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第15話 鎧えない場所を狙えば

 丘と丘とに挟まれた低地に人馬が小川のように列をなしている。荷車と荷車との間隔は広い。その割に護衛の兵は列の前と後ろに集中していて、それは見るからに無防備な行軍と言えた。


 荷車の数は多い。事前情報によれば兵糧と軍資金とがそれぞれ相当量運ばれているはずだ。最終的な行く先はサルマント伯爵領で、東龍河の渡河拠点には既に大船が待機しているのも確認済みだ。そこへ運び込まれてはもはやクスターらがどうこうできるものではない。拠点駐屯軍は多く、水上や西岸で戦うことはできないからだ。


 引き締めた表情の裏で、不安がヒタリヒタリと怖気を滲ませて止まない。しかし行く。思い定めてきた歳月がクスターを後押ししている。


「中央を抜けてより反転、分かれて前後の護衛部隊を叩くぞ」


 クスターは馬の腹を蹴り、丘を一気に駆け下った。手綱は鞍の前橋に引っ掛けて両手を自由にし、槍をしごくこと一度、くるりと穂先を返すこと二度、六百騎の先頭として突っ込んでいく。己を鋭利な刃の先端と化して穿つのだ。続く者たちがその穴を広げることで分断し、もって敵の秩序と士気とを砕く。


 手近な1人を薙ぎ倒して敵へと分け入った。そしてその瞬間に全身が粟立ったクスターである。


(これは……!)


 すれ違う敵の顔には恐れがあり、緊張があって……それだけで終わっていた。驚愕と動揺と混乱がない。引きつった顔には生物としての本能とせめぎ合う戦士の意思が閃いている。だから動きが柔軟だ。無理にクスターらの矛先を受け止めようとせず、通るに任せていなしているのだ。


 完全な奇襲のはずだ。しかも護衛の少ない場所を、急所に違いない隊列の横っ腹を衝いた。それがいなされている。クスターの槍はわずかに1人か2人を引っ掛けた程度だ。ありえないことだ。


 中央突破は鮮やかすぎるほど鮮やかに成功した。向かいの丘へと馬を駆け上がらせて振り返ったならば、果たして輸送部隊の隊列は2つに分断されており、二千四百の蹄によって踏み砕かれた無残はまるで生き物の内臓をぶちまけたかのようだ。


 しかし討った人数が少なすぎる。目視した限りで数十人といない。蹴倒されて散らばった荷もおかしい。麦粉の袋でも食料品でも、ましてや金の詰まった木箱でもない。木材だ。木杭だの木板だのといった、建設資材としても奇妙な諸々が散乱している。


 前後の護衛は歩兵主体でそれぞれ二百人ほどだ。予定通りにぶつかれば苦もなく打ち砕ける数である。しかしそれを躊躇わせる光景が広がっていた。クスターは我が目を疑った。


 長槍だ。人の背丈の3倍にも届こうかという槍が揃えられ、構えられつつある。最初に見下ろした時にはただの歩兵だったはずだ。槍の長さも個人戦闘の一般的なものだった。それが瞬く間の変貌である。


 荷だ。護衛部隊に近い荷車は長槍を積んでいたのだ。そしてそれを即座に配備し、クスターらへ向けて整然と隊伍を組んでいる。その戦気には鋭さがあり、これまで領軍に感じていたものとはまるで違っている。


 見覚えがあった。この2年ほど領内の各所で戦ってきた相手……ハッキネン護衛団とかいう民間の戦闘集団だ。商家の護衛を専らにして台頭してきた組織で、錬度も中々のものだとクスターは評価している。目障りではあるが必ず潰さなければならない相手でもないので、牽制程度にしかぶつかっていなかったが。


(まさか、雌雄を決しようとでも言うのか?)


 護衛部隊から松明を持った騎兵が何騎か駆けたようだ。クスターらが伏せていた場所へ続く丘へ上がり、灯りを振っている。


 もはや誰の目にも明らかだ。これは罠である。目に映る人馬の列は領軍の輸送部隊ではない。兵が領軍であるかハッキネン護衛団であるかはもはや関係ない。この丘にクスターらが得るものはなく、ただ危険だけが加速度的に六百騎を包み込もうとしている。


 クスターは鋭く舌打ちし、手信号も短く六百騎を駆けさせた。分けることはしない。ここで勝つことに意味はない。損失は避けられないし、その損失に見舞う何を得られるものでもない。丘を反対側へ越えようとして、夜目にも高く立ち上る砂塵を認めた。


(あれが本隊か……騎兵で、千は下るまいな)


 そうとなれば領都の虎の子の千騎で間違いない。どうやら領軍は馬賊討伐に本腰を上げたようだ。クスターの見積もりではヘルレヴィ伯爵領領都の常備兵は三千と少しである。ここ何日かの陽動輸送に千は割いたとして、更に千騎を放ったとなれば、領都には最低限の守備兵しか残っていないことになる。


