【25】なんの話
まずは遷都の話題から。
王都を移転するという話は、ハロルドの父王の時代からちらほらと出ていた。
――現在の王都ダラゴは狭すぎるし、地形的な要素でこれ以上の発展は望めない。そのことは国政にとって継続的な課題であり続けた。
だが移転問題がにわかに現実味を帯び始めたのは、王妃マルグリットに関連する、例の政変による流動的な要素が大きかった。
先の政変によって、国内の保守派閥の勢いが大きく削がれた。主犯の数家以外の保守派も多くは領土を転封され、国内全体が今は過渡期の浮つきの中にある。
「国の長年の課題だった遷都の問題だが、どうにか実現にこぎ着けられそうなのも、この大規模な国替えの流れがあったからだ」
これに乗じて、ハロルドはこれまで解決を棚上げしてきた、ある一つの問題への着手を考えた。
「旧国教会――プロスペロ教会との決別」
「……国教、会、ですか」
ベルタはその時、これまで視察の間に一切聞いた覚えのなかった名称が出てきて、気がついた。
自分が今回の施策に関して、本当に一人、蚊帳の外にいたということに。
「プロスペロ教会の勢力は、いまだ保守派や諸外国を中心に健在だ。新たな国教――近頃はアウスタリア国教会と呼ばれているが、ともかく今は両教会が同じ聖堂を使っているような不自然な状況が続いている」
王都ダラゴに建つ大聖堂は、その荘厳な鐘楼は、市街のどこからでも眺めることができる。
前王朝時代の王が着工を命じてから完成まで、実に二百年近い歳月を要したという壮大な建築物だ。
ダラゴの大聖堂はもはや、建物それ自体が既に信仰の象徴と言える段階にまで土地の民の心に根付いている。
「プロスペロ教会の勢力を丸ごとこの街に残し、新たな都には新しいアウスタリアの国教会を建てようと思う」
「……つまり、ダラゴの大聖堂をプロスペロ大司教にくれてやると?」
ベルタの言葉選びにハロルドは一瞬面食らった顔をしたが、少ししてそれに頷いた。
「近いな。宗教機構の中枢は、古都となるこの街ダラゴに置いていく」
宗教に関することとなると、ベルタは正直お手上げだ。
ベルタは南部の、宗教思想の薄れた土地柄で生まれ育った。彼女の人生に信仰は必要がないし、敬虔な人々の考え方も、認知することはできても、きっと本質的な理解には至らない。
ただ、ベルタは自身がそうである一方で、彼女の夫はその生い立ちに深い信仰が根差していることを知っていた。国策の都合で改宗したとはいえ、彼自身はまだその身に馴染んだ教えを忘れていないということも。
「陛下は、それで、よろしいのですか? つまりあなたご自身も」
なんと言って良いかわからず、ベルタは言葉を切った。彼は王として打つその一手で、プロスペロ教と物理的にも決別することになる。ダラゴの大聖堂には、彼の生母ジェーンが眠る墓地もある。
「良いも悪いもない。国王は新たな国教会の盟主でもある。旧国教会との決別は遅かれ早かれ必至のことだ」
ハロルドはまた、公人としてのあるべきを話していた。
しかし、その「正しい」姿からベルタが目を逸らす直前、彼は視線を上げてベルタのことを見た。
「……だが、そういうことを気にしてくれる人が近くにいるというのは、少し気が楽だ」
固い声音が少しだけ和らいだ気がした。ベルタはとても驚いて、しばらく彼の、国王とも一人の男ともつかない力の抜けたような顔を眺めてしまった。
「この街にも、洗礼を受けたあの大聖堂にも愛着はある。だからこそ、かの教会との間に悲劇的な結末が起きるのは避けたいと思っている」
彼と二人きりで会話を重ねることは、最近では珍しくもない。けれどなんだか初めてこの人と話しているような気になった。
ハロルドが大切にしている価値観、守りたいもの。その現れとしての政策。
――そして彼が語った、新都案でのヴァウエラ優越の理由は、時間を置いて考えれば充分に納得ができるだろうというものだった。
「旧国教の勢力を残していく古都は、地理的に近い位置から監視する必要がある」
政治の目が宗教勢力から遠のいてしまうのは危険だ。北方の大陸諸国から、教会を隠れ蓑に横槍が入る可能性もある。
プロスペロ教会に睨みを利かせ続けるためにも、新たな王都も国土北部に位置しているべきだと彼は考えていた。計画の全容を知れば、それは国防の観点からも極めて順当な結論だという気がした。
「……遷都の目処がついてから、南部との問題に切り込みたかった。結果的に君との話し合いもこうして先送りすることになってしまった」
そのことに関して、ベルタは何も言えなかった。
「まあ、……今回に関しては、立っている視点が違い過ぎたのですね、としか」
そして、過ぎたことに関する議論よりも、今は今後に繋がる論点の解決を優先したかった。話すべきことはいくらでもある。南部のことやニーナのことも。
「南部に関する課題で、俺が認識しているものは二つある。一つは依然として南部が閉鎖的であること。もう一つは、北部ペトラ人派閥と南部の間の確執だ」
前者に関してはベルタも耳が痛い。
