【11】王太后
「カシャ妃。本日はお招きありがとう。ご本復されて何よりだわ」
ベルタは宮の前で王太后を出迎えた。目上の方の訪問を受ける時の礼儀だ。前回王太后がいらした時は不意打ちだったし、臥せっていたのでできなかったが。
「ようこそいらっしゃいました。王太后さま」
王太后はいつも喪服に近い暗い色のドレスを身にまとっている。前王が亡くなってからはずっとそうだという噂を聞いたことがあった。
「お心遣いに感謝いたしますよ。あなたの大切な王子さまにお会いできるなんて光栄よ」
「ええ、ルイは室内でお待ちしております。抱いてあやしてやって下さい」
もっとも、亡き夫の喪に服すという意思を貫きながらも彼女は生来的に明るい人柄らしい。
並ぶと頭一つ分高い位置にあるベルタの目を見上げて王太后は穏やかに微笑んだ。
細くて柔らかい白髪交じりの金髪は、老齢の彼女を年相応に見せ、けれど可愛らしい印象にさせている。
義理の母というよりはベルタにとっても祖母のような年齢差の方だ。
生家ではベルタは嫡女として親族に大切にされ、特に年配者には蝶よ花よと育てられた。
年配者に弱い自覚があるベルタにとって、王太后と政局的に対立しなくて済んだことは幸いだった。
侍女たちが茶会の支度をして待機しているが、その日の主役はやはり彼だった。
「まあ!あらあら、なんてお可愛らしいこと」
ベッドに寝かせておくと泣く可能性もあったので、ルイはバスケットに入れられてバスケットごと長椅子の上で乳母が抱えていた。
王太后は室内に入るなりルイに気が付き、そわそわと長椅子に近づいて小さい声で歓声を上げた。
いつも思うが、この王宮の人々は乳幼児相手にちょっと慎重すぎる。
まるで飼育歴のない貴重な珍獣を保護しているかのような態度だ。ベルタ自身はもっと大らかでも良いと感じるが、それはこの王宮では粗野な田舎者の意見と取られるだろう。
一方で、彼らの態度の背景にある事情を考えると、きっと赤子に慣れていないことだけが原因ではない。王室では子が産まれたとしてもその多くが夭折し、成人までは育たない。ルイの半身に流れる血はそういう血だ。
「抱っこしてあげてください。最近やっと首も据わりましたから、安定しておりますわ」
「そ、そう?いいのかしら」
「こちらの椅子にお掛けになってください」
ベルタは王太后をバスケットの横に座らせると、手ずからルイを抱き上げて、王太后の腕の中に移した。
おそらくベルタのやりように最初は戸惑っていた王太后だったが、当然彼女も赤子に接したことはあるはずで、抱き方もあやし方も心得ていた。
ルイはぐずらずお利口なまま、彼は祖母君との初対面を円滑のまま終えた。
王太后は、侍女たちが苦心して整えた茶席にも満足してくれたようで、特にカシャから取り寄せた南方の茶葉で淹れた茶を気に入ったようだった。
「お気に召していただけて何よりです」
茶会の後で王太后の宮に送らせよう、とベルタは考えて侍女に目配せする。目が合うまでもなく心得ている様子で侍女が視界の端で目礼した。
社交辞令かもしれないが、こういうのはありがた迷惑をしておく方が無難だ。ベルタはそのように育てられたので商人の娘のような社交しか心得ていない。
「それにしても、カシャ妃は少しお痩せになられました?」
指摘されてベルタは多少ばつが悪い思いをする。
王太后が言うのは当然、妊婦だった時と比べてというのではなく、妊娠以前の後宮に来た当初と比べての話だ。
「はい。お恥ずかしい話ながら、私も侍女たちも体重がここまで落ちていることに気がついておりませんでした」
王太后がベルタの体型の変化に気がつくのは、今日のドレスのサイズが合っていないからだ。産後はほとんど寝間着か部屋着で過ごしていたため、そして周囲の者たちもベルタの妊婦姿を見慣れて普段の体型が記憶から薄れていたために、ベルタが以前よりも痩せてしまっていることに気が付かなかった。
今回王太后の訪問に合わせてよそ行きのドレスを着た時に、腰回りが余ってスカスカになってみんなで慌てた。その上乳が張って胸まわりはきついので、妊娠前のドレスでは余計に不格好になってしまう。
「体調はほんとうにもうよろしいの?無理をなさってはいけないわ」
ベルタはサイズの合っていないドレスで人前に出る不調法を気にしたが、王太后が気になっているのはベルタの産後の体調のようだ。
「ええ、体調はもう良いのですが。どうも産後に痩せてしまう体質のようです」
「それは、そなたたちもご心配でしょう」
王太后は視線を少しずらして、ベルタのすぐ後ろに控える側近の侍女に話しかけた。
こうした場で貴人が直接相手の使用人に話しかけることはあまりない。そうした態度を取るとすれば、身内同士の席や相当に親しい間柄でのことだ。
形式としてはベルタと王太后は嫁と姑であるので、間違った作法ではないものの、侍女は少し動揺を見せた。
「はい。わたくしどもはいつもベルタさまを太らせようと努力しておりますが、普段からあまり努力が実っていないので産後痩せについても頭を悩ませておりますわ」
言う必要のないことまで答えた侍女だが、相変わらず王太后はこちらの非礼を気にした様子がない。
「そう、お食事を召し上がらないわけではないのでしょう?後で私の宮からも滋養のつくものを届けさせるわ。年寄りの住まいにはそうした差し入れが多いのよ」
「ありがとう存じます」
「王太后さま、お心遣いいただき感謝いたします」
侍女は本当に嬉しそうに頭を下げ、ベルタは多少の困惑を隠しながら失礼のないように礼を述べた。
「ルイ王子の健やかな成長のためにも、やはりまずは第一にお母上が健康でいなくては。カシャ妃が何かに気兼ねすることなくお暮らしになれるよう、私も心を砕くわ」
「何より心強いお言葉ですわ」
ありがたいのと同時に、ベルタは内心で首を傾げた。
王太后が政治的に味方になった事情がまったくわからないと言ったが、それは半分は本当で半分は嘘だ。
ベルタは確かに、父が取った実際の手段は知らない。知らないが、状況を考えれば自ずと想像はつくというものだ。
カシャ一族は成り上がりの豪族。一方で王太后は未亡人となられてから俗世の権力と遠ざかって久しい。
まず間違いなく、王太后の助力は金で買われたものと察せる。
にも関わらず彼女の今日の態度はまるで、ただ孫の誕生を喜ぶ優しいおばあさまのものだった。




