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第67話 つまるところは勤労の志一つ

「よし、帰ったみたいだね」


 親衛団本部の事務室は会議室のすぐ隣にある。窓からマルヤランタ侯とロンカイネン侯をこっそりと見送ったラウリがそう言ったならば、隣から即座に返事があった。


「はい、帰りましたね。突然に来るなって話ですよ。侯爵様ならば侯爵様らしく、もっと重々しく動けばいいんです。そういう身分の人が気軽に動くと周囲が迷惑するんですから。それが一人でも随分なのに二人してだなんて……まったくもう!」


 それはあんまりな言いように思えて、ラウリは声の主へと顔を向けた。不満げな様子の少女は、見慣れていてなおその美貌が目に眩しく映る。ラウリにとってはかつての部下であり、新年よりはマルコの秘書を務めているところのエルヴィだ。


「え、でも、事前に連絡はあったんだよね? あんな妖しげな帽子のお年寄り、ここの警備が無許可で近寄らせるわけないもの。最近は特に神経質になってるし……」

「勿論、ありましたよ。アーネル団長からふざけた書簡が届きましたから」

「……ふざけてたの?」

「ふざけてました。さっきの二人とは王都へ行った帰りの船で乗り合わせたみたいですね」

「ええっ!? それってつまり……」

「チトガ大町からここまで、早馬が駆けた分だけ、書簡が先に届きました。団長本人は船から降りずにヘルレヴィ領へ直行したようです。食事の美味しい船だそうですよ? 次の船に乗り換えたとして同等のものを食べられるとは限らない……それが、二人の案内を断って厄介を丸投げしてきた理由だそうです!」


 プリプリと怒りつつ机に戻っていく。律儀にも一度片付けておいたらしい帳面を幾つも取り出して、フンフンと鼻息も荒く仕事を再開した。素早く的確な動きにも見えるし、一般的な事務員に比べれば間違いなく優れた仕事ぶりではあるのだが、ラウリにはそれがいかにも鈍く精彩を欠いているように感じられた。彼女の視線は文字と数字から離れない。しかしその意識は別に向いているようだ。


 マルコが心配なのだろう、とラウリは思う。


 帝国軍との戦いに終始した昨年は、この冬において、マルコに多大な負担でもって圧し掛かったものだ。水上の大火計、陸水面での追撃戦、皇帝との決戦……それらに前後した準備作戦も含めれば休む間もない多忙である。その結果、マルコは決戦の終盤に体調を崩してしまった。意識が朦朧となり、危うく落馬しそうだったとラウリは聞いている。


 同じ頃にダニエルが負傷したのは偶然か必然か……ラウリはそこに不思議な繋がりを感じずにはいられなかった。ダニエルは未だサルマント領都にて静養を余儀なくされている。冬の外気に晒す危険を冒せないからだ。暖かくなるのを待って王都、もしくはユリハルシラ領都へと移ることになるだろう。


 他方、サルマント領にはクスターが“火撃”を率いて赴いている。サルマント領軍との合同軍事訓練のためだ。クスターならば仕事の合間にダニエルの無聊を慰めることの一つもするのではないか……武名を持つ男に対して、ラウリはそんな期待も抱いていた。


「マルコくんが戻ったようです」


 エルヴィが言って間もなく玄関の扉が開く音がした。足音はまるで聞こえず、それでも幾ばくかして事務室の扉が開いた。


「お待たせしました。報告の続きをお願いします」


 マルコが青紫色の瞳で微笑んでいる。それは妖しいまでに美しく、危ういほどに底知れない。ラウリはまだ見慣れない色のそれを見つめた。かつては碧眼であったものが、青を深めて更に紫をも抱き、神秘の色彩を表している。変色……いや、それはきっと変質なのだろうとラウリは感じていた。そしてその意味するところは前進に違いない。マルコはその瞳となったことで床払いが出来たのだから。


「うん、わかった。それじゃまずは隠し財産の話だけどね?」


 ラウリは心からの笑みでもって答える。覗けている辛さも危うさも何もかもを見ない。指摘したりなどしない。問うたりなどしない。彼の体が彼の威力とでも言うべきものについてこれないことは何も今に始まった話ではない。出会った頃から変わらないその不均衡は、恐らくマルコの「不思議」の代償なのだ……ラウリはいつしかそう考えるようになっていたから、憂いの停滞を捨てて久しい。


 それに、ラウリは確信している。マルコは竜であると。同情し、憐憫し、保護する対象ではない。そんなことのために自分はここにいるわけではない。竜は王であり乗騎ではないのだ。鱗に掴まるだけの己が、それを撫で擦り労うなどしてはいけない。ラウリは身の程を知っている。


