第112話 誇りは甲冑に、怒りは剣槍に
「敵を個々に追うな! 一班五名単位で正面の脅威をのみ叩け!」
「この敵に心はないぞ! 躊躇わず討て! 負傷者は這ってでも己一人で退いて見せよ!」
「とどめを刺す際も複数名で当たれ! 油断するな! 首があれば動くぞ!」
怒号が飛び交い、血臭が立ち込めている。無残が更なる無残を容易に招き、必死の上に必死を重ねても事態は好転する兆しもない。止めようもなく押し込まれている。同胞の命が次々と散華していく。
強い。とてつもなく強い。聖杯騎士団とは暴力を神憑りの域にまで到達させた集団なのか。
ルーカス・ユリハルシラは馬上より全てを見ていた。己の判断に従い命を懸けた者らが戦っている姿を、瞬きも惜しんで瞳に映し続けていた。それが責務だった。それが戦いだった。
死地である。ここは全き死地である。これまでになく生は燃えるも、ごく呆気なく死が落ちてくる。
左手の一画が崩れた。聖騎士の一騎がはっきりと視界に入った。すぐにも待機の兵が槍を揃えて馳せ集うも、その僅かな間に鋭く投擲されたものがあった。馬上槍だ。随分とゆっくりと迫ってくる。つぶさに見える。白色の柄は厳かに装飾されていて、穂先には冷たい光が宿っている。
それが死か? このルーカス・ユリハルシラを終わらせるものか?
馬鹿な。こんなものはお断りだ。肯んずるものか。抗うのみだ。
馬上に盾を持ち上げ、振り払うように動かした。耳が痛むほどの金属音が生じた。槍は退けられたようだ。それ見たことかと思う一方、腕に何の手応えもなかったことを不思議に思う。
「馬鹿! 若なことを! 何をご立派に防ごうとしてるんです!? 無様でも避けるなり身を固めるなりして下さい!」
声を受けて盾を除けたならば、ルーカスは己の副官が長柄剣を両手持ちにしている様を見た。騎乗した状態でそんな大得物を振るうのだから敵わない。地には先ほどの槍が刺さっている。彼のおかげで己は助かったらしいと知った。
感謝の言葉をと思ったものが、口をついて出たのは低い声音だった。
「……馬鹿と若とが逆だったな。言い間違いでも聞き間違いでもない」
「おお、正気でしたか。安心しました。あんまり堂々としていらっしゃるので、半分くらいは寝ておいでなのかと危ぶんでおりました」
「卿という男は……つくづくと私を心配するのだなぁ」
手綱を緩め、馬腹を足で押した。駆け出す。左方だ。敵の猛勢により戦列の綻びはいよいよ危うい。何を命ずることもなしに重装騎兵の小隊が付き従っている。副官がその先頭だ。
「まるで兄と対しているような気分だ!」
ルーカスは槍を腰だめに構えた。目の前で今まさに歩兵の一人を槍で突き殺した聖騎士へ、その槍を戻す暇も与えずに、渾身のひと突きを見舞った。当たらない。手甲で受け流された。そういう風にされては身体が前へ泳ぐ。聖騎士は槍を手放して剣を抜かんとする。
それが死だったか? いや違う。まだまだそれではない。願い下げだ。
「又従兄ですよ! 兄ならばもっと立派で相応しい御方がおられるでしょうに!」
副官が疾風の如く馳せ違って、長柄の剣を振るうこと二閃、聖騎士の腕と首とを断ち切った。彼らの装備は一般の騎士のそれに比べると薄い。一見すると重装のようでいて軽装の甲冑なのだ。抜剣しようなどとすれば関節部が開く。並の技術で衝ける隙でもないが。
「ダニエル義兄上のことか? 無論尊敬しているが、どうして兄が一人でなければならん。実際、私には三人の異母兄がいたのだぞ」
近侍の重装騎兵らが大いに敵を押していく。瞬間的にであればこういうこともできる。重武装の騎馬とは移動する城塞でもあるのだ。いかな聖騎士とて易々と崩せるものではない。
「存じてますよ。ユリハルシラ本家の御三方は、私らの憧れでしたからね」
負傷者が下がり槍の戦列が再構築されていく音を後背に聞く。下士官が切迫した声で命令を繰り返している。誰もがこの死地を戦っている。死力を尽くしている。
「会ってみたいものだな……私は兄上たちに会ってみたいよ」
「会えませんよ。若には会えません。まだ会う資格がないのですから」
