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第38話 出来うることならば、僕は

「バルセロ……“黒蛇”のバルセロですか。それは難敵でしたね。剣角騎士団も厄介な相手を宿敵としたものです」


 マルコの言葉にはダニエルも我が意を得た思いだった。そして若干の安堵すら覚えたものである。己の軍才には自負するところのない彼だから、マルコにすがるというよりは専門家に任せたいというのが本音だった。卓を囲む三人の中にはマルコと、もう一人の軍略家がいる。


「いやはや、黒蛇とはまた懐かしい響きがありますなぁ」


 そう言って皮肉げに笑むのはアクセリだ。ダニエルが知る限り最も将として万能な男である。かつてクスターとの機動戦闘では破れているが、それは相手の得意な土俵で戦ったからであり、手段を限定せず争ったならばアクセリの方が上だとダニエルは見ている。そしてそれはマルコも同様の見解なのだろう。この場にクスターが呼ばれていないことがその証左ではないかと考えていた。


 ここはアスリア王国中央部北側マルヤランタ侯爵領の北辺近い場所。人の避ける古戦場である“陸水面”に今も再建中の砦を横目に見る所。まるで開拓村のような趣の、第三王女親衛団駐屯地である。そこにて親衛団本部の看板を掲げた木造建築物こそがダニエルの今いる場所だ。


 名目としては、前線砦へ剣角騎士団の陣中見舞いを果たした後の寄り道である。帝国軍との行禍原会戦は王国軍の惜敗にて終了し、前線は今も厳戒態勢でもって帝国軍の来襲に備えている。しかし被害の算出と再編成とでてんやわんやと言うのが実情で、会戦の内容から鑑みると帝国側も似たようなものだろうというのが王国軍上層部の見方であった。


 混乱は大きいが、被害そのものは小さい。そして敗北したという事実の受け止め方を各自が分からないでいる……それがダニエルの受けた印象だった。両国の間には今日も行禍原が広がるばかりである。


 訪ねるべきを訪ね、見るべきを見た後、ダニエルは水上の旅人となった。日によっては夏の日差しも混じる中を舟に揺られてチトガ大町へ。そこからは陸水面への真新しい街道を馬に揺られてやってきた。建築材の搬送と同道しての駐屯地入りであった。


 これは寄り道だ。辺鄙な場所であろうと、寄ろうと思ったのだからこれは寄り道なのだ。ダニエル個人としても訪問したかった場所であるし、暗に様子を見てくるようユリハルシラ候から仄めかされてもいた。親衛団にはハッキネン護衛団の出身者も多い。アクセリ・アーネルなどは特に親しかっただろうが今も息災であるのか、などと。


 そのアクセリはと言えば、ダニエルの見た限り極めて健康的で機嫌も良い。ダニエルへ向けてくる笑顔はいっそ嫌味を感じるほどで、何かしら面白がられている気がしてならなかった。マルコと共にいられる彼のことを嫉妬しているのだろうかと、ダニエルは心中に己の狭量をいぶかしむ。あるいは疲れているのだろうかとも。


 そんなダニエルの思いを知ってか知らでか、二人の会話はダニエルへ聞かせるものとなっていた。

  

「かの御仁もそこそこの御歳でしょうに、未だ戦場を疾駆しているとは仕事熱心なことですな」

「そういう生き方しかできないのでしょう。そしてそういう人間は侮れません。仮にバルセロが一万騎を率いていて、行動の自由があり、補給を約束されていたとします。たちまちの内に王国は前線を後退させることになるでしょうね」

「ほう、そこまでのものですか。帝国の黒蛇は」

「彼は補給線を荒らすことにかけては右に出る者のない練達者です。陸路は尽く潰されるでしょう。しかも捕殺することが難しい。逃走の名手でもあるからです」

「軽騎兵ですからなぁ」

「彼の、軽騎兵です。その気になれば睡眠も食事も、排泄すらも馬上でこなしますよ。馬の方も、そうやって一昼夜を駆け続けられるほどのものを厳選しているはずです。遊撃隊としては最悪に近い相手ですね」


 流れるように語らえる内容を、ダニエルはいつしか目を見張る思いで聞いていた。アクセリが黒蛇を知ることはまだ分かる。かつての戦乱で見聞したことがあるのだろう。しかしマルコがアクセリ以上に黒蛇を知るというのはどういうことなのだろうか。


 ラウリは言った。不思議なことはあるものだと。なるほど確かに不思議だ。そして、何と恐ろしくも頼もしい不思議であることか。ダニエルは幾度も体験した感動を今再び経験していた。行禍原での戦争体験がその感動を強めているように思う。


