第34話 蛇退治は骨が折れるもの
「派手にやられたものだ」
煤にまみれ熱に崩れた砦を見回し、男はその言葉のみで感想を終えた。軍装は帝国軍軽騎兵のそれであり、外套の黒がしっとりと戦人の身を包み隠している。目つきには欠片の暖かみもなく、そこかしこで燻る火をどうでもよさそうに眺めやるばかりだ。
テレンシオ・バルセロ帝軍中佐。
かつては帝軍大佐として騎兵連隊を指揮し、アスリア王国各地で戦功を重ねた男である。その獰猛な戦いぶりは王国兵に“黒蛇”の異名で恐れられるも、その名を帝国兵が口にすることはない。彼の強さを畏怖するところは王国と同様であるが、色に関する由来が異名を口にすることを憚らせる。
「……勿体無い話だな」
付け加えた言葉がその理由だ。彼は自他共に認める吝嗇家で、日常の全てにおいて倹約を旨としている。佐官という身分にありながら衣食住に関しては一般兵のそれと変わらず、自宅を持ちたいなどとは夢にも思わない彼は、佐官用の官舎も返上して雑兵と共に雑魚寝をしているほどだ。己の指揮する部隊についても無駄な出費を嫌い、鍋などは底に穴が開くまで使わせるほどだ。
逆に、必要と判断した出費についてはまるで物惜しみをしない。あらゆる倹約で貯めた金をドッサリと費やす。例えば彼の部隊の食事は豪華であることで知られている。ボロボロの鍋の中には肉も野菜も充分に投入されるのだ。軍馬の質は私財を加えてでも高めている。
そんな出費の内の1つが夜襲用の黒色外套だ。今彼が纏っているものがそれである。高級品だ。しなやかで上質の染め織物であり、光を受けてもそれを反射することがない。夜襲の成功確率を僅かでも高めるために特注した代物だ。
しかしそれは上質に過ぎた。常にあっても着心地が良過ぎたのだ。丈夫で保温性も高く、しかも見た目も凛々しいから……部隊の制服として定着してしまったのである。“蛇”の色が“黒”である真相だ。帝国軍においては笑い話の種であるから、まさかそれを揶揄するかの如く“黒蛇”などと呼べるわけもない。
軍装のことごとくを支給品で揃え、外套ばかりを黒々と優雅にして……バルセロは焼かれた砦を歩く。それに付き従う2人の男もまた同様の格好をしている。彼の部下であることを外套の黒色が教えていた。
「軽騎兵による急襲だったようです。数は一千を超えて二千に届かない辺りで、軍旗は例の、白く長い独特な物を掲げていたとか」
「第三王女親衛団の別働隊と思われます。噂では腫れものの如く扱われる寄せ集め集団という話でしたが、中々どうして、精強な部隊であるようです」
部下2人が交互に話す内容を、バルセロは聞いている風でもなく聞いていた。砦の風には焦土の臭いが強く乗る。それは戦の匂いでもあった。
「しかし……敵ながら見事なものですね。砦の混乱に助けられた形とはいえ、結果としてはここを焼くことができたのですから。たとえ相手の自滅でも、そうなるよう圧を加えたことは充分に戦功です」
「全くですね。我々が襲撃した陣も見事に空でしたし、団長の……アクセリ・アーネルという将は今後注視する必要があると思われます。元は後方の領軍大尉という話ですが」
返事もなく、バルセロは砦の敷地内を歩いていく。瓦礫を避け、時にはそれを踏み越える。簡易的な負傷者捜索がなされただけで再建の目処も立っていない状況だった。軍上層部の混乱は相当で、とにかくも部隊を駐屯させておくべしとの命令が下った結果、バルセロはここにいる。歩兵部隊を置いて先行してきたものだが、予想以上の被害をその目で見るばかりであった。
アスリア王国軍がエベリア帝国軍の軍事拠点を破壊した。
たとえそれが数ある前線砦の内の1つであれ、この事実は帝国軍の威信を大いに傷つけた。バルセロとしても溜息が出る思いだった。かつての戦乱で主力を全て失った帝国は、この十数年で軍の再建に総力を上げてきたと言っていい。再びの会戦で王国軍を打ち砕き、一度は通ったその道を東へ、そして南へ。今度こそはと挙国一致体勢で戦力を充実させてきた。
