第69話 炎の夜に洗われて歌い踊れ
「くそ! 煙が酷くて配置も何もわかったものじゃない! 点呼を取るぞ!」
「馬鹿者が! まずは火を消せ! それ以外は後にしろ!」
「何を言っている! 警戒を厳にしろ! 我々は何のためにここを守護すると心得るのか!」
熱と煙が渦巻く巷に怒号と罵声が乱れ飛ぶ。王城を北西の遠景とする離宮の閑静さなど今やその一欠けらも残っていなかった。もとより武装した者たちの足音によって踏み散らされ、荒ぶる闘争心でもって掻き乱されていたところのものを、今宵この夜には煙火を背景として凶手が跳梁するのだから。
我もまたその一人……ベルトランは覆面の裏に笑みを浮かべていた。
木々の陰を縫うようにして走り、枯葉の多さに離宮全体の焼失を推測する。灯火があちらこちらに右往左往する様に混乱の拡大を予想する。地に伏せ庭園の池の先に見やった屋敷には、早くも火の粉が疎らな雪のように舞い降り始めている。風は強い。夜に盛り立つ火炎はその猛威を存分に発揮するだろう。
火事の喧騒を飾るようにして、金物を打つ音が連続した。軍を召集する際に鳴らす鐘の音だ。屋敷の南西からで、そちらには離宮の表門がある。火の手は北東から上がっているのだから、それは消火のための合図ではない。灯火の混乱は更に増した。そして多くが正門の方へと移動していく。ベルトランはその動きをただ見送るばかりだ。
理由は見え透いていた。南部勢力の手勢が消火活動を名目にして現れたに違いない。王族の危急に際して貴族や騎士が慣例を超えて行動することは美徳とされている。火事に駆けつけることは道理だ。しかし離宮を警護する者たちがそれを許すわけもない。この離宮は今や北部勢力の牙城である。彼らの奉戴するところの第三王女が住まう場所であり、全力で守護することで南部勢力を威圧する最前線なのだ。
しかしどちらも一枚岩ではない。ベルトランは離宮を護る者たちにも練度の高低があると知るし、動機にしたところで高潔なものから下卑たものまで様々であると理解していた。人とは熱意などなくとも打算で行動できる。行いの名誉も恥も、つまるところ人の品性次第だ。
離宮防衛のための弱点は二つある。一つは南北の争いとは無関係に存在する王国正規軍であり、もう一つは迎合から私兵を派遣してきた中小貴族たちである。どちらも内通の危険があり、前者は離宮の外周部に配することで弊害の多くを抑制できても、後者については効果的な対処法がない。選抜などすれば勢力内部の亀裂や抗争を招きかねない。
王都における南北の勢力図は未だ確定されていないのだ。立場の表明を遅らせている貴族や騎士は数多い。彼らの本音としては中立の立場を取りたいのだろうが、マルヤランタ候もロンカイネン候も己が領内の諸貴族に誓約書を提出させるなどして排他潔癖の姿勢を示している。自らの旗を掲げるより他に中立を宣言する術はなく、そんな中小勢力を許すほどに南北首脳は甘くない。決断が迫られている。
この炎の夜こそがその最後通牒となるだろう……ベルトランは喜悦の中にそう確信する。
刃をもって敵と相対するとして、それが差し迫った間合いに至ったならば決意の一撃を振るわねばならない。振るえぬのならば間合いに入るべからず。迷いを抱えて一足一刀に立ち入らば斬られるのみ。王国の内乱はまさに意思の保留を容れない切迫した局面を迎え、夜空を焦がしているのだ。
葉の踏まれる微かな音がベルトランを振り向かせた。影が四足を得たようにして、黒ずくめの男が一人、そこだけは白く際立つ両目を二度三度と瞬きする。
「数は?」
「六、六、三」
ベルトランの問いも、それへの返答も、どちらもが囁くようにして夜風に紛れる。
「二個小隊はいいとして、三は余計だな。教会か」
