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第49話 帷幕の内に策を巡らす者は

「問う。そもそもアスリア王国とは勇者の国なのか。勇者に頼ってそれを殺されてしまった国なのか。それとも魔人の国なのか。魔人に救われそれを殺してしまった国なのか。どちらにせよ既に勇者はなく、魔人もまたなし。聞け。魔力の正邪を問わず、それに頼り依存した今のアスリア王国は蛮国である。恥じるべし。この大陸に人の世の秩序を人の力で営むは、文明国はただエベリア帝国があるのみ。従え。ひれ伏し、疾く従え。正統な文明に急ぎ参画すべし。さもなくば十万の軍にて再び攻め滅ぼすぞ」


 それは言葉の剣だ。

 

 幾多の矢文で、幾人もの使者で、繰り返し文言が放たれる。叩きつけられる。挑発というのも生ぬるい内容を繰り返し伝達する。それはしかも前線においてばかりではない。街々の辻でも、王都の深く高いところでも、人を代え形を変え、しかし鋭さはそのままにして叫ばれるのだ。


 潜入した工作員たちによりその下地作りは十分に果たされている。王国を揶揄する流行歌。教会の協力により礼拝の脇で子らに教えられもした流行歌。色付き水を植物に吸い上げさせるが如くに、歌は王国を巡って潜在的な不穏分子を明らかにした。面白がった者たちはその全てが帝国にとって利用価値のある駒だ。色水が毒水に変わったところで、それらは汲み上げ広めていく。教会が今更に止めようとももう遅い。


 王国と教会の誤算、それは勇者伝説を多用し過ぎたことだ。


 悲劇に酔い痴れるそれも、狂乱に酔い痴れた魔人火刑も、どちらもが精神を薄弱とさせる劇薬だ。注意深く少量をもって利用すべきものだ。たとえ滅びかけ病身の国体であろうとも、細心の注意を払って冷徹な理性でもって服用させなければならなかった。いや、あるいは教会はそうしていたつもりだろうか。


 甘い。甘すぎる。両国の歴史を長く知るがゆえの油断だ、それは。


 見よ。今の王国の民など、風向きによっていかようにも身を折り振るぞ。葉ばかり大きくその身に芯のない長草ばかりではないか。風任せの生き方に慣れきっている。流れに容易く身を委ねる。判断を余所に任せるくせに、その身ばかりは熱心に振り動かす!


 さもあらん、人の営みとは個々に熱を帯びるものだ。拍動とは命の熱気に満ちている。人形ではないのだ。無機質な糸で行儀良く操りきれると思うのならば、それは傲慢というものだ。人の熱情は確かに在って、しかもそれは病体の国家においては制御不能の衝動として発揮される。理性を欠いては熱に呑まれるのが定めだ。


「……獣なのだよ、もはや」


 暗い帷幕の内に独り言が呟かれた。寝食も忘れて資料と地図とに埋もれる男は、ドナルド・コレトスである。髪はざんばらとなり、髭もむさ苦しく、頬もこけている。血色も悪い。しかし充血したその両目だけは煌々と光を放っているかのようだった。


 彼の策が山場を迎えようとしていた。春先に会戦を行ったばかりの両国は、この初冬に、年内二度目の会戦を行おうとしている。それも前回を大きく上回る規模であり、どちらも十万を超える将兵を動員する。大会戦だ。待ちに望んだものだ。


 百の策を用意し、その全てが成ったわけではない。一つの策が失敗すれば次善策を、それも叶わなかったならばそれを補う策を……しぶとさだけを必勝の手段として、ドナルドは多くの策を必死にその手で編み上げてきた。鮮やかさなど無縁だった。しかし一度たりとて熱意を失わずにやってきたのだ。


 崩壊した帝国軍の再編がまず難事であったし、それは外に王国軍の侵攻を恐れつつ内に帝国分裂の危機を抱えたものだった。精鋭の主力軍を失うとはそういうことだ。教会を信じることなどできないままに、その力を大いに頼らざるを得なかったところだ。民を慰撫し、王国の注意を国内復興に向けさせ、帝国貴族に権力奪取への蠢動を自重させる……皇太子をすら亡くし権威の失墜も明らかな帝室にそれらを行えたはずもない。西方教会が伝統的権威によって辣腕を振るったものである。


 困った時には頼りになるのが教会だ。そしてそれは調子が良くなった時に取り立てられる援助でもある。あと一押しで王国を滅ぼせるというその時機に“勇者”が聖定されたことが証拠であるとドナルドは考える。歴史上、勇者の現れ方には二種がある。一つは魔境の拡大を伴う自然災害が発生した時で、もう一つは大陸に覇者が誕生しかけた時だ。後者については追い詰められた弱小国家を善とし、追いつめた大国を悪とする勇者伝説が記され、語り継がれることとなる。


 冗談ではなかった。ドナルドはそんなことを認めるわけにはいかない。歴史とは人形劇ではない。その時代を懸命に生きる人々が大地に刻み残した足跡だ。人の血と体温とが感じられるものでなくては意味がない。彼は勇者伝説を否定する。帝国人の多くはそこまでの考えを持たず、ただ先の戦乱に現れた勇者の真偽についてのみ疑問符をつけるが、ドナルドは勇者という存在そのものを拒絶するのだ。