敵の攻撃が突出したルーカスらに集中し始めた。隊伍を密にして徐々に後退する。手綱を引き、後ろ向きに馬を歩ませるのだ。隙を見せるわけにはいかない。
「心外な言葉だ。理由を教えてほしい」
「まず真っ先にお父上である侯爵閣下が御三方に面会すべきだからです」
聖騎士らの戦い方は執拗かつ的確で、しかも絶妙に連携している。不用意に馬首を返せば瞬く間に殺されるだろう。ここが堪えどころである。死を吸い込まぬよう息を殺す時間だ。
「そして大いに叱りつけるべきですね。子が親より先んじるなど、何たる不孝かと!」
刃が激突する音が連続した。副官の馬上剣術はこの壮絶の中でどこまでも冴え渡っている。ルーカスは己の武芸の拙さを恥じ入るばかりだ。まだ槍先に一騎とて討っていない。必殺の信念で突き出したものがどうにも当たらない。それで突くことをやめはしないが。
くぐもった悲痛の声が上がった。
味方の一騎が不意を衝かれたようだ。槍を繰り出した腕が伸びきっている間に、別な敵から脇腹を突かれたのだ。深く入った。あれは致命傷だ。今また一つの命が死に捕らえられたのだ。
兜飾りを確認する。ああ彼か、と思う。仮設砦での駐屯を共にした男だ。肉よりも野菜を好み、しかも鮮度にうるさかった。馬房の脇に小さな菜園すら設けていた。根菜だった。抜いたばかりのものを馬と一緒に食べていた。両親は既に亡く、妹が一人いて、そちらは野菜嫌いで肉を好むのだと言っていた。
盾が鳴った。彼が自ら叩いたのだ。ルーカスをその音を聞く。己の命に刻みつける。兜に隠れて今は見えない彼の笑顔が強く思い出される。
この瞬間には苦悶で顔を歪めていようか。絶望に震えていようか。脳裏に誰を思い浮かべていようか。
そして彼は駆け出した。雄々しい吶喊だ。誰も追わない。むしろ馬首を返した。背に激しく戦う音を聞きながら、歩兵の戦列が用意した通路へ駆け込んだ。すぐにそれは閉じて、槍が突く。敵を突く。これでもかと。これでどうだと。
何度目かの突出を終えて、ルーカスは忙しなく息をした。未だ命あることの熱さを、痛さを、目一杯に味わった。面覆いを上げて目元の汗を払う。咽も乾いたから、腰の革袋を引っ張り寄せて水を飲んだ。
「若、そろそろ退き時です」
副官の声にも呼吸の乱れがこびりついてる。
「体力勝負においても根気勝負においても我々は敗北しようとしています。これには口惜しさというより不気味さを感じるところですが……」
言葉尻は濁されていて、彼らしからぬ当惑が感じられた。ルーカスは無言で大きく頷いた。
聖杯騎士団は強い。天下無双との評判に偽りはなかった。
まず一騎一騎の聖騎士がよく訓練された優秀な騎兵であり、高い戦闘技術を身につけている。薄くとも堅牢な甲冑で身を鎧っていて、それが軽快な動きと頑丈な護りとを両立させている。剣槍も鋭利だ。
しかし、それよりも何よりも特徴的なのは、彼らに一切の個人差が感じられないことだった。よく観察すれば年齢や体格の差はあるものの、使う技の数々にはまるで違いがない。練度が均一なのだ。軍事調練の理想形のようでもあるが、それはルーカスに違和感と嫌悪感とを覚えさせるものでしかない。
この者たちは……人間か?
声なく表情なく、そろどころか明確な殺意すらもないままで、驚くべき体力と集中力とで戦い続ける白き騎兵たち。動きには一切の無駄がなく、織りなす連携には欠片の停滞もない。
生き物とはこういうものだったか? こうも心無く動けるものだったか?
遠く離れたところから感じていた恐怖は、実際に戦うことによって更なるものとなっていた。腹の底に漲らせた戦意が枯渇したならば、あるいはすぐにも失禁し逃走するのかもしれないと思う。
見えない。ルーカスには敵の中に人間が見えない。それでいて暴力が猛威を振るい人間を殺している。
こんな馬鹿げた話はなかった。こんなことが許されていいはずもなかった。恐怖を上回る憤怒があった。それはルーカスの命を熱く燃やし励ましているから、きっと己以外にも由来するものなのだろうと思う。この熱を抱く限り、戦意が枯渇することはあるまいと思う。
そして彼をも思った。ルーカスが最も認める人物であるところの、マルコ・ハハトをだ。
勝てるだろうか? 君ならばこの悪夢を振り払えるだろうか?
