表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/148

第33話 全てが崩れ落ちていくから

「どういうことだ! どうして王国軍がそんなところにいる!」

「哨戒に出た部隊は何をしていたんだ!? 1万から出ているだろうに!」

「どうもこうも……援軍を求めてはいかがでしょう。早馬を出して……」

「馬鹿な! 敵の規模も分からないで!」


 帝国兵たちの喧々囂々たる有り様を、荷車を寝床として寝そべりつつ聞くオイヴァである。腹部にぶちまけた血液が服の下まで浸透していて、それが乾燥してきたものかパリパリとくすぐったい。殺された挙句に血まで絞られた誰かに心中で謝りつつ、だからといって地味な復讐は勘弁してほしいとお願いするのだった。


(死体役ってわけじゃねえんだし、掻いてもいいものかなあ。こいつぁ)


 薄目のままに、オイヴァはさりげなく腹を掻いた。その途端に手と腹を誰かに押さえられる。カチャカチャと小刀を操る音が聞こえて、次いで包帯や布をあてがわれる感触が続いた。小さく耳元に「我慢してくだせえ、隊長。まだいけねえ」と声が落ちてきた。ゆっくりと鼻息で不満を表明する。


 ここは行禍原の北西部、帝国軍の幾つかある前線砦の内の1つである。城壁に囲まれて四角く切り取られた空はそれでも青く清澄で、喧騒の中庭にあってオイヴァは寛いですらいた。連日の強行軍で疲れてはいるのだ。痒みだけが悩ましい。


「くそ! 敵は騎兵だと!? どういう敵なのだ!」

「どうやら味方を装っているようです。第二百八軽騎兵大隊が行方不明で……」

「まさか裏切りではあるまいな!? 巡回の部隊は今どこにいるのか!」

「裏切りなどと軽はずみに口にするな! それでも士官か、貴様!」


 砦の混乱ぶりは予想以上のものらしい……オイヴァは鼻息をフムンと鳴らし、顔の下半分を布で覆われるに至った。にやけていたのかもしれないと反省する。しかし仕方がないだろうとも思う。“巡回の部隊”とは親衛団が撃破した2部隊のことであろうし、二つ目の部隊については存分な戦働きをしたという自賛のあるオイヴァだ。


 初陣にして二部隊の撃破。それだけでも赫々たる戦功であろうに、オイヴァの主たる者はその先を得るべく今も駆けている。既に三つ目となる部隊も破ったのだ。その勝利にはオイヴァらは関わっていないが、その勝利に便乗することによって今ここにいる。 


「やはり、本当に……王国軍部隊に破れたのでは……」

「妄言を申すな。王国軍の主力は南だぞ? 北には例の寄せ集め部隊がいるだけであろうが!」

「いや、しかし、それは中央辺りで布陣しているのではなかったか?」

「うむ、そうだ。では別の部隊がいたとでもいうのか?」


 聞き捨てならないことと、してやったりと思うことと、そのどちらをも耳に受け取って胸中に唸るオイヴァである。マルコの言葉は良い内容も悪い内容も的中するから困る。


 アスリア王国内にはエベリア帝国による諜報の網が広がっていて、それに教会が協力している。親衛団についての言説がそれを証明していた。今回、親衛団は出撃に先んじて帝国側へ噂を流している。ユリハルシラ侯爵と剣角騎士団についての噂だ。その中には親衛団の陣容や、友軍を得られない状況については含まれていない。出撃日程についてまで伝わっていたのかは分からないが、親衛団についての情報が流されていたことは間違いない。オイヴァはそう判断した。


 そして、布の下にほくそ笑む。これは表情を隠してくれて丁度いいと、更に笑みを深くする。


 オイヴァも勇躍して剣を振るった二度目の戦闘……それが終わった後、親衛団は南進して行禍原の中央寄りに布陣した。木柵を構築し、騎馬止めを並べ、空堀を掘った。オイヴァ率いる部隊が最も勇躍したのはその時かもしれない。どうにも面白おかしい連中が多いと思うオイヴァである。


