幕間話 あの子が適任でしょうね
「どうすればもっと強くなれるでしょうか?」
「そうだな……多芸を捨てて一技に専心するのもいいかもしれない」
少女の心からの質問に対して、その金髪の女剣士は真剣に答えてくれた。想像していた回答とは異なることが却って説得力を増していて、期待と喜びとで胸が一杯になるも、鼻息を荒くするだけで彼女は堪えた。
「女の非力をもって大男も倒せる武器としたら、何でしょうか?」
「弓だろうな。組み打ちになるとどうしたって女は不利だ。その点、弓矢であれば技術で多くを補える。間合いに入らせなければいいのだから。実際、帝国の女性兵士には弓歩兵が多いと聞く」
「なるほど……弓ですか!」
その言葉は天から降ってきたかのような響きをもっていた。彼女は石投げ技術についてそれなりの自負があり、的を狙うという行為自体には習熟もあった。そういえば弓を学んだことはなかったと思う少女である。竹束剣で男と打ち合うことにばかり熱中し、その先にしか強さはないものと思い込んでいたかもしれない。
「ヴィルマさんも弓を使うのですか?」
「無論だ。武術を身に修めようと思ったなら、無手、剣、槍、弓、馬は基本となる。侍女武官という役職柄、特に剣を重視しているだけだ。屋内で側近く侍るからな。合戦に参加するとなればむしろ剣以外が重要になるだろう」
言葉のいちいちが少女にとって新鮮で貴重だった。ヴィルマ・カントラというこの女性はアスリア王国において武を志す女性の憧れだ。女だてらに武装して王族に侍る特別の役職、侍女武官。たった三人しかいないその侍女武官の内の1人なのだから。
美しく凛々しいヴィルマが守護するのは、第三王女パウリーナだ。巷に語られる噂としては褒められることの少ない姫である。容姿についても能力についても、上の二人の王女と比較され貶められることが専らだ。少女にとっては王女三姉妹など住む世界がまるで違う存在であり、良く言われても悪く言われても所詮は現実味のない話であったが。
そんな王女が、今、目の前にいる。
厨房にて竈の前に仁王立ちとなり、大鍋に湯が沸騰していく様子を微動だにせず見据えている。その小さな背にはえも言われぬ迫力があった。代わりに見ておきますなどとは間違っても提案できない。少女はそれと似た様を鍛冶場の職人の仕事風景に見たことがある。
「……! はじまるぞ!」
「は、はい!!」
王女が僅かに右手を上げた。それを見てヴィルマが動き出し、少女もまた返事をして後に続いた。王女の手には切り分けられた練麺が掴まれていて、ヴィルマの手には笊が構えられていて、少女は冷水入りの桶に両手を浸していて……これから戦いが始まるのだ。それはこの場所に相応しいことなのかもしれないと少女は思う。
ここはアスリア王国の前線砦である。西には行禍原が広がっていて、その原野の先にはエベリア帝国が存在している。危険な場所だ。少女は上司ラウリより物資搬送の責任者として派遣されてきたが、戦場に属する場所には特有の雰囲気があることを体感したものだ。常に何かに備えているような、見えない一筋の緊張がある。何をしていても次の瞬間に抜剣が連続しそうな気配があった。
しかし、少女はここに来ることが嬉しかった。当然だ。ここには彼がいる。既に英雄への階を登り始めた彼が……キコ村にいたことが奇跡とすら思えるほどの人物がいる。マルコがいるのだ。
マルコは13歳にして早くも勇名を馳せるに至っていた。
パウリーナ王女へ奉仕する親衛団の初陣に参加し、そのとてつもない大戦果の中でも特に危険な任務を担ったのだ。傭兵として参陣した軽騎兵千五百騎の内の一騎となり、敵軍にぶつかること三度、その後は行禍原を西へと横断して帝国軍の砦へ突入したという。そして火炎の中に砦を崩したのだ。
