第14話 戦い方に見覚えがあります
闇に伏せる。
暗く灰色にうねる空には月も星もない。空気は温く気だるげで、いい加減に首筋を撫でるものだから汗を噴くばかりだ。口木を噛ませた馬たち男たちの息もマフリマフリと湿っている。六百騎分の吐息だ。丘陵の窪地にでも溜まったなら湯の一掬いくらいにはなるかもしれない。
(嫌な夜だ……)
金環を首に巻いたその男は地に唾を吐いた。男振りのいい顔立ちは不快げに顰められ、ぎらつく双眸は丘の先を睨みつけて揺らがない。彼だけは口に木を食んでいないが、しかしへの字口に引き結んではいて、誰よりも剣呑な気配を放っている。
男の名はクスター。馬賊の頭である。
黒い外套で統一された集団の中で、彼のそれだけは裏地が燃えるような朱色だ。槍の穂の根元にも同色の飾りが結いつけられている。意味するところは血か火か情熱か。そのいずれであれこの夜には相応しかろう。彼らは今、襲撃を仕掛けようとしているのだから。
今夜、領軍の大規模な輸送部隊が夜陰に乗じて前線へと向かう。ここ何日かの小規模輸送はその全てが陽動に過ぎない。明朝の中規模輸送も同様だ。この夜闇を超えて行く部隊こそが本命である。
それは偶然に得られた情報ではない。半年以上をかけて、そうせざるを得ないように仕向けていったのだ。襲撃する輸送隊を選び、姿を目撃させる場所を決め、撤退方向を工夫し……うるさく絡みつき続けた成果としての今夜である。領軍の輸送計画は合理的であろうとすればするほどに用意された選択肢へと収束していく。そして収穫日が訪れたのだ。
(この丘の向こうを奴らは通る……隊が進発していることも確認済みだ。全てが上手くいっている。上手くいっているというのに……何だ、この胸騒ぎは)
クスターは頭を掻き毟るなり、グイと髪を引き抜いた。抜けた本数を数えて捨てる。次いで外套を引き寄せて裏地を握りしめた。開いた直後の皺に見入るが、バサリと捨て去って空を見上げた。空虚なくせに分厚い曇天が音もなく移ろうのみだ。
背嚢に吊るした占術板にまで手を伸ばしておいて、クスターはそれを手に取ることをやめた。幾つもの目が自分を見ていることに気付いたからだ。無造作に荷を戻すと、愛用の槍を手元で握り直した。
もはや撤退することなどできない。
彼ら六百騎は馬賊の全員ではなく、他に二百騎余りが陽動として各地を駆けている。領軍の誘導に乗る形で動いてみせているのだ。つい二日前にもその別働隊は領軍と矛を交えたはずで、撤退後に3つに分かれて領軍の目を引き続けている。もし今、本隊たる六百騎が破れるなり撤退するなりしてしまえば、別働隊は里への退路すら失うだろう。
クスターはここ最近の領軍を決して侮っていない。闇雲に追うだけでしかも諦めの早かった領軍は過去のものだ。当たってみれば錬度の高まりなど感じないのだが、居てほしくない場所に居るし、追われたくない方向へ追ってくるといったことが何度もあった。それは編成と配置の妙であろうと予測している。
しかし、そうであればこそ策が通じるという面もあった。相手の動きに理を認めたならば、理の向かう先を曲げてやればいい。そうやって誘導したのだし、そんな誘導を積み立ててきた末がこの丘というわけなのだが……クスターは何かが腑に落ちない。
まるで主客が転倒しているかのような不安に襲われているのだ。
罠に嵌めたつもりでいるのは自分ばかりで、実のところ罠に嵌められているのではあるまいか。あの丘の向こうには大穴が開けられていて、自分たちはこぞってそこへと飛び込もうとしているのではあるまいか。全てが思い描いた通りに進んでいるというのに、そんな不安ばかりが胸中に渦巻く。
(クソが……役にも立たないくせに、中途半端に……!)