 しかも砂塵は1つきりでないとくる。少し遠いがあれも同等の兵力で、方角からして渡河拠点から出撃してきた騎兵だろうとクスターは推察した。むしろそちらの方が厄介かもしれない。里への退路を気取られる恐れがある。


 背後からは偽装を解いた長槍部隊も迫る。その数は五百ほどだが、囮と心得ている槍衾は脅威だ。錬度も高いと知れている。ここで決戦に及んだ場合、あるいはクスターの命を刈り取るのは長槍の穂先かもしれない。


 クスターは鼻を鳴らした。


 つくづく役に立たない“予感”だと思い知ったのだ。貴族とは身を飾る装飾品を手放さないものだし、戦えぬ者ほど目に見える戦力を頼みにする。そのどちらにも当てはまるだろうマティアス・ヘルレヴィ伯爵が、まさかこれほどの決断を下すとは予想だにしなかった。


 領内を盤とした駆け引きに自分は負けたらしい……そう思うと、クスターは手足の力が萎えるようだった。戦場を知る者が戦場知らずの貴族の術中にはまるなど悪夢でしかない。


(……サロモン様の〝火”を残そうなど、俺如きには大それた夢だったか)


 クスターは束の間目を閉じた。全くこの世というやつは、見たいものを見ることが叶わない。サロモンは死に、ジキルローザは消え、大衆はどこまでも度し難く在る。せめてと手中に育んだつもりの騎兵も己の不明から包囲の危機に晒されている。


 だから、思い切ろう。いや増す一方の胸騒ぎの途絶するその時まで。


「少々遠回りをして戻る。各員、防塵装備は怠りないな?」


 返事は諾だ。この六百騎の中にはかつて義勇兵としてサロモン軍に所属していた者も多い。クスターの思う所を察しているから、最小限の言葉で多くを伝えきることができた。里を滅ぼすわけにはいかない。


「……よし、行くぞ!」


 長槍部隊を置き去りにして、千と千との間隙を衝く方角へ突進した。丘陵の起伏を上手く利用して、前方からも後方からもわからないように十騎ずつ十班、合計百騎を密かに分けて走らせる。別働の二百騎に連絡するためだ。数として奮発したものだが、それは連絡の届く確実性を高めるばかりが狙いではない。最悪の場合でも誰かが里へと辿り着くためだ。事態は逼迫している。


 クスターら五百騎は囮だ。別働隊たちを逃すための。


 二千騎へまともにぶつかっていって勝てるなどとは考えない。4倍の敵を打ち破れると夢想するほどにクスターは素人ではない。しかも馬の質に違いのない北辺の騎兵同士だ。逃げ切るだけでも容易でなかろうし、ましてやそれが里への退路を誤魔化しつつのものとなれば尚更だ。


 犠牲を払いつつ東へ抜けることになるだろう……そうクスターは考えていた。速度で振り切れなくとも追手が諦めてくれる場所へ入るのだ。即ち、北東の魔境“死灰砂漠”。人に殺されるか自然に殺されるかの差があるのみだが、しかし、自然は里への道を追跡しようとはしない。別働隊二百騎も、連絡に走らせた百騎も、いざとなればそこを目指すだろう……クスターは疑いを抱いていない。


 砂塵の動きは予想よりも少し鈍かった。追うつもりで来たのだろう彼らからしてみれば、自分たちの方へ駆け来る動きは想定外なのだろう。クスターは笑んだ。間を抜く進路は塞がれたが、それが即座でなかったことが大きい。もはや別働隊へ手を回すことはできないだろう。


「戦術だけは勝ったか……せめてそれ位はしないとな」


 クスターは頬を擦る夜気に自嘲を吐息した。サロモンの指揮下で戦った最後の戦い……エベリア帝国軍を殺しに殺したあの戦いを思い出す。己の奮戦をではない。そんな事態を招いた勇者の愚かさが、今の己と重なって感じられたのだ。


 サロモンは言っていた。これは馬鹿の尻拭いである、と。


 騎兵部隊の一部将に過ぎなかったクスターには当時の全体像が見えていたわけではない。しかしわかっていたこともある。サロモンはあんな戦い方をするつもりはなかった。あれは苦しまぎれの奇策に類するもので、賭けの要素が多分にあった。時間はかかってももっと堅実に勝ち続けるための方法を……その戦略をサロモンは日夜考え続けていたようにクスターには思われるのだ。


 そんなサロモンが今の自分を見たならどう思うか……きっといつものように冷笑するだろう。命が幾つあっても足りないと。臆病者の必死は大事にとっておけと。そして全力で戦える状況を作ってくれるのだ。


