表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/148

第46話 新聞をいかに楽しもうとも

 アスリア王国は一つの戦勝に沸いていた。


 王都発の新聞には「剣角騎士団の黒蛇退治」が英雄的勝利として強く賛美されており、四剣方形の旗を掲げた騎士が蛇を踏みつけている挿絵はまるで絵物語の竜退治のようだった。第一王女エレオノーラによる祝福の言葉も載せられており、主要な騎士については近々叙勲もあるだろうとして記事は締めくくられている。


 第三王女親衛団についても記載もされていた。こちらは一人の少年を中心とした記事内容となっている。辺境に忠烈の志をもって立った勇敢な少年は、初陣でありながら行禍原を横断して帝国軍前線砦へ突入するという快挙を成し遂げたと紹介されている。剣角騎士団の黒蛇退治においても追従して武功を立てた、という扱いだ。


 その紙面にも、それ以外の紙面にも、新聞として記され公布された情報の中には行禍原会戦における王国軍の敗北については一言たりとて記されていない。会戦があった事実すら明らかにされていないのだ。


 悪辣なエベリア帝国は栄光の王国軍によって打ち破られつつある。


 今も勇者の御霊は王国を守護しており、その正義は燦然と輝いている。


 新聞に躍る文言に酔い痴れていったならば、さぞかし、この戦争は美しく誇らしいものとして体験できることだろう。悪にして愚かなる敵は明確にその存在を示されており、善にして凛々しい自分たちはそれを打倒し、事の道理を正す立場として存在している。殴る敵と肩を抱く同胞とが用意されている。胸のすく爽快感と高揚を誘う充実感とが提供されている。


「愉快なことだ……」


 その呟きには何の感情も込められていなかった。乾ききっていた。暗い地下牢のようなその部屋で、僅かな灯火をもって羊皮紙を照らしていた男は、肥えたその身体を粗末な服で包んでいた。


 男は名をヨアキム・ベックという。


 東方司教としてアスリア王国の中央部を影響下におき、その猛烈な弁舌と漲る生気とで怪僧と認知されているところの彼は、今この私的な一室において静寂に浸かりきっていた。表情もなく動作もなく、絨毯も敷かない石床の上へどっかりと胡坐をかいている。夜がそうさせるものか、まとう雰囲気は老人のそれであった。


 パタリ、と小さく音を立てて羊皮紙が落ちた。薄汚れた暖炉の口へと放られたのだ。中は焦げた色々が乱雑としていて退廃の気配がある。未だ綺麗な新参者を迎え入れて塵の舞う様子には、絵物語の不死者たちが生者を誘うかのような趣もあった。次いで小さな蝋燭が火のついたままに投じられたなら、そこには火が広がっていくのだ。ベックはそれを見守る。


 生き物の皮が焼ける臭いが立ち込めた。紙は苦悶を踊るかのように丸まり、端から黒く焦げ崩れていく。白い小粒がひょいと追加され、火の勢いが増した。油脂だ。


 この部屋に動くものは火と燃料ばかりとなった。微かにチリチリと鳴るのは皮が炭へと変じていく音か。それともこの陰気な部屋に埃の積もりゆく音か。あるいは時の進む極微細の針音か。ベックは身動ぎもせずに火を見る。橙色の揺らめきがゆっくりと萎んでいく様を見続ける。

 

 やがて全てが台無しになって、ベックは小さく息を吐いた。傍らの手拭いを拾い首をぬぐう。空気の淀むこの部屋は暑くジメジメとしている。これでも過ごしやすくなってはきたのだ。

 

 夏は盛りを越えた。どんなにか昼に晴天を誇ろうとも夕闇には冷めた風が混じる。そしてそれはもう戻らない。ジワリジワリと冷えていって秋になる。ゾクリゾクリと冷え切って冬になる。瘴気を運ぶ北風は強まり、人に命の終わりを予感させる。冬とはどう言い繕おうとも死の季節だ。今はもうそこへ向かって転げるように冷えていくばかりなのだ。


 冬は誰しもの頭上に平等に到来する。世界は必ず冬に閉ざされる。どこもかしこも逃れようもなく冬の支配を受け入れるのだ。しかし、それでも、人類は死滅しない。再びの春が来るからだ。奇跡のようにそれは来る。人々はそれを祝い寿ぐ。当然だろう。新春とは世界が蘇ることに等しい。


 ベックは考える。世界がそうであるならば、人はどうであろうかと。


 生は死へと転落するが、その逆は起こりうるものなのだろうかと。死は生へと昇ることもあるのだろうかと。絵物語の不死者のようにではなく、神話の奇跡のようにして、失われた命が再び世界に返り来ることなど起こりうるのだろうかと。


