第4話 コツは手首と指先の連動
オイヴァはすぐに追いついた。暗い路地の真ん中に立ち往生する少年は、眉根を寄せて難しそうな表情をしている。面倒なことになったんだろうな、とオイヴァは思った。
「おう、どうなったい? 何か手伝えることはあるか?」
「あなたはさっきの……」
意外そうな顔だ。それは大人の助けを期待していなかったという意味で、この少年にとってはそれが当然なのだろうと納得するオイヴァである。やはり普通の子供ではない。
「オイヴァだ。さっき女の悲鳴が聞こえたが、お前さんの連れかい?」
「……マルコです。一緒に村から出てきた女性が人攫いにあったようです。周りに聞いても誰も何も教えてくれません。何か心当たりはありますか?」
「そいつぁ、また……」
村から出てきたと聞いて、オイヴァは内心で舌打ちした。少年の身なりからしては意外な情報であり、それはこの場合あまりよろしくない。町の人間であれば駐在所の兵士たちを動かすことができるし、そうすることで大概のことは何とかなっただろう。しかし町の外の……それも村の人間となると厄介だ。行政の扱いが粗雑になる。
しかも犯人は背景のある人間のようだ。単発的な犯行であれば娯楽に飢えている路地裏の連中が野次馬根性を剥き出しにするだろう。周囲の人間が少年を相手にしないのは事に関わりたくないからだ。つまりは関わると厄介だという判断をした……オイヴァはそう解釈した。
「事情を聞いてもいいか? 見当のつけ方も解決の仕方も変わってくる」
「わかりました」
聞けば、少年たちは辺境の村から商取引のために出向いたそうだ。人員は荷物持ちとしての男衆3人、少年、そして少年の付き添いとしての妙齢の女性だ。名をハンナという。拐かされたのはその女性のようだ。一行は旅籠の外れの木賃宿に今晩の寝床を確保していたが、道場の音に誘われて少年が外出したものを、心配したのか女性が追って出て被害にあったようだ。
「すぐ戻るから追わないよう言ったのですが……」
「そりゃあ、お前が悪いな。心配されて世話を焼かれるってな、基本的に信用されちゃいねえんだ。信用されてねえ奴の言葉は軽い。しかも女だろ? 情ってもんがある。追いもするわな」
「……考え足らずでした」
一瞬眉毛をピクリとさせたが、その表情には焦燥や悔恨といったものは見受けられない。いっそ冷厳としていて、その小さな体の内に怒気を予感させる。オイヴァにはそれが奇妙に映る。保護者の女を心配している風がないからだ。
「しかし随分と遠くから来たな。最寄の町はここじゃあるめえ?」
「売り買いの相場の関係です。取引自体は上手く済んだのですが」
「取引先を聞いてもいいか?」
「山風商会です。行商人の方からの紹介状も持参しました」
「ふぅむ……」
その商会の名はオイヴァも知っていた。真っ当な商いをする店である。辺境からの珍しい客を裏で食い物にしようと企むことはあるまい。そうなると行きずりの犯行ということになる。
(町の人間じゃねえと見て掻っ攫ったかな? 若ぇ女に目をつけるとなると……)
場所も併せて考えると、オイヴァの脳裏には2つの可能性が残ることとなった。1つはこの町に屋敷のある貴族の内の1人。好色で知られる男爵だ。野の花を手折ることが趣味と聞くから、夜道を無防備に歩く村娘を見かけたなら味見を試みてもおかしくない。もう1つはこの辺りの与太者を束ねる親分だ。人身売買に手を染めている連中からすれば、町に縁故のない村娘など容易い獲物だろう。
「幾つか心当たりが出てきたぜ」
「他言はしません。お礼もします。教えて貰えませんか?」
清々しいほどにキッパリとしていて、依存心がない。犯人がどんな人間にせよ子供の身ではどうしようもないと考えるのが普通だ。だが、とオイヴァは思う。もしかするとこの少年ならばどうにかしてしまうのかもしれない。
(見てみたい、と思うのは流石に不謹慎かもしれねえが……面白そうだ)
真っ直ぐと見上げてくる碧眼にニヤリと笑みで返してやるオイヴァだった。
「夜道で村娘を攫うところを誰に見られても構わねえって野郎は、この界隈じゃ2人。その内で悲鳴を上げさせるのは片っぽだけだ。ベルトランっていうエベリア人の傭兵崩れがいてな。この界隈の与太者どもを従えて色々と悪さをしてやがる」
「居場所はわかりますか?」
間髪入れずに問うのだから、今夜の縁は相当に派手なことになりそうだ。
「勿論だ。溜まり場になってる酒場がある。案内してやるよ」
「……よろしいのですか?」
「ああん?」
「ご助力はありがたいのですが、面倒事になりますよ?」