それが、序盤にしてこの大敗北である。互いに哨戒部隊を出しつつの瀬踏みをしていただけであり、小さな勝利と小さな敗北とを重ねていって会戦の戦機を手繰り寄せるはずであった。軍上層部には何かしら別案もあったようだが、戦端がああいう形で偶発的に開かれた以上、後は奇を衒わずに粛々と戦争を進めていくだけだとバルセロは考えていたが。
「実際のところ、親衛団とは王国軍の精鋭部隊のようです。砦へ至る前に同規模の部隊と三連戦し、その全てにおいて大勝しています。あるいは王族により選抜育成された部隊かもしれません」
「そうであれば、事前情報との乖離は意図されたものかもしれませんね。会戦の切り札として運用するものか、それとも軍の士気を高める目的の部隊か……いずれにせよ無視できない部隊が現れたものです」
凄まじい敵が現れたものだと、バルセロはどこか当惑した思いで受け止めていた。既に強敵としては名にし負う剣角騎士団の存在を意識していたところである。実際に対峙もした。勇名を裏切らない見事な一軍であった。彼の自負として勝てない相手とは思えない。しかし相当の犠牲を覚悟させる武威があった。
今回のことも、彼らが南に出ると聞いて己の出陣を捻じ込んだ経緯がある。普段であればそういった晴れがましい戦いには無縁のバルセロだが、此度については差し迫った事情もあって無理をした。先だっての遭遇戦で騎士団と一戦もせず退いたことが問題視されているのだ。あの場合は味方を集合させての退却が正解であるとバルセロは考えるし、軍上層部も一度はそれを認めたものだが、しかし他の誰でもなくバルセロの行動であるということが問題を引き起こす。
彼は皇帝に疎まれていた。昔も今も。そして恐らくはこれからも。
「砦に突入した敵部隊は捕虜を捕らず、財物にも目もくれず、ただ馬のみを奪い去ったようです」
「敵ながら賢明な判断だと思います。砦を占拠したところで維持は不可能ですし、荷物を増やしては砦に来援した部隊によって捕捉されたでしょう。数から言って逃げるしかありません。馬ならば手綱を引き、機動力を減ずることなくそれができます」
厩舎跡もまた無惨な有り様だった。バルセロはここで初めて瓦礫に触れた。足でどかし、手でどけて、黒く汚れながらも何かを探し求めた。しばしの時間が流れて、見つからないということが分かった。立ち上がって膝の汚れを払う。
「馬具の残骸がない。馬は乗っていかれたようだ」
そう言うなり、身をひるがえして歩き始めた。
「馬を奪ったのは歩兵だ。ここにいた敵は軽騎兵ばかりではない。砦が混乱したのは敵歩兵による工作ということだ」
返答はなくとも、すぐ後ろに付いて真剣に聞いていることは分かっていた。
「敵歩兵の目撃情報はないから、これは何某かの策によるものと推察できる。敵が帝国軍軽騎兵を装っていたという情報があるから、歩兵についても同様の策があったのかもしれん。まあ、服を真似たところでそう容易く砦に入れるとも思わないが……」
バルセロは言葉尻を吐息に濁して、脳裏に空陣の様子を思い出していた。親衛団とやらが布陣し、行禍原南部の王国軍部隊へと盛んに伝令を飛ばしていた場所だ。目障りだからと襲撃を命じられたバルセロは、簡単ながら効果的に構築されたその陣の内に一兵たりとて敵を見つけることができなかった。
いると思いきやいない。ではどこにいたか。それがこの砦の内側だったのではないかと連想し、しかし時間と距離に無理があると思い至った。最初から空陣であったならばいざ知らず、そこには確かに敵がいたのだ。バルセロらが駆け付けるより以前に、帝国軍の斥候が陣中の敵と遭遇している。炊煙などから判断しても十や百ではきかない人数が詰めていた。それは間違いないのだ。
「……何にせよ、騎兵をよく知る部隊ではあるようだ」