「指示通り、物資にしろ金銭にしろペテリウス領の復興事業へたっぷりと投資したんだ。その詳細はこの巻物ね。オイヴァ隊の派遣先と連動するようにしたから、彼らの行くところ村も町も蘇ることになるよ。ヘルレヴィ領での施策も全部導入する手筈。冷害に強く外敵から生命財産を護り易い、が合言葉だね。流通経路についても、ほら、この通り。支流との繋がりを強化するから水運が更に活きるね」


 ラウリが展開し差し示す色々をマルコは素早い視線で追いかけ、追い越し、細々とした数字も逐一確認しているようだ。そして何かを思いついたものか手だけで羊皮紙を探し、それはエルヴィに差し出されることで筆記の手段を得るに至った。


 いつの間にかマルコの側近くに佇んでいたエルヴィを見やって、ラウリは目を細めた。引き締めた唇は己を秘書として律していることの表れに思えたが、それ以外の全てがマルコを思い遣っている。心配している。その姿はいつかの女性を思い出させた。マルコの母の看病をしていた若い未亡人で、名をハンナといったか。今もあの家に住まい、妻を亡くし子を旅立たせた村長を支えているという。


 六歳のマルコがキコ村に暮らしていたあの頃、ラウリは村長夫妻やハンナへのご機嫌伺いのために子供服や化粧品を贈呈したものだ。その交流の中でマルコの幼少期についても様々に聞いている。当時は信じもしなかったし、信じたとして何の意味もなかった言葉がラウリの脳裏に点滅していた。


「あの子、生まれて七日間は緑色の瞳だったのよ。今は青いけれど」


 マルコの母が不思議そうに言ったその内容を思えば、ラウリは奇妙を感じずにいられない。緑から青へ。そして青から紫へ。変化するはずのないそれが変化を続け、今後もそれは止まらないものなのか。その意味するところは何か。原因は何か。結果は何か。


 真実を知る者がいるとするならば、それはジキルローザだろうとラウリは考えている。


 ある日突然に現われて、それが当然とばかりにマルコの副官となった女性だ。マルコが決めたのだから誰も否やもないのだが、しかし、その印象はあまりにも圧倒的であった。浅黒の肌に銀髪という少数民族の女性であるところの彼女は、その外見の美しさもさることながら、何にも増して戦闘能力の高さでもって周囲を驚かせたのである。


 無手においては前線砦の警備兵数人を音もなく昏倒させた挙句にクスターを叩き伏せ、竹束剣を手に取ってはオイヴァに尻餅をつかせ、アクセリの剣をも弾き飛ばした。馬上戦闘においてはクスターが試合を拒絶して逃亡し、彼女に追われた末に捕らえられ、縛られ、馬でもって引きずられた。弓においても卓越していて、三十歩の距離からクスターの頭上に置かれた果物を三度に渡り射抜いてみせた。


 部隊指揮は模擬戦の相手を指名されたクスターが「それだけは勘弁してくれ。お前ら俺がボロボロになるのがそんなに楽しいのか」と拒否したため試されなかったが、彼の男泣きが多くを物語っていたように思われる。


 しかしラウリが注目したのはそこではない。距離だ。ジキルローザはこれまでの誰よりもマルコに近しい。寄り添いつき従うこと、まるでマルコの影のようだ。意図を察し自ずと働くこと、マルコの半身のようですらある。そら、今も。


「数は?」

「六です」


 マルコが資料から顔も上げずに言ったならば、会議室へ続く扉の向こうから彼女の声が返ってくるのだ。エルヴィが目を丸くしている。ラウリはまた笑む。戦士として長足の進歩を見せているというこの元部下は、才能は豊かなのかもしれないが、年相応のムラっ気があった。


「半々でしたので一ずつ残しております」

「いりません。関係もありません」

「畏まりました」


 僅かな言葉のやり取りで多くが伝達された気配がある。マルコはその手を休めずに点と線とを描いていて、ラウリは不意にその正体に気付いた。


「やあ、それは街道整備計画だね。随分と大規模だからわからなかったよ。前線二領が中心だけど、ヘルレヴィ領とユリハルシラ領にも手を加えるのか……許可についてもそうだけど、これ、資金的に大丈夫なの?」

「そのための龍将軍位、そのための内乱ですね。許可も資金も手放しに与えられますよ。北部とユリハルシラ領はもっと緊密に繋がらなければならないのですから」

「それなら助かるね。もともと北部って道が悪いからなぁ」

「国防上の理由ですよ。容易に前線へ行けるということは、容易にこちらへ侵攻されるという意味でもあります。不便な街道であればこそ、かつての侵攻は遅く、今回の侵攻は水路によって為されることになったのですよ」


