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第20話 冷めるなどもってのほか

「ん、んしょっ、ん、んしょっ」


 小さくてふっくらとした足が、危うげにふらつきながらも、特製の白布の上を踏み踏みとしている。布の下に初め盛り上がっていたものが、徐々に徐々に左右へ平たくされていく。それにつれて足踏みも安定していくようだ。


「むふぅ……あと3回はやるの」


 床に敷いたもう1枚の布……こちらは何の変哲もない清潔なだけの布だが……それに着地を果たし、パウリーナは充実しきった笑みを浮かべている。ヴィルマはそれを愛おしく思いつつも、自分以外の2人の見物人のことが気になって仕方がない。


「いやはや、見事なものですなぁ。地に足のついた御方だとは思っていましたが……」


 言動にも表情にもどこかしら不敬を漂わせつつ、その軍人はしきりに感心した風である。アクセリだ。座るようにと言われても遠慮して直立したまではいいが、王女を前にして腕を組むというのはどうなのだろうと思うヴィルマである。


 そしてもう1人。


「凄いですね。あの白布の光沢からみるに歴戦の捏ね方のようです。期待が高まります」


 こちらは座りながらも礼容を示している少年がいる。口調には揶揄などなくいたって真摯だが、黒髪の下で煌く碧眼といいスラリと伸びた手足といい、奇妙に気圧されるものを感じてヴィルマは落ち着かない。


(村長の息子で、マルコといったか。13歳ということだが……)


 チラと見やって、やはりおかしいと思うヴィルマである。世の13歳の少年といえばこんな風ではない。内向きにしろ外向きにしろ、強い我意を持て余して不安定になっている年頃だ。ヴィルマが見てきた者たちは皆そうであった。純粋で不器用で、生き生きとして痛々しくて。


 それがどうだ。このマルコという少年の落ち着きぶりは只事ではない。村へ王女がやってくるなど驚天動地の出来事であろうに、浮き足立つ大人たちを余所に彼が陣頭に立って全てを差配していた。


 護衛の兵たちへ天幕を張る場所を示し、村人に飼葉と水とを用意させ、滞在期間から考えられる最適の案内をヴィルマに提案して……万事を滞りなく行っておいて、いかなるてらいも感じさせない。礼節を尽くしてパウリーナを重んじる。非の打ち所もない接待役だ。


 本当に13歳なのだろうか?


 ヴィルマは身分を問わず優れた人物を好む。自分自身が若輩者なのだから、年齢による差別などするつもりもない。しかしこの少年の異様は受け止めにくいものだった。


(この少年は何を秘め、何処を見ている……)


 王都という毒の沼地で悪意という無形の刃に晒されつづけたヴィルマにとって、底知れなさはそれ自体が警戒すべきものだった。何を思おうが、何をなそうが、それがある程度に収まるのならば対処できる。未然には防げなくとも、どうにかやり過ごすことができる。しかし程度の知れない相手は駄目だ。何かをなされたとき、それ1つがパウリーナにとって致命的であれば終わりだからだ。


 そのパウリーナはといえば、平たく伸ばしたものを折り畳み、再びの小山にして踏んでいる。ドレスの裾を掴み上げ、元気にまた踏み伸ばすのだ。いつもより勢いがいいのは見物人たちの賞賛のためか。


 彼女が作っているのは“練麺”と呼ばれる食べ物だ。


 母方のヒルトゥラ家においてよく食べられていたもので、材料は軽麦粉と塩と水である。それらを混ぜ合わせ、小一時間ほど熟成させたものを練りに練り、再び熟成したる後に細く切り分けて茹でる。出し汁につけてよし、卵にからめてよし、魚醤をかけてよしというもので、エベリア帝国では庶民の食べ物として普及しているらしい。ヴィルマは侍女武官になって初めて知った。


 作り方に様々な手法があるとかで、パウリーナの場合は手で練る部分を足で踏む。非力を体重で補っているのだ。素足を綺麗にぬぐい、材料を特製の白布で覆って踏みまくる。その現場を初めて見た時、ヴィルマは二重の意味で驚いたものだ。


