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【31】静夜


 ハロルドが次にベルタの宮を訪れたのは、王都に初雪の降る日の夜半だった。



 ベルタは就寝する支度を整えており、寝間着に上着だけを羽織った服装でハロルドと対面した。

 一方で、ハロルドは外出着だった。今まさに帰って来たか、これから出かけるといった様子だ。


 外套の中は、よく見ると略式だが武装のようだった。ベルタはその物々しさに息を呑む。


「陛下。どうなさったのですか?このような時間に、」


 彼は、人払いする間も惜しいというような様子でベルタの手を掴んで引くと、彼女の寝室へ入った。


 重い扉が閉まれば、雪の夜の静寂だけが室内に広がっている。

 室内は温められていて、ハロルドはベルタの手を離すと、羽織っていた外套を脱いだ。


 ベルタは、椅子を勧めるか少し迷ったが、結局そのまま黙って彼の言葉を待った。



「保守派の狙いがわかった。――侍女アドリアンヌが療養を名目に、後宮を辞して宿下がりした。報告によればその足で王都を抜け出した」


「療養?妊婦を、こんな時期に動かしてですか?」


 もし本当に妊娠しているのなら、移動だけでも堪えるだろうに、この寒い夜にだ。まあ、おそらく妊娠自体嘘なのだろうが、最低限取り繕うことすらやめたのか。


「アドリアンヌは懐妊していない。もし仮にしていたとして、それは俺の子ではない」


 それが確定的な事実なのか、それともハロルドが「そういうこと」として今回の件を処理するつもりなのか、ベルタは今ひとつ判別できない。


「奴らの狙いは初めから、後宮で身ごもった女を確保することだった。王宮をかき回すだけかき回して国外へ脱出し、正当な王位継承権を主張し得る赤子を手元で仕立て上げることだ」


「奴らとは、誰ですか?」


 そこまでやるのなら流石に小物ではない。


「マルグリットの生国。動いているのは貴族連中だが、黒幕は北の大国ロートラントの宰相だ」


 ハロルドは既に断定口調だった。


「一派はアドリアンヌを連れて北の国境に向かっている。国境を越えられると、隣国は根回しが効いているかも知れず面倒だ。もはや狂言だと分かりきっていても、王位簒奪の旗印を他国に与えてしまうのはまずい」


 とはいえ、ハロルドは事前に保守派の亡命を警戒して国境付近に兵力を配置していたという。

 彼がこのような深夜に出ることになったのは、別の理由があるからだ。


「マルグリットも共に行動していると報告が入った。現地の軍では王妃の名で押し切られる可能性がある。王都の余剰兵力を差し向けて、今から俺もそれを追う」


「現状は承知しました。つまり事態は一刻を争っているということではないですか!こうしている間にも、早くご出立なされた方がよろしいのでは」


 マルグリットが既に王宮にいないと聞いて、ベルタは驚いた。

 王妃が許可なく王宮を抜け出すという異常時に、ハロルドは何をしているのか。


 ベルタは焦るのに、彼はじっとベルタを見つめた。腰を据えて話をしていくつもりのようだった。


「まだ、この前の続きの話をしていないと思ってな」


「今はそのような悠長なことを言っている場合では」


「ベルタ。聞いてくれ」


 彼と話したくなかった。話したところで彼の言い分を理解できると思えない。



「……教会に手を回し、極秘裏に、マルグリットとの婚姻無効を証明する証文を得た」


 ベルタは返事をしなかった。

 無視したかったわけではないのだが、なんと答えてよいかわからなかった。


 彼らのプロスペロ教会の教えでは、離婚は認められていない。

 代替手段として、最初から結婚要件が成立していなかったとする証文の発行がある。そうして終わりにするために、彼は今までの結婚生活全てを否定する。


「しかし、この手札を切るのは今すぐではないと思っている。ロートラントとの将来的な衝突は避けられないだろうが、今はまだその時期ではない。マルグリットは、不自然な形になるだろうが王妃のまま、国内に残すことになる」