 輜重隊を迎えて補給を済ませると、親衛団はここに三つに分かれての作戦行動を開始した。


 1つに、クスター率いる軽騎兵隊による北進である。再び行禍原北部を西進し、帝国領近くまで侵入することになる。三度目の戦闘はその相手部隊も見定められていて、倍する敵を打ち破ることが求められる。最も危険度の高い作戦部隊と言えるが、マルコは当然のようにそこに同道し、そのことが作戦全体への自信のようなものをオイヴァらにもたらしたものだ。


 1つに、アクセリ隊とヤルッコ隊による待機任務である。陣の内に留まり、篝火や軍旗を盛んなものとして、アスリア王国第3王女親衛団の存在を周囲に強く印象付ける役割だ。これは輜重隊の後退を助ける目的もあるが、何よりも示強の計としての側面が大きい。親衛団の総員がそこで防御戦闘をする腹積もりであると示す。そのことによって別働隊の存在を隠すのだ。


 隠されたのは、クスターら軽騎兵隊と……オイヴァら特務隊だ。


 そう、最後の作戦部隊とはオイヴァ隊のことであり、その全員が帝国軍の兵装をまとっている。それは“巡回の部隊”とやらからの鹵獲品であり、今のオイヴァらは負傷兵や離散兵として砦に三々五々と屯しているのだ。砦を取り巻く無秩序がそんな離れ技を可能たらしめている。


 マルコの造った混沌だった。


 親衛団として戦った第一戦も第二戦も、撃破した敵兵を意図して相当数逃がしている。それも雑兵のみをだ。士官は1人も逃がしていない。広く散らせて、それでいて1つの砦を目指すように誘導した。オイヴァらはそれに混じって西を目指した。むしろ離散兵の誘導係ですらあったのだ。


 そして止めとなったのが第三戦である。歩兵を蹴散らし、砦の至近にまで追いたてることによって雑兵たちを押し込んだ。砦は大混乱に見舞われた。指揮系統も何もあったものではない。負傷兵も数多いから、砦全体が埃と血生臭さとで散らかっている。原隊確認などする暇もない。何しろ砦の近くまで敵が迫っていて、しかもそれは騎兵だと言うのだ。一気に攻められる恐れがあった。


 だからこうして、オイヴァは呑気に痒みと戦っているのである。体格が目立つため荷車に乗せられての搬送となったこともまた呑気だった。しかも運んだ部隊員が置く位置を工夫したため、すぐ側では砦の士官たちが立ち話をする始末だ。笑んでいいなら大いに笑む状況である。


(どこまで遠くが見えているんだかなあ、うちの大将は。こりゃ堪らねえ……堪らねえや!)


 グフリ、と遂に声が漏れたオイヴァである。鋭く腹部をつねられた後、血を吐いたが如くに顎を上げられた。血が喉に詰まって窒息することを避けるための処置だ。オイヴァの看護係といった風のこの隊員は実際に腕がいい。戦場において負傷兵を応急的に治療することも……敵兵を強襲的に殺害することも。


 警鐘が鳴った。


 城壁の上から敵襲を告げる声が響き渡った。ざわめきはどよめきになり、そこには唸声と悲鳴とが混じった。オイヴァは同情を感じずにはいられない。この砦へ至るまで、荷車に揺られながら多くの帝国兵の声を聞いたものだ。偽装した血糊を見て心配げな声を出した者も、家族のところへ帰るまで死ねないと漏らした者もいた。誰もが1人の人間で、誰もが日常を抱えていた。


 しかし、兵だ。オイヴァはそこを見切っている。


 兵とはもとより悲しいものなのだ。その生死は余りにも儚い。味方の将に左右され、敵の兵に左右され、まるで川の水面に揺られる落ち葉のようにゆらゆらとして人生を試される。誰もが同じで特別なことなどない。戦場とは己の生死を賭す場所である。


 だからこそ……と、オイヴァは身体の下に敷いていた剣に手をやった。鞘をなぞって柄へと至り、布の巻かれたそれに指を絡めていく。それだけで胸に灯る戦気がある。人が鋼の刃を手に取る意味はそれだ。肉の身にあり得ざる硬さが心身と合一し、心を研ぎ澄まし、精神に熱を持たせる。


 一度ひとたびそれ持ち立ったのならば、今はただ思い切るべし。


「火だあ! 火事だぞお!」


 誰かの叫び声が上がった。営舎の方々から橙色が吹き上がり、煙が立ち込めてくる。オイヴァの近くでも何かが激しく燃焼したようだ。油の香りと共に火花が視界に踊った。さあ始まりだ!