 まず、口に入れるものを足で踏むという行為が非常識だ。教会の教えに背いている。どんなに綺麗に洗おうとも足は足なのだから、不浄の行為と見なされる行為だ。


 次に、踏む際に使用する特製の白布である。それはあらゆる布の内で最も高貴とされるクウィン織物なのだ。白く光り輝く艶やかな材質……総クウィン織物製のドレスといえば女性の夢であり、大貴族の娘といえど複数を所持することは叶わないほどのものだ。


 父たる王よりドレス用にと下賜されたその宝布を、パウリーナは己の得意料理のための調理道具として活用している。今もこうして、嬉々として踏みしめている。


 これはいとけなさだろうか? それとも他の何かなのだろうか?


 ヴィルマはその判断を未だ下せないでいる。ただこの行為を世間から隠蔽するのみだ。周囲にどう思われようとももはや新鮮味のない憂いに過ぎないが、しかし白布を奪われるわけにはいかない。パウリーナが楽しく踏みつけ、美味しく食事をするための宝物なのだ。護らなければならない。教会であろうが貴族であろうが……たとえ王であったとしても、これだけは邪魔させない。させたくない。


「王女様の足捌きには感服するばかりですが、ふむ、出来上がりがまるで想像できませんなあ」

「ああ、この後に切りますからね。そして茹で上げるのです。食べ応えのある汁物を想像すると近いかもしれません。期待できますよ、これは」


 しかし、この状況である。ヴィルマは自分が今どんな表情でいるのかもわからない。誰を入れるつもりもなかった王女用の天幕の中には、軍人と少年とがウムウムと頷き合いながら待っていて、隠すべき調理方法を駆使して夕食を作っているのはパウリーナである。


 それというのも、パウリーナと少年との間で練麺談義が盛り上がってしまったからだ。


 案内の間中、少年は様々に説明をしつつもパウリーナへ馴れ馴れしく話しかけることをしなかった。ヴィルマが両者の仲立ちとなって応答していた。それは王族としての当然であり、パウリーナもそれを守る。全ては何の問題もなく進むかに思われたが。


 説明が収穫した麦の活用方法に及んだ時、パウリーナの目の色が変わった。冷害対策として従来とやや異なる栽培方法を試みているというメコン麦……その特質を活かす手段として練麺の名が挙げられたからだ。


 止める暇もあればこそ、パウリーナは熱心に質問を繰り返した。挽き方はどれほどか、水溶性はどれほどか、繊細さはどうか、硬さはどうか、粘りはどんな具合か……直問直答の応酬であった。鼻息も荒く具体的な確認を取りながら、パウリーナは早くもその場で足踏みをしていたものだ。


 そして「試食」という名の今がある。


「できた。最後に踏むのはこれくらいで、あとはまた寝かすの」

 

 頬を桃色に染めて、パウリーナが満面の笑みを浮かべた。額の汗もキラキラとしている。踏み終えたならばしばらくは休憩だ。お茶の一杯も楽しんでいる間に材料が仕上がる。恐らくは会心の出来だったのだろうと、ヴィルマは頬を緩めた。パウリーナの足が感触を反芻するかのようにワキワキと動くのだ。それをそっと押さえつつ布で拭う。


 その間も軍人と少年とがパウリーナの腕前……主に足であるが……を絶賛し、計8回もの踏み伸ばしを完遂した健闘を讃えていた。もはやヴィルマが間に入る余地もない。誇らしげなパウリーナを見れば嬉しいし、人と人との親しさは時に身分を越えるものだとも思うが、しかしヴィルマは侍女武官である。


「……アクセリ、生卵はいける口ですか?」

「鮮度によりますな」

「ならばよし。卵かけ練麺も試してみましょう。幾つか持ってきます」


 少し中座します、と天幕を出ていく少年を目で追う。そしてそれを見送る軍人をも見た。確信はないが疑わしく思うものがある。その眼差しといい、両者の間の口振りといい、ヴィルマには計りきれない何かが在って……それは少年の底知れなさに繋がっている気がするのだ。


「大尉殿は……彼とどのような関係なのですか? 随分と親しげですが」


 不躾でも聞かないわけにはいかなかった。今日の出来事を思い返すにつけ、二人のやりとりを見るにつけ、ヴィルマの胸中に1つの疑惑が首をもたげてくる。


 彼に会わせることが目的だったのではないか?