空陣の周囲には対騎兵の用意が密に為されていた。馬防柵の配置といい、空堀の掘り方といい、その陣は防御内容に偏りが見られたようにバルセロは思う。それは別働隊として軽騎兵の一切が出払っていたことと無関係ではないし、密かな退却を念頭にして帝国の機動力を特に封じたかったのはないかと考える。
「歩兵を使って敵の馬を奪う。陣を張って敵の馬を防ぐ。そして騎馬のみの別働隊を使って敵の不意を衝く。帝国軍部隊との連戦も、軽騎兵の機動力を活用することで勝利を得ているようだ」
言葉を口にすることで分かることもある。バルセロは親衛団という敵部隊を騎兵主体の軍と見た。それも騎士団のような重騎兵でなく、軽騎兵を戦術の中心に据えているようだ。戦いにおけるあらゆる要素の内で、特に機動力を重視した軍ということである。
「まるで……私たちのような敵ですね」
「私もそう思います。そういえばアクセリ・アーネルという将は領軍の騎兵隊隊長であったとか」
部下2人の言葉を耳に流しつつ、バルセロは奇妙な違和感を感じていた。敵の見事を思う時に微かな懐かしさが胸に残るのだ。敵ながら凄まじいばかりのその戦果……それと狙ってできることではないと思う一方で、そういう戦果を狙って叩き出す男がかつていたことを思う。
「……親衛団の団長は、どこにいたのだったか?」
それはバルセロとしては珍しい行為だった。彼は部下に対して滅多に質問をしない。様々に発言することは許すが、全てを自分の中に納めて結論を導き、部下には無私の徹底した命令遂行を求める。隊規に背けば軍法以上の罰を厳格に実行し、逆に功績を上げれば軍法以上の褒賞を別途用意する。そのための蓄財には苦心しているが、それがそのままに部隊の戦力向上に繋がるとバルセロは考えている。
「二度目の戦闘までは部隊の中心で重騎兵隊を率いている姿を目撃されています。三度目については敵は軽騎兵のみだったということですが……さて……」
「あの陣中には重騎兵隊が確認されています。兵装を改めたのか、あるいは指揮する隊を変えたものか……」
どうやら確定した情報はないようだ。行禍原北部に展開していた部隊は、士官の多くが戻らず、殆ど雑兵ばかりが生還している。それが情報の確度を著しく低下させていた。未だ離散したままで戻らない兵も多いと思われる。そのまま逃亡してしまったのだろう。
「確かめさせろ。団長が陣中にいたのか、それとも別働隊を率いていたのかを」
1人がバルセロに一礼して駆け去っていった。砦の外にはバルセロの部隊が野営地を築いている。誰かしらを南へ早馬に出すのだろう。
「本隊がどちらであったのか、ということですか」
「……どちらにいたかで、見え方が変わる」
バルセロはそれ以上の説明を避けて、ついと瓦礫の山の一角へと歩を進めた。比較的大きな燃え残りがあって、石材を支えていたのだろう木の柱がチロチロと橙色を揺らめかせている。それに見入る。
火の色の先に思い出す人物がいた。
バルセロという戦人をして、己の命を分の悪い賭けに投じなければ勝てないと思わせた男。バルセロと同等の戦術眼と、バルセロを上回る戦略眼とを持つ戦争の天才。皇太子を筆頭に数多くの帝国貴族をその軍で殺し尽くしたエベリア帝国の仇敵。そして勇者を殺した魔人としてアスリア王国の手によって火刑に処された罪人。
サロモン・ハハト。
かつての戦乱において、バルセロはサロモンと三度対決し、どれ1つも勝つことができなかった。戦術的には敗北していないが、後日の影響を視野に入れると戦略的に敗北していたという戦いばかりだった。そしてどの戦いにおいても、バルセロが引き際を間違えなかったことが勝敗を有耶無耶にしている。つまり実質的には負けに近い。少しでも欲を出したならば大きな被害を受けていただろう。
そんな男のことをバルセロは思い出していた。親衛団の戦果が彼をしてかつての宿敵を連想させる。バルセロが王国軍にいたとして、狙ってできるとも思えない戦果だ。幾つもの偶然に助けられなければとても無理だろう。しかしそんな尋常でないことをやってのける者こそがサロモンだ。
