表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/148

第3話 懐かしきは撃剣の音色

 風が葉を散らす頃ともなると、繁華街を歩く人々の顔にも俄かに鋭さが帯びてくる。寒気は砥石のようだ。火も槌もなくとも、己の持ち前を磨くように思える。


「ま、包丁やら鋤鍬の類ばかりだけどよ」


 街路に面した酒場で真昼間から杯を呷りつつ、オイヴァ・オタラはどんよりと人の流れを見やっていた。大男である。椅子1つでは身が余るばかりか体重を支えきれないとみえて、2つを並べた中に浅く器用に座っている。黄色の着流しに黒頭巾という格好は風流人の好みそうな取り合わせだが、何しろ大きいので、力士か怪力芸人かという印象だ。


「包丁がどうかしましたかい、旦那」


 客もまばらな店奥から老人が出てきて、オイヴァの卓に酒瓶を追加した。


「や、や、主人、催促したわけじゃなかったんだが」

「研いでもらったコイツがすこぶる良くてね」


 老人は大振りの包丁を見せて笑う。オイヴァも笑って杯を軽く押し頂いた。今でこそ流浪の身だが、かつては刀鍛冶として従軍していたのだ。包丁の1本や2本はお安い御用だった。城住み騎士の家の四男として生まれた彼は、実家の貧困から鍛冶職人へと勘当同然に弟子入りさせられた来歴を持つ。


「しかし、これほどの腕前でらして、何だってお暇な様子なんで?」

「そりゃまあ、俺だって暇は嫌いだけどよ……」


 巨体を器用に縮めて、口を尖らせるオイヴァである。 


「気持ちのいい職場がなくてよぉ」


 そう漏らして、妙に哀れな様子で酒を啜った。酔いに埋没したくともまるで酔えない。それでもしょんぼりと飲みつつ、混ぜてもらえない遊びを傍目に見るようにして、往来を見続ける。酒場の主人は溜息を1つ置いて、この大きな童のような好漢のために肴を作るべく厨房へと戻っていった。


「あーあ……嫌な世の中になっちまったもんだぜ」


 アスリア王国北東部、ヘルレヴィ伯爵領の領都にも近い街である。戦乱期にはエベリアの跳梁を許すこととなったこの地も“聖炎の祝祭”以降は賑わいを取り戻している。その復興を支えているのは軍需だ。


 王国北西部はサルマント伯爵領、ペテリウス伯爵領を中心に軍事に力点を置いた土地柄となっている。そこを更に西へ行けば“行禍原”であり、その先に宿敵エベリア帝国の領土が広がっているからだ。ヘルレヴィ伯爵領はそんな前線に直近の土地であり、兵站を支える重要な役割を担っている。


 特に馬がいい。東に行過ぎてしまうと“死灰砂漠”が広がっており、そこでは北の大氷原から漏れ来る瘴気が生命の営みを許しはしない。しかしその手前までならば逆に有効なのだ。風に僅かに混じる瘴気が却って馬を鍛え、強靭にする。牧草地にも恵まれている。


 そのため鍛冶としては蹄鉄作りの需要が大きく、この街にも幾つもの鍛冶場が営まれていた。反面、刀剣の仕事が少ないが、それはオイヴァにとってはどうでもよかった。単に剣を鍛えたいのであれば西へ向かえばいいだけの放浪の身の上だ。それに蹄鉄だとて鍛冶仕事の1つ、否やもない。


 アスリア王国に広く伝播している雰囲気が嫌なのだ。復興の熱量は炉の火のようでよし。人々の賑わいも弾ける火花のようでよし。しかしどちらにも嫌な色が錆のようにまとわりついているように思えるのだ。


 目の前を2頭立ての馬車が行く。その側面に飾られた絵柄がまたオイヴァの眉を顰めさせた。天使に助け起こされる勇者の図。これだ。こんなものが流行り持て囃される世間が不愉快なのだ。


(勇者だなんだと大層に言うが、要は敗死しただけじゃねえか)


 グイと酒を飲み干す。美味くない。勇者の非業の死を大仰に悲しみ、それを復興の活力につなげる……そんな“悪酔い”が蔓延する中では酒すら不味くなるようだ。そこへ魔人サロモンへの罵倒が加えられるのだから堪らない。仕事をしたくもなくなるというものだ。


(将ってな勝ち負けで評価されるべきじゃねえのか? 負けて味方を多く死なせたのは勇者だ。勝ちに勝って国を救ったのはサロモン将軍の方だろうに)


 オイヴァは面白くない。それというのも、彼は勇者の率いる軍に従って戦乱を駆けたからである。そしてその指揮の下で死地を彷徨い、サロモン率いる軍によって救われた内の1人だった。


 酷い負け戦だったと、オイヴァは今でも当時の様子を思い出す。どちらを向いても敵の旗が何百とたなびき、激しく咀嚼するように味方を殺し続けていた。退路を完全に断たれ、貴族の諸将は狼狽するばかりで指揮を乱す。恵まれた体躯とはいえ馬も鎧もない従軍鍛冶師オイヴァの命は、正に風前の灯であった。