避けがたく敗れようとしている最中に、ここにいない英雄をどこまでも身近に感じて、ルーカスは問うのだ。答えなどは必要ない。
こんなことはあってはならないと宣言してくれるだろうか? 人間の命とはこんなことでは汚されないのだと、屈しないのだと……君ならば世界に証明してくれるのだろうか?
問うことだけで何かが救われていた。絶望に陥ることなくいられた。人間であることに誇りを持ち、狂うことなく戦えた。
心中に彼へと問い続けるこれは……きっと祈りなのだ。
そう思い至ったから、ルーカスは微かに笑むことができた。
未だ喘ぎながらも空を見上げる。夜闇が迫っている。嵐を呼ぶかと思われた雲もいつしか去り、天には青が深々として広がっている。星の瞬きを見ることができる。風は微風で涼やかだ。
「剣角騎士団はどうなっているか」
ルーカスは馬上に将として発言した。当然だ。この戦いの責任者として最後の瞬間まで雄々しく在らねばならない。動揺はない。己の死も、己に命を預けてくれた男たちの死も、全てを覚悟し背負いきっている。諦観とは違う。今ルーカスらが戦っているのは、諦め脱力した人間が対抗できるような相手ではない。
「遠望した印象ですが、来援は見込めそうもありません。陣を割られてなお崩れないところはさすがの戦いぶりですが……」
戦塵の向こう側にもう一つの戦塵が上がっている。どちらからそう意図したものか、互いに二つに分かれての激突となったからだ。兵数としてはユリハルシラ領軍五千に対して聖杯騎士団三千、剣角騎士団三千に対して聖杯騎士団二千と、どちらもルーカスらが上回っていた。
あちらかこちらか、片方が敵を崩したる後にもう片方を挟撃にかける……そんな奇を衒わない判断をもって戦いに臨んだものだが、結果はこの有り様である。どちらかが壊滅する前に退くよりない。
ルーカスの心に後悔はなかった。時を戻せたとて同じように戦うだろう。これはそういう戦いだった。戦うべくして戦っている確信があった。
結果が全てではないと考えるからだ。
保身のための言い訳ではない。人の生はそんなに寒々しいものではないと信じていた。己の心を熱く滾らせるものを……動機をこそ、人が命を懸けるに値する尊きものであると思い定めていた。
ルーカスはそう生きてきた。死ぬ時もまたそのように終わるのだろうと思う。
「確かに退き時だ。暗さも味方する」
東を見やった。軍を束ねて退く先はそちらだ。
幾つかの丘と林とを越えたならば兵站拠点としての古い砦がある。駐屯兵は少ないが防御には使える。王都へ近づくことには善し悪しがあるが、事ここに至ったならばそこを選ぶより他にない。
「陣太鼓を打ち鳴らせ。退くための戦いを始める」
鼓面の革も裂けよとばかりに打撃の音が連続した。領軍旗が大きく振られ、新たな色を宿した戦場の空気をば大いにかき混ぜた。各隊に士官らの命令が叫ばれる。兵らが移動し、地は唸るように震動した。
ルーカスらは激しく戦いつつも新たな陣形を組むのである。既にその兵数の四割近くを失い、満足に戦える者は半数にも満たないといえど、命令があらば最善を尽くす。それがユリハルシラ領軍であり、それが心を一つにしてこの戦いに臨んだ男たちであった。
重騎兵隊を先頭にして、その左右に槍歩兵隊を従える。両翼たるその戦列は後ろへ向けての斜形だ。弓歩兵隊はない。既に矢を射つくしたからだ。半数は戦友の槍を拾って両翼に加わり、半数は剣を手に中央へ位置した。重騎兵隊との間に負傷者を抱え込むためだ。最後尾に軽騎兵隊がついた。
矢だ。矢の如くして前方中央にのみ打撃力を集中し、ただ前へ前へと進むための陣形だ。
「全軍、咆哮を上げるべし! ユリハルシラ領軍! 前進!!」
血飛沫を巻き上げる突進が始まった。さもあらん、この陣形は重騎兵による騎馬突撃を絶え間なく実行し続けることを意図している。敵を押し分ける一歩のためだけに十数騎が討ち減らされた。こじ開けた隙を広げるために百数十本の槍が持ち主を代えた。
それでも百歩と進んでいない。しかし進んでいる。そして止まらない。