「はい。督戦かと」
「ふ、懲りたとみえるな」
夜闇に溶け込むようにして伏せる二人は、目を細め合うことでもって感情を共有した。彼らがその手で始末した敵性密偵は数多いが、捕らえて口を割らせた者、寝返らせた者などもまた多い。
「六は屋敷の東西から接近しております。三は北西の林に」
「想定よりも延焼が早い。東は迂回するだろう。西が先だな」
王国内乱の時勢にあって、ベルトランら陰の者の闘争は激化の一途を辿っている。帝国との戦争においては地理的な条件がそれを制限していたが、今やどちらにとっても行動は自由自在だ。昼も夜もなく、栄誉や名声から背を向けて奔り、欺き、屠る。所属も様々だ。権力者の人数と思惑の種類とを掛け合わせただけの色々が闇に放たれている。
「内通者は?」
「半数は正門側へ、半数は屋敷へ」
「“一矢二亡”を演じる一方で、暗殺幇助か。中々に果断」
ベルトランは敵方へ通じる者の多くを把握していた。その名簿の中には武名のある騎士の名もあれば、学識の高さで知られる貴族の名もある。かかる危急の事態においては、優柔不断や意志薄弱、時勢への無理解ばかりが際立つものではない。思想の違い、望む未来の違いもまた明確になる。
教会を認めるや否や。
この内乱を煎じ詰めていったならば、問題点はそこへと集約するのだ。
第一王女を筆頭として、第二王女も南部勢力も共通して教会と親密な関係を持ち、互いに得るところの多い年月を送ってきた。勇者伝説ばかりの話ではない。民心を安んじ文化をもたらす教会の力は南部地域の隅々にまで行き渡り、万事に潤いを与えている。
それは程度こそ違え北部においても同様のものだ。ましてや王都に俸給を受けて暮らす貴族たちなどは権威や格式を伝統でもって約束する教会を嫌う道理がない。これまでもこれからも変わらずに生きていくためには南部勢力に同調しなければならない。変化を恐れるのならば既存にしがみ付くよりない。
そんな者たちの見る夢を、思い描く未来を、ベルトランの主は些かの情けもかけることなく打ち砕こうとしている。ベルトランは木々を焼き遂に屋敷にも燃え移った炎を見やった。凶刃をもってする舞踏会が間もなく始まろうとしている。
「頃合だ。三を消せ」
「承知」
再びの独りとなって、ベルトランは腰に帯びた剣を意識した。片刃で短く肉厚な一振り。このところの得物は専らのそれだった。大剣を両手に握りしめて吠えつつ戦う日々など遠い昔のことである。自らを鼓舞する必要はない。自らの運命を試す必要もない。歓喜は外でなく内に宿っている。喜びを胸に眼光を冴え冴えとさせていたならば、そら、今夜の獲物がその姿を見せるのだ。
黒衣に覆面の男が六人、手信号で合図しながら庭園を横切っていく。西からの六人。即ち一個小隊。速やかで連携の取れた動きだ。火災の始まった屋敷から慌てて飛び出してきた灯火があって、それは大きく横に振られた。黒衣の男たちはその灯火を目指して走る。ベルトランもまたそれを追った。
密偵らしからぬ六人だった。陰に入り、影に身を潜めつつ追いながら、ベルトランは前方の男たちの様子を窺う。足運びは力強く、腰に垂らした佩剣が音を立てて暴れないように片手を添えている。揃って豪壮な長剣だ。前方に対する警戒は見事なものがあるものの、後方には奇妙に疎い。隊形からして猪突的だ。
騎兵……いや、騎士か。ベルトランは暗闇の中に笑みを深くした。
「どうした、王女は捕らえたのか?」
「それが、いないのだ! 穢れ腹も、その娘も、どちらもがいない!」
「いないで済むか! 貴殿らの役割はそれだろう! 居場所もわからないなどと!」
「奥の間には入れんのだ! 離れたところに火除けの蔵もあるが……」
