第5話 素直に話せばいいんです
剣の間合いは死の間合い。
騎士たちの馬上の風景を求めず、兵士たちの槍衾の列を求めず、矢の石も何もかも己に無関係のものとして、ただ乱戦の中に剣の間合いを追い求め続けた1人の男がいた。人を斬り、馬を斬り、土塁も鎧も断ち割って、剣の風が戦場を席巻することを願った彼の頭には緑色の頭巾。
ベルトランという男のそんな来歴は、1つの戦場で粉々に打ち砕かれた。7年前の話だ。
(勇者などといっても1人の人間。白馬に跨り、金銀の鎧を纏い、軍に囲まれていたところで……俺の剣を逃れられる道理はない。血のつまった肉袋に過ぎないことを証明できよう)
愚かにも孤立したその軍を、エベリア帝国軍は狂猛に食い破った。無数の兵が肉と血油となって地に散らかし、名だたる貴族も将も平等の無惨を空の下に晒した。敗軍の将兵は等しく死んでいく。混戦乱戦は命の平等を剣刃の下に実現する。そこにあっていよいよ潤い冴えわたる緑色こそがベルトランだった。
20、30と殺人を量産する彼の剣を止めたのは、1人の大男だった。満足に鎧も着ていないそいつは、拾い物に違いない馬上槍を棍棒のように振り回し、死の汚泥の中で嵐となっていた。勝敗など既に決し、いかに殲滅するかという状況である。そんなあからさまな危険には誰も近寄ろうとしなかった。すぐ近くに高価で簡単な貴族首があるのに、どうしてそんな雑兵首など。
ベルトランだけが襲い掛かった。彼にとって死は平等さをもって尊ばれる現象であり、貴賎や男女や老若によって偏らせていいものではないからだ。目の前の大男を避ける理由は皆無だった。剣と鉄柄が激突し、束の間の1対1を繰り広げることとなった。
(死は死によってのみ購える。一剣をもって対せば彼我のいずれかに死は結実する。死合え。死合う日々にこそ真の生と死が在り、俺の奉ずる神がいるのだ)
大男の意外なほどの抵抗に手古摺る内に、ベルトランは戦況の激変を体験することとなった。まずは散々に蹴散らされた味方兵が駆け込んできた。大量にだ。この包囲網を形成するに当たり後方へ置いてきた輜重隊や負傷兵たちである。次いで空の色が変わるほどの矢の雨、石の雨。そして驚嘆すべき錬度の騎兵突撃だ。
執拗で鋭利、縦横無尽にして疾風怒濤の攻撃。大小多寡を変幻自在として分離と合流を繰り返し、エベリアの将兵を百人単位に分断して各個殲滅していくその徹底的戦術。人間の欲に彩られて勇者らに襲い掛かっていた帝国軍とはまるで違う。どこまでも合理的に、効率的に、非人道的に……大軍を総滅するための方法論を突き詰めたかのような死の生産だった。
恐るべきは、その方法論の中には勇者率いる軍の救命が考慮されていなかったことだ。むしろ油断と混乱と隙とを生み出すために利用されていた。戦意なきエベリア後方兵と、勝利に浮かれていたエベリア前線兵と、そして死地に喘いでいた勇者らと……それら三種の兵を密に押し込んで、誰も彼も何もできないよう仕向けておいて、外縁から殺し尽くしていったのだ。
(あれこそ……あれこそは死の具現。そして、その死を導く者は……)
ベルトランは見た。逆撃に転じた大男の剣をいなし、敵味方定かならぬ死体を盾にし、血と肉油と脳漿と糞尿とに塗れながら逃げるその時にあの時に。死の化身のようにして軍を指揮し、死の先駆者のようにして万を殺めていく男を。死に支配されることなく死を支配し、生きようとせず、さりとて死のうともせず、死を冷徹に大量生産しながらも死に溺れない……降臨した死神を。
結局、その場にいたエベリア帝国兵は誰1人として無事には済まなかった。降伏も認められず皆殺しにされかけ……事実、貴族や士官は1人残らず殺されて……僅かに兵卒や傭兵が数百人ばかり生き残るも全て奴隷となった。ベルトランもその内の1人だ。鎖に繋がれ、労働力として売買された。
そして知ったのだ。狂おしい炎の儀式を……“聖炎の祝祭”を。
エベリア帝国にとっては死神であり、アスリア王国にとっては救世主であったろう男を、国の総意でもって無惨に殺しただけでは飽き足らず、骸を辱め、名を辱め、冒涜の限りを尽くす。ベルトランはそれを狂気とは見なさなかった。むしろ得心した。さもあらん、と。
“死”とはそういうものだ! 忌まれ、恐れられ、火をかけられる!