「たとえ神であれ人の形をしているのならば討つ……か」


 ドナルドにそんな言葉を残した人物がいた。かつての皇太子である。近衛軍を率いて勇者と激烈な戦いを繰り返した英雄だ。そしてその最後の戦いにおいて、遂に勇者を討ち果たしたのである。それは命を懸けた証明であったようにドナルドは思う。人の歴史が人のものであることの証明だ。


 だからドナルドは勇者を認めない。そんな存在に人の歴史が歪められ、停滞させられることを断固として拒否する。それゆえに勇者を教義の中心に据える教会を信じない。利用し利用され、騙し騙され、そんな権謀術策の果てに裏をかき、置き捨てにしてやるつもりだった。


 これから戦われる大会戦は、その規模において既に教会の予想を裏切っていようし、その結末においても教会の度肝を抜くだろう。ドナルドは荒んだ人相の中に笑みを浮かべた。用意は整っている。


 まず、王国軍の統帥権を持つところの第一王女エレオノーラは激昂しているとのことだ。それはそうだろう。彼女こそ教会の最大の失敗策……いや、失敗作であるとドナルドは見る。魔人火刑と勇者伝説、その二つの劇薬に最も強く影響されたのは彼女であるようだ。それをもって御そうとしたのならば明らかにやり過ぎだ。


 彼女は人として何かしら壊れているようだ。それを王宮の奥の花園に隠しきるのならばまだしも、唐突にも北方歴訪などと自ら前線へ出てきたのだからドナルドは嗤うよりない。前線でも、道中でも、様々な場面で彼女は工作員の観察に晒された。王者である以前に女性であり、それにしたところで少々と言わず問題のある人物と察せられた。感情に振り回される性質が見られた。


 だから、言葉の剣は深く刺さる。強く効果を発揮する。そして彼女を抑制する立場にある大貴族たちや軍幹部にしても、それを強硬に留める理由を持たない。持たせないように調整したのだ。


 王国軍は帝国軍の実力を低く見積もっている。侮っている。


 先の会戦の勝利を小さなものに留めたのは意図してのことである。前哨戦における砦焼失は予定外の痛手であったが、その被害も利用して帝国軍の継戦能力や遠征能力を低いものと示すことができた。会戦前後の諸戦闘も五分である。そこにはバルセロの思わぬ敗戦もあったが、それまでの戦果もあり帝軍大佐へ昇進させることは叶った。そうなればむしろ敗れた事実は利用価値が出る。王国軍をより増長させることができた。


 また、二つの虚報が王国のとある伯爵の耳に囁かれた。一つに、先の会戦における帝国軍の勝利の要であった黄金剣騎士団であるが、それを率いるイグナシオ将軍は戦闘中の負傷によりもはや戦えないということ。もう一つに、小戦闘の雄であるところの黒蛇バルセロ将軍であるが、これも戦闘中の負傷により戦えないということ。どちらもその伯爵の戦闘意欲を強く刺激したことだろう。彼は成り上がりであり、戦功に欠ける身に劣等感を抱いている。戦勝が欲しかろう。


 ドナルドは他にも細かな策を演出として織り交ぜてきた。奴隷の逃亡兵、意図的に捕虜になった帝国兵による帝国の窮状吐露、捕虜にした王国兵に駐屯地の粗末な食糧事情を体験させてからの解放などだ。全てが示弱の計である。王国軍を思い上がらせるのだ。帝国軍など恐れるに足らずと思わせるのだ。


 そして刺す。言葉の剣で深々と刺し貫く。流行歌で素振りは済んでいる。ズバリ鋭く剣は刺さった。この刃には刺激的な毒が塗り込められているから、そら、王国は早々に興奮の症状を表したものだ。教会の止める声も聞かずに大兵力を吐き出してきた。大規模会戦を嫌う教会を振り切った。時期としても狙い通りのところである。ドナルドは己の口の端が歪み上がっていくことを自覚した。


 初冬である。収穫祭を終えてぬくぬくと蓄えを抱え冬を待つ王国は、それがそのままに実った麦穂の在り様だ。刈り取る時が訪れたのだ。多くを支払い、長きに耐え、周到な準備を進めてきた帝国にはそれを頂戴する権利がある。かつてその目前で台無しにされた大陸統一を、今度こそは成し遂げなければならない。そのための道がドナルドには見える。征服の道が見える。この道を見るための十五年であった。


「……予断はいかん。予断は禁物だ」


 ドナルドは傍らから濡れ手拭いを取り、口元に当てた。唇が乾く。頬は熱を持っている。それはしかし体調の不良ではない。ドナルドはむしろ自分がいつになく活力に満ちていると感じていた。あるいはこれが執念の炎というものかもしれないと思う。老いて不自由な己が身に、自分以上の何かが宿っているような気がするのだ。それがこれまでに犠牲となった帝国兵たちの心火であればいい。ドナルドは眼を閉じた。今は亡き輩たちを、皇太子の在りし日の姿を想う。そして刮目した。