気遣いを見せつつも、少年の目はゾクゾクとするような光を宿しつつある。やはり見間違いではない。この少年は恐るべき何かを秘めている。そしてそれは、この夜の面倒事の先で発露されるに違いない……オイヴァは己の鼻の穴が大きく広がったことを意識した。
「上等じゃねえか。与太者が何人群がろうが何をかあるだ。ベルトランの野郎とも因縁があるしな」
「その親分格と面識があるのですか?」
「勇者が殺された、その日その時その場所でな」
「あの戦場で、ですか」
「ああ。心配はいらねえってことよ。俺ぁ、あの死地をも生き残った男だぜ。ある意味じゃ勇者よりも強ぇのさ!」
柄にもなく大仰なことを言ってしまい、すぐに照れのきたオイヴァであったが、少年があまりに驚いた顔をするものだから堪らない。「いやまあ」だとか「んじゃ行くか」だとかへどもどしつつも、少々得意になっていた。だから、気付かなかった。見逃し、聞き逃してしまった。
「あれで死ななかったんですか……それは素晴らしいことを聞きました」
誰の目に映ることもなかった、その下弦三日月の微笑。漏れた碧色の炎。それは承認であり刻印だ。この日この夜にオイヴァ・オタラは黒髪碧眼の少年に目をつけられた。それが祝福なのか呪詛なのかは、人により判断の異なるところだろう。
後年、マルコが軍事力をもって大陸に威名を轟かせるその時、宿将の1人にオイヴァ・オタラの名が確認できる。不屈の闘将、鉄壁大将、粘り山などとあだ名される彼は、激戦地を好み、戦場の最も過酷な位置に立ち続ける男として知られることとなる。
それが本人の望んだものであったのか否かは、これもまた議論の分かれるところだろう。しかし、その契機となったのがこの初冬の夜道であったことだけは確かなようである。
閑話休題。
背後から爛々と己を見る碧光に気付くことなく、オイヴァは街路を走った。既に町は夜の支配するところである。表通りはともかく、裏道にはそこかしこに視線の通らない暗がりが在る。長屋住まいの人間たちは僅かでも燃料を惜しむからだ。その様子はどこかいじけていて、黴の臭いがする。
やがて到着した酒場も根っこは同じだ。荒んだ雰囲気を隠しもせずに夜気へ晒している。その店構えにヤケクソな印象がつきまとっているように感じられる。店前に立っている男は客引きではあるまい。男が腰に帯びた剣をチラリと見て、オイヴァは静かに呼吸を整えた。
「何だ、お前……そのガキを売りに来たんじゃねえなら、帰りな」
オイヴァの背丈に若干の怯みを見せつつも、男はそう凄んできた。柄は悪いがそれも仕事なのだろう。答えようとするオイヴァを手で制し、マルコが1歩前に出た。
「親分のところへ案内してください。女性の誘拐について話があります」
「……あぁ?」
「聞こえず、わからずの案山子に問答は無用。まかり通ります」
「うぉ、おい、てめえっ」
伸ばされた腕をスルリと避けて中へ。速い。オイヴァはその体捌きに驚きつつも、男を羽交い絞めにしてマルコの後を追った。店内は外見に負けず劣らずの荒みようである。十数人の柄の悪い男たちと、数人の接客らしい女たちが、淀んだ酒盛りの喧騒を俄かに静寂として耳目を寄こしていた。後ろの方が立って背伸びをするような素振りをしていることでもわかるが、マルコに注目しているのだ。
「親分を呼んでください。女性の誘拐について話があります」
酒気の霞を払うような声が発せられる。きょとんとした表情が一通り周囲を巡り、そしてそれは歪んだ爆笑として破裂した。下卑た言葉が雨あられと飛び交う。オイヴァの抱えている男もまた唾を飛ばして笑っていた。
「どこの王子様が世直しにお出でなのかなぁ?」
酔った男の1人がマルコの首根っこを掴もうとして、しかし空振りに終わった。それどころか既に数歩も店の奥へと進んでいる。進行上の誰かが立って遮ろうとした。それも間に合わない。速い。スルスルと音もなく奥の階段の方へと進んでいく。
「おい、てめえ、待てコラ!」
恐らくは2階に親分のベルトランがいるのだろう。オイヴァは今になってそれを察した。階段前に立ち塞がった2人はここの男たちの中で最も体格が良く、身なりもいい。手近に置いてあったらしき剣も使い込まれた様子だ。護衛なのだろう。その2人がそこへ位置取っていたことが、ベルトランが階段先にいることをマルコに教えたのだ。
「うぎゃっ!?」「ごわっ!?」
その2人が剣を抜く間もなく悲鳴を上げた。顔から血を飛び散らせてよろめく。その隙にマルコはスタスタと階段を上がっていってしまった。
(何だ! 何をした!? ただ歩いていただけだぞ!?)