クスターは内心で呪った。己の血をだ。
誰にも知られていない過去がある。クスターという男の血の歴史だ。名字を捨てたところでその身に流れる血の来歴を偽ることはできない。他ならぬ己の体が証拠なのだから。
奇跡、という現象がある。
教会が奇跡調査官を走らせて希求するこの世の不思議だ。何か特別な現象が起こり、もしもそれが奇跡として認定されたなら、それは教会の手厚い保護によって長く慈しまれることになる。しかし教会は一方で魔人や魔女を駆逐することを使命としているから、事と次第によっては情け容赦ない断罪がなされることになる。奇跡調査は畏怖すべき硬貨賭博だ。
クスターの母が試みることとなったソレは、見事、愛情溢れる表側を示した。神の御力の発露であると、奇跡であると認められたのだ。即座に聖女として特権を与えられた彼女は、今も“聖杯島”の神殿に暮らしているのだろう。
しかしクスターは知っている。母の力が決して奇跡などではないことを。むしろおぞましい類の代物で、それがゆえに町で噂を招き、奇跡調査官が家に踏み込んでくることになったのだと。
彼女は動物の死骸から虫を作り出すことができた。普通の虫ではない。実体すらなく飛び回る淡い緑光……尻を灯して飛ぶ夏の虫の、その燐光だけを切り取ったかのような妖しい虫だ。何の役にたつわけでもない。ただ手慰みにそれをして、クスクスと笑うばかりだ。評判の美女であったことが不気味さに拍車をかけていたようにクスターには思える。嫌いな女だった。居なくなって清々した。
それでも血は争えないのだ。クスターにはクスターの不思議が在って、それは誰にも知られるわけにはいかないが、消し去ることも叶わない。
予感が鋭い……いや、強いのだ。
家に奇跡調査官が来る日は朝から物置に隠れていた。何か起こるという圧迫感が日増しに酷くなり、耐えられなくなった末にとった行動だ。幼くから乱暴者でならした悪たれである。物理的な脅威には物怖じするものではなかったのだが、心の内側からヒタヒタと迫るものには抵抗できなかった。
良し悪しはともかく、何かが起こることを予知するのだろうか……そう考えていた時期もあったが、平然と過ごした翌日に地滑りに巻き込まれて死にかけたこともある。逆に、2日も寝られずに過ごした結果として何1つ起きなかったこともあった。翻弄されることを嫌って武芸に打ち込んだ時期もあったが、それで予感が消えることはなく、いつしか札付きの無法者として子分を従えるようになっていた。
そんな時に出会った男が、サロモンである。
当時まだ百人ばかりを従える部隊長に過ぎなかったその男は、未だかつてない予感でもってクスターを打ちのめした。面と向かい言葉を交わすまでは弱かったが、一度強まってしまうと、もはや他の予感の一切がなくなるほどのものだった。いっそ殺そうと試みたが隣にいた銀髪の女に叩きのめされた。
そして気付いたのだ。サロモンを原因とする予感にはもはや逆らえないのだと。痺れるように広がって、もう受け入れる方が楽なのだと。常に予感に晒される生は、いつ来るとも知れない予感に怯えることのない生でもあるのだと。彼は生まれて初めて頭を下げた。サロモンの配下となったのである。
初めてエベリア帝国兵を斬った日を思い出す。容易いものだった。初めて軍馬に跨った日を思い出す。高く速く勇壮だった。初めて部下をもった日を思い出す。そこには誇りがあった。
だが……ああ……サロモンの予感はあの“聖炎の祝祭”の日に潰えた。終わってしまったのだ。言葉にならない虚無感にクスターは震えたものだ。己の胸にぽっかりと大きな大きな穴が開いている気がして、しばらくは胸を摩ることが癖になったほどだ。
サロモンが王都へ発つ日のことを、クスターは昨日のことのように思い出せる。
サロモンを指揮官とし、王軍の寄せ集めと義勇軍とで編成されていた混成の一万三千余名……いわゆるサロモン軍。王軍本部よりその解体を命じられたのは、エベリア帝国軍を撃滅して3週間ほどが経った頃だ。作戦遂行上の都合で臨時に指揮下にあった三万は既にそれぞれの指揮の元へ去り、ただサロモン軍のみがその地に留まって合戦後の処理と周辺警戒とを続けていた。