 立ち上がって抜刀。


 踏み込んで一太刀。


 立ち竦んでいた帝国軍士官の首が宙に舞った。返す刀で副官らしき男を首の根からわき腹まで深く斬り下げる。あと1人を斬ろうとして、その男の咽から切っ先が突き出しているのを発見した。衝撃で顎が上がったところに己との密かな相似を見るオイヴァである。刺した隊員はやはり腕がいい。


「火事だあ!! この砦はもう駄目だぞお!!」


 オイヴァはそう吠えて、しどろもどろにでも武器を手に取った帝国兵たちを次々と斬り捨てて走った。老いもいる。若きもいる。男もいれば女もいる。しかし武器を手にして戦うことを選んだのならば、こちらもあちらも試される身であることに相違はない。斬る。斬って斬って走るのだ。血と火が赤々とあり、鉄錆の匂いと焼け焦げる匂いとが有形無形に漂う中を戦う。戦争に全力を尽くす。


 オイヴァたちの誰かが門を開け放ったから、もう、この砦は滅ぼされる。


 先頭きってクスターが駆け込んできたのが見えた。戸惑う帝国兵たちを蹴散らし、瞬く間に中庭を制圧していく。その馬の駆り方に目を見張りつつ、オイヴァは砦の建物内へと駆け込んでいく。敵味方の識別は手首に巻いた赤紐と手信号だ。手向かうものは斬り、逃げるものは放っておく。そして火を放つのだ。松明を手にして走り回っているものたちがいる。油も持っているはずだ。放火役の隊員たちである。


「火事だあ!! もう駄目だぞ! この砦は燃えちまうんだ!!」


 オイヴァは目一杯に大声を上げた。いつの間にか周囲に集まっていた隊員たちと頷きあい、砦の厩舎へと走る。そこには既に隊員たちが馬に馬具を整えていて、オイヴァたちは次々とそれに跨っていった。


「よおし、準備ができた奴から行け! 俺たちの最後の仕事は、生きて帰ることだ!」


 火災による黒煙と熱量とが支配しつつあるこの砦にあって、もはやオイヴァらと戦おうとする帝国兵は見当たらなかった。焼け死にたい者などいない。この期に及んでは誰もが生きるために走るしかないのだ。人は炎の中には死ぬより他なく、それを望む者などいはしないのだから。


 オイヴァもまた馬を駆けさせた。容赦のない放火は砦を火の海へと変貌させつつある。「あいつらやり過ぎだ」と思いつつも、「あいつらなら逃げ遅れるはずがない」と考えもするオイヴァである。熱気を突き破って砦の外へと飛び出した。


 そこにマルコがいた。


 赤布の九十九騎を従えて馬上にあり、火炎の色に照らされつつも砦を見据えて身動ぎもしない。待っていてくれたものかと声をかけようとして、しかしオイヴァは一言も発することができなかった。


 マルコの顔に表情がなかった。


 それでオイヴァは初めて気付いた。マルコは常に色々な表情を浮かべていたことを。多くは微笑みだ。そうでなくとも誰かやどこかを静かに見据える眼差しをしていて、何を前にしたところでその涼しげな雰囲気を乱されやしなかった。超然として奥行きの深さを感じさせた。


 それが、どうだ。今のマルコにはいかなる色も、深さも、強さも感じられなかった。


 まるで打ち捨てられた刀剣のようだ。いかなる稀代の宝刀も手入れもなく雨ざらしに放られたならば、年月がその身を蝕んでいって、やがては鋭利も光輝も何もかもを呑み込んでいってしまう。その途上にあるかのような、尊いものが失われていくような、絶望を呼吸するような退廃がそこに在った。


 オイヴァは馬を進ませた。マルコの顔を見た。結った黒髪の下に碧眼があって、その瞳は今は炎だけを映して瞬きもない。内から発する光はなかった。燃やされているようだった。