(まあ、1人の武でどうにかなるもんじゃなかったけどよ)


 勇者の軍は味方との連携を欠いて突出しすぎていたのだ。それがいかなる事情によるものかは分からないが、軍の置き所が極めて拙かったのは確かで、その責任は統率者である勇者にあるとオイヴァは考える。家名や個人武技、見てくれや肩書きなどは一切関係ないのだ。


(兵に遠くは見えねえ。将はそれをよく見て、上手く戦わせてくれなきゃならねえ)


 聞けば、勇者はその驍勇を発揮して多くの敵兵を討ったらしい。それは確かに見事かもしれないが、“兵士”としての見事に過ぎないのではないか。どんなにか目の前の敵を上手く殺したところで、己の率いる軍全体が殺される状況を招いた罪は消えまい。


 やがて来援した味方によって敵は完膚なきまでに叩かれることになったが、義勇軍を含むその味方集団を率いていたのがサロモンである。あの日あの時、戦場を支配した勝利者は間違いなくサロモンだったのだ。その圧倒的勝利こそがエベリア帝国の脅威を退けたのである。


(それがどうだい。将軍は酷ぇ殺され方をして、勇者は伝説だ。今日の平和を招来したのはどっちなんだと聞きたいぜ。どいつもこいつもわかっちゃいねえよ……ああ、堪らねえ堪らねえ)


 呷りに呷り、それでも酔えないで、オイヴァは裏路地の方へとのそのそ歩いていった。復興初期に多く建てられた長屋の中でも、特に日当たりも悪く込み入った辺りの1部屋が寝床である。小さな土間と台所、そして彼1人寝そべれば埋まる板の間が全てだ。寝る。不貞寝だ。


 健全な人々が額に汗して働く時間帯を寝て過ごし、日も暮れかかる頃合になって、むっくりと起き出した。柄杓で一杯水を飲み、再び出かける。足取りは軽い。幾つかの路地をまたいで出向いた先は、古びた集会場のようにも見える建物だった。


「や、や、皆さん、お揃いで」


 気さくに挨拶した先には、既に汗をかいている男たちの姿があった。一様に軽装で、手には木剣か“竹束剣”を持っている。円になって立ち、回数を合わせて振るっていたようだ。


「遅いぞオイヴァ。我らはすぐに組打ちを始めるが、お前はまず体操と素振り千本を終えてから合流せよ」

「承知、承知」

 

 隅の棚から特に太く長い木剣を手にとって、ゆっくりと肩や腰の柔軟体操を始めたオイヴァである。入念に足腰を慣らしている間に、男たちの裂帛の気合や打撃音が響き始めた。ここは街の武術好きたちが集い研鑽する野良道場。オイヴァにとっては目下唯一の楽しみの場だ。


「やあ、混ぜてもらおうか」


 素振りの数を微妙に誤魔化して、ウキウキと組打ちに参加する。軍の練兵では防具を着込んだ上に刃を潰した武器で打ち合うが、ここではそんな物を用意する金などあるわけもない。使うのは竹束剣。竹片を4つ束にして固定した代物で、中心の空洞が衝撃を緩衝するため、防具なしに強く打っても骨を損じない。武器としての重さがないし、防具の重さもないのだから、従軍経験のある人間にはいかにも物足りないが。


(武技の術理を学ぶにはいいし、何も人を殺すばかりが尊いってこともねえ)


 疾風のように打ち込んでくる剣を捌きつつ、オイヴァは楽しんでいた。竹束剣での組打ちは体格と筋力とに恵まれた彼にとっては本領を発揮する場ではなく、半分以上は遊びの範疇だったが、それでも夢中になるほどの魅力を持っていた。


 そもそもこの道場に竹束剣を持ち込んだのはオイヴァである。従軍中に義勇軍の練兵現場で使われていた物を拝借する機会があり、構造を知ったのだ。


(鋤鍬の連中を鍛えるには、うってつけの道具だよな)


 根元に小鉄片を要として噛ませてあるのが構造上の秘訣で、嘘か真か、発案したのはサロモンだという。正規軍には「惰弱である」と見向きもされていなかったが、殺し合いと分けたところで武技自体を好むオイヴァにとっては、竹束剣は魅力的だった。


(それによ、刃を潰した剣なんて気持ち悪くて触れねえ。触れねえよ)


 肩や肘に何撃かもらいつつも、ビシリと脳天に一撃を加えてやって、何人目かの組打ちを終えたオイヴァである。頃合を見計らって対戦を止め、互いに相手を代えていくのがこの道場の流儀だった。


 しかし間が悪く次の相手がいない。どこも戦いが酣だ。手ぬぐいで汗でも拭こうかと端へ下がった、そんな折である。道場の玄関に1人の子供が立っていることに気付いた。別段見学を禁止した場ではないが、そろそろ暗くなる時分である。そしてこの辺りは治安がいい方でもない。