 マルコの描く線は地理を踏まえた上で精緻だ。ただ人口集中地を繋ぐだけではなく、物流の大小を区別した道も考えられている。生活のための道と大規模輸送のための道とを別のものとしつつも関連させていて、刺繍の網の目を見るかのようだ。


「うーん……商業的には物凄い効果が望めそうだけど……凄過ぎて怖いかも。こないだのような大軍が攻めてきたら、これ、敵の三倍の兵がいたって防げないんじゃないの?」


 ラウリが思わず言ったならば、マルコはその宝石のような瞳をキラキラとさせて顔を上げた。白い歯からも光が零れて、実に楽しげに言う。


「その通りですよ。この街道が整備されていたならば、四倍から五倍の兵を配さないと前線二領で止められません。驚きですね。ラウリは優れた内政家であるだけでなく、軍事においても視野の広さと鋭さを持っているようです」

「ええっ!? ちょっと、マルコ、そんな真正面から褒められると照れるよ! それに軍事なんてからきしだって知ってるでしょ? 私、剣も槍も使えないもの」

「優れた戦略家であることと優れた戦士であることとは別です。それに、人も物も数が集まって初めて力を発揮するところがありますからね。同じことです。お見逸れしました」

「だ、だから、もう……もうっ」


 もうお腹一杯だから、と訳のわからないことを口中にモゴモゴと言うラウリであった。助けを求めてエルヴィを見たならば、彼女もそちら側か、マルコと同じように嬉しそうな笑みである。二十歳にもならない華やかな二人を前にして、己の髭を無意味に盛んに撫でつつ、ラウリは頬の熱さを持て余すよりなかった。


「大丈夫ですよ。もう帝国の侵攻はありません。僕がそれをさせません」


 澄み切り、透き通ったような声がラウリの耳を撫でた。それだけで火照りが鎮まる。無様が意味を失って、穏やかで神妙な感動がラウリの全身を包んでいく。意味は後から浸透してきた。


「帝国と王国が争い続けることの無様を、これ以上見過ごすつもりはありません。人はもう十分過ぎるほどに行禍原へ死を捧げました」


 もうお腹一杯ですよ、などと片目をつぶってみせるのだから堪らない。ラウリはお手上げするばかりだ。エルヴィはといえば胸の前で両手を握っている。目は爛々としていて、その一方で唇はいつも以上に引き締められている。やはりラウリは微笑ましかった。マルコの側で働くとはそういうことだ。


「さて、とりあえずこんなところですね。細部についてはお任せできますか?」

「勿論だよ。大事業になるね!」

「そうですね。盛り上がり方によっては村はおろか町が幾つか生まれるかもしれません。時期を見計らって商家の協力も仰ぎましょう」

「わあ、ますます大事業だ! 暮らしにくい北部、という定評が覆るね!」


 ラウリは受け取った図面を丁重に丁重に卓上へ置いた。間違っても生乾きのままに巻いたりはできない。この一枚によってどれだけの活気が生まれ、人々の生活に彩りが増すことだろうか。ついさっきまでただの一枚の羊皮紙であったものが、今や、何にも優る宝物なのだ。


 戦の旗を掲げて英雄となったマルコであるが、彼は軍人としてのみ突出した存在ではない。ラウリはしみじみと思う。かつて彼の指示のもとで古戦場に拾い集めたクワンプの種……土遊びとも見られたそれがどれだけ多くの幸せに繋がったものだろうか。派手さなどなく、誰に表彰されるでもないそれらの功績を、余人は知らずともラウリは知る。竜がいかにして力を蓄え、翼を伸ばしていったのかを知る。


「忙しくなるねぇ」

「はい。エルヴィもよろしくお願いしますね?」

「はい! わかりました!」


 若く、元気の良い返事だった。それはラウリにとってやはりどこかで見た風景なのだ。もう十年近くも前になる。ラウリにとって全ての始まりはあの春の日のキコ村だ。玩具に目もくれず新聞を読ませろと言ってきたマルコ。そんな彼が授業をしていた青空教室。見学料は白銅貨一枚だった。


「……あ!」


 ふと思い至ったことがあって、ラウリは声を発した。


「ねえ、エルヴィ、君ってキコ村の出身だよね? マルコの授業を受けてたんだよね?」

「はい、そうですけど?」

「もしかして、私が初めて授業を見学した日、そこにいた?」


 聞いたならば、ニヤリと笑って、言ったものである。


「無銭見学のおじさんがいたので、髭を引っこ抜いた覚えがあります」

「わあ、やっぱり!」


 笑い声が部屋に満ちた。


 春の訪れが近いことを、ラウリはその心に感じ取っていた。

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