「……おい、マルコ」


 呼びかけた。それは遠くの者へと呼びかける響きを持っていた。


「おい、マルコ。聞こえてるか? マルコよ、おい……マルコ!」


 次第に声を強めつつ、オイヴァはマルコの目の前に己の身を大きく晒した。砦の大火を背にして、騎乗した少年を影へと包み込んだ。瞳の中に炎はかき消えて、ただ寂とした碧色のみが残った。彫像のような在り様だった。オイヴァは呼びかける。考えての行動ではなかった。


「マルコ! 作戦は終わりだが、まだ終わってねえぞ? わかってんだろ?」


 ついには手を伸ばして肩を掴んだ。意外なほどにまだ華奢なそれを、揺さぶらずにただ掴む。手から何かを伝えたいと思った。伝わるものだと信じた。


「おい、マルコ! 戻って来い! 俺たちを置いていくつもりか!?」


 それはオイヴァ自身、意味の分からない言葉だった。だが切実だった。彼はマルコに誓いを立て、マルコが向かう先へ……何か遥かな道程へと人生を歩み始めた者だった。その充実を知ったからにはもう戻れない。戻りたくない。オイヴァは酒を手に不貞寝するあの頃へ戻る気などサラサラ無かった。だから強く言葉を重ねた。


「まだだろう!? マルコ、まだのはずだ! まだなんだよ!!」


 叫ぶように繰り返した意味不明は、しかし、少年へと確かに影響したようだった。瞬きが連続し、碧眼に光が灯った。顔に表情が戻った。僅かに開いていた唇が引き締められ、そして笑みを作った。


「……すいません、少し夢を見ていました。炎の熱に当てられたようです」


 マルコだった。何もかもがたちどころに戻ってきて、そこには13歳のマルコが微笑んでいた。嬉しかったが、同時に戸惑いもあった。オイヴァは随分と長い時間を過ごしたかのような錯覚に見舞われていた。


「さあ、駆けましょう。まだ何も終わってはいないのですから」


 馬首を東へと向けて、駆け始めた。背に炎の熱を浴びつつ駆ける。遠ざかり冷めても駆ける。そう、まだ作戦は終わっていない。ここに踏みとどまれば死を待つばかりなのだから。オイヴァはチラと背後を見た。次第に遠くなっていく砦は日中にも篝火のようだ。高く高く煙が上がっている。


 ……こうして、アスリア王国第3王女親衛団の初陣が終わっていく。


 戦乱が幕開けたばかりの行禍原に、今、巨大な戦果を打ち立てられていた。それはあんまり巨大であったから、アスリア王国もエベリア帝国も共に即座の対応ができなかった。常識が信じることを拒絶していたのだ。目の前の事実はそのまま受け止めるには非常識に過ぎた。尋常ではなかった。


 帝国軍三個連隊一万人を撃破。


 捕虜一千八百人余り。


 捕獲軍馬二千九百頭余り。


 鹵獲品多数。


 そして……帝国軍北部前線砦の破壊。


 戦果が具体的に現れ出でたその時、両国には大きな衝撃が走って雷鳴が轟くこととなる。アスリア王国第3王女親衛団の名は歴史に刻み込まれるのだ。その初陣の凄まじさは後世の歴史家を唸らせ、同時に首を捻らせることとなるだろう。どうしてそんなことが可能だったのかと。本当にそんなことが可能だったのかと。歴史家が知ることはあるまい、その真実の姿を。恐るべきを。


 マルコはこの時、その名を親衛団の末席に連ねていたに過ぎない。指揮官はあくまでもアクセリであり、別働隊の指揮官はクスターである。戦術史や軍記録にも2人の名があるばかりでマルコの真実が明記されることはなかった。


 それでも彼の武名は知られることになる。王女に献身した辺境のその少年が、弱冠13歳の彼が、軽騎兵部隊の1騎として最後まで戦い抜いたのだから。僅か千五百騎で行禍原を横断し、帝国の砦へと突入した内の1人なのだから。ましてやそれが公には初陣であることが物凄まじい。真実の姿から遠い形で知られてなお、マルコは名声を得たのである。


 しかし、同じ時代を生き、同じ戦場の空気を吸った者の中には……いる。違和を察し、何かに気付き始めた者がいる。エベリア帝国において最初の1人となった者は、名をテレンシオ・バルセロと言った。階級は帝軍中佐。率いるは軽騎兵千五百騎。


 その男は“黒蛇”の異名で知られていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