全軍の進みが徒歩兵の早足の速度へと至ったならば、もはや何者もこの歩みを止められるものではない。進む。進んでいく。側面に絡みつかれても槍を頑なにして無理矢理に進み、後背に追いすがられたならば軽騎兵が時に小隊単位の逆突撃をすら敢行して攪乱、その隙に全体は進む。
進むためだけに多くを支払っていく。新たに負傷した者を回収できることなどは稀だ。徒歩兵であればただ置き去りにした。重騎兵であれば盾を鳴らせて吶喊するに任せた。戻らない軽騎兵は誰が助けにいくでもない。そこまでしても、進む。決して速度を緩めない。
この歩みに勝利はない。敗走だ。これは紛うことなき敗走なのだ。
しかし前進するからには次がある。犠牲を取り戻すことはできなくとも、再起する明日へとつながる。敗れて終わらないために、勝つまで戦い続けるために、今はこの血路を進むのだ。
ああ……今また一つの音が鳴った。それは耳から鋭く入って、ルーカスの命に深く印を刻む。
副官だ。
利き腕を肘から切断された彼は、残された腕でもって片手剣を引き抜いたようだ。その柄頭で胸甲を叩いたのだろう。面覆いを上げているが、ルーカスの方を振り向きもしない。どうやら手綱を口で咥えているらしい。
駆けていく。その背にどこまでも雄々しき在り様を示して、見定めた己の死へと駆け去っていく。ルーカスには声をかけることはおろか最後まで見送ることも許されていない。軍は進み続けるからだ。
吠えた。ルーカスはその槍先に初めて聖騎士を捉えた。
皮膚があり、骨肉があり、赤いものが零れ出る。まるで人間のようだ。しかし怯まずに動くから、馬上にて組み打ちとなった。腕力は拮抗した。横合いから剣が伸びた。ルーカスの腕をかすめるようにして、それは聖騎士の喉に突き刺さった。長柄剣だ。振り向いた。
「危のうござった! ご油断召されるな!」
兜飾りから判断して四十絡みの領軍大尉だ。ルーカスは了解と感謝とを伝えた。刃の血をそのままに進む。この忍耐の騎馬突撃を維持する。
「……む!?」
不意に背筋が凍りついた。ルーカスは悲鳴を奥歯に噛み殺した。目を開き過ぎたものか視界が焦点を失いぼやけた。やや遅れて全身の体毛という体毛が逆立った。腹底の戦意すらが動揺した。
面覆いを上げて右方を見た。見ずにはいられなかった。
並走するようにして騎馬の列がある。先頭に在って、聖騎士らを従えて流星のように駆ける者がいる。勇者だ。あれは勇者だ。かつてはマルガレータ王女であったが、今は忌むべき暴力の槍先のようにして在る者だ。人間を不幸にする異形だ。白い災厄だ。
勇者は兜を脱いだ。白い髪が夜に浮かび上がり、騎行の風にそよいだ。その顔の半分は神の象徴をあしらった何かで覆われている。雰囲気はまるで違うが確かにマルガレータだ。右の目はあるまいと思う。
いや……ある?
距離が離れているというに彼女の表情がつぶさに見て取れた。すぐ目の前に顔がある気がした。ルーカスはその感覚を不審に思ったが、それ以上の奇妙があって瞬きの一つもできなかった。
白い顔を覆うものが捲られていく。ゆっくりとゆっくりと……その下に隠れていたものが露わになっていく。やはり遠いはずのそれが酷く近い。そして軽いはずのそれが酷く重い。些細なはずのそれが震えるほどに重大に感じられて仕方がなかった。
あれはいけない。
あれをやらせては駄目だ。
ルーカスは咄嗟に槍を逆手に持ち替えた。投げつけようと思ったのだ。間合いも定かでない不可思議な感覚世界に惑いつつも、今すぐに攻撃すべきであると心が叫んでいた。しかし力が入りきらない。寒気だ。命が凍えているのだ。頼むべき熱が得体の知れない何かに凌駕されていた。ルーカスは焦った。
開く……開いてしまう。あの恐るべき何かが……絵物語に語られる魔王城の大門が地響きを立てて開いていくようにして、戦慄をのみ人間に向けて放ちながら、ルーカスらの眼前に決定的な何かを発現しようとしている。
右の目だ。
何という……何という瞳だろうか、それは。
何色でもなく何色でもあるという万色混在の渦が発光している。渦であるからには呑み込まれる。光るからには照らされて眩い。目を離せない。もはや捕らわれて逃れる術もわからない。どうしようもない。