 ルーカスの初陣に付き添った戦いは、ダニエルにとっても初めての戦争だった。互いに相手を打倒することより他に目的のない者同士のぶつかり合いだ。護衛団として馬賊と争ったものとは殺意の純度が大きく異なった。その激情に我を忘れるルーカスを横目に、ダニエルは己の拠って立つところのものを意識したものだ。


 やはりマルコだった。マルコという存在を通して思い描く夢こそが、ダニエルをこの世界に強く生きさせる。そして意味のある死を自分にもたらすであろうとも思った。それは喜びだった。己の生きた証はマルコの征く遥かなる道程の中に残るのだ。そう思い至ったならば、マルコ以外の何者もダニエルを脅かすことなどできはしない。夢を見い出し夢に生きるとは、つまりそういうことだ。


「討ちますか?」


 酒を注ぐか否かという風な気軽さで、アクセリはそれをマルコに問うた。ダニエルもまたその答えを聞きたかった。あの丘に見た千騎の凛々しい姿が思い出される。今回の会戦でのことも合わせ、少数にして剣角騎士団と対等以上の戦いをしてのける武力集団である。それをマルコは今後どうするつもりなのか。そしてアクセリの問い方の意味をも思った。討てますか、ではなく、討ちますかと問うその意味を。


「放っておくことです」


 マルコの答えは実に素っ気無いものだった。


「捨て置く、ということだろうか?」


 ダニエルの確認に対して、マルコはクスリと笑んだ。碧眼が妖しく揺らめいている。


「あの男は足枷のついた牙狼です。その実力に見合った立場を得ることはまずありえません。今回の会戦へ僅かでも参加できたことすら驚きに値します。あるいは誰か飼い主を得た可能性もありますが……」


 束の間どこか遠くへ思いを馳せて、しかしすぐにダニエルへと意識を戻したようだ。


「剣角騎士団との攻防に終始したということですから、今後もその役割を担うことでしょう。そして功績にならない戦いを続けることになる。これは非常に具合のいい状況です。剣角騎士団と黒蛇とが相殺され続けることは……僕に望ましい。とても」


 息を飲んだ音がした。それはダニエルの咽が鳴ったのか、それともアクセリのものだったのか。夢と現実とを諸共に支配する者の声が続く。ダニエルはその威に浴すばかりだ。


「数にのみ注意しておくことです。テレンシオ・バルセロという男は指揮下の騎兵の数で行動を決めています。千騎や千五百騎である内はまず危険を冒しません。常に退路を意識して戦場を駆けるでしょう。三千騎に増えたならば遊撃に気をつけなければなりません。どこにでも現れるようになりますし、その結果として剣角騎士団は壊滅するかもしれませんね」


 では、そうなったらどうすればいいのか……ダニエルはそれを言葉にして言えたかどうか自信がない。言葉にならず目だけで訴えたのかもしれない。どちらにせよ返事はあった。マルコの口元には変わらずの笑みがある。


「追わないことです。あの男が自由に動き出したならば、もはや戦場において追いすがり捉えられる相手ではありません。撃破するのに充分な戦力であれば追いつけないし、追いつけるだけの少数を選りすぐっても返り討ちにあうのみです。それでも、どうしても討ちたいと言うのであれば……」


 笑みが変じた。14歳の美しい少年の口元で、上弦の三日月が酷薄な曲線を描いた。


「軍団の一部として殺すことです。単独ではなく、味方部隊と足並みを揃えるような状況へもっていって、その万を超える兵士たちの内の三千騎として殺めるのです。それが最も確実にあの男を討つ方法でしょうね」


 例えば、と言って挙げた内容に……その口調に、ダニエルは呼吸すら忘れた。


「例えば……勇者を殺す好機を演出する、とか」


 ダニエルの脳裏には数多見た絵画が連続した。勇者落命の悲劇的場面だ。己の父や兄が無様に死んだあの戦いだ。現実には見たこともないその死地が、無数の絵画の継ぎ接ぎのようにして動きを伴い目に浮かぶ。そしてその夢幻の中には何故かマルコがいるのだ。勇者の命を餌にして黒蛇を釣り上げるマルコが。ダニエルは得体の知れない感情に震えた。