人は産まれながらに泣く。死の気配が始まったことに泣く。知れば終わるソレを避けんと、退けんと欲して文明は形作られる。死は原動力なのだ。人は予測のできない最大のモノである“死”から遠ざかろうとする。英知という名の臆病で死という死を隠蔽し、誤魔化し、真実から望んで目を背ける。
ベルトランは確信し、そして信仰するに至った。
彼はやはり“死”の受肉した姿であったのだと。
戦場の剣の間合いに神を探し求めていた男が、目に見える形での信仰対象を得た。サロモンを殺し勇者を祭った祝祭の日は、彼にとっては神が示された天啓の日となった。彼は独りにして1つの宗教を確立させたのだ。
(神は一度姿を隠したる後に、再びその姿を見せるとされる。ならば……ならば!)
ベルトランは奴隷主を殺して裏社会へと走った。エベリアへ戻ろうなどとは微塵も考えなかった。敬虔なる信徒として、次なる啓示を求めて暴力の巷で呼吸し、今か今かと待ち続けた。年単位で待ちに待って……いつしか憤りを胸に宿すこととなった。
(ぬるい。世界がぬるくなっていく。勇者を讃えるのはいい。涙するのもいいだろう。しかし酔い痴れるにしても限度というものがある。我が神への恐怖を忘れかけているではないか。何故もっと罵倒しない。何故もっと冒涜しない。忘却し、どこまでも愚昧へと沈むつもりか。ブクブクと肥え太り惰眠を貪る家畜のように!)
ある時から彼は奴隷売買に興味を持つようになった。覚えている者を見たくなったのだ。家畜たちを狩り売り払いつつ資金を集めて……神の事業を体験した者たちを買い求める。あの地獄に生き残り、奴隷となったエベリア帝国兵たちを。
アスリア王国各地に散った彼ら彼女らは、既に死んでいる者も少なくなく、見つけたとしても必ずしも彼の神を畏怖しているとは限らなかった。それでも探し集め、選抜して手元に残した。いつしかそのことにも飽いていったが……しかし、面白い出会いもあった。大男である。資金集めのための裏家業。その内の何某で意図せずも再会したのだ。いつもつまらなそうな顔をしていた。
(あの大男もあの戦場を体験した1人。因縁ではあるが、啓示にはほど遠い些事だ)
ベルトランの酒量は増えていく一方だった。焦燥と憤懣とが滓のように降り積もる。時は無常だ。ぬるさに憤りつつも、ベルトランは大衆の日常という大河に飲み込まれつつあった。
今宵、この時までは。
「サロ、モン……」
己の発した言葉に自ら呼ばれるようにして、ベルトランは目の前の現実に立ち戻った。暗い酒場の二階。腐った世の中に幾つもある掃き溜めの内の1つ。そこに1人の少年が立っている。
(何という……何という目をしている。それは……その目は……まるであの時の……あの!)
燈明の光を妖しく反射する2つの瞳は碧色だ。酩酊に濁っていた視界は痛いほどに澄み切り、そのくせ他の何も見えないで、ただその碧光をのみ映している。怖い、とベルトランは思った。嬉しい、ともベルトランは思った。他にも色々な思いが重なって……気がつけば、彼は膝をついて碧眼を仰いでいた。頬を伝う水滴があった。
それは神への礼拝であった。
ベルトラン。その名がマルコの駆け抜ける戦史に登場することはない。エベリア帝国の戦争史においても「緑巾のベルトラン」は“アスリアの”勇者討伐戦中に戦死したとされている。歴史は彼の存在を認めることがなかったのだ。彼の信仰する神の名も伝わっていない。
しかし、無限の激動を賢しらにまとめた文言など、所詮は真実の端切れ。分かりようのないものを分かったように、分けられぬものを分け、削げぬものを削ぎ、水の1滴をもって海を断じる行為に過ぎない。信仰の形はそこに確かに在ったのだ。死を崇め奉る1人の使徒が居たのだ。死地に啓示を受け、憤懣に禊ぎ、碧眼に祝福された男が。
そしてその隠された存在こそが、マルコの偉業を影から支えることとなる。ベルトランと、彼に見出された者たちとは、歴史の表舞台に立つ事なく暗躍するのだ。善悪の彼岸にあって絶対的に君臨する“死”を崇め奉り、その化身たるマルコの命ずるままに……狂信者として。
さても恐るべきは、当時にして齢6つの少年マルコである。
様子を窺っていた大人であるオイヴァをして、理解することも対応することも出来ない急転を見せたベルトランの態度……臣下の礼をも超えた在り様に対して、微塵の動揺もなく告げたのだ。