 ヘルレヴィ伯爵領の奥地、こんな辺境くんだりまで来ることになったのはこの軍人の進言が原因だ。彼はそれらしいことを言っていたが、実のところ、あの奇妙な少年がいるからこの村へと来たのではあるまいか。少年の案内によって村を見てまわったが、それは今日1日を少年によって見られていたということでもある。


「この村で出会ってより数年来の付き合いですが……ふむ……関係を言葉にしろと言われると中々に難しいものがありますな。親しいことは間違いないでしょうがね」


 思案顔で首を捻ったる後、その口からは稲妻が飛び出してきた。


「まぁ、彼が王国を滅ぼせと命じたのならば、私はそれをするでしょうな」


 すぐには解せない言葉だった。ビリビリと意味が全身を震わせていき、ヴィルマは弾かれたように動いた。手は剣を掴み、体はパウリーナを庇う。目の前の男は丸腰だが、言葉の凶器を放つのならば鋼鉄のそれも隠し持っているに違いない。


「その忠義まずは見事。しかし悲しいかな、それは姉が妹を護る庭園の武に過ぎない」

「……黙れ。手を頭の後ろにして跪け。背中を向けろ。さもなくば斬る」

「私を斬ったら君らは助からんよ」


 やはりこの男の言葉は凶器だ。髪の逆立つ思いでヴィルマは天幕の周囲の気配を探った。日暮れの風が布を波立たせる音、篝火が燃えて木が小さく弾ける音、そして……警備にしては一度に多すぎる足音。剣帯の揺れる金属音。槍の石突が小石とぶつかり土を突く音。


 囲まれている。数は二十を下らず、五十を超えないほどか。


「読んだかな? ちなみに全て領軍歩兵部隊の面々だ。借り物の兵でな。私の百騎は今、ここを離れている。何でも馬賊が出たらしいぞ」

「ば、馬鹿な!」

「そう、馬鹿な話さ。今更馬賊など出るはずもない。しかし目撃情報は上がってきていて、馬賊を討つのは最優先事項として厳命されている。王女様の道中を慮ってのことらしいが、さて、村における安全は慮外の事なのかな?」


 そう言って笑む軍人に、その眼光の鋭さに、ヴィルマは気圧され半歩退いた。背に柔らかいものが触れる。パウリーナの暖かな繊手だ。これ以上を退くわけにはいかない……深く低く息を整える。


「そう、それでいい。流石は侍女武官だ」


 二コリとする様子はあんまりに楽しげで、ヴィルマは体がつんのめりそうになった。気がいなされたのだ。立ち直るよりも早く軍人が言葉を重ねてきた。


「大丈夫。私がいる限り連中は襲えない。馬賊から王女を護れなかった罪でもって公開斬首、というのが私の役割だからな。ここで殺すわけにはいかんのだ。殺せば代わりに歩兵部隊隊長が斬首されることになる。それでは先方も困るだろうよ」 


 そう言って杯を取り、水を飲む。この軍人は何を言っているのか……ヴィルマは緊張の中にも頭を働かせ、泥の中から金貨を探し出すようにして推論を口にした。


「お前は……大尉殿は、連中とは違うのですか?」

「無論。王国のために首を差し出す気は毛頭ない」


 そしてニヤリと笑み、付け加えた。


「マルコのためになら、まぁ、そういう仕事もあるのかもしれないが」


 閃くものがあった。


 村にあるという不思議。得難い宝。彼こそがそれなのではあるまいか。マルコという13歳の少年に感じる底知れない何か……それがアクセリ・アーネル領軍大尉という人物にとっては王国よりも尊く、己の生命よりも重いのではないか。