慌てて後を追おうとするが、流石に2人目の闖入者たる大男を素通りさせてはくれなかった。たちまち囲まれるが、オイヴァ自身も含めて、誰もがどこか困惑から抜け切れていない。目の前で起きた不思議を頭で処理できていないのだ。
「と、とりあえず……そおれぃ!」
抱えていた男を棒に見立てて振り回すオイヴァである。これはオイヴァ以外にとっては今夜2つ目の不思議だった。人間はそんなに軽くない。ブンブンと鞭のように唸りを上げる迫力に気圧されたか、オイヴァは乱闘もなく階段へと辿り着いたのである。
「話があるだけだから、追ってくるんじゃねえ。それぇい!」
階段の上から男……涙が涎かわからないドロドロで顔を汚し、グッタリとした人間を投げ落とす。悲鳴と怒声と破壊音が連続して発生した。
「ありがとうございます。そのままそこを宜しくお願いします」
マルコである。見ればオイヴァの側に背を向けて立ち、卓の先の何者かと相対している。燈明は卓上の1つのみで、階下よりも随分と薄暗い。橙色に揺れる灯火の先に座るのはベルトランだ。彫りの深い男らしい顔立ちは伸び放題の髭と髪とで粗暴に縁どられ、凝結したような眉間の皺の両脇には、酒に淀んだ瞳が窪みのようにして在る。
(緑巾のベルトラン……相変わらず、何もかも面白くもねえって顔をしてやがる)
オイヴァはベルトランと何度かの面識がある。そのどれもが碌でもない顔の合わせ方だが、中でも最悪なのはやはり最初の出会いだろう。時は今より7年前。場所はアスリア王国とエベリア帝国の境界たる行禍原の、ややアスリア側にずれた場所。現在は勇者の戦没した地として知られる辺り。
そう、敵対する陣営の兵士同士として出会ったのだ。
オイヴァは勇者直率の軍の従軍鍛冶師として。ベルトランはそれを滅ぼさんとするエベリア帝国軍に雇われた傭兵として。状況は初めオイヴァにとっての地獄であり、サロモン将軍の来援後は、ベルトランにとっての地獄へと変貌した。死神が大挙して鎌を振るう死の原で、2人は剣を交えたのである。
最初はオイヴァがベルトランの剣の下に殺されそうになり、最後はベルトランがオイヴァの剣の下に殺されそうになった。決着をつけるでもなく、混戦の中でそれぞれに辛うじて生を拾うこととなったのだ。
「投げ銭か……見るのは2度目だ」
ベルトランから重苦しく紡がれた言葉に、オイヴァがギョッとした。階段を上ろうとした男を蹴り落としつつベルトランを見る。その右手が酒に濡れ、陶器の欠片が付着している。察するに酒杯か酒瓶を投げつけようとして未然に迎撃されたものか。
(投げ銭……そうか、暗器か!)
暗器とは隠し武器のことで、密かに所持し、不意を突いて使われる武器の総称である。オイヴァは小型剣や鉄針などがその用途に使われることは知っていた。しかし硬貨とは思いもよらない。先刻の護衛を退けた謎が解けると共に、今蹴り落とした男の額の裂傷を思い、小さな子供が放つそれの威力に驚いた。
「もう一度だけ尋ねます。今夜、あなたの子分は村娘を誘拐しましたか?」
静かな声だ。しかしその一言一句が宣戦布告の冷淡さを帯びている。子供の声の上に戦場の音が乗っているその不思議を、オイヴァはもはや不思議とは思わなかった。
(ここからじゃ背中しか見えねえが、きっとあの目をしてるに違いねえ、違いねえよ)
それを見るために来たと言ったら彼は怒るだろうか。そんなことを思いつつ、再三の蹴り飛ばしでもって人の雪崩を作り続けるオイヴァだ。眼下の群れは既に脅威足りえない。しかし鬱陶しいことではあるので、いっそ階段を壊してやろうかと思いついた時、その音が耳に届いた。
「あ……うぁ……馬鹿な……」
ベルトランの声だ。見る。だがそれはベルトランか? 目が、鼻の穴が、口が、無様に大きく開かれている。あるいは耳の穴すらもか。震えて両手を抱きつこうとするように伸ばし、そのくせ、腰はへっぴりに引けている。
その姿は凄腕と知られた傭兵、剣士ベルトランにあるまじき姿だ。与太者の親分ベルトランにもありえない。誰も知らないベルトラン……しかしオイヴァには見覚えのあるベルトランなのだ。あの死地で……誰も彼もが死の風に晒された絶品の死地で、最後に見たベルトランこそソレだ。
もはや息も絶え絶えとして、その男の口が4つの音を唱えた。無言だ。空気を振るわせる何物も無かった。だからオイヴァには聞こえなかった。見ることもできなかった。
何を見た、ベルトラン。そして何を言った。オイヴァには窺い知れない。
4つの音は人の名を表していた。