「……まあ、咄嗟の勢いや、何かの偶然によって罠に嵌められるような男でもありません。本気で討つことを考えるのなら、余程に周到な準備が必要だと思いますよ」


 コトリ、と小さく陶器の音がした。マルコが水を飲んだようだった。ダニエルは自分も咽が渇いていたことを思い出し、水を口にした。見ればアクセリは既に杯を置こうとするところだった。


「黒蛇とはそこまでの男でしたか。そうであれば、やはり、早めに討った方がよろしいのでは? 万が一、一万騎など持たれた日には手がつけられないではないですか」


 アクセリの言葉はそのままにダニエルの言葉だった。あの日あの場所で見た軽騎兵の列が、まるで北の天境山脈のように聳えて感じられる。会戦に敗れた前線を見てきたこともある。そして何よりも、マルコが認めた敵であるという事実が、ダニエルに不安と恐れを抱かせようとしていた。


 ところが、マルコはと言えば、キョトンとした顔でダニエルたちを見るのだ。


 その様子は今まで見てきた中でも特に可愛らしい表情だった。大人になりきらず、男女の識別にあっても女の側に分類された上で持て囃されそうな顔立ちが、虚を衝かれたような無防備さを晒している。水の杯を両手で持っている様子も稚い。ダニエルは束の間見蕩れた。すぐにその夢からは脱したが。


「ああ、そうか、そうですね、言葉が足りませんでした」


 奇妙に気まずいダニエルの前で、マルコは楽しそうに笑い声を上げた。鈴の音が魔を払うかのような声色だった。そしてその笑いの衝動を抑えかねる様子で……本当に珍しいそんな様子で、話し出す。


「今のは剣角騎士団の力で黒蛇退治をするとしたら、という話ですよ」


 未だ小さな笑いをクスクスと漏らしつつ、マルコは言うのだ。


「我々が黒蛇退治をするのなら、僕とクスターとで同数の軽騎兵を率いればそれでお終いです。それでもう負けません。数で優れば優った分だけ捕殺の可能性が高まるのみです」


 サラリと言ってのけるのだから、ダニエルはもう思い知るよりない。このマルコという名の夢の化身は、見せてくれる夢があんまりに大きすぎるから、時にこちらが手前勝手な不安を覚えてしまうだけなのだと。幾度の覚悟を重ねれば揺らがずにいられるものか、ダニエルには見当もつかない。ただ全身全霊をもって夢見るよりないのだ。そしてそれの何と幸せなことか!


「ですから、まあ、放っておきましょう。今のところは」


 そう言われ、今度はダニエルもアクセリも納得の頷きを返した。いつも主に多くを説明させてばかりなのだから、少々と言わず情けないと思いはする。しかしダニエルは嬉しかった。この夢は本当に刺激的で、遥かなものを感じさせて止まない。


「今回の剣角騎士団の戦い方は、双方被害を少なくやり過ごす方法としては最上のものでした。先だって軽騎兵を数多く失ったことが良い選択をさせたのかもしれませんね。以後も同様の戦術を基本としつつ、工夫を凝らしていくことです。それができる指揮官のようですし」


 それは王都へ帰還するダニエルにとって土産も言える言葉だった。あるいは策とも言える。マルコの言葉はダニエルを通じてユリハルシラ侯へと届き、そして前線へと影響するだろう。黒蛇がかくも討ちにくい敵ならば、剣角騎士団にとっても有益な言葉となるはずだ。


 何か肩の荷が下りたかのような脱力を覚えるダニエルだが、ふと見ればマルコとアクセリとの視線は彼に集中していた。そしてどちらも妙な笑みを浮かべている。


「……何だろうか。そうも注目される覚えがないのだが」

「いやいや、何を仰るのやら。今のマルコの話は重要な要素を含んでいたでしょうに」

「それはそうだが、しかし、どうして私を見るのだ。アクセリ、卿はどうも面白がっているようにすら感じられるぞ。これは私の勘違いか?」

「面白いかどうかと言われれば、まあ、面白い話ではありますが」


 いよいよ問い質さねばとダニエルが構えたところで、マルコが間に入った。しかし顔はやはり笑んでいる。ダニエルは戸惑うよりない。


「ユリハルシラ侯のご息女との婚約について、ですよ。アクセリが面白がっているのは」

「アマリア殿のことか。そう言われてみれば……なるほど……確かに王都の屋敷には賑々しい雰囲気があったように思う。そういう話が持ち上がっていたとは知らなかった。近いものは見えないということだろうか」

