがて来たる決戦において決定的な戦果を上げるのですわ。それが正道にして最も効果的な方法であると私は考えますの。戦場に成り上がったあの者が、戦場において後背に逃げ隠れることなどありはしないのですから」


 柔らかく笑んで、マルガレータの白い手がエンシオの拳の上に重ねられた。清涼な感触だった。それでいて胸に伝わる何かがあって、エンシオは鉄棒を握ったまま身動きができなかった。


「伯爵はきっとクリスティアンの未来を切り開いてくれるに違いありませんわ。私、確信していますの」


 離れていく手に不思議な惜しみを感じつつ、エンシオはゆっくりと思考した。


 クリスティアン。エンシオはその名が誰のものなのか思い出すために束の間の時を要した。南部勢力が次代の王として擁立する少年の名前だった。第一王女の最初の子で、当年とって九歳、現状の王位継承権は第四位である。


 エンシオにとってその少年の印象は薄く遠いものだった。教会に関する公式行事などで稀に見掛ける程度のもので、儀礼を順守する大人しさくらいしか記憶に残っていない。エンシオは第一王女の存在感の強烈さをしみじみと思った。夫たる元聖騎士にしろ、二人の子供にしろ、目の前に眩しいマルガレータですら、第一王女が光り輝いていた時分には誰も目立つことがなかったのだ。


 そんな時代の寵児も今は輝きの一切を喪失し、パルヴィラ領の奥地へ隠れ住む有り様となっている。第一王女はその記憶も精神も少女の頃へと退行していて、公の場に出すなどもっての外、私的な様子さえ隠蔽する必要があった。そのためには人の出入りの多い領城は却って不都合である。体裁としては領城の尖塔の一つに住まうこととして、実際は彼女のみ南東の静かな町の館へと移り、密命を帯びた者たちによって世話されている。


「……輝ける者の交代、か」

「ええ、その通りでしてよ。お姉様は世界の主役から退きました。しかしその跡を継ぐ者がパウリーナとあの者であってはなりません。絶対に、何があろうとも、それだけは許されません」

「あの……者」

「ええ、そうですとも。名を口にするのも忌まわしい、あの傲岸不遜にして強力無比な成り上がり者をこそご注意くださいな。此度の内乱はあの者を討つことによってのみ争う価値が生まれます。それ以外は全てが瑣末事ですわ。パウリーナの命すらも事後のおまけというもの」


 マルガレータの言葉には熱があり、表情には恍惚があった。エンシオにとってそれは感動的であると同時に何故か腹立たしい。気付けば唸るように宣言していた。


「マルコ・ハハトは……私が討ち果たし申す」

「それは駄目」


 即答だった。二の句も告げないところへ優しい声音が届く。


「あの者を討つ者こそが、新旧の主役を繋ぐ役割を担い、この世界の在り様を正す者としての栄誉を得るのです。譲る気はありませんわ。私がこの手で討ちますとも」


 無手で突く仕草を見せたマルガレータの、その見えない刃が己の胸を刺し貫いたことをエンシオは自覚した。それは衝撃的だった。己が全身が既に作り変えられていて、それ以前にはもう戻らないのだと知れた。


 野心が生まれていたのだ。


 それがために己は離宮に火を放つ企てを決行したのか……エンシオは今更ながらに納得する。アハマニエミ侯にも他の伯爵にも相談せずに動くなど、思えば普段の自分らしからぬことであったと。


 かつての戦乱に父を失い、その勇猛を聞かされ続けてきた彼には戦場がなかった。さりとて行政においては文官と教会とが強固に協力していて彼の為す仕事などなかった。エテラマキ伯の記名と印とが必要なことはあっても、エンシオという人間の意思は誰にも必要とされていなかった。聖杯島へと漕ぎ出だす岬を守護し、生産物が生み出され運び出されていくことを文面に確認するだけの役割を生きていた。


 燻っていたのだ。エンシオ・エテラマキという男は、温い深みに逃れがたくはまり込み、己を表すこともなく生きてきた。灰色の日常という退屈を暮らしてきた。鈍く在ることが必要だった。


 せめてもの慰みに、流浪の武人を多く食客として囲ったものだ。破天荒を好み、猛々しさを愛でた。それが戦力として形を成して圭丸騎士団が存在する。前線から遠い地の騎士団としては異例の強さを誇り、あの剣角騎士団に次ぐとまで謳われる者たちだ。帝国との会戦により大きな被害を受けてしまったが、たとえ勝利し英雄となっていたとしても、それはエンシオの憂さを一時晴らすばかりであったろう。それ以上のことは何も期待できない。 


 しかし、この出会いは違う。エンシオは震えるほどの喜びを感じつつ、己の運命を変えたに違いない人物で視界を一杯にしていた。マルガレータ。あの表彰式典で悲劇に見舞われたところの第二王女は、華美な装飾を捨て去って在る今、他の誰よりも美しく凛々しい。そのことがエンシオに確信させるのだ。


 彼女こそは身命を捧げるに足る……即ち次代の王に相応しい、と。


「……王、か」

「その通りかもしれませんわね。理想を言えばクリスティアンがその指揮であの者を討つことが望ましいのですけれど……あの子にそれを求めるのは無理というもの。だから代理人が必要なのですわ」


 手を胸に添えて、言う。


「私です。私はそれを担うべく鍛錬しています」


 一つきりのその瞳が凜然として光を放っている。華奢であることから脱皮せんとする躍動が小躯に熱を帯びさせていて、内に宿す才の豊かさが芳醇な香りを立ち上らせている。エンシオはその希少さに奇跡を見る思いだった。


 王たる器がここに在り、それを支える伯爵として自分がいる。鬱屈として見やっていた閉塞の未来はもはや掻き消えた。代わって栄光と充実の一本道が強く遠く伸びている。


「伯爵は私を助けて下さいな。貴方が育み鍛えた軍によって」


 その言葉に対しては欠片の否やもなかったから、エンシオは満ち足りた心身でもって跪き、恭しく頭を垂れた。それをすることが当たり前と思えた。


「承知仕りました。必ずや、新たな王のための未来を……」


 誓い約したならば、そのために全力を尽くすことこそ生き甲斐である。エンシオはその日その時よりエテラマキ伯としての新たな人生を歩み始めた。マルガレータが望んだ通りに……いや、望んだ以上の富国強兵を成し遂げる為に。


 その奮起は、後の世に南部勢力最強と謳われる軍団を誕生させることとなる。黒夜片月の軍旗を掲げるその軍を指揮するは独眼の王女将軍……王位継承権を含む多くを捨て切って、その命をただの一つの願いに思い切ったマルガレータだ。


 彼女の願いとは、その手で一人の英雄を討つことである。


 それを願った瞬間をもって、彼女もまた英雄の道を歩み始めていたのだった。

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[一言] 過去に毒を盛った理由が知りたい
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