「押し入れば良かろうが! 出てきていないのならば、奥にいる。そんなこともわからんのか!」
黒衣の男たちと内通者とが激しく言い合っている。泡立つ唾が見えるかのようだ。七人となって屋敷へ駆け入っていく。たちまちに響き始める撃剣の調べがあった。今、屋敷の中には決意を疑われた輩しか残っていないことをベルトランは知っている。事ここに至らば、火と刃とに打ち勝つより他に生き延びる術などありはしない。練磨の夜だ。錆も鈍きも朝日を迎えることはない。
正門の方角から喚声が上がった。南北手勢の対峙が激突に至ったとして、それが離宮内にまで雪崩れ込んでくることはない……ベルトランは煙火を頬と鼻奥とに感じつつそう判断した。正門の警備にはユリハルシラ領軍から精鋭が割かれていて、内側からの工作についても事前に予測されている。ベルトランらが対処することも通知済みだ。
夜を掻き乱し燃やすものは命なのか炎なのか。南西には戦場の気配が立ちこめ、北東からの火勢は強まる一方だ。屋敷にも火の手が上がっていて、それは誰に妨げられることもなく燃え広がろうとしている。春を前にして風は北東より乾ききって吹き付けている。
屋敷から玉砂利の庭へと飛び出してきた者たちがいた。黒衣の男たちと、それに追われるいずこかの貴族たちである。捨てたか落としたか、揃って鞘を垂らすばかりで剣を持っていない。
「待て、待ってくれ! 私たちは第三王女如きに心より服している者ではない!」
「そうだ、そうだとも! お前たちの目的が第三王女ならば、私たちは敵ではないはずだ!」
「然り、然り! 我らはお主らに味方する! 約束する! それはお主らにとっても得であろう!」
その必死な主張は黒衣の襲撃者に一考させる内容を含んでいたようだ。第三王女には長く疎まれきた歴史があり、それが志なき者たちを戸惑わせていることは確かである。北部勢力に属するとは多くの貴族にとって謝罪がその出発点となるのだ。軽んじ悪し様に評していたところの第三王女へ、教会と対立することも視野に入れた上で頭を垂れる……相当の覚悟がなければできることではない。さりとて軍事的優位が北部にあることは明白だ。かつての英雄と新たな英雄とがいて、しかも精強な軍を率いている。
結果、日和る。内乱への無関心こそが貴族の毅然であると嘯き、口では国王への忠義を謳いながら戦々恐々と保身の道を探る。死を想像することも出来ないままに、ただ恐れ、それがために生の無様を晒しているのだ。ベルトランは声を上げずに嗤った。
「違う、違う、私は、私はこんな、こんなところでっ」
一人目が斬られた。この時勢においては力なき中立も覚悟なき参加も許されない。火炎に熱せられて軽薄は浮き上がり、滅びて散るのだ。
「どうしてだ! どうしてっ、どうしてっ」
「ああっ、うわあっ、あああ!!」
二人目、三人目と斬り捨てられていく。黒衣の男たちの太刀筋は鋭い。そして再び屋敷の中へと入っていった。第三王女が屋敷外へと逃れ出た姿は確認されていない。奥の間のどこかに隠れ潜んでいると判断したのだろう。ベルトランはそれと察して東へと目を向けた。果たして新たな黒衣が……南へ迂回して辿り着いた六人が屋敷へと突入していく。
ベルトランは嗤う。そして、合図の笛を一吹きするのだ。
屋敷の周囲から数十と何かが投擲された。酒瓶のような陶器のそれは屋敷の屋根に、壁に、床にと激突して砕け散る。中身はたっぷりの油だ。たちまちの内に炎が唸りを上げた。離宮の風雅な屋敷は大いに燃え盛り、見る間に全てが火炎に包まれていく。この夜に高く高く立ち昇っていく。
さあ、火刑の夜の始まりだ。