だが、ハロルドもまた、今この場でそちらに関する議論を掘り下げる気はないようだった。
「手っ取り早いのは婚姻政策だ」
端的な物言いに、ベルタは先ほどの話との繋がりを理解する。
「それでニーナなのですね」
「そうだ。ヒメノ伯爵の娘を南部の――できればカシャの血縁の、有力な諸侯に嫁がせたい」
彼はカシャを名指しした。
「ヒメノ伯は、今はまだ領土や爵位こそさほどでもないが、伯爵本人や跡取りの資質からも今後ますます台頭するだろう。保守派の勢力が弱まるにつれ、ヒメノはいずれ国家の重臣となる。その家の一人娘の婚姻として、相応しい相手は誰か」
南部の根回しのやり方はわからないと言って、ハロルドは苦笑する。
「この折衝に最も適しているのは、ベルタ、君だ。南部の関係性や王家の都合も踏まえて、この婚姻政策を主導してほしい」
「そういう事情だったのですか。それにしても、ニーナがそこまで」
ベルタは視察の間連れ回した新人女官のことを思い浮かべていた。
ニーナがリサに首根っこ押さえられ、容赦なく扱われるようになってから、ベルタの宮の女官たちはだんだん彼女との接し方を覚えてきた。ニーナは多方面に毒づきながらも、最近では怒られない最低限の業務量の見極めが上達し、妙な形に馴染みつつあるようだ。
それで人間関係が上手く回っているかはさておき。
「……ニーナに、そのような役目が務まりましょうか」
ベルタの懸念に、彼も思うところはあったらしい。頭が痛そうな顔をしている。
「ヒメノ伯爵家には、娘はあれ一人しかいないんだ」
彼はこの一件をベルタに下ろす前に、ニーナの意向を確かめようとしたらしい。ニーナの意思を尊重したかったというよりは、ニーナにそうした重要な婚姻に堪え得るだけの素質があるか見たかったというのが実際のところだろう。
そして直々に彼女に対面したらしいが、その結果は散々だった。
ニーナは彼の側室になりたがって暴走した。
「あの娘の暴走を食い止めて引き受けてくれて助かった。北部新興派閥の娘が王妃に近しい侍女として召し上げられ、視察にも帯同して結果的に良い周知になった」
ベルタは全く意図していなかったが、外朝からはその人事がヒメノとカシャ、両派閥の主陣営がなんらか水面下で動き出した証左だと見えたらしい。
(……それで、陛下はこれ幸いと派閥対立ごと解決を棚上げしたということね)
よく考えるとあまりベルタのためにはなっていなかった気がする。
本当に、もっと早く言っておいてほしい。そう思うが、多分これは言うだけ無駄だ。
「わかりました。乗りかかった船のようですし、彼女の結婚相手を南部に探す役目は私がお引き受けします」
ベルタ自身がこれからは、きちんと目を光らせて必要な情報を仕入れに行かなければならない。
そうやって少しずつ実際的な役目を引き受けて、多くの視点を手に入れることだ。
ベルタにいまだ足りていないものは、一朝一夕で間に合うものでも、寄越せと主張するだけで手に入るものでもない。
彼女自身の継続的な国政への関与で得ていく、立場というものだろう。
「引き受けてくれるか」
「ええ。でも、少し考えます。ニーナ本人とも話をしなくてはならないですし、彼女の個性が婚姻の障害とならないような相手となると」
これは結構大変かもしれない。カシャの一族に迂闊に台風の目を投げ込みたくはない。
「頼んだ。君の人を見る目は本質的で、間違いがないだろう」
期待もされているようだし、安請け合いはしたくないので、ベルタは一応気になっていることに関して彼に確認を取ることにした。
「陛下。これはあなたの妻としてではなく、婚姻を折衝する役目からのご質問なのですが」
不自然に居住まいを正したベルタに対し、ハロルドは特に思い当たってもいない様子で椅子にもたれている。
「ニーナは清らかな身ですか?」
……。
少しの沈黙の後、ハロルドは驚いたように体を起こした拍子に、身の潔白を主張するように肩の高さに両手を上げた。
「なんの話だ。当然だ」
「正直におっしゃってくださいませ。別に純潔でないとしても、南部の慣習の中では婚姻に決定的な瑕疵というわけではありませんわ」
「そうなのか? ……いや、別に俺は正直に言っている」
じゃあ今の「そうなのか?」はなんだ、という話だが。
なんだか奇妙な雰囲気になってきた。それはきっとハロルドが不格好に慌てているからだ。
「まさか本気で疑っているのか?」
どちらかと言えば、ニーナとそれなりの期間接した上でベルタは、まあ彼の言う通りなのだろうなと思っている。
「いえ。……ニーナに関しては、正直なところそれほどでも」
「ニーナに関してだけではないぞ。前々から言おうと思っていたんだが、君はそもそも保守派の女官たちともまだ続いていると疑っているだろう」
「なんの話ですか?」
「君が始めた話じゃないか」
ハロルドがだんだん声を荒げ始めたので、二人の会話は賑やかになりかける。ただでさえ扉の外で処分に気を揉んでいた侍女や女官たちが卒倒し兼ねず、その日の話し合いは結局そこで終了した。