“火撃”の騎兵隊。大陸に轟き渡る第三王女親衛団の武名と共に、その千五百騎はそんな異名で呼ばれていた。今後も親衛団と専属的に契約していくことが発表されており、それはマルコが気に入られたことが理由だと噂されている。王国の民の鑑ともされる彼は、その勇敢さで騎兵たちの心をも掴んだのだろうか。彼であればそういうこともあるだろうと少女は思う。何といってもマルコなのだから、と。
そんな彼が滞在する砦なのだから、たとえ敵地のど真ん中にあったとしても、少女は勇んでやって来ただろう。マルコはもはや会おうと思っても早々会える相手ではない。しかしハッキネン護衛団と第三王女親衛団とは緊密な協力関係にある。少女がここにいることがその証明だ。機会はあるはずだと思う。
そう……きっと、この戦いの先に。
「んしょっ!」
気合い一つ、王女が大箸でもって練麺を湯から掬いあげた。一度で全てをあげてのけるその手錬は凄まじい。それを受け止めるのはヴィルマの笊だ。これも見事な体捌きで、衝撃を膝で緩和しているから麺を傷つけることがない。勢いは殺しているから湯を切ることもない。熱々のそこへ少女が挑みかかるのだ。
「あっつ……いけど! 負けない!」
冷やした指で麺を掴んで皿に盛り分けていく。熱湯は容易に冷水の膜を越えてくるが、怯んでは負けだ。これは戦いなのだ。笊を置いたヴィルマも参戦する。見れば王女は疾風のような箸捌きで盛られた麺にとき卵を絡めている。予め皿に用意しておいたものだ。
「よし! 次が茹であがる前に配るぞ!」
「はい!」
尊敬する侍女武官に従って、少女は運搬板を運んでいく。そこに乗った皿には卵かけ練麺が出来たての湯気を上げているのだ。湯をまとって投入されたため卵が半熟の白黄色に変化して艶やかだ。
砦の食堂には男たちが今か今かと待ち受けていた。
長卓の上には肉や野菜、酒瓶なども並んでいるが、誰しもが控えめにしか手を出していない。それらで腹を満たしては勿体無いと考えているのだろう。少女はそれを当たり前だと思った。男たちの視線が皿に集中している。期待に目が輝いている。興奮がどよめいている。
さもあらん、これはアスリア王国の王女パウリーナが匠の腕前でもって調理した逸品だ。そして彼らはパウリーナの親衛団である。彼女の名の下に戦い勝利した男たちへ、彼女の手料理が今、振舞われる……これはある種の神聖な儀式なのかもしれない。白流旗の下に許された約束の時間なのかもしれない。そんな風に神妙になった少女の前で、男たちが次々と叫び始めた。
「う、うまい!!」
「何だコレ!? 何だコレ!?」
「おい、馬鹿、魚醤を少し垂らすんだって! 何!? もう平らげただと!?」
物凄まじい食事が開始された。本当の戦いはこれからだった。今ここで口周りを半熟卵の黄色に染めている男たちは第一陣でしかない。今回の特別な食事にありつける男たちは総勢で三千三百名ほどもいる。戦闘要員以外に輜重隊や後方支援の人員も数えているからだ。日と時間とを分けてあるものの、王女の手料理であることに意味がある以上、戦いは熾烈なものとなるだろう。
「よし、配り終わったな? すぐ戻るぞ! もうパウリーナ様は次を茹で始めているはずだ!」
「わ、わかりました!」
厨房に戻れば既に次の皿へと卵は割り終わっていて、王女はまた大鍋の前に仁王立ちの背中を見せている。もう麺を湯の中へ投入してあるのだろう。絶妙な一瞬を待つその姿はやはり職人のそれだ。王女という存在を身近と感じるべきなのか縁遠いと感じるべきなのか、どちらかを未だ判別できないままに少女は卵をとく。カシャカシャと音が連続する。ヴィルマもまたかき混ぜている。
(よく分かんないけど……とにかくは勝つことよね!)