バルセロは畏怖と共に思う。皇太子を含む帝国軍主力を完膚なきまでに殲滅したあの戦い……あんな戦いがサロモン以外の誰にできるというのか。バルセロには無理だし、ましてやあの勇者とかいう猪武者にできるものではない。そういった意味では、教会がサロモンを魔人として認定したことはどこかバルセロを納得させたものだ。なるほどやはり尋常の人間ではなかったのか、と。
その男の気配がしていた。
親衛団の行動の全てを思い描いた時、バルセロは何かしら懐かしかったのだ。1つ1つの戦いが次の戦いに繋がっていって、最初の戦いの前には想像もつかなかったような成果を最後に打ち立ててしまう。まるで軽騎兵の理想的な逆落としのような……一度駆けさせたならば誰にも止められなくなる攻勢。
かつてバルセロが何度となく味わったものだ。サロモンと戦うということは、一軍の戦気に留まらないそんな無形の圧力に抗うということであった。実際胆を冷やしたものだ。あの恐るべき大殲滅戦の場にバルセロがいなかったことは、彼が狙ってそうしたことではない。偶然でしかなかったのだから。
あの男は死んだ。バルセロは心中にそれを強く念じる。死んだ男に囚われることを嫌ったのだ。戦場とは生と死が容易にひっくり返る場所だから、死者に心惹かれる者は命をあちらへと引っ張られる。死者には国の垣根を越えて全て冥福を祈り、生者だけがあらん限りの力で争えばいい。だいたいにして生者よりも死者の方が圧倒的多数なのだから、強く意思を持つことで、世界の主役は生者であり続けなければならないとバルセロは考える。
しかし、似ているものは似ている。一度そう感じたならば忘れることはできない。アクセリ・アーネルという男がどれほどの者かをバルセロは知らない。その男が軽騎兵を率いて砦へ突入したのならば、あるいはサロモンに類する人物なのかもしれないと思う。なぜなら一連の作戦の胆はその突入にあるからだ。
もしも砦が落ちなければ、軽騎兵隊にしろ布陣していた兵にしろ、恐らく生きては戻れなかっただろう。行禍原の北部が軍事的な空白状態にあったのはごく短期間のことだ。しかも臨時的なもので、帝国軍にはバルセロを含む機動戦力が幾らも臨戦態勢にあった。砦が攻撃に晒されたとあらば即座に急行し、連戦で疲弊したその部隊に次々と襲い掛かっただろう。逃がしはしない。
ところが砦は燃え落ちたから、事態は混乱し、帝国軍はとにかくも他の砦を護るべく配置を動かした。そうすることを優先するしかなかったのだ。敵が対応せざるを得なくなる点を叩くというのが戦術の絶妙だが、今回の親衛団の行動は、それを行禍原全域に渡る規模でやってのけたと言える。
だからバルセロは確認しなければならない。アクセリという男がどこにいたのかを。もしも陣中にいたのならば、今回の戦果は完全な偶然の産物だ。別働隊が運に助けられて思いがけず砦を落としたに過ぎない。そう見切って何ら問題はないとバルセロは考える。どちらであるかを早急に知りたかった。
火が弾けた。
その火花の散り様が奇妙な模様に見えて、それが1つの予感を齎した。
もう1つの可能性があることに気付いたのだ。バルセロはそれを笑い飛ばそうとして、しかしできずに火を見続けた。火花のように閃いたもう1つの可能性……それは、別働隊を率いた誰かこそが真の指揮官であり、一連の戦いを計画した者であるという可能性だ。馬鹿げているが、そもそもが尋常ではないのだ。この戦果を得ようと企画して得たとするならば。そして、親衛団の戦果の殆どは軽騎兵隊によって成されている。全ての鍵はその機動力の中に在る。
(まさか、お前はまだ、炎の中で死なずにいるのか? それとも……)
バルセロは見つめ続けていた。
その残り火の中に、サロモンの何かが残されているとでもいうようにして。