「……本気で言っているのですか?」


 ブハ、と奇怪な音がした。アクセリだ。彼一流の流麗さを持つ男が水などを噴き出したようだ。マルコも呆れたような顔である。ダニエルは困惑した。


「時に、貴方に昇爵の話が持ち上がっていることは認識していますね?」

「当然だ。マルコにそれを報告したのは私ではないか。しかしそれは時期の決まった話ではない。帝国と開戦したばかりの今だ。ハッキネン家の名を利用する何かしらの動きなのだろうと思うが」

「それもありえますが、そうだとすれば時期尚早もいいところです。劣勢になって初めて持ち上がる話ですよ、それは」

「そうか……では何だと言うのだ?」


 マルコが溜息を吐いた。ダニエルの困惑は深まるばかりだ。


「ハッキネン家にアマリア・ユリハルシラが嫁ぐための下準備に決まっているではないですか」


 ダニエルの思考が止まった。マルコの言葉が続く。


「いいですか? よく聞いてくださいね? ダニエル・ハッキネン男爵。そう、貴方のことですよ? ユリハルシラ侯爵家当主の覚えめでたく、嫡子の相談衆どころか初陣のお供まで務め、侯爵の名代として前線の剣角騎士団への慰問も行う貴方のことです。子爵家への昇爵は既に内定していると見て間違いありません。ユリハルシラ侯は機会を探っているだけなのですよ? そして今回の前線への慰問は、家門の人間たちへ貴方が軍人として在ることの印象を強化し、侯の信認が厚いことを示すためのものです。更には騎士団を伴っての出撃を見越してのものだとも推察できます。分かってなかったのですか? 本当に?」


 呆然として、言葉もなく、頷く。それしかダニエルにできることはなかった。今自分はどんな顔をしていて、マルコとアクセリはどんな顔でそんな自分を見ているのだろうか。まるで分からなかった。


「いいです。分かりました。では分かりやすく二択を用意しましょう」


 ダニエルの視界にマルコの人差し指と中指とが示された。見る。


「一つ。侯へ剣角騎士団と共に黒蛇を追い、宿敵を討つまでは王都へ戻らないと言う。これは昇爵と婚約の機会を黒蛇退治の完了をもって実行するという意味であり、先ほどの話の通り早々討てませんから、どちらの話も流れるものと思われます。少なくとも一年もすれば婚約の方は確実に流れるでしょうね」


 人差し指が曲げられた。中指が残る。


「一つ。侯へ黒蛇退治の困難さを説き、第三王女親衛団の意気軒昂ぶりを伝える。これは貴方を通じて侯が親衛団と交渉できるようになるという意味であり、先だって親衛団に無謀な出撃を強いたことを心労の一つとする侯は充分な功績として受け止めるでしょう。昇爵と婚約への動きは加速します。あるいはその功績をもってすぐにも執り行われるかもしれません」


 そして、マルコは優しく言うのだ。そう、それは優しい言葉だった。


「どちらを選んだ先にも僕は未来を描けます。僕の征く先は遠いものですから、そこへ至る道は一筋きりという訳ではないのです。血生臭い戦いの道であることは変わりませんが、全てを踏み潰していく必要もありません。拾える幸せがあってもいい……あったほうがいいのでしょうね、きっと」


 だから、と微笑む。


「ダニエル・ハッキネン男爵。貴方が、貴方の幸せのために決めてください。僕のためである必要はありません。貴方が望み、選んだ選択肢の先で、僕は変わらず貴方に役割を求めるでしょう。どちらを選んでも貴方と僕との関係が変わることはありません。貴方が僕への誓いを胸に抱く限り、僕は貴方の力を借り続けます。臣を迎えるとはそういうことでしょう?」


 そうだ、と付け加える。


「僕はクラウス・ユリハルシラという男をどうこうするつもりはありません。今も昔も、彼は己の本分を尽くしています。いつか、時期が来れば……僕の征く道がそこにまで届けば……彼と差し向かって話すこともあるでしょうね。その時に、どちらもが生きていたならば、ですが」


 遠い声だった。遥かな声だった。だからダニエルはストンと己の平静を取り戻すことができた。目の前にはマルコがいた。静かな微笑みを浮かべていた。しかしその碧眼の奥には窺い知れないほどの深みがあって、そこに満ちているものはきっと幸福なものではないのだと感じた。


 静謐が訪れていた。


 気付けば、ダニエルは頭を垂れていた。恐らくはアクセリも同じようにしているのだと察する。今、自分が触れがたい何かに触れたことを理解していた。畏れ多いことだった。


 彼らは、王の真心に触れていた。


 頭を垂れる内に込み上げるものがあった。それは熱い涙の形をしていた。

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