解体後の諸将は軒並み昇進が決定していたし、転属先も栄転ばかりが約束されていた。亡国の危機に立ち上がった義勇兵たちが軍務を解かれるのも、時期の判断に異論はあれど、予め定められていたことだ。誰しもに報奨金が出た。代わりに駐屯する軍が命令と共にやってきていたが、それはむしろ遅すぎたくらいで、敵味方区別なく恐怖させるほどの戦果を挙げた故とも思えた。
筋違いな話は何もなかった。喜んでいた者も多い。しかし疑問を口にした者もまた多かった。クスターもまた強まる予感と共に疑念を生じさせていた。
サロモン軍を解体する意味がわからなかったからだ。最大の戦果を挙げた最強の軍を、何故、無くならせてしまうのか。目の前には行禍原が地平まで広がっていて、その先へと進むのに遮るものなどありはしないというのに。
おっつけやってきた王命が、疑いを更なるものとした。
サロモン単身での王都への召喚である。
名目は輝かしいものだった。彼の救国の英雄とも言える戦功は王城にて賞されるに相応しいものであったし、勇者の葬儀に列席するという理由もある。そして家名返上の問題もあった。
サロモン軍には正規の編成に漏れた王軍諸部隊が編入されていたが、その中には下級とはいえ貴族も混じっていたから、体裁を整える意味で一時的にハハト家の当主となっていたのだ。長く断絶されていたので、ハハト家の人間などサロモン1人きりという代物だが、それでも貴族の名跡には違いない。軍を解体するとなれば王都にて返上するより他に手段がないのだ。
全ては整いすぎるほどに整っていた。華々しく装飾された道が……凱旋の道が王都へと敷かれている。勇者の影にあって日の目を見なかった苦労人が、遂に栄光に浴するかのようにも見えた。
そうであるならば、なぜ、サロモンはたった独りで行かなければならないのか。
最も強く反対を口にしたのは副官のジキルローザだ。少数民族の出自の女で、かつてサロモンに襲い掛かったクスターを半殺しにしたことがある。女人禁制のアスリア王国軍にあっても男装して最前線を駆けた猛者だ。魔眼のジキルの異名は名高いが、それが女性であると知るものは少ない。
ジキルローザはもともと王国を信じていなかった。多くの戦場に命を懸けたのも、単にサロモンのためであって、王国への忠誠心など皆無なのだ。その点はクスターも似たようなものだったので、それだけを縁に口説き、半死半生の憂き目にあったことがある。
次いで反対していたのはクスターだ。しかしこれは理路整然とはほど遠い反対表明だった。強まる予感を制御しかねて半狂乱になっていたからである。見たくないものを見たという理由もあった。
帝国軍撃滅の地……あるいは勇者死亡の地での3週間で、クスターは何人もの奇跡調査官と思われる人物を見かけたのである。彼ら特有の気配は幼少の頃の心傷として忘れられるものではない。初めは勇者の死を調べるためと考えたが、それにしては調べる範囲が広過ぎた。そしてサロモンを見ていた。
予感とは別にクスターの専売特許ではない。あの時、多くの者が嫌な予感を覚えたのだ。何か腐ったものの臭いを嗅いだような……鼻の奥に何かがこびりつき、胸の奥がチリチリと落ち着かない気分を味わっていたのだ。
サロモンは多くを語らなかった。命令は命令なのだからそれに服するべし、というのが彼の主張だったように思う。ジキルローザの熱弁には少し困った顔をして、泡を吹くように捲くし立てるクスターには白い目を向けていた。そんな気がするクスターである。錯乱が酷い間の事は記憶が曖昧なのだ。
しかし、それでも、サロモンが最後にぽつりと呟いた言葉だけは耳に残っている。
サロモンの死後に占術をかじるようになったクスターだが、予感の内容を推測することもできないことに苛立つたび、その言葉を思い出してきた。不安と焦燥と空虚とを、その言葉にすがって生きてきたと言ってもいい。先の見えない闇へと言葉を投ずるのだ。在りし日のサロモンを脳裏に描いて。
「見たいものが見えないこの上は、思い切るよりない……!」
噛み締めるように口にした。
兵にも馬にも沈黙を課しているこの暗闇の丘で、クスターはそれでも言葉にしたのだ。
遠く聞こえ始めた馬蹄と荷車の音とが、次第次第に近づいてくるのがわかる。風はヌメヌメとして空は禍々しいままだ。しかしクスターは手を上げるのだ。六百騎の刃を閃かせるために。
そして……その手は振り下ろされた。