少女は戦った。湯気を吸いつつ冷水と熱湯とに手を忙しくさせ、運び、戻り、かき混ぜる。茹で上がるまでの間隙を衝いてヴィルマに武術のあれこれを質問する。そしてまた手を忙しくさせる。繰り返しだ。
戦いの中には再会も多かった。
「おう、どっかで見た顔だと思ったら、王女様を手伝ってるのかよ」
椅子を二つ使って座る大男が驚いたような声を出した。オイヴァだ。本人に言わせればしがない刀鍛冶ということだが、少女からすれば護衛団の第四部隊隊長だった男だ。そしてその部隊ごと親衛団へと移籍している。他にも元護衛団の団員たちを加え、何とも変わり映えのしない面々を率いているようだ。
「やることは色々と増えたけどな。穴掘りとか死んだふりとか……しっかし旨ぇもんだな、こりゃあ」
他にも少女の顔見知りはいる。立場上からか、それとも慣れているからか、落ち着いた様子で練麺を食べるアクセリなどがそうだ。
「うむ、旨い。そして久しぶりじゃないか。ラウリは元気にしているかな?」
親衛団の団長として今や王国軍の重要人物となりつつあるというのに、この人物の飄々とした在り様は何ら変わるところがない。元はヘルレヴィ領の領軍中尉として雑用をしていたそうだが、それが護衛団に派遣されて第二部隊隊長を務めていた。領軍へ戻った後は大尉へ出世し、精鋭騎兵隊の隊長とまでなったところで、この親衛団の団長となったわけだ。一つ所に落ち着かない人物なのだろうかと少女は思う。爵位こそ持たないものの、ダニエル・ハッキネン男爵と同様に貴族であるはずだが。
「ん? 貴族役は男爵にお任せして……いや、そうか、今度また子爵になるかもしれないんだったかな? 彼も思わぬ苦労をしている……傍目には大層面白いのだが、ね」
そう言ってニヤリと笑うのだから、ハッキネン男爵も大変なのだろうと思う少女である。以前から結婚について話題にされることが多かったが、それと関係しているのかもしれない。
「ふん、気の毒なことじゃの。侯爵家の娘なぞ嫁に迎えた日には安酒も楽しめんわい」
言葉の内容からぼやきと見るべきか、その表情から祝福と見るべきか、老いてなお屈強なヤルッコは練麺をガブリと噛んで食べていた。元はアクセリ同様に領軍の軍人で、階級は軍曹だった。色々と逸話の多い古兵で、休職中に護衛団の第三部隊隊長として活躍するという離れ業をやっていたが、今は親衛団にて歩兵隊を率いている。相変わらずの不機嫌そうな顔をしていた。
「さっさとこっちへ逃げてくればいいんじゃい。指揮譲るぞ、儂」
そんなヤルッコも練麺が来るまでは飲酒せずにいたのだから、少女は笑みを隠すのに苦労する。酒を人生の友とするこのドワーフのような戦士は、これで中々に気を使う人間であると知っているからだ。
「おっと、別嬪がいたもんだな。しかも王女の料理を運んでくるってんだから」
乱暴な言い様に対してキッと睨んでみたなら、野生の狼のような印象の男が男臭く笑んでいた。首に金の環が鈍い光を放っている。少女はこの男を知っていた。“火撃”の騎兵隊を率いていて、名前はクスター。親衛団の戦果はこの男の存在なしには実現しなかったという。
「褒めてんだから睨まなくても良さそうなもんだぜ。お、旨ぇじゃん、これ」
どれほどの男かと思いきや、何だか村の男の子たちを思い出してしまった少女である。練麺を嬉しそうに口に運んでいる様子は無邪気なものだ。怒気を維持するのが難しかった。
「何を怒られているんです、クスター」
彼だった。それは少女にとって待ち望んだ声だった。静かに歩いてきて、オタオタとする狼男の前に行儀良く座った。長めの黒髪がサラサラと流れて綺麗だった。碧眼がキラキラと揺らめいて美しかった。13歳になったマルコは少女にとって絵物語の中の登場人物のようにしてそこにいた。
「お、怒らせるつもりはなかったんですよ、いや、本当に! なあ、嬢ちゃん!」
「そういう言い方が乱暴なのですよ。だからベルトランとも喧嘩になるのです」
「そ、そそ、そんなこたぁねえですって! 俺、ちゃんと仲良くやってますし!」
どうやら狼は大きな犬でもあったようだ。少女の夢の時間を破り、無遠慮にマルコを独り占めする様子には大きな尻尾がフリフリと見え隠れしている。そういう風に少女には見えた。少女はマルコと話をしたかったが、悲しいかな今は戦いの最中で、今や戦友たるヴィルマが向こうから戻ってくるのも見える。次の茹で上がりの前に卵をかき混ぜなければならない。行かなければならない。
断腸の思いで踵を返そうとしたそこへ……しかし声はかかったのだ。
「給仕をありがとうございます、エルヴィ」
マルコの目が少女を見ていた。その微笑みはいつか見たものと同じだった。あの大樹の下に計算問題を誰よりも早く正解した時に、書き取りで丁寧な文字を書き綴った時に、淡く綺麗に灯ったソレだ。
少女は戦い抜いた。俄然戦意は増していた。
キコ村のエルヴィ。
彼女が弓の名手として名を馳せるようになる未来は、そう遠い話ではなかった。