そして、何か掛け替えのないものが台無しにされていく。蝕まれていく。漂白されていく。泣きたくなるような恐怖すらが消えていく。温度のない白色に塗り潰されていく。
浮遊するような夢幻に浸されて……ルーカスの心にまず現れたのは興奮だ。高揚感と言ってもいい。次いで楽しさが来た。面白さが来た。怯えていたことが馬鹿馬鹿しくなるほどの愉悦が心を満たした。
どうして己はかくも悲壮に戦い、死のうとしていたのか……こんなにも輝かしい世界に抱かれていて。
気付けば手綱を引いていた。馬が歩を緩めた。それでも周囲と衝突しない。それはそうだ。誰もがこの意味不明の疾走をやめている。呆けたようにして右方へ顔を向けている。
ルーカスは陶然として息を吐いた。すっかり寛ぐ気になっていた。
だから、身を包む鋼の鎧が邪魔だった。重装の甲冑である。重く苦しいから捨ててしまいたいと思ったところで、留め金や何やは複雑な構造となっているから、完全に装着してしまうと脱ぐことが困難だ。こういう時に何やかやと叱りつつも手助けしてくれる副官は……もういない。
そう、彼はいなくなってしまった。武人の厳勇をその身に体現して、苦悶に震えることも未練に振り返ることもなく、暴なる死へと飛び込んでいってしまった。もう会うことはできない。
胸の奥で何かが痛んだ。何かはわからない。一つではなく複数個の疼きがある。
意味もなく左手で横腹や肩を撫でた。組み伏せられた際に敵に易々と外されないよう、あちらこちらが留められている。重甲冑とはそういうものだ。命に背負い心に鎧うところの権門の重責にも似る。
窮屈だった。しかしルーカスは兜すら脱がずにいる。試みても上手く脱げないのだ。理由は簡単で、左手しかまともに作業できないからである。
右手には今も槍が握られていた。
見渡せば皆が既に捨てているそれを、ルーカスだけは右手に固く握り締めていて、捨てようと思えども指が開かなかった。解けないのだ。それどころか、手首が、肘が、肩が、次第次第に意思を離れて動き始めた。
投げようというのか、槍を。
ルーカスは驚きをもって己の右腕を見た。逆手に握ったその拳には震えるほどの力が込められている。刃が狙う先には輝ける存在がいる。見る間にも近づいてきている。白き騎兵らと共にこちらへ寄せてくる。
赤色が吹き上がった。幾つも。幾つも。聖騎士たちが右翼の歩兵たちを刈っているのだ。赤い。赤い。そして痛い。次々と終わっていく命が痛い。散っていく命の一つ一つが痛い。白く輝く世界の中に別な閃光が弾けていくが、それらは全てが痛いのだ。ルーカスの頬を打つのだ。
「何を……しているのか……」
喊声も悲鳴もない首刈りの血嵐に吹かれて、鉄を打つ音と赤色ばかりがルーカスの見聞きする全てとなった。音が命を叩いてくる。刻まれたものが呼び覚まされる。色が命を熱してくる。彼の戦旗を思い起こさせる。火のように赤く熱い、まるで人間の怒りそのもののようなあの旗を。
「何をしている、ルーカス・ユリハルシラ……何をしている、聖杯騎士団……」
腕を振り上げた。漲る力が漏れ出でて手甲を鳴らしている。断固たるものが槍先へと宿っていくことがわかる。ここにきてルーカスは己の口が言葉を発していることにも気づいた。それは己の内側から込み上げてきていたのだ。
声には赫怒があった。猛熱があった。身体が煮えたぎるようだった。
己が命の激しい躍動を自覚して、ルーカスは大きく息を吸い込んだ。馬上に身を捻り、狙いを定めた。命を使う時は今だ。生も死もない。ただ己が命を爆発させればいいのだ。
夜の黒色を背景にして禍々しき白色を払うべし。
炎の赤色を呼吸して許しがたき烈光を討つべし。
「人間を嗤うな! この痴れ者がっ!!」
吠え、投げた。
戦場に雷鳴の如き音が鳴り響いた。人馬は激しく乱れ、ルーカスもその渦の中に呑み込まれた。死地は様相を再びに一変させたようだが、それがどのようなものかを知ることもできずに、ルーカスはただ落馬しないことに必死となった。
遠く、誰かが己を呼ぶ声が聞こえていた。