 つまり彼女との婚姻関係の有無すら政策の道具の一つとして利用し尽くすということだ。


「マルグリットを悪いようにはしないと、君にも誓う。彼女が安全に、権力から離れて暮らせるように。もっと早くに、このような事態になる前にそうすべきだった」


「悪いようには、しない……」


 それが、十数年間連れ添った妻に対するやり方で、彼の精一杯の情なのだ。


 実際のところ、ベルタにとってマルグリットはほぼ他人だ。彼女に対して思うところはないし、明らかに道を違えているのは彼女だと思う。


 しかし、ハロルドと彼女は仲睦まじい普通の夫婦だと思っていた。


 マルグリットが王妃として決定的な罪を犯すのは今回が初めてのことだ。

 なのにたった一度、禁忌を犯した妻に更生の機会すら与えず、彼はマルグリットを諦める。



 例えばカシャの父は、そういう風には絶対に母を切り捨てない。


 父は過去に、妻の生家が離反した時も妻子のことはカシャ一族として守ったし、そうすることで一族の団結をより強固なものとした。

 外に向けてはいくらでも冷酷になれる南部の民だが、その分だけ内に向けた契りは重い。


「陛下のご決定には従います。……わかっています。国王として、あなたは正しいということは」


 ここはベルタの育った環境での倫理が通じる場所ではない。


 南部では、身内を切るような人間は信用を失う。大きな社会的制裁を受けることになる。しかし彼らの社会にはそれがない。


 政局によっては、家族さえ家族でなくなる。

 思えば彼は、極めて血筋の近い他国の王族と争い合っている。夫婦や親子の近さでさえ、時にはそうならないとは限らない。



「俺が正しいわけじゃない。君だけが間違っているわけでもない」


 ベルタは、立って並ぶと僅かに高い位置にある彼の顔を見上げた。

 ハロルドが何を考えているのか想像するのは難しい。彼がベルタを丸め込もうとしているだけのようにも感じる。


 それでも、彼もまた不安そうな、この夜に彷徨う迷い子のような顔をしていた。


「……だから話そう。これから、俺たちには時間がある。今夜ということではなく、これから、いくらでも」


 この人と向き合うことは怖い。

 きっと近づくほど、理解できなくなる。気がつきたくないことにも気がつくことになる。


 傷つきながら、それでもそばにいようとするほどの意味を、彼はベルタにくれるだろうか。


 ベルタは彼の人生に、登場するようになるだろうか。


 覚悟などできていないのに、ベルタはその目を見たまま、顎を引いて頷いていた。


 そんな自分に驚いて、けれど、もうずっとそうすべきだと思っていたような。


「陛下」



 腕に触れたハロルドの手は熱かった。ベルタの体が冷えているだけかもしれない。


「すぐに帰ってくる。ルイと待っていてくれ。……王宮が手薄の間に、南部に帰ろうとしたり、しないでほしい」





「は?」


 ベルタはびっくりして思わず後ずさってしまった。ハロルドを避けたような格好になった。


「どういうことですか?私は疑われているのですか、王子誘拐を企てると?……ああ、積極的にルイのために動かなかったせいで、何か……それとも、申し訳ありません、前回私が余計なことを申し上げたせいですか」


 混乱したまま、自分のこれまでの行動はそれほどまずかっただろうかと思い返す。

 ルイを王にしたくないと言ってしまった。一歩間違えば、保守派に賛同しているとすら取られ兼ねない言だったかもしれない。


 忙しい時期に、自分のせいで余計な手間を取らせたかもしれないと焦るが、ハロルドはばつが悪そうに目を反らした。


「ああ、いや。今はもうそれほど強く疑っているわけではない。ただ君がそう行動し得る立場にいるというだけだ」


「今はもう?もしやずっと疑っていらしたのですか。ルイの顔を見に頻繁にお渡りになっていたのは、」


「……すまない」


 ベルタはただびっくりしていた。

 ルイと自分のことだけに手一杯で近視眼的になっている間に、まさかそんなことになっていたとは。


 これは本当に、話し合いが必要な気がする。感傷的な問題以前に、このまますれ違っていたら後宮内での暮らしに支障が出る。



「ルイは、俺と君の息子であると同時に、この国の第一位王位継承者だ」


「わかっています。……存じております」


 そうでなくなればいいと、何度思ったか知れない。けれどその事実は変えようがない。


「あの子は王子です。この国の大切な。そして陛下がルイを、世継ぎとして育てようとしていることも、重々承知しております」


 ベルタにはその意向に逆らう大義名分はない。


「ただ母として、私は、あの子の幸せはどこにあるのかと。そう考えてしまうだけです」


 内心で思うくらいは許してほしい。

 あの子がベルタの愛しい子であるように、ルイにとってはベルタだけが母なのだから。母としてあの子のために何ができるのか、きっと考え終わることはない。


「王になるのがルイの唯一の幸福だとは俺も思わない。……だが」


 ハロルドは、割り切れないベルタを責めなかったし、彼もまた迷いながら口にした。


「長子として、本来王位につくべき立場に産まれながら、その可能性を奪われた子は、……そうされてルイは、果たして親を恨まずに育つだろうか」


 それは掛け値無しの、ハロルドの本音の部分だとわかった。


「ルイにひどい父親だと思われたくないんだ。可能性を奪ってしまいたくはない。あの子に健やかに育ってほしい。かけられる全ての愛情をかけて、ルイに与えてやりたい」



 この人は、本当に父親としてルイを見ているのか。


 以前、彼がルイを愛していると言った時には得られなかった実感だった。

 長年熱望した実子だから、玉座に付ける駒としてのルイが可愛いのだろうと。


「あなたは……いえ、」



「……ベルタ?」


 本当に自分たちは、どれほどすれ違っているのだろう。

 

「わかりませんけれど。答えは出ない気がしますけれど、陛下がそうおっしゃるのなら、心強く感じます」


 彼を理解するためにも、彼がマルグリットとの間に付ける決着から目を逸らしてはならない。


「行ってらっしゃいませ。私はここで留守を守って、お帰りを待っています」


 





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― 新着の感想 ―
[一言] 王に共感できない第二王妃にも共感できない なんでだよやっぱ顔か?顔なのか? それとも私がひねくれた人間なのか? 迷子のような顔に庇護欲がそそられたってことは 顔がよくないと は?なんだこいつ…
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