 やれやれと声を掛けようとして……オイヴァはギョッとした。


(何という鋭利……こいつぁ、尋常のもんじゃねえぞ)


 仕立てのいい上品な服装、サラサラとした黒髪、品のある顔立ち。歳は5つか6つか……しかしそれらは全てが本質より遠いところにある。目だ。碧色に冴え冴えと、煌々と、妖しくも惹き付けられる眼光。数多の魂を啜った魔剣が帯びるような……危うさの先へと至った戦気。


(千か万か……いや、それ以上なのか……とにかく、とんでもない数の人間の死を掌の上にする目だ。何てこった、何てえこった)


 人か? それともこれが魔人というものか? オイヴァは射すくめられたように呆然とするよりなかった。動けないのだ。自分を容易に両断できる刃の上に立たされたとしたら、やはりこうなるのではないだろうか。ゴクリ、と唾を飲む音が大きく鳴った。


「ああ、すみません、勝手に見学させてもらっていました」


 鈴の音のような声が届いて、オイヴァはハタと正気を取り戻した。目の前には妙に大人びた表情の子供がいて、こちらに丁重な態度を示している。白昼夢でも見たか? 違う。オイヴァはその手の内に握りしめられた汗を指先で確かめた。


「お、おう。いくらでも見てくれていいぞ。ただし参加するならその箱に青銅貨を1枚だ」


 玄関脇の木箱を指し示す。この集会場を借り続けるための金銭をそれで賄うのだ。それは消耗品である竹束剣などの材料購入費用にも当てられる。ちなみに竹束剣の製作者であるオイヴァはその参加費を免除されている。


「いえ、それには及びません。懐かしい音が聞こえたもので……惹かれて参っただけですから」


 そう言って、目を細めて組打ち風景を見やった。先の戦慄すべき眼光はない。見間違いだったとは思えない。恐らくは己という刃を納める心の鞘を持っているのだろう、とオイヴァは納得した。そしてそれはこの人物が暴力に生きる人間ではなく、武力に生きる人間であることを教える。何某かの規律によって管理された力を有する……つまりは軍人の在り様だ。


 軍人。年恰好からしておかしな話だが、人物の心象を視る眼力には自負があるオイヴァである。鍛冶場の炎と鉄とによって磨かれた才だからだ。日常を生きる人間はわからなくとも、鉄火場で生きる人間については早々見誤ることはない。この少年は傑物だ。良し悪しはともかくそれは間違いないだろう。


 ただ、懐かしい音、というのはどういうわけだろうか。オイヴァの知る限り、ここの道場で鳴り響く音は通常の練兵場では聞く事のないものだ。竹束剣ならではの、軽快で立て続けられる打撃音だからだ。


「竹束剣での訓練は普及しているのですか?」

「え?」

「僕の知る限り、義勇軍の調錬でしか使われていなかったはずですが」

「あ、ああ、そうだろうな……うん、他では使ってないと思う」


 疑問に思ったところを逆に問われてまごついた。どうやらこの恐るべき少年は義勇軍について知るところがあるようだ。親が従軍していたのだろうか。“聖炎の祝祭”に先だって義勇軍は解散したと聞いているから、その人員が郷里に帰って竹束剣を振るっていることはあり得る話だ。


 少年は小首を傾げた。首の細さがチラリと覗ける。


「誰か、元義勇軍の人でもいるのでしょうか?」

「それは……」


 答えかけたところで、外に絹を裂いたような悲鳴が上がった。それが不自然に途切れたとなれば、オイヴァには嫌な予感しかしない。拐かしなどさして珍しくもない。復興の熱を世間の表とするならば、その裏では戦乱期から拭い去れないでいる暴力性があるのだ。


「失礼します」

「え、あ、おい!?」


 止める間もあればこそ、少年は踵を返すなり一目散に駆けていった。僅かに目にした表情には苦々しげなものがあった。心当たりでもあるのだろうか。どうしたものかとオイヴァは考える。この手の揉め事にいちいち首をつっこむほど青くはない。徒党を組んだ連中に目をつけられるのも面倒だ。さりとて、言葉を交わし、興味をもった人物を見過ごしにするのは嫌だ。それが尋常でない傑物であるなら尚更だろう。


 組打つ男たちをちらと見る。激しく夢中だ。玄関先の出来事をまるで気付いていない。少年がいたことすら認識していないだろう。自分も打ち合っていたなら同じだったはずだ。後日、近所で人攫いがあったそうだと話題の端に乗せるだけで終わったろう。


「これも縁ってやつだな、うん。縁なら、しゃあねえ。しゃあねえよ」


 木大剣とでも言うべき極太の1本を手に取り、ふと思いついて小振りで細い1本もまた取って、オイヴァは少年の後を追うべく走り出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