 そう、例えば就寝と起床のようにして。


 人の一日とは人の一生の相似だ。夜の眠りもまた永久の眠りの相似であろう。そうであるならば、朝に目覚めるようにして、死の先を再び生きるといったことも可能なのだろうか。人が意図してできずとも、神の奇跡や悪魔の呪いが振るわれたならば、そんなことが世界にまかり通るのだろうか。


 繰り返し耳に聞こえる言葉があった。銀の髪に紅の瞳の彼女が口にした言葉だ。


「あの人は死んでしまった。けれどまだいる……また生きる」


 ジキルローザ。“魔眼”のジキル。あの男の副官であった女だ。その彼女が虚空を見据え、確信に満ちた表情でそう言ったのだ。無視はできない。言葉をそのままには受け止められないにしろ、何某かの秘された意味があるはずだった。ベックはその秘密を知りたいと欲したが、十五年を経てなお、何一つ知ることができないでいる。


 彼女は今どこにいるのだろうか。ベックはそれを把握していない。世界に朝と夜とがあるように、理にも表と裏とがあって世界を動かしている。彼女は裏の理の奥を歩く者だ。ベックもまた裏を知る者だが、その深度において彼女に迫ることは不可能に近い。彼女は“魔眼”であり、ベックはただの人だからだ。


 彼の両の眼に映るのは、いつだって世俗の生々しい在り様があるばかりだ。ベックとしてもそれが己にお似合いであることは百も承知である。


 此度の一年は去年よりも更に血生臭い四季節を巡るようだ。


 春にとうとう行われた行禍原会戦。勝利宣言を出したのは帝国軍であったが、しかしそれは辛勝でしかなかった。その後は再びの部隊哨戒が繰り返されることとなって、前線には夏が訪れた。そこにまず名を上げたのが“黒蛇”ことテレンシオ・バルセロ帝軍中佐である。五百騎の軽騎兵を戦場広くに散らせて敵味方の遭遇戦をいちはやく察知、状況に応じて千五百騎で来援して両国の勝敗を帝国軍の大きな勝ち越しへと導いたという。


 ベックにとってそれは、冬眠したはずの蛇が躍り出てきたかのような印象であった。かつての戦乱においても黒蛇は精強さで知られていたが、あくまでも末端や外縁部の良将といった風で、戦争の重要局面にはついぞ現われることがなかった。大きく活躍することなく終わったのだ。捕らえられず帝国へ逃げ去ったとは聞いていたが。


 それを付け狙う集団が現われた。剣角騎士団である。


 会戦前の前哨戦においても勝利しているが、歴史ある屈強な騎士団であるから当然なのだろう。ベックはその部隊戦力の詳細については理解していない。彼は聖騎士ではなく僧侶だ。その領分は刀剣の届かない場所にある。ただ騎士団がユリハルシラ侯爵家が傘下に養うものであると知るのみだ。優秀な駒であると聞く。


 そんな彼らの活躍は、奇妙にも第一王女エレオノーラの自尊心に悦をもたらすようだった。己の派閥に属する貴族の騎士団であるから、それは己の騎士団であるに等しいという理屈だ。彼女の中ではそれが歪み無き真実なのであろう。ベックは呆れたものだ。


 愚かな話だった。騎士団とはそもそも四侯六伯が独自に保有する戦力であり、その存在理由の根本は王権に対する抑止力である。国軍の統帥権を持つ国王が暴走しないよう監視するための戦力だ。その構図が大事なのだ。兵権を分割することは軍事力による重大事件を抑制する効果も見込める。極端な侵攻や軍事革命が起こりにくくなる。四侯六伯と騎士団の制度は、それを望んだ教会が両国に介入して実現した制度であり、建国を援ける条件であったという。


 ところが、現実には第一王女のお声掛かりにおいて、大々的に騎士団の活躍が謳われている。前線における軍事力の運用について一切口を出さないと約した第一王女だが、かしましい界隈においてはその活動を自粛するつもりなど毛頭ないのだろう。ベックはそう判断し、今のところそれを放置していた。聞こえてくる噂や新聞の内容の中に教会を示唆するものがないからだ。


 今も昔も、教会は両国に対して中立の立場を表明している。かつての戦乱において聖杯騎士団が帝国軍と交戦していても、建前上は王国に味方したわけでも帝国に敵対したわけでもない。あくまでも“勇者”の指示に従ったに過ぎないのだ。教会は勇者を援助し従う義務を有し、それは両国への配慮よりも優先されるものと定められている。


 聖杯騎士団は勇者の剣であるに過ぎない……たとえその剣が王国に対して振るわれようと、帝国に対して振るわれようと、問い質すべきは勇者なのであって教会ではないという理屈だ。