 留意すべきことは幾らもある。それらへの対処を確認する。ドナルドは自分に即興で策を出すほどの才はないと自認している。用意しなければならない。百難を想定し、それら全てに何通りもの対応策を考え出しておかなければならない。


 王国軍を破ることについては軍が必勝の策を練ってある。となればドナルドが留意すべきは教会だ。


 教会は両国の争いが行禍原という枠を越えることを嫌う。越えた途端に中立の立場を捨てると言っても過言ではない。それを天秤に例えるならば、傾きが大きくなった際の歯止めがあることを見せておかなければならない。両国どちら側にもそれは必要だ。


 帝国領においては、それを目に見える形で物理的に用意してある。前線のカルリオン伯爵領、ティヘリナ伯爵領の背面に建設された長城がそれだ。南東の端を紫雲海に接し、北西においては西龍河に接するという長い長い壁である。


 王国軍の侵攻を恐れて建設が企画された大計画だが、どういうわけか教会からも非公式に援助金が提供され、未だ完成には至っていないながらもそれなりの形を成している。軍事的な観点からすれば費用ほどの効果を見込めない代物だが、それでいいとドナルドは考える。教会さえ納得すればいいのだ。壁というのはいかにも坊主に分かりやすい建造物であろう。


 王国領においては二つの歯止めがある。一つはユリハルシラ侯爵領の存在だ。当主クラウスの将才もさることながら、その傘下にある剣角騎士団も、領軍も、どちらも敵ながら見事と言わざるを得ない精兵だ。かつての侵攻の際もその強さに苦戦させられたものだ。今もその戦力が健在であることは知れている。


 今回、ドナルドは彼らと同様の戦いをするつもりはない。そのための切り札は漆黒の戦外套の枚数分だけ用意されており、彼らの命を全て使い捨てにしてでもその歯止めを無力化する計画である。


 もう一つは川賊の存在である。教会が王国内で前線への物流を操作するために利用している悪党だ。教会は水運を握る彼らの組織力を抑止力と見るだろう。帝国軍が王国領へ侵攻した場合、その水運を帝国に対して非協力的にすることで歯止めの一つとして機能させるだろう。


 しかし川賊の本質は虚無的で、教会への忠誠などといったものは皆無であった。ドナルドが自ら出向いて確認したことである。色々と調査したところ、巧妙にも教会を欺いてさえいた。金だ。王国のことも教会のことも利益を得るための顧客程度にしか認識していない。彼らが勢力を拡大することを援助し、その不法行為を承認した帝国は、彼らにもたらす金額の分だけ水運を自由にできる。


 後は速さだ。速さこそが教会の介入を阻む最大の力になるとドナルドは見切っていた。そしてそのための準備も為されている。速さを生む策が征服の道の先々に用意されていて、帝国軍はそれによって加速し、最後まで走りきることになるだろう。


 微かな懸念としてあるのは、あのバルセロ軽騎兵連隊に打撃を与えた戦闘集団の存在である。アスリア王国第三王女親衛団だ。その規模は三千人でしかなく、しかも王宮内のつまらない理由から僻地の砦に押し込められている。その位置は水運を押さえた段階ですぐさま枯らし殺せる場所ではあるが、帝国軍前線砦を焼き落とした傭兵部隊と今も懇意であるとの情報もあり、無視することはできない。大会戦の中にその独特の旗を見るようであれば、その軽騎兵の動きを注意すべきだ。


「……いかんな。私はもう戦えぬ身であるのに」


 ドナルドは独りごちて、息を吐いた。騎士としては致命的な傷を負った自分を忘れ、ついつい、戦術的なあれこれを考え出していたのだ。帷幕越しに聞こえる鐘や太鼓の音のせいかもしれない。ドナルドは苦笑いだ。久しぶりの戦場だからといって年甲斐もなく興奮しているようだ。


「ここまでくれば……死んでも大した悔いが残らんからかな?」


 身を起こし、傍らの剣に手をやった。手入れを欠かしたことはないし、できる範囲で素振りもしている。しかし殺意をもって実戦に振るうことは久しくしていない。この大会戦にて振るうこともあるだろうか。討ち死にの名誉をもって人生を終えることは、心密かに抱いている夢ではある。


 少し抜いてみる。刃に映る己は酷い姿だ。老いた山賊といった風である。とても名誉がどうのという在り様ではなかった。雑兵にも劣る。ドナルドは苦笑いを重ねた。


「相応だ、これは」


 剣を納めた。もう顧みもしない。再び資料と地図とに見入る。ふうふうと息を吐きつつ、不安を殺していく。唇を乾かしつつ、心配を潰していく。胸に湧く重苦しい熱気を押さえ込んでいく。


 大なる会戦が始まろうとしていた。


 ドナルドの策が動き出そうとしていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 民心と輿論について共感するところがある。とはいえその手のひら返しと言ってしまうのは自分がクソ真面目なだけかも知れない。
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