喚き立てる群衆も無く、煽り立てる指揮者も無く、観覧する貴賓も無い。正邪を論じ主張することも無ければ、酒を呷って凱歌を上げることも無い。実のところ勢力の南北すらもありはしなかった。ベルトランは夜闇を裂く光と熱の意味を知る。これは改革を告げる篝火だ。世界がまさに変わらんとしている。その速度を妨げるもの……時代の潮流を減速させる塵芥を焼却し、誰しもに足早であることを強いる狼煙なのだ。
紅蓮の奥に影が躍り、ある者は黒く崩れて落ち、ある者は外へと転がり出でてきた。放っておいても長くは生きられないだろうそれらへ、黒ずくめの者たちが速やかに駆け寄り、刃の介抱でもって命を断っていく。死を置いていく。丁寧な作業だ。
雄叫びが上がった。火傷の凄惨をものともせずに、長剣を振り回し抵抗する男がいる。黒ずくめたちはそれを囲うが、男の闘志には死兵の壮絶があって近寄れるものではない。
「ふ……死に物狂いか」
ベルトランはここで初めて己の姿を陰より現した。片刃の剣を抜き放ち、それを右手でぶら下げながら歩み寄っていく。男もそれと察したようだ。剣の柄から何かを聞くようにして構える。頭髪も皮膚も何もかも焼け焦げていながら、その在り様には一筋通るものがあって、ベルトランはその見事に笑みを送った。
「いずれかの騎士と見受ける。終いの剣闘を相手しよう」
一歩とて躊躇うことなく、ベルトランはただ無造作に男の間合いへと侵入した。即座に放たれた斬撃へと後手ながら追いつく速度で一撃を重ねる。同時に体を捌いていたから、ベルトランは男に背を預ける形でもって剣を押さえ込むこととなった。
「ぎ、貴様……!」
「ほう、まだ話せたか。喉も胸も焼け爛れていようにな」
勝負は決していた。ベルトランの左手には短刀が握られていて、その刀身は後ろ手に男の脇腹へ深々と突き刺さっている。熱く漏れ出ずる液体があった。
「わ、私は……王女を……穢れた王女を……ご、ごの手で……!」
「一振りの見事に応えて教えよう。ここにはおらんよ。既に大河を遡って北へ入っている」
それは事実だった。激発の夜のあることを見越して、第三王女の身柄はヘルレヴィ伯爵領の古い館へと移されている。ベルトランの主の命によりアクセリが護送したものだ。彼女の母についてはこの夜までの偽装工作のために居残っているが、今は火除け蔵の中で精鋭たちに護られている。
「馬鹿、な……ぞんなごと、が……」
「そんなことが起こる時代なのだ。我が主の加熱する今とは」
男は呻き、その力が抜けていく。ベルトランはそれを最後まで待たずに身を翻し、剣を一閃させた。首が落ちて転がる。赤黒く焦げて絶望に彩られたそれは、血の涙を流していた。
やがて全てが燃え落ちて、離宮を舞台とした暗闘はその痕跡を灰燼の下へと消し去った。
大火は離宮を越えて広く王都の東辺を焼いた。その凄まじさもあって、正門前における南北手勢のぶつかり合いは僅かな負傷者を数えたのみの小競り合いとして終わる。両陣営とも建前でなく消火活動に専念せざるを得なかったからだ。
世に「離宮の変事」と呼ばれるものは、結局のところ、不審火に端を発する南北の意地の張り合いとして歴史に記録されることとなる。何にせよまずは火を消すべきだった……後世の歴史家はそう論ずるのだろう。
しかし、アスリア王国内乱の現在にあってその影響は大きかった。
互いへの不信感を強めた南北両陣営は、ロンカイネン侯による王都守護の要請もあり、互いに奉戴する次代の王を南北の領地深くへと囲い護ることとなったのである。ただし、北部勢力においてその実施の時期が変事に先んずることを知る者は少ない。
いずれにせよ、かくの如くして一夜の火災が内乱を本格化させたのだ。
それを望んだ誰かがいたこともまた、知る者のごく少ない、歴史の裏の真実であった。