 詭弁だ。


 ベックは教会の裏の理を知る立場にある。その彼が勇者と聖杯騎士団についての理屈を一言で断じるならば、それはただ「詭弁」の二文字であった。


 むしろ逆であると知るからだ。


 勇者の剣として聖杯騎士団があるのではない。教会の剣として勇者があり、勇者を旗頭として聖杯騎士団がその力を存分に振るうのだ。それはそうだろう。勇者とはそもそも教会によって選ばれるのだ。教会が必要を感じた時、教会にとって都合のいい誰かが、教会によって仕立て上げられて勇者となる。それが教会の道具でなくて何だと言うのか。


 ベックは勇者と会話したことがあった。当時はまた司祭で、勇者の聖定について裏の理を知らずにいたが、相対しただけでそれと知れる威があることに驚いたものだ。見た目はいかにも美しい青年であったが、やはり普通の人間ではなかったのだ。


 人柄としては純粋で子供らしい性格であったようにベックは記憶している。王国南部の孤児院の出身だが、血を辿ったならば王家の傍流に連なるという。それが事実かどうかはベックの知るところではないが、過去の勇者も全員が両国どちらかの王家の血を引いていたとされているから、その意味するところは二つきりだ。王族の血には勇者の資質が備わっているのか、もしくはただの詐称か。今の立場なら確かめようと思えば確かめられるそれを、ベックは未だ確かめていない。興味がないからかもしれない。


 今、教会は勇者を必要としていない。


 両国の戦争は行禍原に拮抗状態をもって展開している。


 剣角騎士団に狙われてなお活躍した黒蛇が、もしもそのまま勝ち続けることによって帝国の大勝利を招いていたのならば、あるいは勇者が必要となったのかもしれない。王国側に再びの勇者が現われたのかもしれない。しかしそうはならなかった。


 黒蛇を打倒する戦闘集団が現われた。第三王女親衛団である。

 

 初陣にて帝国軍の三個連隊を次々と破り、果ては前線砦の一つを焼き落とすまでのことをしてのけた戦闘集団だ。それはしかし“火撃”の騎兵隊と呼ばれる凄腕の傭兵団を雇ったゆえのこととも言われていたが、実力を疑問視するそんな声を塞ぐだけの戦果が再び打ち立てられたのだ。


 第一王女がいかに事実を捻じ曲げて膨らませようとも、事実が消え去るわけではない。剣角騎士団を大々的に賞賛し、親衛団については美談を持つ少年を中心に据えることで団としての功績を薄めようとしているようだが、前線将兵から伝わってくる真実というものがある。


 第三王女親衛団は傭兵の力を一切借りず、黒蛇に勝利したのだ。


 初陣の戦果によって人数制限を解除された親衛団は、王国軍から抽出された千五百人の兵をもって正規の三千人規模の部隊となっていた。駐屯先はベックも実物を知らぬ破れ砦で変わらないが、随分と熱心な戦闘訓練を積んでいたらしい。その殊勝は戦場において成果に繋がったようだ。


 剣角騎士団と共に行禍原へと出撃した親衛団は、団長自らが軽騎兵千騎を率いて黒蛇と対決したとのことだった。歩兵千五百卒は後方に停滞して戦闘に参加しなかったというから、騎兵にのみ訓練を施していたものだろうか……ベックにはわかりかねることだが、いかにもありそうな話ではあった。


 第一王女が紙面に書かせたところの少年は、重騎兵五百騎の中になって何もしなかったというのが真実らしい。それは道理だった。14歳の体が重い鎧に身を包んだ上で大弓など引けるものではない。それくらいはベックでも知っている。しかし安全ではあっただろうと思う。象徴としての一騎を重騎兵の中に潜ませることは戦場ではままあることとベックは聞いていた。剣角騎士団においてもユリハルシラ侯の嫡子に初陣を経験させる際、そんなことをしたとか。


 何にせよ、少し勝ち過ぎていた帝国軍が手痛く敗れたことは幸いだった。ベックにとっては戦闘の詳細などどうでもいいのだ。両国の軍事力が均衡状態にあるか否かにのみ関心がある。この夏の状況は悪くなかった。会戦前には予測のつかない状況になると思われた事態は、望ましい範囲内に収まりつつあった。


 血生臭いことに違いはない。次にくる秋もまた似たり寄ったりの犠牲が払われるのだろう。そうなるように見守り、それが乱れないよう少々は手を加えなくてはならない。匙加減というものがある。


 そうやって季節を四つ巡り、厳冬の末に世界は冷えて閉じるのだ。その静けさの中にしかベックの安眠などない。いや、あるいは本当の冬が来るまではあり得ないのかもしれない。


 安らかな眠りなどという贅沢は死のその瞬間にまでとっておいて……ベックはこの夜も身を横たえず胡坐をかくのだ。彼が調節すべき匙加減は多かった。


 夏は終わろうとしていた。


 秋が、新たな血の臭いとともに訪れようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