「その態度や、よし」
告げられた言葉にベルトランは恐懼した。今の自分は不用意な無様を晒しており、それは許されないことだと自認していたからだ。感極まりつつも、叫びだしたいほどに戦慄く胸を抑えに抑え、ただ畏まる。
「疾く、返答すべし。今夜この町で女性を誘拐したのか、否か」
「は。否、です。俺……自分は与り知らぬことです。今宵この町にいる徒党は1階にいる者たちのみであり、残りの者……腕の立つ者らや奴隷売買を担当する者らは、現在、領都へ滞在しております」
「何故か」
「は。領都にて近々奴隷大市が開催されるからであります」
奴隷は高価な商品であり、金貨なしにはいかなる取引も行われない。アスリア王国に流通する金貨は大金貨と小金貨とあるが、一般的な労働奴隷の価格で小金貨15枚程度であり、白銅貨で払うならば1500枚に相当する。青銅貨ならばその10倍の枚数だ。天井知らずの市場でもあり、最高級の奴隷ともなると大金貨すら複数枚が用いられるという。大金貨1枚は小金貨100枚に相当する。
一方で維持費のかかる商品でもあることから、奴隷市は富裕層の住まう都市部にしか常設されることはない。ヘルレヴィ領内では領都の他には大町が1つあるきりで、ベルトランが根城とするこの町においては冬の初めに1度開かれるだけだ。貢納に失敗する者は後を断たない。
あの運命の死地におけるエベリア敗残兵を求めるベルトランにとって、重視すべきは常設市だ。新商品などは転がして利鞘を稼ぐ物品に過ぎない。様々な現場……それは貴族の寝所から猛獣の餌場まで多岐に及ぼうが、いずこであれ既に酷使されているであろう奴隷が再び市場へ流れることがある。そこに求める奴隷がいる。常時奴隷が商いされる領都で不定期に開催される大市は、そんな奴隷を発見しやすいのだ。
しかし、彼のそんな事情は少年には関係のないことであった。
「ならば、用もなし」
踵を返して立ち去ろうとする背中に、一瞬呆け、直後に吠えるように追いすがるベルトランだった。
「お、お待ちください! どうか……どうかお待ちください!」
声もなく、ただ頬のみを肩越しに見せた少年に対して必死で訴える。彼は奇跡がいかに得難いものであるかを心得ていた。恥も外聞もない。彼の見る世界においてはそもそも恥でも何でもない。己の腰ほどまでしかない少年へ、その踵にすがりつくような有り様で、乞うた。
「心当たりがあります! 今宵この町で女を拐かして兵の動かぬ者となれば、1人があるきりです!」
「いずこかの男爵であるか?」
「おお、然りであります。しかし件の男爵当人であることは在り得ぬのです。その者もまた領都の大市を目的にして屋敷を空けているからです」
「……その家人か」
「おお、おお! 然り! 然りであります! であればこれは裏影に生じた事態であり、そこに主のご意向を反映なさるおつもりであるならば……どうか、拙めに御命じくださいますよう……どうか!」
主と呼ばれ、命令を求められたことが気を引いたものか……少年は振り返った。その瞳に今は烈光を控えつつも、奥には変わらずの“死”を在したまま、答える。
「できるか」
「は。売買とは流通なくしては成せぬもの。悪を知るは悪であり、それら悪は孤立してはおりませぬ」
「如何にして」
「は。狐を虎の罠に締め上げて」
碧眼の上で眉が小さく持ち上がった。それは届いた証。
「では命ずる。今夜この町で攫われた、キコ村の女ハンナを救出せよ」
信仰は成った。歓喜が始まった。
「主の御心のままに……!」
緑巾を締めなおした死奉の剣士が立ち上がった。階上の異様に静まりつつあった徒党に指示を飛ばし、三々五々と夜の街へと駆け散っていく。男たちのみならず、女たちもまた行く。ベルトランの放つ迷いない気迫は伝播して、手練の2人はともかく、残る与太者たちまでもが機敏であった。
徒党の消えた店内に2人、マルコとオイヴァが残る。
「何がどうして……どーゆーこった??」
しばらくしてようやく問えたそれに対し、答えは子供らしい笑顔だった。
「親切な人もいるものですね」
手に持っていた木剣を放り投げ、大男は盛大に喚いた。
そんなわけあるか、と。