「……あの人は?」


 呆然とするヴィルマの背後から、静かに尋ねる声があった。


「もうすぐ生地を切って茹でるけど、一緒に食べられるの?」

 

 かかる危急の事態である。ヴィルマはパウリーナに口を噤んでもらおうとして、そして初めてのものを見ることになった。目を見開いても全てを見切れず、なお目を見開こうとした。


 パウリーナであってパウリーナでない誰かが、そこに立っていた。


 姿形が変わったわけではない。無垢で飾り気の無い少女であることに違いはない。しかし巨大だった。何かが大きく大きく広がっていて、それは同時に深く深く遥かなものであった。ヴィルマは己がいかに主君を見誤っていたかを自覚した。忸怩たる思いを抱いた。同時に歓喜の衝動が胸を熱くした。


(ああ……そうだったのか。私もまた貴方を貶めて見ていたのか……!)


 ヴィルマには空が見えていた。青く青く透き通る大空だ。人の了見という狭い窓から見たならば、絵画や宝石に比べるといかにも味気なく、見劣りし、つまらないものとして映るもの。当たり前のようにあるがゆえに価値がわからず、華やかさなど欠片も感じないもの。


 けれど外の世界に飛び出したならば、見上げる全てに渡って天は輝いているのだ。人の世のありとあらゆるものを解さず、それゆえ縛られず、自由に自在に何もかもを寿いで飽くこともない。


 泰然自若として……パウリーナはそこに立っていた。


「食べられますよ」


 軍人は変わらぬ態度で答えていた。それがまたヴィルマを驚かせる。彼がパウリーナの神気とでも言うべきものを感じていないはずがない。この危急に際して現れ出でてきた大器を、これほどの軍人が見えていないわけがない。それなのに。


「彼は卵を取りに行きましたが、もう暗いですから、少し気をつけながら帰ってくるだけです。邪魔な小石も、小枝も、何もかも……その手で打ち払ってくるだけですよ」


 それは予言にしては直前に過ぎていただろう。


 天幕の外に奇怪な物音が連続した。金属の擦過音、何かがドサリと落ちる音。悲鳴はくぐもり、動揺の叫びも不自然に断たれた。僅かの間に様々な物が様々に鳴りきって、そして、一切の音が消え去った。ただ1つ、天幕の布のはためく音だけが風と共に在る。


 妙に重い体を揺さぶるようにして、ヴィルマは天幕の外へと歩いていった。


 月が出ていた。


 その滑らかな光が照らす世界で、何十体という死体が辺りに散らばっていた。それらは兵士の格好をしていた。地面が黒ずみ僅かに月光を照り返しているが、それは鉄錆の臭いを発していてるから、きっと何か悪いものに違いない。


 ひざまずく男たちがいた。格好はバラバラだ。農夫の姿をした者、黒ずくめの者、商人風の者……倒れている兵士と同じ格好をした者も多い。その誰もが闘争を生業とする者の凄みをまとっている。中でも一際目立つのは緑色の頭巾をした男だ。恐るべき大剣を携え、男たちの先頭でもってやはり跪いている。


 そして……彼が居るのだ。


 月光の申し子のようにして、黒髪碧眼の少年が1人、男たちにかしずかれている。夜の風も彼の周りにあってはかしこまるものなのか、そこだけは何もかもが静寂に包まれて、幽玄な山河の中の風景のように孤影をたたずませているのだ。


 マルコ。何かを秘め、何処かを眺めやる恐るべき少年。


 彼のその手に持たれていたのは……卵だった。片手に2つずつ、計4つ。


「ああ、少し待たせましたか? まだ茹で上がってはいませんよね?」


 ヴィルマは出会った。


 ヴィルマはこの月明かりの下に不思議と遭遇したのだった。

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