 駆ける。ただ駆ける。しかしいつしか並走されていた。


 数はこちらと同じくらいだろうとクスターは見た。丘陵の起伏の変化でチラチラと視認できるのはお互い様か。旗は確認できないので所属は知れないが、遊撃部隊として先行したものだろうと推測する。速度といい位置取りといい厄介な相手だ。


 先を思えばこのまま駆け続けるわけにはいかない。どこかで休息を挟まなければならないが、こうも並走されていては一時的にも姿を眩ませることができない。向こうはこちらよりほんの少し無理をするだけで後ろの本隊と挟撃できるというのに。


(……ならば、思い切るだけだ)


 一撃して乱し、即座に離脱して距離を稼ぐ。そう決めてしまえば後は機会を見出すのみだ。クスターは丘の連なりを観察する。理想的には横合いから逆落としに当たりたい。しかしそれは向こうも同じこと、早々に有利な地形はとれない。速度を落とすわけにもいかない。


 あれも駄目、これも不充分、それは敵に有利だから近寄ってはならない……付かず離れずを繰り返す疾走は指揮官同士の戦術勝負だ。ぶつかり合うばかりが戦いではない。


(なかなかに、やる……)


 遊撃部隊の指揮官は近頃見なかったほどの実力者のようだ。強引に来るでなく、さりとて弱腰に退くでもない。緊張の糸を張り詰めざるを得ない間合いでもって、虚々実々の駆け引きが続いている。その胆力も見事だが、こちらの誘いに乗ったふりをして逆に退路断ちを試みられた時には思わず唸った。柔軟かつ巧妙な用兵だ。いずれ名のある将だろうとクスターは確信する。


「ははっ」


 込み上げてくる愉悦が口から漏れた。手を翻し翻し、率いる者たちに意図を伝達する。背中越しに戦意が膨らんだ気配が感じられた。頼もしい熱だ。


「……よし、行け!」


 下へ傾斜のついた地形に入った瞬間、五百騎を左右半分に分けた。クスターは右を率いて敵に寄せるように駆ける。敵部隊は初め避けたが、こちらの人数を把握したのだろう、応じるように左へと寄せてくる。しかし当たりはしない。クスターはその相手に応じるように左へ左へと離れていくのだから。


 それは丁度、緩やかな丘を沿って弧を描くような進路だった。敵部隊はクスターらを追尾する形になる。僅かにクスターらが速度を上げたことには気付いただろうが、しかし、その察しの良さが仇となるのだ。


 左へ分かれた二百五十騎は、今まさにその丘へと至る。クスターらが右へと寄せた時の砂塵に紛れて減速し、こうなるよう距離を合わせたのだ。傾斜は緩くとも逆落としである。しかも敵部隊の横腹に斜め入る形だ。肩越しにそれを確認し、クスターは笑みを深くした。


 雄叫びも荒々しく、二百五十騎が突撃を開始した。敵部隊は大きく出血したようだ。隊列が乱れ、速度にばらつきが生じている。好機だ。あとは右へ回り込みつつもう一撃してやれば終わるだろう。指揮官を狙い討つつもりだ。敵本隊との距離を支払った分は回収しなければならない。


(素晴らしい用兵家のようだが、惜しいな、お前は俺に合わせ過ぎた。騎兵を率いる熟練度……その差まで察したのが敗因だろうよ)


 指揮官の位置はおおよその見当がつく。そこを目指さんとして、クスターは思わず悲鳴を上げた。己の背に氷の槍か何かが突き刺さったような気がしたのだ。本物の方の槍を落としそうになる。手綱を引いてまで後ろを振り返り、目を見開いて、クスターは呆然とした。


「な……嘘だろ……」


 クスターら二百五十騎の背後へ凄まじい勢いで突貫してくる者たちがいた。その数は百騎ほどか。大男を先頭にして嵐のように仲間を弾き飛ばしていく。迫って来る。


 しかし、それではない。クスターはそんなものを恐れたりはしない。


 馴染み深い痺れが全身を震わせていた。それは強烈な“予感”の再来をクスターに教えていた。見る。見るよりない。指揮も忘れて見入るその先に、人馬の群れの奥に潜むようにして、彼は居た。


 碧眼が己を射竦めている。


 まるで他人事のようにして、クスターはそれを認識していた。


 遅れて、実際に1本の矢が左の肩口から生えた。続けて右の肩口にも。


「なんだ……やっぱり、見てたのかよ」


 背から地に落ち、その衝撃で息が詰まった。出血が熱を伴って肩を濡らす。情けなくも足を捻った痛みまでが脳髄に響く。受身も何もあったものではなかった。


 背嚢の占術板が割れた音がした。


 乾いた音だったが、それは耳に心地良い音だった。

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